#42 Bランクという意地
「ぐ……は……?」
落ちかけた俺の手を強く握って離さないブラッド。腹から蜘蛛足の先端が飛び出てるのに。それでも、まだ、こんなに無能な俺を慕い、離さないとは。
「ガハッ……!」
ブラッドの血を浴びてもう俺の顔面はドロドロだ。そこに、さらにブラッドの口から吐き出された血がかかる。汚いだの言ってる場合じゃないってのは、俺にも、誰の目にもわかるだろう。
「お、おい……二人揃って落ちるぞ……」
俺はなんで、こんなに冷静なのか……ああそうか、半ば諦めてるからだ。
「手を放せ。そんであの子を助けて全員連れて逃げろ。これは俺の失敗なんだよ、俺を助けるなブラッド」
自分が生きることを。
「くふ……」
段々と目に覇気が無くなってきたブラッドに俺の声が届いたのか、彼は少しずつ手の力を抜き始める。
いや、違うな。たぶん大量出血で気絶寸前なんだ。最悪だ。俺ら二人して落ちたら、この状況どうなるんだよ……
やっと性格がよくなったブラッドにも、まだまだ生きて欲しかったものだしよ。
だんだん、だんだん……どんどん、どんどんと力が抜けていく……気づけば"ジョーイ"の足は抜かれているけど、ブラッドの体はどんどん前のめりになっていく……どんどんどんどんと、倒れる――
「うぉああッ―――――!」
が、握る手にまた力を込めて、傾いていた体を急にまっすぐに戻し、彼は――吠えた。
「マコトの……親分。言いましたよね……俺は『Bランク冒険者』だと……」
「ああ」
「その時言いましたよね……『腕っぷしだけで』とも……」
「ああ」
ズタズタの腹で、嗄れた喉で言葉を紡ぐBランクの大男。こんな状況なのに、呑気にも俺は少し懐かしんだ。
あのギルドでの時からずっと、ついこの前まで、手を握ってるこの大男は敵だったんだなと。
「腕っぷしだけで登ったと言えば……聞こえがいいでしょう? だが実際は違う……俺には……腕っぷししか、無かったんだ」
さすがに口にはできないが、ちょっと今更感のある告白だ。
「能がねぇから……知識も金も名声もねぇから……俺にはこの仕事しか無かった! より強い魔物を殺すために、子分を守るために、もっと……もっと……強くならなきゃ、いけなかったんだ!」
納得だ。ブラッドに学があるとは思えない。俺も人のことは言えねぇけど。
だからこそ、生きるため、子分を養うために、ひたすらに力を追い求める日々だったんだろうな。
なんとなく気づいてはいた――たぶんこいつも俺と同じく自分に自信が無いんだ。強くなりたいってのは、子分達に自分の弱さを見せたくねぇからってのも含んでるはず。
ただ、そのために他人を傷付けちまうのが俺とは少し違う点だったけどな。
「結果……何度も何度も障害を乗り越え、立ちはだかる魔物をブッ殺してきた! 俺はまだ……強くなる。俺はもっと……強くなれるはずだ。こんなとこで……………死んで、たまるかよッッ!!!」
「うおぉ!?」
最後に大きく叫ぶと、ブラッドは人間とは思えないその腕力で、今までずっと掴んでた俺を空高く投げ飛ばした。
空中で、体が回転する感覚に苦しむ。
「うわ、あ、……あ?」
そんな中で一瞬見えた光景。
今や遥か下にある蜘蛛の巣、振り返るブラッドが"ジョーイ"の次なる攻撃――二本の鋭い足を大ナタで撥ね退け、そして、
「おらァ!」
「キッシャアアアアア」
巨大蜘蛛の目玉をえぐり斬ってやがる――ああ、お前は立派なBランク冒険者だ。間違いねぇよ。
「ブラッドそこどけ、トドメとガキは俺に任せろ!」
空中で、自分よりもデカい巨大な鉄製ハンマーを生み出す俺の責任取る発言。
ブラッドは無言で応じてふらふらと糸の上を歩いて行く。その内子分が走り寄ってきて肩を貸し、彼らは巣から脱出。
「キシャッ! ァァァキシャアアア!」
「すまんな、これで終わらせてもらう」
目がほとんど潰れて暴れ回る"ジョーイ"と、巨大ハンマーの重みで落下速度が速まっていく俺。
「ああああ!!」
ドッ――――
鈍い音がした。とてつもない重量のハンマーが"ジョーイ"の胴体にめり込んだからだ。
そして粘っこくて異常に強靭なこの蜘蛛の巣は、すぐに千切れるなんてことにはならず、巨大な重みを受け止めようとビヨーンと下に凹んでいく。
だがボーッとはしていられない。いつかは千切れるに決まってるからな。
俺は凹むように伸びてる地点の一番下にいるワケだ。重たいハンマーが俺の手の中にあるから当然だけど。
ハンマーから手を放し消滅させるが、衝撃の余韻で未だ伸びっぱなし。凹み方が虫とり網みたいな形状になってる糸を慎重に、でも素早く登っていく。登る途中にいるのは、
「ああ、やっと助け出せたぜ。待たせた」
最終目標である迷子の少女だ。まだちょっと糸が絡まってるし本人は気絶してるが、その他に問題は無さそうなのが幸い。
だがこれは助け出せたとは言い難いぞ。
「やばいよ、糸が切れちゃう! 早くしてマコト!」
プラムの心配げな声が響く。そう、まだまだ下に伸びていってる巣の中央部分。ちょっとずつ『ブチ、ブチ』と嫌な音が鳴り始めた。
少女を抱えたままなんとか登りきり、そして一直線に大地を目指し走る。粘る糸のせいで走り辛いが、コケたら終わりだ。
ブチッ――――!
遂に千切れちまったようだ。自分の糸に絡まった"ジョーイ"が、谷底へと消えていく。
下に伸びてたのは中央部分だが、それに今まで引っ張られてた端の部分。中央部分が切れて下に落ちたら、端はどうなるかな。
「うぅあああ!?」
そう、反動で上に突き上げられた。まだまだ大地からは遠いが、ここで空中に投げ出された……さすがにもう無理かな。
俺を突き上げた蜘蛛の巣の端部分はもう下を向いて壁にピッタリくっついちまって、掴むことはできなそうだ。終わりだな。
「誰か、受け取れっ!」
空中でなんとか態勢を作り、少女を大地に向かって投げた。これで谷なんかに落としたら地獄絵図だが、そこはやっぱりブラッドがしっかりと受け止めてくれた。
――じゃあ、俺は。
もう落ちていくしか道は無い。なるべく走ったから前のめりに勢いはついていた、空中でも大地には少し近づいてるっぽい。でもやっぱり届くほどではないんだよな。
まぁ勝手に侵入してウェンディを裏切り、ゼイン達を盾にさせて、ブラッドの腹に風穴を開けさせ、巣を揺らしまくって少女をも危険に巻き込んだ。
そんなクソったれは、巨大蜘蛛と運命を共にしてるのがお似合いだろうよ。
「――!」
あーあ、こりゃ落ちたらさすがの俺も死ぬよな。《超人的な肉体》っつっても詐欺だろ。ほぼ超人じゃねぇだろこれ。普通に死ぬわ。
「――分!」
結局俺、異世界に来ても問題だらけの無能じゃねぇか。しかもこのまま終幕だとよ。まぁ女の子助けたしブラッドも死んでないから最底辺までは堕ちてないかな〜、
「親分!」
俺の肩書きを呼び、そして伸ばした手で俺の腕を掴んだのはゼインだった。上を見れば、どうやら大地からかなり下だ。が、
「間に合ってよかったっスよ〜」
子分達がお互いを掴み合い支え合い、人間の鎖を作っていた。その先端が笑顔のゼインってワケだ。
もう一度上を見ると、覗き込んだブラッドと目が合う。彼はおもむろに立ち上がって鎖となってる子分の一人をつかまえ、
「ふんっ!」
という叫び声を響かすと、子分達の鎖が一気に引っ張られ、ゼインと俺も大地へ転がり込む。
「あ、あれ、お前ら糸に捕まってたんじゃ……」
「プラムちゃんが溶かしてくれたんス」
振り向くとドヤ顔のプラムが杖を上に向けて、その先端に小さな火球をホバリングさせてる。
「なるほどな……その子、怪我とか無かった……か?」
俺は思い出したくなかった肩の斬られた傷の痛みを思い出しながら、助けた迷子少女を指差す。
「ええ……特に問題……ねぇです」
さすがに顔面蒼白で苦しんでるブラッドがそれに答える。すると、なんと少女が目を覚ました。
「あれ、ここは……?」
「もう心配しなくて大丈夫だよ」
不安げに見回す少女にプラムが駆け寄り、屈んで目線を合わす。あのクソガキ、この依頼の中で随分と大人になってねぇか?
「……そうなの? おじさん達が助けてくれたんだ……あの、ありがとうございます!」
少女の満面の笑み。ボロボロのおっさん達には最高の報酬だ。特にゼインには色んな意味で。
▽▼▼▽
しばらくそこにいると騎士団が現れた。遅いぞ?
まず最初にウェンディ(まぁこの状況にはめちゃくちゃ動揺してたな)、そして指導役ジャイロが馬に乗ってやって来て、後から徒歩の騎士達が到着してた。
重傷を負ったブラッドと俺はちょっとした応急処置の後、タンカ的な物で運んでもらえることになった。騎士団は魔法には疎いそうで、回復魔法無し。なんとも不運なことだ。保護した少女は馬に乗せてもらって喜んでたな。
報酬の話はまた後日しよう、と赤髪の男ジャイロは言っていた。
が、彼――ジャイロについて俺が一番印象に残ったのは、初めに馬に乗ってやって来たあの時だな。
―――
「な〜んだ、終わってんじゃねぇか」
―――
なぜか、つまらなそうに言ってたような。




