#76 出発の朝、王国最強の魔術師
――マゼンタと、濃密な夜を過ごした。
なんて事は起きなかった。普通に軽く喋って、普通に寝た。彼女の部屋は例のお屋敷みたいな仕事場の中にあり、居間と寝室が別れてる感じ。
マゼンタは寝室、俺は居間のソファで寝た。つまり何も起きてない。本当に。
さぁエルフの村へ出発するぞって約束の朝。俺とマゼンタはあいにくのどしゃ降りの雨の中、門へとやって来たんだが、
「ス、スウィーティ様!? たった今、十年に一度の魔物の大群がすぐ外を通過中なのですが……」
「そんなの聞いてないわよ?」
門番から想定外の忠告が。
これから人間とエルフとの嫌な関係を終わらそうって重要な話なのに……なんだよ、そのタイミング。
▽▼▼▽
「うわっ、おいマジですぐそこじゃねぇか! 正気かよお前!」
「当然よ。大群だろうと邪魔されてる場合じゃないもの」
けっきょくマゼンタの一言で門番はビビり、通してくれた。俺もまさかマゼンタが進もうとするとは思わずビビったけどな。
「きっと魔物達の合間を縫って進むなんてことは、あなたにもできるんでしょうけどね。せっかくだからお国のためにも、魔物の群れを一つ消し去ってあげようと思うわ。ついでに私の実力をあなたに見せるって意味もあるけど」
とんがり帽子で雨を弾きつつ淡々と言うマゼンタ。
すぐ目の前には信じられねぇ量のオークやらゴブリンやらスライムやらが混ざった大群が広がってるってのにこんなに冷静なのは、圧倒的な強さ、絶対的な自信を持つゆえか。
門番が言ってたが、本来こんな感じの魔物の大群は国民に壁外へ出ることを禁じてやり過ごすだけらしいが、マゼンタはまだ俺にナメられてると思ってるのかパフォーマンスしてくれる気だ。
「なぁ、やっぱ辞めにしねぇか。避けて行った方が無難――」
「いいから私を群れの真ん中まで誘導して。それともあなたが先に死ぬ?」
「わかったって! やるから!」
今のは冗談だとは思うが、たぶんこいつの実力的には冗談じゃねぇぞ。まぁもしマゼンタと戦うことになっても、俺なら多少の抵抗くらいはできるだろうけどよ。
「ほら見ろ、盾と槍だぜ。突っ込むからついてこい!」
「本当は真ん中じゃなくてもいいんだけど、あなたにスゴイものを体験させてあげたいから♡」
左手に全身を覆えるくらいの巨大な盾、右手には同じく巨大な槍を構えた。姿勢を低くしつつ、まっすぐに大群へ突撃。
「ギャアッ!」
「フゴォ!」
「それは魔法かしら? 変ね〜適性があるようには見えないけど」
ゴブリンやオークをドカドカと盾で押し退けては槍でぶっ飛ばし、スライムを踏み潰す。そんな血飛沫の舞う中普通に話しかけてくるのはすぐ後ろのマゼンタだ。お前もしかして魔物の仲間か?
「この辺で大丈夫そうね。ご苦労さま」
「はぁ……はぁ……こ、これで……大したことなかったら許さん……」
一、二分突撃を続けてマゼンタから声がかかる。もちろんここは大群のほぼ中心だから、突撃を辞めれば襲われるワケだが、
「邪魔よ♡」
「フギィッ!」
マゼンタが炎や水の刃で周辺の魔物を寄せつけない。何発か繰り返して襲われる距離に魔物がいなくなったところで彼女は振り向き、
「抱き着いて」
「は?」
「本気で密着しないと死ぬわよ」
「では失礼!!」
俺は膝立ちみたいな状態で、立ってるマゼンタの腰の辺りに腕を回しガッシリ抱き着く。死んじまうくらいならしょうがねぇ。
未だにどしゃ降りが続く中、どこを向いても魔物の鳴き声が大量に聞こえてくるもんだから耳が忙しい。
しかしマゼンタは杖を天に向かって振り上げ、呟いたその声は、やけに大きく聞こえた。
「王国最強の魔術師の力を見せてあげる。荒れ狂え、〈テンペスタ〉――――!」
その瞬間、近づいてくる魔物達を突き上げるみてぇに周りの地面から吹き荒れる風の壁が現れる。壁はどんどん上へと伸びていき、超巨大な竜巻の中に入り込んじまったようになる。
「うおおおお、マジかこりゃあああ!?」
あまりの迫力に驚いた。が、暴風で作られた塔の中心にいる俺に、今、目に見えてる程の風圧は感じられない。もちろん少しは感じるが、マゼンタなんか微動だにしてない。
さっきの話を考えるとたぶんこの腕をマゼンタから離した瞬間、影響をモロに受けて吹き飛ばされるんだろう。
「ま、魔物達が……」
ぐるぐる回り続けるその風の壁に、魔物の大群が吸い込まれ巻き込まれ、同じようにぐるぐる回る。
しかし風圧が強すぎるのか、回ってる途中に四肢がもげ、首が取れ、体がバラバラに引き千切られていき、飛び出す血も分厚い暴風に掻き消されていく。
マゼンタは掲げた杖を振り下ろし、壁を少しずつ広げる。広がるのに比例して魔物の吸い込まれる量も増えていった。
「――さて、もう十分よね」
ある程度広げ、魔物の大虐殺が終わったんだろうところでマゼンタは杖を横に振ってから背中の定位置に戻した。
すると風の塔が一瞬にして消えた。周りに魔物の姿が全く無くなったし、心なしか空が明るくなったような? と思ってたらまた雨が降り出す。うざってぇな〜と思い濡れた手を見ると、
「赤い!? まさかこれ魔物の血かよ!」
竜巻で巻き上げた魔物どもの血が今になって落ちてきやがったらしい、最悪だなこんな雨。うわ、ガッツリ死体とかも落ちてきた。
「おま、仕方ねぇんだろうがこれ街にも降らせてねぇだろうな! そもそもさっきの風も大丈夫だったのか!?」
「無駄に心配性ね〜、調整してるわよそのくらい」
まぁそんな余裕な態度なら心配いらねぇんだろうが――あれ? なんか血の雨が止んだと思ったら、普通の雨が降ってこねぇぞ?
「今の魔法で雲が吹き飛んだから、雨も止んだわよ」
「マジか……天候まで変わっちまうのか、恐ろしくて超強いなオイ」
「ありがと。さて、エルフの村へはマコトさん一人でなきゃいけないのだし、戻るとするわ。あなたも無事に帰ってね。いい報せを待ってるから」
そう言ってマゼンタは俺にエルフからの三通目の手紙を渡してくる。『一人で』って書いてある手紙だから、それを強調したかったってことか。
「行ってくる」
こりゃあ、もしこいつと戦ったら抵抗すらできるかどうか怪しくなってきたぞ……
王国最強の魔術師に送り出され、俺は北の森へ向かった。




