37 『クリスタさん』に決まっているじゃない?
魔力が強くても魔術士ならば近接戦は苦手だろうが、この男は相手がクリスタであることを承知の上で、至近距離から剣を向けられて平然としている。
そもそも隠すことができるほど魔力の扱いに長けているのだ。決して与し易い相手である筈がない――クリスタは初手で殺すつもりで全神経を集中した。
「あのさあ……勝手な勘違いをしてるみたいだけど、おまえと戦う気なんてないからな? おまえが、俺には転移魔法を発動できる筈がないって言ったから、力を証明するために見せてやっただけだよ」
臨戦態勢のクリスタに、そんなに慌てるなよとカルマは呆れた顔をする。
「……本当にそれだけが理由かしら? 私と交渉するつもりなら、もっと穏便なやり方を選ぶべきじゃない?」
「そうか? 端から見たら、殺す気満々なのはおまえの方だよね? 剣を抜いている上に、支援魔法も全開だしさ」
確かに言っていることは間違ってはないが――カルマの魔力は桁が違う。多少でも魔力を感知できる者なら、存在そのものを脅威と感じるだろう。
勿論、カルマもそれを承知の上で揶揄っているのだ。
クリスタは嫌な奴だと思いながら、今は従う方が正解だと判断する。
「……解ったわよ。それじゃあ、話の続きを聞かせて貰えるかしら?」
「へえ……思っていたよりも素直じゃないか?」
カルマの軽口をクリスタは無視した。
「天使を召喚する場所には、貴方の転移魔法で移動するのよね? つまり、転移門はもう設置済みってこと?」
「さっきも言ったけどさ、転移門のことは問題ない。おまえは天使の召喚場所に選ばれるような辺鄙なところに、登録済みの転移門がある筈がないって思っているんだろうけど……理由は企業秘密だから教えられないな」
召喚のために選ばれる可能性が高い場所を予測して、転移門を仕掛けていたというところか?
少し手回しが良過ぎる気もするが、不可能ではなかった。
大量の犠牲者を出して天使を召喚しても証拠が残らない場所は限られる。
過疎地にあって他との交流が少なく、人口も一定数以下。しかも、住民の大半が正教会の敬虔な信者であることが条件だ。教会の言葉を鵜呑みにする人間でなければ、儀式魔法に参加したりしない。
それでも――この条件に当てはまる場所は、両手の指で数えられるほど少なくはないだろう。その全てに転移門を設置済みというのは考え難かった。
転移門には銀粉などの高価な触媒が必要であり、設置するにも相応の時間と労力が必要だ。点在する全ての場所を訪れて準備をしておくのは難しいだろう。
「そこまで上層部の動きを掴んでいるということは……貴方自身も事件に関わっているか、それに近しい立場にあるってことよね? つまり、これまで事件のことを知りながら、放置してきたってこと?」
クリスタの表情が厳しくなる。今は交渉を優先するべきだが、感情を抑え切ることはできなかった。
「なるほどね。今度はそう来るか……」
カルマは面倒臭そうに応じる。
「俺と教会は一切関係ないって言った筈だけど……まあ、どうせ信用しないだろうし、俺が何者なのかなんて大した問題じゃない。結局のところ、俺の提案に伸るか反るか、おまえが決めるだけだろう?」
「……信用できない相手の提案に、私が乗ると思う訳?」
「だったら好きにしろよ? 交渉決裂なら俺は帰るからさ」
カルマは相変わらずの調子で告げるが、クリスタの反応は違った。
「その前に……私を始末するつもり?」
クリスタが放つ氣によって空気が張り詰める。
「……だからさ、何度も言わせるなよ? 俺に戦う気なんてないから……ああ、おまえも結局あいつと一緒で、ホント面倒臭い奴だよな? なるほどね、おまえたちの気が合う理由が解った気がするよ」
もう帰ろうかなと、カルマは呆れた顔で頭を掻く。
今クリスタに見せている魔力も無論偽装したもので、カルマ本来のものではない。
本当の魔力を晒せば神の使徒を呼び寄せる可能性があるし、所詮は人間に過ぎないクリスタを恐慌させるだけだと思ったからだ。
クリスタの常識に合わせたそれなりの力を見せて、交渉材料に使うつもりだったが……勝てる可能性を感じさせたのは失敗だったか? だからと言って、クリスタを従わせるのに丁度良い強さの魔力なんて、さすがに測ることはできないだろう。
今回の件はアクシアに自分で考えて答えを出して貰うことが目的だから、本来であれば急いで解放してやる必要などなかった。しかし、太古の竜であることがバレる可能性が高いことを知ったから、面倒事になる前に救い出しておこうと思ったのだが――クリスタにはアクシアの正体を見破る手段があった。
「なあ、クリスタ……正教会は『真実の鏡』なんてアーティファクトを、どうやって手に入れたんだよ?」
予想外の言葉が突然飛び出したことにクリスタは唖然とする。
「……貴方は、何故それを知っているのよ?」
正教会の上層部でも『真実の鏡』が現存していることを知っているのは、総司教とクリスタだけだ――総司教キース・ハイベルトが秘匿する聖宝『真実の鏡』には、個々の存在が持つ魔力の性質から相手の正体を見抜く力がある。
「そこまで応えてやる義理はないだろ? 自分で勝手に想像しろよ」
質問を質問で返すなよと思いながら、カルマは意地悪く笑う。
本当のことを言えば、クリスタが怒るのは解っていたから、今のところは教えるつもりなどなかった。
「……貴方は、ハイベルト猊下の部下なの? だったら全部説明がつくけど……」
カルマの能力を知らないのだから、クリスタがそう考えるのも仕方がないし、今度の勘違いはカルマにとって都合の良いものだった。
だから、このまま放置しても良いかと少しだけ思ったが――このまま誤解させておくと後で面倒だから止めておく。
「何度も言うけどさ、俺は教会の人間じゃないって……そんなことよりも、正教会は『真実の鏡』を聖宝扱いしてるみたいだけど。そんなに上等なものじゃないって、おまえも思っているだろう?」
「……どういう意味よ?」
また何を言い出すのかとクリスタは訝しむ。
「確かに『真実の鏡』は神の力の劣化版みたいに、相手の魔力の性質を測る能力を発動できるけど――それって、唯の魔法だよな? 聖なる力とか有難がらなくても、技術さえあれば同じ能力を再現することができる」
「それで……結局、貴方は何が言いたいのよ?」
クリスタは全く納得していなかった。不機嫌そうに眉を顰めてカルマを睨む。
「あれ、もしかして解ってないとか?」
カルマは空気を読まずに、しれっと応える。
「正教会の上層部という立場に居ながら、神の存在や教義に縛られずに自分の考えを貫くクリスタ・エリオネスティ殿なら、解ってくれると思ったんだけどな――『聖なる力』なんて所詮は幻想で、正教会が天使を召喚するのも私利私欲の為だと言い切る俺は、おまえの敵じゃないだろう?」
漆黒の瞳が見透かすようにクリスタを見つめていた。
クリスタ・エリオネスティは、元々は正教会に属する人間ではない。
クロムウェル王国の貴族として生まれたから、自然と正教会の信者となり、その教義を疑うことはないが――あくまでも人の生きる道を示す道徳として捉えていた。
だから、教会に所属するようになってからも、他の修道士たちのように『神の御心に従って生きる』とか『聖なる教えに背いてはならない』などとは思わずに、自分の考えで行動してきた。
他者に対しても、教義を振りかざすことなど決してなく、自分の言葉で語ってきた。
それに対して、正教会の上層部にいる大半の者が行っていることは真逆だった。
教義の嵩に懸かって、信者たちに教えを説く。全ては神の御心のままに、それが神の導きなのだと。
教会内部で権力争いをしているような輩は、当然ながら私利私欲を持っているのだか、彼らは自らの行為を『自分は聖なる教えを広めるため』という詭弁で自分すら誤魔化している。
純粋に神の存在を信じて、神の教えに従って生きている大多数の一般修道士と敬虔な信者たちを、彼らは神や教義を騙った詭弁で操っているのだ――その最たる結果が、信者を犠牲にして行っている天使の召喚だ。
自らの権力のために人々を犠牲にして天使の召喚に手を染める者。それが対外的には王国正教会の権威を高める結果になると、彼らの行為を黙認する者――教会上層部の人間たちは、そのどちからかの立場に在りながら、神の教義に従っているのだと自分たちの行為を正当化しているのだ。
そんな上層部の思惑に反するクリスタと皺鷲聖騎士団に、積極的に味方する者はいない。
エリオネスティ公爵家と『聖公女』の威光があるから正面から敵対する者は少ないが、黙認や黙殺、密告をする者を含めてしまえば、正教会の上層部に繋がる大半の人間はクリスタの敵だった。
孤立無援の状況の中で、クリスタは抗っていた。
だから、近づいて来た者を敵と疑うのも、仕方がないのかも知れない。
「でも、勘違いするなよ……確かに俺はおまえの敵じゃないが、味方でもない。単純に取引しようって言っているんだ」
この状況下で味方だと擦り寄って来る者を無暗に信じるほど、クリスタが愚かだと思っていない。
だから、面倒臭いと思いながらも、カルマは取引として話を続ける。
正直に言えば、人間同士の争いになど興味はなかった。
背後に奴らが居るのかは明白だが、この国で天使を召喚している連中を潰したところで、蜥蜴の尻尾が切れるだけの話だし、そのために人を殺せば奴らの思う壺だろう。もっと根本的な問題を解決するなら意味はあるが、それは力で解決できるような話ではない。
しかし、懸念事項が解消した今も、カルマがクリスタに関わるのには、それなりの理由がある――
教会上層部を敵に回すことも、自分たちの力では天使に勝てないことも承知の上で、己の考えを貫いて戦おうとするクリスタを、カルマは放って置けないのだ。
「……おまえがどんな答えをしても構わない。答えが気に食わないとか、そんな理由で何かするほど、俺も暇じゃないんだ。だからさ――どっちにするかは、おまえが好きに決めろよ?」
だからと言って、無理に押し付ける気はない。
我が道を進んでこそ、クリスタだからだ。
「解ったわ……」
クリスタは思う――カルマ・カミナギという男は一度アクシアを見捨てたのに、クリスタの部屋に侵入してまで取り戻そうとしている。
力もなく、器用に立ち回るだけの嫌な男だと思っていたが――力も本性も隠していたということか?
本性を見せたカミナギから感じるのは、底の知れない力だった。魔力についてもそうだけれど――決してそれだけではない。
聖なる力を否定して、正教会や天使すら嘲笑うカミナギは、まるで他者など眼中にないという強い意志を以て、クリスタとは全く違うモノを見ている――少なくともクリスタにそう感じさせる何かを、カミナギという男は持っているのだ。
カルマの視線をクリスタは正面から受け止めた。
その上で、氷青色の目が揺るぎなく挑み掛かる。
「貴方の提案に乗るわ。だけどその前に……貴方の方が年下よね? だったら、まずは『おまえ』とか『クリスタ』って呼ぶのは止めて貰えるかしら?」
ほんの微かに悪戯っぽい光が混じっていた。
「へえ……だったら、何て呼べば良いんだよ?」
カルマは面白がるように応える。
「そんなの決まっているじゃない――『クリスタさん』よ!」
堂々と言い放つクリスタに、カルマは苦笑した。
「ああ、解ったよ……『クリスタさん』。これで良いか?」
「……完全に棒読みじゃない? 年上に対する尊敬の念が全然感じられないわ」
クリスタは不満そうな顔でカルマを見つめる――ホント、大概にしろよと思いながら、ふとアクシアの顔を思い浮かべる……こいつも面倒臭いけど、嫌いじゃないかな?
「じゃあ、クリスタさん。よろしくお願いするよ」
尊敬とは別の感情を込めて、カルマは強かに笑った。




