64 フェルト・オードレイ司祭
「ほう……オードレイ司祭かね?」
キースは微笑んでいるが、目は穏やかではなかった。
枢機卿アベル・グランチェスタが率いる正教会最大の派閥「深淵なる正義の学派」の中心人物の一人が、実行部隊に参加していたのだ。
グランチェスタ枢機卿こそが天使召喚事件の黒幕――この場にオードレイ司祭がいることは、キースとクリスタの予測を裏付ける重要な要素だ。しかし『証拠』と言うには、まだ二つの条件が不足している――
一つは実行部隊が実際に天使の召喚を行う現場を押さえること。もう一つは、オードレイの口からグランチェスタの指示であるという証言を得ることだ。
「クリスタ……」
「ええ、キースお爺様。解っているわ……」
クリスタはキースと思いを共有していた。グランチェスタの企みを暴き、その暴挙を止めるために何をするべきか――二人は何度も話し合ってきたのだ。
その念願を叶えるための鍵となる人物が目の前にいるが――焦りは禁物だった。今オードレイを捉えても、何の証拠にもならない。信者たちを慰問しているだけだと言われてしまえば、それまでなのだ。
「カミナギ……実行部隊には天使を憑依させた人間がいるのよね?」
「ああ、二人ね。そのうちの一人が――クリスタさんがフェルト・オードレイと呼んだ奴だよ」
何食わぬ顔で言った言葉に反応して、クリスタはまじまじとカルマを見る――だったら初めからそう言いなさいよと、氷青色の目が責めていた。
カルマはボリボリと頬を掻く。
「別に隠していた訳じゃないから、文句を言うなよ? さすがに俺も正教会の人脈まで把握してないからさ」
これは本当だった。カルマが催眠術式を使ってクリスタから聞き出したのは、グランチェスタ枢機卿の名前までだ。正教会の実行部隊からも同じように情報を引き出していたが、グランチェスタとオードレイの関係までは知らなかった。
「そうよね……疑って悪かったわよ」
私は少し焦っているみたいねと、クリスタは自嘲する。
そんな様子に気づいても、カルマは『クリスタさんが素直に謝るなんて意外だな』などと揶揄ったりはしなかった。
「ここからが本番だけど――どうするんだ?」
その代わりに――挑発するようにクリスタを見つめる。
「もっと近づいても奴らに見つからないって俺が保証するよ。クリスタさんが自分の手でどうにかするつもりなら、他にもやることがあるだろう?」
「そんなこと、カミナギに言われるまでもないわよ!」
クリスタは瞳に強い意志を宿らせて『カミナギの言葉を信用したからね』と口元に笑みを浮かべる。
「キースお爺様――儀式が始まった瞬間が勝負だから、もっと近くまで行くわ。実行部隊は私が抑えるから、お爺様は『聖域』で村の人たちを守って!」
「その方法が一番現実的だろうね」
キースは頷くとカルマの方を見た。
「君には色々と思うところはあるが……ここまで私とクリスタを導いてくれたことには本当に感謝しているよ。そして、願わくば……」
「ああ、解ってるよ。俺は約束したからね」
屈託のない笑みを浮かべて、カルマは応じた。
教会に近づくにつれて、魔法の光が周囲の様子をよりはっきりと映し出す。
教会の前に集まっている村人の数はすでに二百人を超えていた。
白い祭服を纏う十人ほどの修道士たちが、村人を取り囲むように周りを固めており、オードレイ司祭の他に四人が、教会の入り口の前に立っていた。
キースたちの姿も光に照らし出されている筈だが、カルマの言葉の通りに周りの人々は何の反応を示さなかった。
(本当に見えていないようだが……)
それでも、こういうことに慣れていないキースは緊張を隠せずにいた。口を噤んで、できるだけ音を立てずに歩こうとする。
そんなキースに気づいて、カルマが声を掛ける。
「声も音も聞こえないから、大丈夫だよ。それに身体がぶつかったとしても、他の誰かだと錯覚するから問題ない」
「カルマ君。そうは言ってもだね……」
思わず声に出して答えてから、キースは慌てて周りを見た――カルマが言った通りに、周りに声は聞こえていないようだ。
安堵の息を漏らすキースに、カルマは苦笑する。
「……気持ちは解るけどね。でも、もう少し俺を信用してくれないかな? そんなことよりもキースさんには、もっと重要な役目があるんだろう?」
それこそ自分の孫のような年齢の少年に諭されて、キースは渋い顔をする。
それから、ふとクリスタの方を見ると――彼が信頼する孫娘は、落ちつき払った顔でオードレイ司祭と修道士の位置を確認していた。
カミナギのことを信じる――そう決めたクリスタに迷いはなかった。だから今は、天使召喚の儀式が始まった瞬間に実行部隊を如何に阻止して、如何に捉えるかということだけに集中しているのだ。
そんなクリスタの心情を悟って、キースも覚悟を決めた。自分はクリスタと、彼女の人を見る目を信頼しているのだろう? だったら――
「カルマ君……どうしてクリスタが君を選んだのか、私には解った気がするよ」
「選んだって……キースさん、話が飛躍し過ぎてないか?」
カルマは呆れた顔をするが、キースは穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
「私は全力で村の人たちを守るつもりだが……私の力が至らぬところは、またカルマ君にお願いしても構わないかね?」
キースの視線に生暖かさを感じて、カルマは鼻を鳴らす。
「……だから言っただろう? 約束は守るって」
「そうだったね……私もカルマ君を信頼するよ」
不意に、クリスタが足を止めたので、二人も気づいて立ち止まる。
いつの間にか彼らは、村人が集まっている場所とオードレイたちとの間にいた。
さすがにオードレイの真正面という訳ではなかったが――気づいていなかったとはいえ、我ながら随分と大胆だなとキースは苦く笑う。
「カミナギ……一応確認しておくけど。私が動いたらこの魔法は解除するのよね?」
「ああ。奴らの標的をクリスタさんに集中させたいんだろう? それと村人たちを恐慌させないために、総司教のキースさんが姿を見せる必要があるからね」
したり顔のカルマに、クリスタは納得したように微笑む。
「そうよ、解ってるじゃない……キースお爺様。村の人のことはお願いね!」
「勿論、私も全力を尽くすよ」
それから十分ほど待っていると――事態が動き出した。
遅れていた者たちがようやく到着し、これで村人全員が教会の前に集合した。
その旨を修道士が報告するとオードレイは首肯で応じて――眼鏡の奥に冷ややかな笑みを浮かべる。
これから何が始まるのかと不安そうに騒めく村人たちを前に、オードレイは一歩進み出ると両腕を大きく広げた。
「大いなる光の神ヴァレリウスの信徒諸君よ! 今宵はよく集まってくれた! 私はフェルト・オードレイ――クロムウェル王国正教会を正しき道に導く『深淵なる正義の学派』の司祭だ!」
オードレイの低く響く声に、村人たちの喧騒が一瞬で掻き消える――人々の心を掌握する何かを、この神経質そうな男は持っていた。




