16 竜の女王が嫌いな男
ヒールを履いたアクシアよりも、カルマの身長の方が少しだけ高い。
それでも、カルマの華奢な体型のせいもあって、アクシアが左腕を掴んで二人で寄り添って歩く姿は、今一つ様にならなかったが――当人たちは全く気にしていなかった。
二人が階段を降りて来ると、宿屋の主人は片眉を吊り上げて睨んだ。
「おいおい、痴話喧嘩もいい加減にしろよ? そこの美人の声が、ここまで聞こえて来たぜ?」
主人の言葉にアクシアは失態を犯してしまったと唇を噛むが、カルマが宥めるように肩を叩く。
「しかし……カルマよ……」
「いや、良いんだって……ところで親父さん? どんな色っぽい話を盗み聞きしたのか聞かせてくれよ?」
カルマは余裕たっぷりに主人の顔を見た。
「盗み聞きとは何だ! おまえらが勝手に聞かせたんだろうが……まあ、確かに声は聞こえたけどよ、壁越しだから内容まで解るか!」
それも当然だった。カルマは特殊な認識阻害を発動させて、声は聞こえても内容が解らないように仕掛けを施していたのだ。あえて声を聴かせてのは、主人が言ったように痴話喧嘩をする男女を演出するためだ。
「へえ……それで勝手に痴話喧嘩呼ばわりか? まったく、寂しい中年らしいな」
「おい、ガキが舐めた口を利くな。ぶん殴るぞ!」
台詞だけなら、それこそ喧嘩腰にしか聞こえなかったが、二人の雰囲気は険悪とは程遠かった。
カルマは主人に部屋の鍵を投げると、不満そうな顔で鼻を鳴らす。
「親父さん、そんなことを言って良いのかよ? 客の俺が部屋を片付けてやったんだから、感謝の言葉があっても、ぶん殴るはないだろう?」
実際のところはカルマは二日とも宿泊しておらず、部屋も殆ど使っていなかったから、片づける必要もなかった。
主人は鍵をキャッチするとニヤリと笑う。
「うるせえや。おまえみたいなガキは、殴って鍛えてやるのが親切なんだよ!」
主はカウンターの奥から、中身がぎっしりと入った背負い袋を持ってくる。中身は食料と瓶に詰めたワインだった。
「メシの方は今朝作ったばかりだし、中身は日持ちのするものを選んだから一週間は持つが。ワインは袋詰めでなくて良かったのか? 瓶は重くて嵩張るし、割れると面倒だろうが?」
「いや、瓶で良いんだ。袋に詰めると、どうしても臭いがつくからね」
背負い袋と交換に代金を支払う。部屋代は先に済ませていたから、銀貨二十枚で釣りが貰えた。
ちなみに――この辺りの銀貨一枚は現代日本で言えば千円程の価値に相当する。銀貨の下には銅貨があり、銅貨百枚で銀貨一枚。つまり銅貨一枚が十円ほどの価値だ。
銀貨の上には金貨があり、銀貨百枚が金貨一枚、十万円程の価値となる。
貨幣の鋳造は個々の国が行っているから通貨単位は国ごとに異なるが、それぞれの硬貨に含まれる貴金属の量は協定によって一定に定められている。だから硬貨一枚の価値は、どの国が鋳造した物でもほぼ等しかった。
もっとも、あくまでも『ほぼ等しい』というだけで差異はある。特に金融業を営む商人たちは、個々の国の通貨に含まれる微妙な含有量の差によって交換レートを定めることで商いを成立させていた。
「おい、カルマ。今日からその美人と、ダグラスの隊商に加わるんだろう? あいつは悪い奴じゃないが、狐のように抜け目がない上に……相当な女好きだぜ? ガキのおまえじゃ役不足だろうが、まあ、その何だ……きっちり守ってやれよ」
自分で言っておいて似合わない台詞だと思ったのか、主人がバツの悪い顔をする。
「親父さん。特に後半の方が声が小さくて良く聞こえなかったんだ――悪いけど、もう一回言ってくないか?」
「て、てめえ、わざと言っているだろう!」
「そんなことないけどさ……まあ、いいや。親父さん、世話になったな。次にエルダに来たときも、必ず泊まらせて貰うから」
「てめえみたいな最悪の客は、こっちからお断りだ!」
カルマは実に楽しそうに、主人と肘をぶつけて挨拶を交わすと『踊る仔馬亭』を後にした。
アクシアと腕を組んでいるのとは反対側の肩に背負い袋を引っ掛けて歩く。収納庫に入れてしまえば持ち運ぶ必要などなかったが、手ぶらの方が不自然だから、あえて持ち運ぶことにしたのだ。
「確かに……我も初めは意外だと思ったが。カルマは本当に、このような町の人間の相手をするのに慣れているようだな?」
アクシアが真面目な顔で感想を言う。
「まあ……真剣に馬鹿をやる連中は、嫌いじゃないけどね」
当然のように、アクシアは今でもカルマと腕を組んでいた。『踊る仔馬亭』の主人が似合わない台詞を吐いたのも、そんなアクシアの態度に当てられたからだろうか。
そろそろ、アクシアの腕を解いても良いかとは思ったが、その前に目的地に到着してしまう。
宿場町エルダの中心部にある広場に、十二台の荷馬車がズラリと並んでいた。その周囲には御者らしい者たちの他に、鎖帷子や硬革鎧を着た護衛と思われる者たちが三十人近く集まっており、宿場町の他の場所とは違う雰囲気を醸し出していた。
二人が近づいてくることに気づいたのか、馬車の列から歩み出てくる者がいた。
黄色いリボンのような布を巻いた唾広の帽子を少し斜めに被り、鮮やかな色のベストと帽子のリボンと同じ色の帯、細いシルエットのズボンで身を飾る。口髭を奇麗に整えた三十歳前後の優男には、気障な動作が似合っていた。
「やあ、カルマ君。昨晩は君に申し訳ないと思うほど、うちの連中が散々奢って貰ったようだね? 同じ酒と宴を愛する者として、君のような輩は大変好ましく思うが……それは置いておいて。隣にいる麗人を、僕に紹介したまえ」
男が格好をつけてリズミカルに語る様子を、アクシアは憮然とした顔で、カルマは苦笑しながら眺めた。




