#87 小さな幸せと聖水
「まず聞きたいのは……初めて会った時のことかなぁ。あなたにとっては衝撃的だったみたいだけど、私はそこの記憶が飛んじゃってるから」
大きな木の根元で、リールと俺は並んで座ってる。リールは体育座りみたいに体を丸めてて、俺はあぐらをかいてるって状態だ。
「マシュ……なんだっけ。とにかくでっけぇカエルの魔物に食われたのも忘れてんのか?」
あのキノコ採集の時以来、一度もあの巨大カエルの姿は見てねぇしな。名前忘れちった。
「カ、カエル!? 覚えてないわね」
「マジか。何で俺にとって強烈かというと、お前との初対面がそのカエルの腹の中だからだ。ドジやっちまって舌に巻かれて転がり込んだ胃の中に、まさか女いると思わねぇだろ? おまけに『天使様ですか?』とか聞いてくるんだぜ」
「え、嘘! 私そんなに恥ずかしいこと言ったの!? ああ、あなたが言ってた『あの時の天使様だが』ってそういう……」
赤面して慌てふためくリールにゃ悪いが、あの出会いはインパクト絶大だった。『天使様』ってのは胃液で弱ってて出ちまった妄言だと思うけど。
でも俺があの時あのカエルに食われなけりゃ、リールは今ここにいねぇかも。それ考えると奇跡だなあれ。
「まぁ気にすることはねぇ。なんたって、初対面の俺に魔物を押し付けてから笑顔で逃走したって伝説を持つ、金髪のクソガキだっている世界なんだからな」
「そ、それは酷ね……」
「だがそいつと俺は今、大親友さ。つまりこの世界じゃ第一印象なんてアテにならねぇってことだろ?」
伝説のクソガキってのはもちろんプラムのことだ。
他にも問答無用で斬りかかってきた騎士とか、急に絡んできた大男とか、退院直後の俺に決闘申し込んだ赤い脳筋とか色々いるが、大体みんな今はダチになってるか。
「あはは……そうね。その話からすると、当てにならないみたいね。マコトと一緒にいるといつも驚かされる。常識がぐるぐる覆されるもの」
「世間知らずのパワーバカな俺じゃ、やろうとしたってそれくらいしかできねぇがな」
「でもあなたがあなただったからこそ、私は救われたのよ。こうやって話してても、あなたは私をエルフだと思って接してないでしょ? それが、何より幸せなの」
確かにそうだ。リールがエルフってことを忘れかけてた。俺の目には、耳が尖ってること以外に何が違うのかわかんねぇし。
まぁ人間だろうがエルフだろうが普通に話すが。
ただそれは俺が他人に興味がねぇからってことなんじゃ……そう思うと、自分が怖くなってくる。
話だけ聞いてるとリールは元々、人間と接するのを望んでたらしいな。なのに何で俺やジャイロを(上辺だけだが)殺そうとしたのかっつったら、誰かさんに洗脳されたんだろう。洗脳したヤツの顔は考えなくとも思い浮かぶけどな。
「だから私、マコトのこともっと知りたいの! ……今いくつ? 仕事は? 趣味とか特技は? あ、魔法は使える? 家族はいる?」
「すげぇ質問攻めだな、突然!」
それに、全部は聞き取れなかったがちょっとプライベートな部分が多かったような。やべぇな、俺自身のプロフィールは全部記憶から抹消されてんだが。
ひとつひとつをもう一度質問してもらいつつ、俺はひとつひとつの質問に真摯に向き合ってやる。
「歳は四十と思っといてくれ……………仕事は冒険者ってのだ。ちなみにランクって『位』みてぇのがあるが、それは最低のEだ……………趣味はわかんねぇけどたぶん無しで、さっきのクソガキからよく言われるが、『くすぐる』のが俺は得意らしい……………魔法は使えんが、生まれつきの能力で色んな武器を生み出せる……………家族は……家族は……?」
「どうかしたの? もしかして悪いこと聞いちゃった?」
「いいや、何も悪くねぇんだけど……」
俺の家族。わからねぇ。そりゃ父親と母親は必ずいないと俺が生まれねぇが、二人の顔も声も性格も、生きてるのか死んでるのかもわからん。もし健在でも元の世界に戻らねぇと一生会えねぇし。
あとは、俺自ら作った家庭とかか? 例えば妻――うぅん、何のイメージも湧かねぇ。子供――いやぁわからん。まったく気持ち悪いったらありゃしない。いるのかいないのか、わからねぇんだぞ。
「あ、また難しい顔してる。これ以上は聞かないことにするわ、ごめんなさい」
「おいおい謝らねぇでくれ。えー、なんて言ったらいいのかな。ああ実は俺、故郷で事故に遭ってさ、家族とかその辺の記憶が飛んでるんだ。だから自然の摂理なんだよ」
けっきょく、王様やエバーグリーンと揉めかけた時にも言った『ほぼ真実な嘘』を言ってなんとかしてやった。
リールは俺に同情したようで、
「複雑なのね、あなたって。だからこそ他者に優しくできるんだろうなぁ」
「冗談よせよ。どうしてこの俺が優しいんだ? そう言ってもらえるのは嬉しいが、ちょっと信用できねぇお世辞だぞ」
「本気で言ってるわよ! でも……うん、なるほど」
少しの沈黙の後、頷いて何かに納得した様子を見せたリール。俺は彼女が何を考えてるのか本気でわからず「どうしたんだ」と真意を尋ねてみた。
「マコトは、口調は荒っぽくて男らしい。でも自分の話になるとものすごく否定的になったり自己評価が低かったりする。そんな二面性を持った人間さんなんだなって」
どうやら、それがリールの見抜いた『マコト・エイロネイアー』の人物像だそうだ。
何言ってんだかよくわかんねぇし、正しいのかどうか俺にはわからんが……それに気づけたからか、両手でガッツポーズをしている。そこまで喜ぶことか?
まぁ何であれ彼女が楽しんでるところを見るのは、俺としても楽しくて幸せな時間だよ。
「あ、こんなに長い間村を離れてたらバレるかも。そろそろ戻らなきゃ――最後に、これを」
「なんだこりゃ?」
急にリールが手渡してきたのは透明な瓶。中には透き通ったスカイブルーの、綺麗な水が入ってる。うーんわざわざ普通の水渡すワケねぇよなと思ってたら、
「これはね、村の奥にある泉に溜まってる……『聖水』よ。"魔"や"邪"を払う、その名の通り聖なる水。魔王とか物騒じゃない? もしものことがあったら、さ」
聖水……か。
せっかくくれたんだ。使える機会が来たら遠慮なく使っちまおう。どの場面で使うのかは疑問だけども。
「持ってるだけでもパワーを感じるな、ありがとう。急ぐんだろ? 気をつけろよ」
「ええ、また会いましょう!」
手を振って別れる。
だが村に戻ったらまた、ドレイクと『日課』をヤる彼女が不憫でしょうがねぇ。
俺には、というかルールだろうと誰だろうと、ドレイクを止めることは許されないらしい。
だったらリールにとって幸せな時間ってのは、いつになるんだよ……俺が少しでも幸せの手助けをしてやれる人間だったらな……




