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優しい空間

作者: 姉子

空に真っ直ぐある白い線。

その先を追いかけても、終わりに辿り着くことはなかった。

まるであの人のようだ、と言葉が頭の中で震えた。






調理の専門学校を卒業して、私はすぐに実家近くの飲食店に就職した。

初めこそいろんなことに耐えていたが、それもたった2ヶ月しかもたなかった。


もともと我慢というか、忍耐力というものが私にはない。

実家でも家事は全て母親任せで、私がした家事の記憶は小学生止まりだ。

そんな私に母親も呆れ

「そんなんじゃ嫁にいけないよ」と、最近じゃ口癖のように言っている。



「一応料理はできるっつーの」



仮にも調理師、という意地がいつの間にか言葉として吐き出された。


料理が嫌いなわけじゃない。

ただ、いろんなことが煩わしかった。


人間関係や職場での孤独、理不尽な怒鳴り声と陰湿な嫌がらせ。

それはどこにでもある問題で、自分だけが特別ではないのだろう。

それでも、この環境に居続けるのは無理だと感じた。



「ろくな仕事ないし」



しかし私もすでに成人。

いくら実家暮らしとはいえ無職は今後の生活に影響する。

親のすねかじりも、やっぱり心が痛かった。


そして今。

求人雑誌は手当たり次第かき集め、目の前に沢山ある。

ひろげ始めて早一時間。

これといった収穫はない。



「料理できるんですか。もしかして調理師?」



汗をかいたアイスコーヒーに口を付ける直前、それは聞こえた。

人違いかと思ったが、声の主は柔らかい表情でこちらを見ている。



「仕事探してるの?だったらうちに来ない?」



何をサラリと。



見た目は爽やかな好青年なのに、言ってることが突拍子もない。

笑顔もものの三秒で胡散臭ささを醸し出した。


そんな私の表情に気付いたのか、男は少し慌てた様子で胸ポケットから紙を取り出し差し出してきた。



「奥村・・・充」



私はそれを受け取らず、書かれている文字だけ目を通した。

と言ってもそれ以外は何も書かれておらず、怪しさはさらに増した。



「あ、僕これでも小さな店やってます。本当はちゃんとした名刺あるけど今日忘れちゃって」



試しに印刷したやつしかなかった、と奥村という男は小さく笑った。



「今従業員が病気で田舎に帰ったり都合で辞めちゃったりして今一人なんだ。さすがに一人は難しいから求人でもだそうかと考えてたら、君の独り言が聞こえて」



そんなに声が大きかったかな、と辺りを見渡したがそれほど目立つような場所でもないし、店内は心地よいざわめきに包まれていた。



「ちょうど通り掛かってね。それに雑誌を真剣に見てたからもしかしてと思って」



なんだこの人、エスパー?



終始にこにこと笑っているだけだが洞察力はあるのだろうか。

それともよほど深刻そうだったのか。


どちらにせよあまり有り難くはない。



「店って飲食店ですよね、だったらお断りします。私それ以外で探してるんで」



できれば料理と無関係の場所がいい。



奥村はそんな私に少し困った顔で

「料理は嫌い?」と問い掛けた。



嫌いじゃない。

ただいやになった。



作ればいいだけじゃない。

自由なんてものはない。

ただ与えられるまま。

時には過酷な条件付きで。


わかっているはずだった。

理想は脆い砂の城だということ。



「甘えだって言われるかもしれないですけど、前の職場がキツくて。今は調理と関係無い場所を探してます」



きっと調理以外にもいい仕事あると思うから。



言葉にしてから胸が痛んだ。



料理以外私に何がある?

何ができた?

身の回りのことさえ怠ける私に。

本当はどうしたいの?

どうしたかったのかな。



言葉にできない思いが溢れた。

どれも本心。

上手く人には伝えられない。

他人は他人でしかない。

だから一般論ばかり。

答えがどれも正しいのは知っている。

しかしそれでは心が納得しなかった。



どうせこの人も同じようなこと言うんだろな。



何を勝手に期待してるのだろうか。

諦めの中、それは知らぬ間に闇の中で一筋の光を手にしたいという淡い思い。

押し付けにも似た感情に嫌気がさした。



「辛かったね。よく頑張った」



うなだれた頭に優しい衝撃が降り注いだ。



「君は本当に料理が好きなんだね」



好き?



「どんなに嫌なことがあっても投げ捨てることができないほど」



男の差し出した雑誌にはいくつも印しがあった。

それは見覚えのあるものだった。

それもそうだ。

私が私でいられる場所探しの跡。



「楽しみも苦しみもなくてはならない。どちらが欠けても駄目なんだ。ただ君の場合極端に楽しみの部分がなかったようだね。仕事は辛さばかりが際立つものではないからね。必ずそこに幸せや生き甲斐がなくてはならない」



それをどうにか調理の世界でと望んだ君はきっと僕より調理が好きなんだ。



印しを指先で、視線で追った。

全て、私の大好きな調理関係。

居酒屋、レストラン、給食、食品工場。



わかっていた。

本当は背中を押してほしかった。


いやならやめればいい。

仕事はそんなもんじゃない。


わかっている。

だけど決心がつかなかった。

もう一度戻ることに。

また駄目だったら。

そんなことに振り回されて、悩んでいるふりをしていた。


本当は、自分自身が誰よりも真実だった。



「もし決まらなかったらうちにおいで。いつでも待ってる」



名前だけの名刺の裏に書かれた名は

「OKUMURA」という店名と住所。



まさか。



顔を上げると男はもういなかった。

勘違いなのか。

その店の名は、知る人ぞ知る有名店の名前だった。


私はすぐさま駆け出した。






あれから二十年。

奥村さんは五十一歳という若さで亡くなった。

末期の胃がんだった。



私はあの頃、確かに料理というものに幻滅していた。

そしてその要因は若さと経験不足、思い込み。

しかしそれは出会い、思いやりによって救われた。


楽しみばかりじゃない、そこには辛いことも厳しいこともあった。

それでも、それに勝る喜びや感動があった。


私は生筋を見つけられた。



私は奥村さんに強い憧れと尊敬の意を抱いていた。

そこに好意があったかと問われれば、まったくなかったとは言えない。


しかし三十三歳の時結婚された奥村さんと奥さんの幸せそうな笑顔に、私は心から祝福できた。

私は私で結婚した時、奥村さんは最高の料理で祝福してくれた。

私はそこで初めて泣きながら食事をし、奥村さんにあの時のように頭を撫でてくれたことを一生忘れはしないだろう。



今は家庭に入り、店は辞めてしまった。

それでもたまに、家族と食事のために訪れている。


そこには今も、奥村さんの優しさで満たされているから。

就職、中々厳しいもんですね。私は夢を追っていてフリーターしていますが^^; ある意味もう一人の私ですね・・・。みなさん、いろいろ頑張って生きましょうね!!!お付き合いありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 料理の世界はなかなか厳しいですよね。僕は料理とは無縁でしたが、大変なんだろうなぁと思いました。 で、ちょっと気になったと言うか、少々分かりづらかった表現がありましたので、羅列させていただき…
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