3ワン目 少年、食いしん坊犬と異世界に落っこちる
「おっ? なんだなんだ、こんなとこに子供が一人でどうした?」
「それ、オレの方が聞きたい。気がついたら、こいつと一緒に砂漠へ落とされていたんだよ。なぁ、ここって海外か? 日本に帰るにはどうしたらいい?」
「は? カイガイ? ニホン? なんだそりゃ?」
「聞いたことあるか?」
「いや、知らねぇなぁ」
馬の上で目を丸くして顔を見合わせる男達の反応に、これまで目を逸らしてきた事実がぶわっと嫌な汗となって滲み出す。そこではっと気づく、そう言えば目の前の男達はどっから見ても彫りの深い異国顔なのに言葉が通じている。英語の成績が2にも関わらず、だ。
「あんたが話している言葉は、日本語、だよな?」
「なに言ってる? オレ達が話してるのはルマティ語だろ」
「それで、ここはスカルゴ王国のガルパリナ砂漠じゃねぇか。坊主はいったいどこから来たんだ?」
男達の言葉にオレは項垂れるしかなかった。もう認めるしかない。ワニが爆走しながら突っ込んできた時からひしひしと感じていたが、どうやら確定だ。
「……異世界って、こんなひょいひょい飛んできていいもんじゃないだろ……」
「クフン」
途方にくれるオレを心配したのか、足元に寄り添うダイキチが鼻先を上向けてきた。異世界に行くような前兆なんてなかったはずなのだ。よく知るラノベやアニメでは、死んだことや、国の危機を救うための召喚だとか、それなりに理由らしきものが存在したはずだ。なのに、オレには原因らしきものが思い当たらなかった。
無理やり挙げるとするならば、神社の鳥居に入ったことくらいだろうか。だけど、そんなことで異世界に飛ばされるなら、初詣の時に大勢の人が異世界に飛びまくっていることになる。考え込んでいたら、急かすように怒声が飛んできた。
「おいっ、そんな子供などどうでもよかろう! こ、このようなギャングワニがまだどこかにいるのかもしれん。金は払ってるんだから、早く町に向かってくれ!」
青い顔をした小太りの男が、ぴくりとも動かないワニを恐る恐る横目に見ながらやってきた。男達は引き締まった体に皮の籠手や肩にパットを身に着けているのに対し、その小太りの男は白い服に金の刺繍がされた袖なしの紫色の上着を着ており、宝石の散りばめられた帽子をつけているだけである。
見るからに成金臭漂う男の命令に口端を歪めた男達は、指示を仰ぐように一人の男を振り返った。
「雇い主が怖気づいちまったみたいだぞ。この坊主はどうする、お頭?」
「そうさなぁ……」
馬の上で顎を撫でて思案していたのは、赤茶色の髪を後ろに撫でつけた大男であった。広い額と高い鼻筋の野性味のある顔立ちは同性のオレからしても格好いいものである。背は百九十近くあるだろう。頑丈そうな防具の間から見える筋肉の盛り上がりははち切れそうだ。大きな口元に笑みを乗せていて、好奇心を宿したこげ茶色の目が面白げにオレを見下ろしていた。細かいことは気にしなそうな豪快な印象だが、決定権を持つのはこの男のようだ。
男は馬を下りると、周囲にちらりと目を走らせた。そして一瞬目を細めると、今度はオレをじっくりと眺めて口端を上げる。
「ふむ、発育は悪くないな。変わった服だが、古臭くはないし靴も履いている。だが、危機感はない。周りを囲ってるのが見知らぬ野郎達だってのに、恐れが見えないからな。しかし、お貴族様のガキにしては随分とはすっ葉な言葉を使う。見れば見るほど噛み合わない印象だな」
「貴族? そんなものまでいるのかよ」
「おまけに常識も欠けているときた。……よしっ、決めた! おいお前等、こいつも一緒に連れて帰るぞ」
「はっ? お、おいっ、なにすんだ!? うわあっ!」
「ワンッ ワンワンッ」
視界がぐるりと回った。男がオレを肩に担いだのだ。空腹と相まって揺れが胃を直撃して気持ちが悪い。
砂漠の砂を踏みしめる男に、オレは激しく抵抗した。
「放せ、この人攫いっ!!」
「はっはっはっ。マッサージならもうちょい強いのが好みだ」
余裕の笑い声をあげるだけで、男の足は止まらない。しかも、背中をぶっ叩いたら固い筋肉に阻まれて、オレの拳が痛くなった。最悪だ!
主の危機を察したのか、ダイキチが激しく吠えたてながら男に噛みつこうと牙をむき出しにする。
「おっと。忠誠心の強い犬だな。だが、オレの邪魔をするのは止めとけ。坊主、オレがうっかり殺しちまわないように、ワンコロに大人しくするように命じろ」
「……ダイキチ、待て!」
「ウーッ、ワフッ」
言う通りにするのはしゃくにさわるが、この状況で逆らうのは分が悪い。そう悟ったオレは、仕方なくダイキチにそう命じた。威嚇していたダイキチもしぶしぶという様子で牙をしまい、大人しく待てをする。オレは覚悟を決めて、だらりと力を抜く。どうせ逃げられないのだから抵抗するだけ無駄だ。だが周囲の男達は違うらしい。
「お頭、本気ですかい!?」
「オレの前に落ちてたんだから、もうオレのもんだ。アディアへの土産にもちょうどいいだろ?」
いかつい顔したハゲ頭の男が呆れた様子で腕を組む。
「あんたの突飛な思いつきには慣れちゃいるが、本人の了解は取ったのか? あんたの後ろで激しく首を振っているのがオレには見えるんだがな?」
「それじゃあ選ばせてやろう。砂漠で一夜を過ごして凍死するのと、オレと一緒に来るの、どっちがいい? オレと一緒に来るなら命の保証はしてやるし、お前もワンコロも腹一杯食わせてやるぞ?」
男はオレを馬に乗せると、にんまりして覗き込む。こいつ、マジで悪魔だな。オレが本気で拒否すれば本当にこの砂漠に放置する気だろう。黙り込むオレに同情したように、ハゲ頭が呆れた顔で首を振る。
「諦めろ、坊主。お頭は昔から気に入った奴は逃がさねぇんだ」
ハゲ頭の同情めいた視線にオレは抗議の目を向ける。あんた、こいつに物申せるんだろ? だったらもっと頑張って止めてくれよ。
「副頭に訴えかけても無駄だぞ。なんだかんだ言って、この人が一番お頭に甘いんだから」
「その通り!」
「うるせぇぞ、おしゃべり野郎共め」
男達の笑い声があがる。オレの顔側に回った男が頭を撫でてきた。親父とも兄貴とも違うごつごつとした馴染みのない手だった。
「どうでもいいから、早くしてくれ!」
「旦那、そう慌てなさんな。焦らずとも料金分はきちっと守ってやるさ。この傭兵部隊の名にかけてな。さぁ、野郎共、帰るぞ!」
「……ちくしょう」
男はオレの悪態に笑うと周囲にそう声をかけながら、馬に手綱を打ちつけた。こうしてオレは否応なく攫われるようにその場を去ったのである。慌てて追いかけてくるダイキチと一緒に。