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掌編小説集 「太陽が近かったなんて」 収録例

掌編「通勤電車」

作者: 蓮井 遼


お読みいただきありがとうございます。


掌編「通勤電車」


人はその時代に呼吸しているわけであるが、生きているのはいつの時代だったりするのだろう、憧れているのはいつの時代だったりするのだろう、隣の芝生のように昔を憧れている方がいると思うのだが、そんな過去の作家と話してみたいってタイムスリップする映画もあったが、そして、映画の中の過去の作家自身は更にその昔の作家達の時代に行きたかったと言うが、これらは習性として現実に苦さを感じる時に比較される別の方をいいものだと感じるというよりも、本当に過去の方が素晴らしかったのではないだろうか。

そんなことを、会社員の後藤稔は朝の電車に乗っている間、考えていた。何度か仕事先で転勤があり、稔は乗る電車を変えることがあったが、現在乗っている朝の電車は結構な混み具合だから、手に持つスマートフォンを眺めているのも少しつらく、第一このスマートフォンの重さを持ち上げつつそのまま維持するのに肩は張り、目は疲れ、少し経ったらポケットにしまって音楽を聴いて、考え事をすることがあった。更にいうと、スマートフォンの使い方も連絡や電話やソーシャルネットワークよりも稔には音楽を聴く時間の方が多かった。彼には別の音楽ウォークマンを使用していたが、新しい音楽を取り込むのが億劫な場合は、このスマートフォンからの定額配信を嗜んでいる。嗜むという表記が合っているかはわからないが、使ってもいいのではないかと稔は思っている。それくらい他にすることがなかった。

「仕方なく、この時代に生きているなんてのは思いたくないが、少なくとも過去の時代の作家に感銘を受けるのにはそこにリアリティがあったような気がする。作品のなかに時代が根付いているというか。俺が今、巷に見かける小説で読みたくなる本は、考えもつかない本である。それを目にすると、いかに自分の見方というものの数が少なかったということを思い知らされる。時にそれは自分が住んでいる国とは別の異国の常識としてやってくる、そこの神話や民話はその場所の自然環境と密接に働いている。またはサブカルチャーという名目のファンタジー小説でコメディ自体が発想方法を届けてくれるようにまた別の見方を教えてくれる。そういうものを読むとき、とても反省する。そして作品の中に登場する異形の存在に思いを馳せる。言葉を持ち、行動をするという点では自分達とは変わらないのだが、その人物の活躍を期待するのである。で、俺がそういう本を読みたくなるのは、実はこの時代性が陥没してしまったから故な気がする、例えば小津映画、あのような言い回しの風情を感じる小説を目にするだろうか、しかし、これは無理な話かもしれない。ようは今の時代性を特定することがとても難しいのだ。ある意味、若者が喜ぶ文化が蔓延してきた。まあ、自分もその恩恵を受けている。ロックの変遷があるからこそ、好きな音楽が聴けるというものだ。例えば携帯電話の変化だって時代を象徴するものではあるが、そういったものを除けば、食べ物に困らずに家族や近い人と生きているには変わりない。でも、インターネットが発達することで、遠くの人と接点を持っているわけである、そういうものが時代性なのかもしれない。現実、俺がこれまでに話した海外の人だってそれなりにいるわけだ。ただ何かが引っかかる。感覚でしかないが、昔のほうが静かな気がする。少なくとも作家はそんな閑静な棲み処で執筆を続けていたような気がする。纏めると写実主義や自然主義的な小説が少ないのかな」

ウォークマンから流している音楽のアルバムが5曲目くらいに切り替わった時、人の乗り降りが多い駅に着いた。乗客が忙しなく入れ替えし、自分の陣地を変えたり、新しく作っている。稔はどこか席が空いていないか他の乗客と同じように目で探すが、大概は既に別の乗客に取られる。まだ、電車は目的地までは何駅もある。それから、また数曲が流れて電車が先の駅に着いた時、車内アナウンスが聞こえた。

「先の電車が遅れていますので、車両の間隔を調整するため、少し停車します」と。目的地まで急いで向かう事はできない。ある程度はその路線の運航状況に乗客たちは従わないとならない。職場に遅れてしまって、なんだか気まずくなることを回避するのはできない。5分なのか10分なのか間の5分間だけでも大きく変わったりする、しかし、そんなことをいちいち考えて生きたくもないなと彼は思った。

ふと、彼のスマートフォンに着信が鳴った。彼女から「おはよう!」の連絡だった。彼は同じように返信した。たまには起こる彼の習慣となっていた。また気づかぬうちに彼が作成したソーシャルネットワークのアカウントに海外のアーティストからフォローの通知が来ていた。

「どれだけの人がどういう理由で認知されて、どのくらいの人がどのくらいの人に知られることだろうか、それでも未だに、つらい出来事は起こり、彼にも彼から近い人にも彼とは全く関係のない人にも降ってくる。溶岩が流れて落ちてくるように。だから、現実が大事だったりする、この通勤電車の中に僅かな愛しさが潜んでいる気がする。時代には未練がない気がするのに、その時代で変哲もなく生きていたことが大事なことだったりする。綺麗なことを苦しみの渦中にいる人に伝えたところで更に苦しめるくらいだけど、生きていることは綺麗なことではない。そうでないことも一緒に持ったまま生きている。ほら、こことは違う電車のなかで凄惨なことが起きたことを忘れてはいけないのだろう。だからなんらか恵まれているというか避けているというのはあるのだろう。無言の人達がどんな人かはわかるわけがない、でも通勤している時間帯というのはこれから働くことに拘束されるのだから、わるい人な感じはなかなか持てない。それが安心できる理由な気もする。けれども、頭がずる賢ければそこを逆手になるんだろう、辟易するなあ」

なんて考えている内に電車は終点についた。稔は降りて別の電車に乗り換えるのだった。そして、彼は週末二人でどこに行こうかなんて考えながら歩いていた。







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― 新着の感想 ―
[良い点] 通勤電車の中で埋もれる赤の他人だらけの中で、スマートフォンから彼女やアーティストとのつながりを得ている構図が面白かったです。 [一言] よく「インターネットが人と人とのつながりを薄くする」…
2019/02/18 16:54 退会済み
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