5
────なんだってこんなことになってしまったのか。
まったくよく分からないまま、ダリウスはランタンを手に夜の森を歩いていた。
夜は尖塔の鐘が鳴らないため正確な時刻は分からないが、おそらく日が変わろうという真夜中だろう。
満月の夜だというのに後宮の森は暗く深く、改めて長らく整備しなかった責任を感じてしまった。
(無事だといいのだが……。まったく、人命にかかわればどうするつもりだったのだ? 相手は十五歳の子供だというのにあの女達は何を考えている!)
ニーナを湯着のまま森の奥に放り出した、と言った女達の顔を思い浮かべると怒りのあまり眩暈を覚える。気候の穏やかな春だったのがせめてもの救いだ。
ダリウスは四時に花嫁候補との謁見を済ませ、その後夕食を取り、仕事を終わらせ、そして九天に引きずられるまま後宮を訪れた。
目的は九天の一押しだというニーナだが、部屋へ行ったところ彼女はおらず、代わりに同室の少女からニーナが行方不明だから探してやってほしいと涙ながらに訴えられたのだ。
慌てて事情を聞いたものの、その時間には女達の後宮脱出もあらかた済んでおり、実行犯はすでに消えていた。
九天が残った花嫁候補を問いただし、ようやく眠り薬で前後不覚にし、裏の森の中に置き去りにしたという情報を手に入れたのだ。
すぐさま捜索隊を出そうとしたが、ここに一つの大問題が持ち上がる。
そう、捜される側が湯着という超薄着であるという問題だ。
人前、それも男の前に出ていい姿ではない。ほぼ全裸だ。
命の危機に晒されているなら兵士を派遣することも厭わないが、今回の場合はそこまででもない。それなのに男を向かわせたりすれば、十五歳の少女の心に深い傷を残してしまうだろう。
本宮にいる女官をかき集めるしかなく、後宮の花嫁候補達にお願いしてみたが「夜の森は怖すぎる。せめて朝まで待ってほしい」と泣きだされてしまった。
お前達がやったのだろうと言いたいが、相手は直接の犯人ではないのでダリウスも強くは叱れない。
加えて、彼女達は一応(まったく歓迎していないが)国賓だ。
九天が本宮に女官を集めに行っている間じっとしているのも心苦しく、また花嫁候補達と同じ宮にいるのも息苦しく、ダリウスはニーナを捜しに単身夜の森に繰り出したのである。
辺りは鬱蒼としていて予想外に暗く、小さなランタンでは伸ばした手の先すら見えない。
だが、これだけ暗ければダリウスの異形も見えないのではないかと思うと少し心が安らいだ。
(ただでさえ夜の森に放り出されるという怖ろしい目に遭っているのだ。これ以上怯えさせるのは避けたいものだ)
一歩踏み出すたびに足元で小枝の折れる音がして、それにすらドキッとしてしまう。
夜の鳥の低い鳴き声が響き、こんな場所で目覚めたら怯えてうずくまるしかあるまい。下にいるニーナを見逃さぬよう、ランタンで足元を照らしながら慎重に歩を進めていたとき────。
唐突にガサッと木々の揺れる音が聞こえ、ダリウスはぎくりと足を止めた。
とっさに息を詰めて耳を澄ませるが、近くではない。
少し離れている。
(ニーナ、か……?)
それか、小型の獣でもいるのか。
ガサッ、……ガサガサッ、と不規則なリズムで木々が揺れる音が聞こえ、何となく息と足音を潜めながら忍び寄った。
木に登っているのだろうか?
何をしているのかさっぱり分からないが、自然の音でないことは確かだ。なんらかの生物がいる。
はっきりと音の所在が分かるほど近づき、ダリウスは頭上にランタンを掲げた。
「誰だ、そこにいるのは」
控えめに声を掛けたところ、木の上から驚いたような声が落ちてきた。
「え? 男の人?」
高い、ずいぶんと可愛らしい声だ。
行方不明者本人に間違いない。思った以上にしっかりとした少女の声に安堵し、ダリウスはやや迷った末に嘘をつくことにした。
「ああ、その……。後宮の女性が行方不明になったと聞いて、派遣された兵士だ。君はニーナで間違いないか?」
「わあ、そうなんだ! はい、私がニーナです。すみません、ご心配をおかけして!」
(……元気だな)
なんとも気丈な少女だ。
声は明るくむしろ楽しそうであり、真夜中の森でたった一人残されたというのに動じたところがない。
「とにかく無事でよかった。さあ、皆のところに帰るから木から……」
下りて来なさい、と言おうとしてダリウスはハッとした。
「そ、そうか! すまない、君は服がないんだったな。今人を呼びに──!」
「あ、それはいいです大丈夫です」
「いや、よくないだろう!」
「え~、どうせ真っ暗だしそんなに見えないですよ。実は木に登ったはいいけど暗くて下りられなくなってしまって。景色も見えないし、登り損なのでとっても下りたいです。手伝ってもらえませんか?」
「…………」
湯着一枚の自分の元に男が迎えに来たことより、登り損だったことが許せないと言わんばかりだ。しかも恥ずかしがることなく「下りるのを手伝って」とは。
(……普通、迎えに来たのが男なら下りないでおこうと思うんじゃないのか?)
女性が救援に来るまで待つのが淑女の嗜みだが、この少女はそんな考えは持っていないらしい。
「道に迷ってしまって、後宮の壁に当たるまで歩こうと思ったんですよ。でも全然壁に当たらなくて、高いところから見れば建物の影が分かるかもしれないと登ったけど上まで登れなくて。かといって今更下りられないし、最悪木の上で夜明かしだと思ってました」
「そ、そうか。君はかなり行動的だな……」
聞けば聞くほど、九天の言っていた「世界が終わりそうなほどの美少女」像からかけ離れていく。
何かの間違いじゃないかと思いつつ、自分のしたいことを主張し、それでいて高圧的ではない口調には好感を抱いた。
声がやんわりとしているから嫌な気がせず、会話に詰まりがちなダリウスにとってはとても話しやすい。
「木のどの辺りにいるんだ? 枝に腰かけることはできるか?」
「はい。そんなに登ってないので、手を伸ばしてもらえたら足先が届くかもしれないです」
ガサガサと木が揺れ、少女が体勢を変える気配がする。
足元にランタンを置き、音を頼りに両腕を伸ばせば、ニーナの言うとおりほっそりとした二本の足に触れることができた。
両足のふくらはぎらしい部分をまとめて掴み、その予想以上に滑らかな感触にぎょっとする。
(な、なんという薄い衣だ。素肌のようではないか!)
女性用の湯着がこんなに薄いとは知らなかった。男性用同様、それなりにしっかりとした綿の布だと思っていたのに。
「やはり服を持って来よう。それか、よければ私の上衣を……!」
「え? 兵士さんは二枚着てるんですか?」
「いや、私も一枚なんだが女性に薄着のまま過ごさせるなら上半身裸でも」
「いえいえ、だったら私は大丈夫ですよ。見られて減るもんじゃないし、がっつり見て受け止めてください!」
「………………」
何をどう答えればいいのか分からない。
だがニーナの言うことももっともな気もする。上半身裸の男と真夜中の森を歩くなど、ちょっとした恐怖体験だ。
(それに、まだ十五歳だったな……。羞恥心があまりないのかもしれない)
女性ではなく子供だと思えばこちらも接しやすく、ダリウスはニーナの両足をしっかりと抱え込んで引き寄せた。
「大丈夫だから、安心してこちらに体重を預けなさい」
「はい」
ふわっと、軽やかに。
まるで宙に浮くようにニーナが木から離れた気配がし、ダリウスの首にしなやかな細い腕が回される。
(え!?)
少女の全体重が自分の左腕にかかり、あまりの衝撃に硬直してしまった。
ニーナはダリウスの腕に腰かけるような形に落ち着いたのに、なんの重みも感じないのだ。
ありえないような軽さだった。空気の方が重いんじゃないかと思うほどで、側に感じるのはほのかな温かさと柔らかさ、そして花のように甘く爽やかな香りだけだ。
本当にニーナがいるのかどうかの実感すらなく、慌てて右手を彼女の背に当てたがそれにすら動揺してしまった。
柔らかい。
まるで溶けかけのバターに触れてしまったかのように滑らかで、自分みたいな武骨な男の指ではそのまま食い込んでしまうのではないかと思われた。
生まれたての仔猫でも抱いた気分だ。
手放すのが惜しいが、存在が脆すぎて抱いているのが怖ろしくなる。
うかつに力を入れられず、ダリウスは早々に膝を落としニーナをそっと地面に下り立たせた。
「痛っ!」
「どうしたッ!?」
だが手を離すなり悲鳴を上げられ、全身の血が一気に凍りつく。
何か自分が危害を加えてしまったのではと冷や汗が噴き出したが、ニーナはダリウスの胸あたりにある頭をふるふると振った。
「裸足で木に登ったから、さっき足の裏を擦ってしまったんです。血は出てないと思うんですけど歩くと痛くて」
「な、なんだと……ッ!?」
こんなに小さくか弱い存在であるニーナの足が傷ついた、と聞いて卒倒しそうになった。
なんということだ、ありえない。
この世にこれほど悲惨な、許すべからざることがあってもいいのだろうか。
「可哀想に。そんな足で歩くのはよくない、君さえよければ私が君を背負って行こう」
背中なら自分の顔を見られることもないし、裸に近いニーナの姿も見えない。
名案だと思ったのだが、ニーナは迷うそぶりでうーんと唸る。
「ありがたいんですが、それはちょっと……」
「──っ! すまない! 私は自分が男だということも忘れ失礼なことを……!」
当然ではないか。
ほぼ裸の少女に対し、自分はいったい何を提案しているのか。
恥ずかしすぎて穴があったら入りたい心境だ。
羞恥に顔どころか首や耳まで燃えるように熱くなり、自分の発言に心底後悔した。
下心があったわけではないと弁解したいが、言えば言うほど墓穴を掘りそうでうかつに口を開けない。
焦りのあまり沈黙してしまったが、ふいにニーナが手を打った。
「そうだ。この格好でおんぶはさすがの私も恥じらいますので、さっきみたいに腕に抱いてもらえませんか?」
「えっ!?」
「もし兵士さんがよければ、ですけど」
「いいに決まってる!!」
若干食い気味に返事をしてしまったが、ニーナは気にすることもなくまっすぐに両腕を差し伸べてくる。
「では、申し訳ありませんがお願いします。ランタンは私が持ちますので」
「そうだな……い、いや! 私が持とう! 君が持つと姿が見えてしまうだろう?」
「え? んー……、まあそれもそうですね」
(よ、よかった)
もちろんニーナの姿が見えてしまうのは困るが、それ以上に自分の姿を見られたくない。
いくら暗いといっても、金紅眼や白髪に気づかれる恐れもある。
(せめて、牡丹の宮に戻るまでは怖がらせたくない──)
ニーナが怯えて逃げてしまわないように。
壊さないようそっと抱え上げれば、ニーナは躊躇なく細い腕をダリウスの首に回す。
「重くないですか?」
心配そうに、というより具合を確かめるように訊かれ素直に答えた。
「まったく重くない。軽すぎて存在しているのかどうか分からないほどだ」
「おもしろい! 人間は五感での刺激で存在を感知しますから刺激が一定値以上でないと感知できない、つまり私は今感じるか感じないかギリギリの閾値にいるということですね?」
「えっ、何? なんの話だ?」
「第六感で感じてください!」
「何を!?」
分からんと訴えたのにさらに意味不明の回答をされて途惑うしかない。
妙な娘だ。
今まで周りにいなかったタイプ……と言えるほどいろんな人間と接したわけではないが、確実に変わった娘だった。
ランタンを持つ手を限界まで伸ばし、身体から遠ざけながら歩いているとニーナはふいにため息をつく。
「王様との挨拶はとっくに終わってますよね。九ちゃんに怒られるかなぁ」
「キューちゃん?」
「宦官の胡九天さんです。王様との挨拶で輝けって言われてたので」
「ああ、九天のことか!」
(あいつ、九ちゃんと呼ばれているのか!)
思わず噴き出しそうになり、腹筋に力を込めて堪えた。
「いや、怒らないだろう。君は間違いなく被害者だからな」
「そうだといいんですけど。でも、王様の顔を見る機会ってまだあるんでしょうか。私、お妃様になるつもりはないから挨拶に出る気もなかったけど、王様の顔はちょっと気になります」
「────。そうか……」
返事の声が、無意識にしぼんだ。
全身の力も抜けかけて、ランタンを持つ手やニーナを抱える腕に力を入れ直す。
……ショックを受けることもないだろう。
ニーナは自ら進んで花嫁候補になった娘ではない。九天が無理やり連れてきたのだし、妃になるつもりがないのは分かっていたはずだ。挨拶すら出たくないと思われていたようだが、それも当然のことだろう。
ダリウスの容姿についても噂で聞き及んでいたようだ。
「君は逃げないのか? ラージャム王は人間とは思えない容姿をしているぞ?」
化け物。白髪鬼。金紅眼の悪魔。目が合えば殺される。
自分の姿を見た者達が囁きかわす噂ぐらい知っているし、そう言われても仕方がない姿だと自覚もしている。
この姿で生まれて二十七年。いまさら傷ついたりはしないので尋ねてみたが、ニーナはうーんと可愛らしく唸った。
「とりあえず、王様を見てみないことにはなんとも。私、〝人間とは思えない〟容姿って想像できないので」
「それが普通だろうな」
そのできない想像を超えてしまうのがダリウスだ。
「朝が来たら後宮を出なさい。わざわざ怖い思いをすることもないだろう。帰る場所がないというなら国王が職を斡旋するし、路銀がないというならそれも」
「えええっ、お仕事を紹介してくれるんですか? それはすごい! 王様ってすっごく優しいんですね!」
「や、優しい?」
ニーナの方は見ないように気をつけていたのに、うっかり首を横に向けてしまった。
相変わらず暗くてニーナの顔ははっきり見えない。ランタンを掲げて表情を見たい衝動に駆られたが、それは両刃の剣なのでこらえて声音に集中する。
「すっごく優しくないですか? 私、実は職を探してるんです!」
声が嬉しそうに弾み、ますます途惑った。
「優しい、というより当然のことではないか? 私が……いや、国王が至らないせいで女性がここに集められ、そのせいで不利益を被った者もいるのだから」
集まったのは身分の高い女性ばかりではない。美貌を見込まれ、このためだけに貴族に買われた女性もいるだろう。
一応そういう者達の未来を保証するために提案してみたのだが、みんな申請などせずさっさと後宮を出ていってしまった。
余計なお世話だったのだろうかと落ち込んだが、ニーナはとんでもないとばかりに声を張り上げる。
「王様はすごいです! わあ、やっぱり挨拶に出たかったな。明日にでも会いたい!」
「いや、会わない方がいい。会うと怖くなるだけだ」
嫌だった。
ニーナを怖がらせては可哀想だ、という気持ちではない。本音を言えば、ダリウスがニーナに会いたくなかったのだ。
自分の提案や行いを誉めてくれたニーナに、この姿をさらしたくない。
こんなにも自然に会話をしてくれたニーナがダリウスに怯え、態度を変えてしまうことが怖かった。
「その、陛下……は、君には会わないだろう。彼は人間ではないから」
「でもそれって見た目だけですよね? 私もお風呂場でちょっと噂を聞きましたけど」
「もちろん中身は普通だ。だが容姿がおかしければ、それが全てになる」
「なりませんよ。だって私も人間じゃない容姿だって言われてますから」
「──え?」
思わず足を止めてしまった。
まじまじとニーナを見つめれば、ニーナもダリウスを見つめていることが分かる。
「私も人間じゃないってよく言われます。だからそんな言葉全然信用してません」
そんな馬鹿な。
こんなに小さくか弱そうな普通の少女が、他人にそんな感想を抱かれるはずがない。
「本当か? 君も──、いや、君はどこがおかしいんだ?」
「綺麗なんです。それがすごく綺麗で、こんな人間が存在しているはずがないって思わせてしまうんだそうです」
「ぶっ!」
思わず噴き出してしまい、慌てて取り繕った。
「すまない、笑ってしまって。そうかなるほど、綺麗すぎてそう言われるのか」
納得の答えにおかしくなって、止めていた足を動かし再び森の中を歩きだす。
(当然だな。こんなに明るい少女が私のような異形であるはずがない)
落胆ではなく、むしろ感じたのは安堵だった。
人ならざる容姿という意味ではなく、どうやら自信たっぷりなだけのようだ。
(美女ばかりが集められているしな。プライドが高いのも当然かもしれん)
あの大広間に集まった女性は全員、この少女と同じことを思っているだろう。
ニーナはなぜ笑われるのか分からないと言うように首を傾げていたが、そんな仕草一つとってもいたって平凡だった。
面白くておかしくて、ダリウスは機嫌よく歩を進める。
「君の瞳の色は?」
「なんか青っぽい感じです」
「ざっくりした説明だな」
「見る人によって違うそうです。自分では濃い青だと思うんですけど、緑だって言う人もいるし紫って言う人もいるし」
「ほう」
少し、見てみたいと思った。
こんなにも親しく女性と会話をしたことなどなく、とても楽しい心地だ。
(それも、私の顔が見えていないからだろうが……)
そう思うと寂しくて仕方がない。
この少女も明るい陽の光の中で自分の姿を見て、恐怖に口をきいてくれなくなるのだろう。
いつのまにか森を抜け、古びた木造建築を確認することができた。
「見えたぞ。あれが君の部屋がある牡丹の宮だ」
「わあ、ありがとうございます! 無事に戻ってこられました!」
「ああ、よかった。少しここで待っていなさい、他の女性に服を持って来させよう」
「はい!」
ニーナの喜びが伝わり、ダリウスも安堵して柔らかい草の上で膝をつく。
怪我したニーナが痛がらないようそっと腕から降ろし、何気なく向き合ったその瞬間。
天上で雲が切れ、清かな音がしそうなほどの月明かりが射した。
星の散らばる群青色の空に眩い満月が姿を現し、溢れんばかりの月光が向かい合う二人を明るく照らし出す。
まるで真昼のようなその明るさに、ダリウスは自然と真正面に立つニーナに視線を落とし──────。
「────!」
無意識に声のない声を上げ、ランタンを取り落としてしまった。
目の前に、およそ人とは思えぬ存在が人の形を取って顕現していたのだ。
一瞬で世界が切り替わったようにダリウスと話をしていた少女は消え、怖ろしいほど美しい人形がまっすぐにダリウスを見上げている。
青白い光に照らされた、人と同じ背丈をした年若い少女の人形。
一糸まとわぬ華奢な肢体は頭のてっぺんから足の爪先まで完璧に整い、月に照らされ真珠色に輝いてる。
裸体だというのに全く気恥ずかしさを感じさせない。
その姿はどう見ても芸術品でしかなく、ダリウスは呼吸すら忘れ呆然と裸の少女を凝視していた。
目の前に立つものが何なのか分からず、思考と身体機能の全てが停止する。
先ほどまで自分と話をしていた平凡な少女はどこに行ってしまったのか。
足や手が金縛りにあったように動かず、ただ、喉仏がごくりと音を立てて上下した。
少女の身体には寸分の狂いもない。頭も、肩も、胸も、腰も、尻も、脚も、顔のパーツ一つ一つでさえも。
神が人体の黄金比を明示したかのように、彼女を構成する全てがそれぞれに見合った最高のバランスを保ち、一つの見事な肉体を造り上げている。
何もかもが美しく、見れば見るほど不可解で、あまりのことに全身が総毛立った。
ゾクゾクと全身を駆け巡るのは感動ではなく、むしろ恐怖だ。
(これは、人間か……!?)
一心にダリウスを見上げる目がすごい。
青……いいや、瑠璃色と言うべきか。
目を凝らして見るうちに色が変わり、紫にも、青白銀のようにも見えてくる。
さまざまな水流がまじりあいたゆたう湖のような、刻一刻と暮れていく夜空のような色だった。
花の蕾にしか見えない薄紅の唇が動き、何かを言われているのに耳が働かない。
瞬きもできなかった。
────こんな人間が存在するはずがない。
(こんな……、こんな────!)
こんなにも不思議で、不気味で、怖ろしく、神々しく、畏怖の念に打たれひざまずきたくなるほど美しい存在を自分は知らない。
これは神の領域だ。
足が震えるほどの恐怖を感じているのに、目が逸らせなくて喉がカラカラに干上がった。
おかしい。全身が妙に熱い。
上手く身体を動かすことができなくて、鼓動だけがどんどん大きくなる。
心臓が痛い。
何も言えずに見つめ合うだけになったダリウスの耳に、少女の澄んだ声が響く。
「金色の目だ……」
その一言だけが、はっきりと聞こえた。