レモン
京都の寺町にある八百屋。俺はそこへ徐に入っていった。店主を呼び、
「梶井基次郎の作品は好きか」
と聞く。
もちろん、俺は文学に親しむような人柄ではなく、むしろ、正反対とも言える仕事に就いている。俗に言う裏社会で幅を利かすスパイ組織の一員、といえば聞こえはいいが、下っ端だ。大学の先輩に勧められて、スリルを味わえて楽しそうだ、と軽い気持ちで入ってみると、スリルのスの字もないほど雑用に追われていた。そんな時にボスが俺を起用したのがこの計画だった。
「今から三時間以内に京都・寺町にある八百屋へ行け。『梶井基次郎の作品は好きか』の合言葉で店主は俺お前にレモンをくれるだろう。『代金は三百十円です』と言われたら十円玉を一枚出せ。もらった領収書にこれからの指令が記してある」
とボスから電話がかかってきた。俺は驚いて、急いで準備をすると、夢見心地のまま京都へ向かった。
俺の言葉を聞いてすぐに店主は奥へ引っ込み、レモンを手に出てきた。俺が合言葉とはこんなものなのかと拍子抜けしていると、店主が決められていた通り
「代金は三百十円です」
と言うので半信半疑のまま十円玉を出すと、何も言わずにレシートと一緒にレモンを渡してくれた。俺は近くのコンビニのトイレに入って鍵をかけ、防犯カメラが無いことを確認してから、人目につかないように二つ折りにされたレシートを開く。今まで疑いに染まっていた俺の胸はスリルに満ち溢れていた。レシートには
・このレモンは新型の時限爆弾で、見た目は普通のレモンと変わらないが、輪切りにすると時限装置が解除され、きっかり三十分後に大爆発を起こす
・これを受け取った者は我々の組織を倒そうと企む大阪の闇組織を爆破せねばならない
・食堂で輪切りにしたこのレモンを客に提供させるのが適切で最も任務を遂行しやすいと思われる
・報酬として大金が振り込まれる
・・・・・・云々。
といったボスからの命令が書かれていた。さっきまで己が抱いていた疑いはどこへやら、俺は自信と期待に胸を膨らませていた。レモン型爆弾を大事に鞄にしまうと、意気揚々と大金へ向けてコンビニを後にした。
「やっとスリルを味わえる。これまでの面倒な雑用もおしまいだ」
そう思うと自然と足取りは軽くなった。一先ずアパートへ戻った俺は早速ありとあらゆる裏社会の情報がまとめられたデータベースで検索した。敵組織の食堂に唐揚げ定食などの必ず輪切りのレモンが添えられる筈のメニューがあることを確認し、ついでに表社会のその組織の役割も調べてみた。美術専門の古書を取り扱う老舗であった。そこで、俺はボスが、わざわざレモン型爆弾を作り、梶井基次郎を合言葉にした理由に気付いた。梶井基次郎の『檸檬』だ。主人公の妄想のように古書店を爆破してしまおうというのだ。流石に、本を積んでその上にレモンを置いたのでは、犯人とその後ろ盾をする組織がばれてしまうから、無難に食堂で爆破させることにしたのだろう。俺はボスの持つ倉庫から五六十代の食堂で働くパートのおばちゃんの私服に近いだろうと思われる安っぽい婦人服と、女性用の化粧品を数個借りると、自室で計画を練った。
翌日早朝、完璧に女装した俺は、何食わぬ顔で敵組織の古書店のバックヤード、食堂のパート員専用裏口から厨房へと忍び込んだ。予想通り、朝が早く、厨房にはまだ誰も来ていなかった。万が一、誰かがここへ来てもいいようにハンガーラックにかけられた従業員服を着て、レモンが入ったかごを探した。こっちでもない、あっちでもないと五分ほど探した挙句、電子レンジの裏に果物が種類別で置いてあるのを見つけた。レモンの箱に持って来たレモン型爆弾を入れて、数を数えられてもいいように念には念を入れてかき混ぜた後、レモンを一つ取り出した。そして、急いで食堂からずらかろうとした時だった。背後からコツコツと音が聞こえてくる。俺はとっさに厨房へ戻り、警備員との会話をシミュレーションした。
「おい、何をしている」
「あら、警備員さん。見ての通りお食事の準備ですよ。アタシったら昨日の夜、目覚ましを一時間も早く設定しちゃって・・・。ホント、ウンザリだわ」
「・・・そうか。それならいいだろう。仕方ない」
この時間の警備員は間抜けな奴の担当だった。俺はこれで十分だと踏んでいた。ところが、間抜けな警備員は侵入者を探すどころか、厨房に懐中電灯を向けることさえもしなかった。足音から推測するに、寝ぼけまなこで巡回していたのだろう。ラッキーだった。俺は計画の成功の喜びを嚙みしめながら、こっそりと裏口を開け、元のおばちゃんの服装に着替えると、通勤ラッシュの雑踏に紛れて自分のアパートに帰った。一仕事を終えてホッとした俺は爆破される古書店を想像しながら、倒れ込むようにベッドに潜り、夢の世界へと入っていった。
ふと、報酬の大金のことを思い出して目を覚ました俺は、振り込みを確認するためにATMに行った。しかし、どれだけ目を皿のようにして探しても大金はおろか一円も振り込まれていなかった。俺はレモンの入った箱をかき混ぜたので、レモン型爆弾はまだ切られていないのだと自分を納得させた。アパートでパソコンを開き、最近の爆破事件を調べたものの、三か月前に中国で起こった爆破テロ以降、爆破事件は無いようだった。
「グウ~・・・」
腹の虫が鳴いた音で、今日俺は何も口にしていなかったことに気付いた。鞄にレモンが入ったままなのを思い出したので、スーパーで鶏肉を買ってきて唐揚げを作った。そして、鞄からレモンを取り出し、輪切りにして熱々の唐揚げに添えた。
「ピンポーン」
インターホンに出ると、回覧板だった。急いで判子を取りに行き、そのまま次へ回してもらった。台所に戻る途中、テレビのリモコンを踏んづけてしまったのでテレビが点いた。俺は爆破事件の速報が流れていることを祈りながらニュース番組に変えた。天気予報を聞き流し、ニュースを見ていると、大企業の行ったずさんな工事、政府高官への賄賂、中堅私立医科大学への裏口入学など、どうでもいいような事件ばかりで、物騒な事件は一つもなかった。新型キッチンの良さをうるさく主張するCMで我に返った俺は台所に唐揚げを置きっぱなしだったことに気付いた。すっかり冷めてしまった唐揚げにレモンをかけて頬張ったが、唐揚げは冷めていて、レモンの香りも薄かった。十五分ほどで少しぱさぱさする唐揚げを食べ終える。
「ピーピーピー」
どこからともなく不気味な小さい音が耳へ入ってきた。部屋中探した結果、唐揚げの入っていた皿から音が聞こえている。
「ピピピピピピ」
俺は悟った。
「この音は、レモン型爆弾が十秒以内に爆裂することを示している・・・」
レモンという名の死神が俺を迎えに来る。
(了)




