希望保険
短編二作目です。
一作目は「夜の校内ラジオ」というものです。
読んでいただけると嬉しいです。
『21番お願いします。』
喫煙室のスピーカから女性の終えが流れ、俺は部屋のドアを開けスーツに消臭スプレーを軽くかけた。ミントの香りが鼻腔をくすぐり少しだけいい気分になる。今日も希望を聞き、実現のためプランニングしていく。
「お待たせいたしました今回担当いたします後藤啓介です。よろしくお願いいたします。」
空調が聞いた個室の部屋で私は依頼者の女性に一礼をして椅子を引き座った。部屋は木目調で囲われており、少し薄暗い灯りが心地よさを演出している。すぐ近くにも部屋はあるが防音になっているので声が漏れる心配はない。
「よろしくお願いします」
小さな声で机に向かって女性は挨拶をした。服装は安さが売りのチェーン店の物で固められていた。
「まず初めに書類をお願いします」
彼女がバックをあさっている間に机の上に用意されているコップにお茶を注いだ。コルクのコースターにコップを置き彼女の右手側に置く。そうしている間にバックからクリアファイルが出され机に置かれた。
「拝見いたします」
私はクリアファイルにはさんである紙を取り出した。
・氏名:浅井緑
・年齢:35歳
・職業:介護士
・年収:
・状況:シングルマザー。娘、浅井唯意識不明。神崎病院で入院中。
・希望:娘の意識が回復し日常に戻ること。
・代償:200万円
「娘さんの年齢は何歳ですか?」
「10歳です」
女性の声を聞き逃さず紙に追加情報を書き加える。私はこの紙を見てまたかと少しカットする。目の前にいる女性に対して、ではなく一回にいる受付に対してだ。お金と命は代償に差し出せないと言えと言ったはずなのに。怠慢もいいところだ。
「すみません。浅井さんお金の方は代償に設定できない決まりとなっておりまして」
私は紙を彼女の方に向け説明すると、勢いよく顔が上がり彼女が話し始めた。
「何でも差し出します、この命を代償にしても。だからどうか娘を私の希望を」
先ほどまでのぼそぼそとした喋り声ではなく、ゲーム販売で列をなす客を整理する時の店員みたくハッキリとした声で訴えかけてきた。少し興奮気味の彼女を宥めるように私は説明した。
「命も代償には設定できない決まりとなっております」
「そうですか」
先ほどの力強い言葉と違い空気が抜けるような声で女性はまた下を向いてしまった。
「じゃあ、どんな代償なら娘を救えますかね」
縋るように言うが世の中にこのような人は沢山いる。私も一年目は凄く感情を揺さぶられ勤務時間が終わってもお客様のことを考えていた。ひどいときは夢にさえ出てきた。しかし、もう10年目新人の頃みたく感情をコントロールすることがうまくなった。これは仕事、これは仕事。
「そうですね。希望保険は入っておりますか?」
「入っていません。余裕がないので」
「そうですね。お医者様は唯ちゃんの状態はどんな感じと仰っていましたか?」
彼女の口は堅く結ばれ数分間部屋に音が鳴ることはなかった。私は一度お茶を啜り喉を潤す。コップが歯に当たり自身が震えていることに気が付く。これは仕事、これは仕事。
「唯の意識が戻る確率は低いと言われました」
「そうですか」
私の抑揚のない平坦な声に驚いたのか彼女は顔を上げこちらを見てくる。だが、私は何も反応を見せず紙に意識が戻ることはないと書いた。
そろそろ代償を提示しなくてはならない。意識が戻ることがない娘。その子の意識を戻し日常生活が送れるようにする。このような相談は沢山あったので簡単に答えを出すことができる。最早マニュアルみたいになっている。
「娘さんの日常生活を戻す代償はあなたの感情です」
「感情ですか」
こちらを覗くように彼女はポツリと言葉を洩らした。
「はい。感情です。欲ではありません。感情です」
大体こちらが提案するとお客様は黙ってしまう。恐らく考えているのだろう。しかし、脳は簡単だ。何かを欲して動いたなら嫌な気持ちを残さないよう、手に入れるように仕向ける。限定商品がそのお店になかったら無性に欲しくなり違う店舗に買いに行く。そうやって人は動いていく。だが、頑張って手に入れたはずの物はちっぽけで買って満足してしまう。家に帰り手に入れたものを見ると、こんなもんかと、たまに思う時があるのではないだろうか。しかし、彼女は即決した。
「わかりました。感情を代償にします」
「わかりました。こちらの方に記入をし、受付にお出しください。その時に支払いがありますので、支払方法に関しましては受付の者にお聞きください」
私は机に付いている引き出しから記入用紙を取り出し彼女に出した。紙を受け取った彼女は一度熟読し近くのボールペンで記入し始めた。紙をこちらに渡すとき彼女は質問をした。
「あの、私みたいな契約をする方は多いですか?」
「そうですね。私も10年やっていますが結構いますよ。正確なことは社外秘なので言えませんが」
「そうですか」
彼女は安心したような、小さな笑みを見せるが何故安心するのだろうか。みんなで赤信号を渡っているから大丈夫だと思っているのだろうか?あんなのはただ車が止まってくれているからだ。今回あなたが渡る赤信号は車は止まらない。
私は印鑑を押し彼女に返した。
「それではこちらの紙を一回の受付にお渡しください」
私は席を立ちドアに歩いていく。彼女は上着を羽織り椅子から腰を上げた。。鞄を肩にかけ紙を強く握り締め歩き出す。着ている服は年季が入りよれており覇気に欠けていた。彼女がこちらに歩いてくると同時にドアを開け彼女を外に導びき、彼女を出たのを確認しお辞儀をする。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございます。」
彼女も一度振り返り一礼した。私はドアを閉め一息つく。約一時間すごく疲れてしまうこの仕事。明日もあると考えると少し嫌になる。私は手帳を開き明日の予定を見た。明日の相談相手は18歳の高校生だ。明日の予定を軽く確認し部屋を出た。
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「俺は何かを得るために何も失いたくありません。何も失わず希望を叶えてください。希望保険は入っています」
「かしこまりました」
読んでくださりありがとうございます。