#131 【魔王ツトムの過去④】魔王兼皇帝
引き続きツトム視点です。
僕が地下室の扉を開いた――その瞬間だった。
「グオォォッ!!」
信じられないことに、中から大きな鮫……人型の鮫が襲い掛かってきた。頭を齧り取ろうとしてきた巨大な顎を、僕は両手で何とか押さえた。
そのまま右手を離して振りかぶり、力を入れて顔面にパンチを入れると、鮫は吹き飛んで向こう側の壁に激突。
「……げほッ! 何だ、あの子供は……!?」
めり込んだ壁から抜け出た鮫は普通に言葉を発しているが、人間なのか? 改めて見ると異様な姿だ。
顔というか頭は、目や尖った歯など鮫そのままだ。青い背ビレらしき物も見える。しかし人型なんだ――青い二本の腕、青い二本の足がある。爪が鋭く、指の間には薄い緑色の水かきがあるようだ。
冗談でなく鮫から手足が生えたような生物が、今そこにいる。
「僕の名はツトム。あんたが魔王か? 封印されているようには見えないが」
「いや、魔王ではないが……ツトム? まさか君も日本から転移して来たのか!? 私の名はヨリヒト・スレイブ、三年前にこの部屋へ転移したんだ!」
「……待て、その話は後だ。この部屋には魔王がいるんだろう? 居場所を教えろ」
「ああ、彼ならばそこに」
鮫――ヨリヒトが指差す部屋の奥。ずっと視界に入っていたはずなのに、目を凝らして見てようやくわかる。
ボロボロの玉座の上に座って鎖を巻かれている、肌が青く、黒い角の生えた男。眠っているらしい男は痩せ細っていて生気が無く、ただのオブジェに見えて存在に気づかなかった。あれが『魔王』か。
▽ ▽
鮫の姿から元の人間の姿へと戻っていくヨリヒト。年齢は五十代後半に見えるが、鎧のような筋肉を持っている。白髪で、青を基調とした……冒険家のような服装だ。
「まさか魔王以外に人がいるとは思わなかった。ヨリヒト、何があったのか最初から、簡潔に説明しろ」
「……どうして子供にそんな口調で話しかけられているんだ……私はもうすぐ六十に……」
「早く説明しろ。本来あんたに用は無いんだ、消してやっても良いんだぞ?」
ヨリヒトは顔をしかめたが、その後は素直に話を始めた。案外、話のわかる奴だ。
「三年前まで――つまり日本では、私は警備員をしていた。『何かを守っている』ということが快感で、仕事が楽しくて常に体を鍛えていたんだ。しかしある日目覚めると私は雲の中の部屋にいて、目の前におかしな男が立っているではないか……」
そこは恐らく神界だろうが、いるのは男の神か。女神は『一年前までは別の神だった』と言っていたな。
「その男は神だと名乗った。二つの世界を管理していると。そして私に質問をしてきた、『もし別の世界に行けたらお前は何をしたい』と。意味も状況もさっぱりわからなかったが私は迷わず答えた、『何かを守りたい』と」
今のところヨリヒトが辛い思いをしていたようには見えないが、女神は確か前の神を『気まぐれ』と表現していた。そういうことなのか?
「『仕事のみが生き甲斐か、良くも悪くも人間らしい』と、そんな捨て台詞を残して神は私に二つの能力を授け、この部屋へ転移させたんだ。鍵が掛かっていて出られないこの部屋にな。すると椅子に誰か座っているじゃないか。『魔王ギルバルト・アルデバラン』……このお方はそう名乗った。ああ、今は眠られているだけだ」
慈愛を含ませた眼差しで魔王ギルバルトを見るヨリヒト。
封印されていて動けず痩せているんだと思うが、死んではいないんだな。難儀な状態だ。
「十年前に『騎士エバーグリーン・ホフマン』に敗北し、『美しく色気のある女魔術師』により封印されたそうだ。彼は空気中の闇――生物の負の感情などを食料にするらしいが、この部屋は狭く、闇も少ない。だから痩せてしまったそうだ。様々な話を聞く内に私は彼に同情し、彼を守りたいと思った」
そこから三年間、ヨリヒトは部屋に備えてあった保存食を少しずつ腹に入れながら生きてきたんだそうだ。
――いやいや……フフ、いやいやいや……ちょっと待てよ。
「騎士エバーグリーンだかなんだかに――負けた? 魔王が、負けたんだな?」
「あ、ああ。そう言っていたが……?」
封印されていたとは聞いたが、不意討ちだったとか自らその道を進んだとか、そういう理由だと思っていたのに。
単純に、負けただけ? 普通に戦って負けただけ?
――興醒めだ。
「なんて弱いんだ……なんて情けない魔王だ。けっきょくラノベと同じような末路じゃないか。幻滅したよ」
「ツトム、君はさっきからやけに魔王を気にしているが、何が目的なんだ?」
「小説の中で死んだ『魔王』の為に、世界を破滅させることだったが……」
「おお、破滅とな……! 芸術を感じるぞ」
ラノベの魔王を本気で尊敬していた。だからこそ現実の魔王はもっと尊いのだろうと、勘違いをしていたようだ。
――魔王と会って話し、『友達』『仲間』になりたかった。なのに目の前で眠るギルバルト・アルデバランには、威厳の欠片もクソも無い。だったら、
「魔王のためなどと言うのはやめる。僕が魔王になり、ラノベの魔王の仇を取ってやる」
「ほう、君自身が魔王に……」
ん? ヨリヒトはギルバルトを守りたいのではなかったのか? さっき芸術がどうたら言っていたが、まさか僕の考えに興味を持っているのか。
「良いのか? どうすれば魔王になれるのか、あんたに聞いても」
「ああ、彼から方法は聞いている。彼を殺せば良い」
「守らないのか?」
「よく考えてみると、彼は私に何もしていない。だが君は扉を開けて私を自由の身にしてくれたんだ。そして君の考えに賛同する。先程は失礼なことをした、許してくれ」
老兵は尊敬の眼差しで僕を見ている。悪い気分じゃない。魔王というもの、必要な物は多い。
「ヨリヒト。僕が魔王となった暁には、僕の配下にならないか? お互いに悪くないだろう」
「……ええ、もちろんでございます」
僕は、強力な駒を手に入れた。
▽ ▽
「おい、起きろよギルバルト・アルデバラン」
「ふがっ……? え? 貴方は誰です? ヨリヒト以外が侵入するなど……あれ、扉が開いてる!?」
肩を揺すってやると目覚めたギルバルトは、やかましく周りの様子を実況している。ここまで下手な実況は見たことも無いが。
「今から僕はあんたを殺し、魔王となる。文句は無いな?」
「はい? 何を言ってるんですか貴方は……自分は魔王ですよ? 当然、私を守ってくれる兵士がここにいるの――」
「ヨリヒトのことか? 奴はもうあんたを助けない。残念だったな、諦めろ」
困惑に顔をしかめたギルバルトだったが、何故か知らないがすぐに笑顔に。
「そ、そうですか……自分は終わりのようですねぇ……ということは、ですよ? やはり自分があの色っぽい魔術師に予言したように、貴方が新たな『アルデバラン家』ってことですよねぇ?」
は? この男は最後の最期までくだらないな。
「そんなものではない。僕は空っぽさ」
「ぐえッ……!!」
右手に生み出したサバイバルナイフを、奴の左胸、心臓を狙って突き刺した。血が流れ、痛がるギルバルト――
「……ざ……残念、ですが……貴方がた人間と違ってそっちに心臓は、ありませ――」
「じゃあ右か」
サバイバルナイフから手を離して消滅させ、今度はチェーンソーを生み出す。回転する刃がギルバルトの右胸を深く深く抉る。血しぶきのスプリンクラーだ。
「ぎァああァああァォァァ――」
暫くしてギルバルトは息絶える。すると、僕の体に変化が起きる。熱い、焼けるように熱いんだ。しかし体の中から湧き上がってくる熱、逃げ場が無い。
「うぅ、うおぁぁぁ!!」
何となく感覚でわかるのだが、この感覚が正しいのならどうやら僕の右胸にもう一つの心臓が現れ、活動し始めている。
その心臓が鼓動するたびに、血ではなく『闇』が、全身を駆け巡るようだ。
「二つの……心臓……フフ、フフフフ……ついに僕は……」
魔王になったんだ。
▽ ▽
新たな心臓、流れる闇に身体が慣れてきた僕は階段を上がって大広間に出る。そこにはヨリヒトがいた。
「……お待ちしておりましたツトム様。私の能力《超人的な肉体》そして《シャークマン》を……この身をあなたに捧げ、あなたをお守り致します」
その言葉に頷き、部屋を見渡す。大勢の帝国兵がここに集まっているではないか。
窓から空が見える。帝国の空は闇に染まっているようだが、これも僕の力か。
僕はおもむろにビル皇帝の生首を拾って高く掲げ、そして闇の魔法で背中から大きな翼を生やした。
「僕は魔王ツトム・エンプティ。先代魔王も皇帝一家もいなくなったこの国を支配してやろうと思う。異論がある者は出て来い、速やかに殺してやる――そうでない者は、ただそこに平伏すことだな」
圧倒的な力の前に、帝国兵達は全員一致で平伏した。ヨリヒトも僕に向かって片膝をついている。
僕はこの日、『魔王兼皇帝』となった。




