一日目 初恋パニック 1
「おはようございます、ダリウス様」
いつものとおり九天の声が聞こえ、一睡もしないまま朝が来たのだと知った。
九天はベッドに腰掛けたままうなだれるダリウスを不思議そうに眺め、持っていた水盆を差し出す。
「珍しいですね、もう起きてるなんて。どうしたんですか、怖い顔がさらに怖くなってますよ」
「なんでもない」
そうだ、なんでもないのだ。
昨夜のアレは、ちょっとした幻想というか、そんなふうに見えただけなのだ。
「あれだろ? 月明かりのせいなのだろう? 月灯の下に醜女なし、とは古くから言われているじゃないか。だからちょっと神秘的に見えてしまっただけなんだ、そうだろう?」
「なんかよく分かりませんが、とりあえず仕事押してるんでさっさと顔洗って着替えてください」
ほぼ無理やり水盆を膝に置かれ、促されるまま縁に手を添えたとたん。
「そういえば、ニーナ様のことなんですが」
「ア──────────────────────ッ!」
とっさに水盆を放り投げてしまい、派手な音を立てて水がぶちまけられる。
「何をしてるんですか、あなたは!」
「別に夜通し思い返したりなんてしてないからな!?」
「水こぼれたっつーの!! ああもう自分で入れ直してきますか!?」
「すまん! でも前から言おうと思ってたがお前は私が国王だと分かってるのか!?」
「国王とかそんなもの関係ありませんね! 水をこぼしたのは誰で悪いのは誰ですか、ええっ!?」
「わ、私だ……っ! くうっ!」
正論に負けてよろめいてしまった。やはり勝てない。
付き合いはもう十数年にもなるこの従者兼護衛官兼相談役兼後宮長にどうしても口で勝てない。
九天が女官や小姓を呼んで床を片す間、再びベッドに腰を下ろしたダリウスはのろのろと顔を上げた。
「昨夜はあの後どうなったんだ? さっぱり記憶にないのだが……」
どうやってニーナと別れ、自分はどうやってこの部屋まで帰ってきたのか。
記憶が吹っ飛んでしまって、ニーナに失礼なことをしてしまったのではないかと思うと立ち上がる気力も失せてしまう。
「そもそもなぜニーナは裸だったんだ? 私が姿を見てしまったことで何か言っていたか? その、気持ち悪いと罵倒していたとか、死ねと呪っていたとか、こんな後宮来るんじゃなかったとか私に触れられて汚らわしいとか」
「まああ、ものの見事にネガティブな意見ばっかりですね! あなたの思考回路じゃ仕方ありませんけど、とんでもないですよ。ニーナ様はあなたが固まってる間に自分で宮に戻って僕を呼びに来て下さったんです。あなたに心から感謝して、とっても素敵な方だったと大絶賛でした」
「お前は本当に話を盛るなぁ……」
「失礼な、真実ですよ! この話に関しては嘘ではありません!」
「この話に関しては、っていうのがどうもな……。まあ、話三分の一で罵倒はされなかったと受け取っておこう。ところでなぜニーナがあんな格好だったのか教えてくれ」
本当にどうしたらいいのか分からない結末だ。
花嫁候補達からは「湯着のまま放り出した」と聞いていたのに、会ってみれば素っ裸とは。
(まったく気づかなかった私も私だが……!)
いくら暗かったとはいえ、女性の素肌に触れて服越しかも判別できないとは致命的だ。
べたべた触りまくった身としては「違う! 超薄い湯着を着ていると思ったんだ!」と弁解したい。
犯人のところに乗り込んで、なんてことをしてくれたんだと思いきり責めたい気分だった。
うなだれすぎて首が折れそうなダリウスに、九天は女官が用意してくれた新しい水盆を突き出す。
「犯人が消えているので定かではありませんが、嫌がらせのとどめとして全裸にしたんでしょう。普通の女性なら裸で真夜中の森に捨てられた時点で心が折れますからね」
朝まで動けないだろうし、明るくなればなったで高貴な女性ほど羞恥に動けなくなる。なかなか周到で、同性ならではの着眼点を持った嫌がらせだ。
……ニーナは野生に還ったかのようにガンガン動いていたが。
「つきましては、本日ニーナ様が陛下の執務室にいらっしゃいます」
「なに────────────────ッッ!?」
「絶対立ち上がると思った! 水盆支えてて正解ですよ僕賢い!」
「ど、どういうことだ! ニーナが私の執務室!? なんだそれは!?」
「ニーナ様はあなたの執務室ではありません、文章おかしいって突っ込まれますよ」
「意味を察してくれ! どういうことだ、なぜニーナが来る!?」
「もちろんあなたに会うために決まってるでしょ。助けて頂いたお礼を言いたいそうですので、お仕事の忙しいあなたを慮って執務室にお呼びしました。いいですよね?」
「いや無理無理無理無理! 昨日の今日でさっそく会うとかお前は何を考えてるんだ!? 私は今凄まじく情緒不安定だ、ニーナと向き合える精神状態ではない!」
ちょっと、もう少し自分の心を落ち着かせたい。
昨夜は一睡もしていないし、目の下にクマなどがあっては失礼だろう。
ゴツい男の疲れた顔など視界に入れたくないかもしれないし、ただでさえ怖い顔がさらに怖くなってしまう。
現に朝一で九天にも「怖い」と指摘されたではないか。
「頼む、あのニーナは月光の下だったからと思い込む時間をくれ。だからあんなに美しかったのだ。決して通常営業があれではない。普段はもっとレベルを落としているはずだ。もちろんそれでもとてつもないハイレベルだが、要するにそういうことだろう?」
「果てしなく面倒くさいのでさっさと会ってください。月光だろうが陽光だろうが変わりませんよ。ニーナ様はレベルを上げても到達できない高みにいる絶世の美少女です」
「う、嘘だ! あんな人間が存在するはずがない! あんな人智を超えた美少女がいれば世界がどうにかなるぞ!?」
「だから最初から言ってんでしょーがっ、マジで世界終わるほどの美少女だって!」
「ありえん! 神の領域ではないか!!」
「それも僕が最初から言ってるっつ────の!!」
「陛下―! た、大変です!」
唐突にダリウスの部屋の扉が開き、一人の兵士が駆けこんできた。
「どうした!?」
息を切らし、慄きながら現れた兵士にとっさに国王としての毅然とした表情がのぞく。
夜着のまま颯爽と立ち上がったダリウスに、兵士はガチャガチャと軽鎧を鳴らし床にくずおれた。
「そ、それが……! 到底信じられない、人間とは思えないような、世界が終わるんじゃないかというほどの超絶美少女が陛下の執務室にいらっしゃって……!」
「早────────ッ! 朝っぱらから行動が早すぎないかっ!?」
「いかがいたしましょう、陛下! どの角度から見ても神の領域としか思えないのですが!」
「いやいやいや無理無理無理無理! ど、どうするんだ!? 会うにしても私はいったい何を着れば!?」
「陛下、しっかり!」
「陛下がご乱心だ! 九天様、お召し物のアドバイスをお願いいたします!」
取り乱したダリウスに対し九天の表情は。
「全裸でいーんじゃないですかね」
これ以上ないほど面倒くさそうだった………………。




