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 繚乱後宮は竜安国風の木造建築だが、浴場はラージャム様式の蒸し風呂が採用されている。

 花弁かべん型のアーチで脱衣場と区切られ、巨大な円天井まるてんじょうを持つ浴場に入れば、ところどころ空いた穴からむせ返るほど熱い蒸気が噴き出していた。

 床も壁も滑らかな白大理石が使われ、中には好きに寝そべられるようにいくつもの台座が置かれている。


 湯浴み用の薄い布を身体に巻きつけ、もうもうと湯気の立つ浴室に足を踏み入れたニーナは歓声を上げた。


「わぁい、貸切だ! なんか歌いたい気分! 今度あおいちゃん誘って全裸で一緒に歌おう!」


 やるわけないどころか葵が聞けば実家に帰りそうなことを叫び、ニーナは大喜びで台座に腰かける。

 いい感じに声は反響するし、気分は上々。人がいないのをいいことに、ノリノリでリサイタルを開催しようとしたとき────。



「失礼いたしますわ」



 浴室の入り口から堂々とした声が響き、ぞろぞろと湯着をまとった女達が現れた。

 途切れることなく列が続き、広い浴室を埋めるほど増えたその数なんと百人ほど。

 小麦色の肌や抜けるように白い肌。青い目黒い目、金色の髪に茶色い髪、黒髪。華奢な身体に動くのも苦労しそうなほど豊満な肉体を持つ者。

 どこを見ても女、女、女…………。


 浴室に集まったのは、娼館から来たニーナも驚くほど、ありとあらゆる容姿を持つ女性の群れだった。


 何事かと目を瞬いてしまったが、この風呂を使えるということは答えは一つしかない。

(他の花嫁候補の人達……なのかな?)

 数時間後に国王との謁見があるというし、皆その準備にきたのだろうか?

 ともかく円滑な人間関係のため、ニーナは台座から立ち上がり頭を下げた。


「はじめまして。今日ここに来ました、ニーナです。よろしくお願いします」


 年上が多そうなため極めて常識的な挨拶をしたつもりだが、返事がない。

 見れば集まった女性達は一歩たりとも動かず、入ってきたときと同じポーズのままあんぐりと口を開けている。どの女性も零れ落ちそうなほど目を瞠り、瞬きすら忘れただただニーナを見つめていた。

 とくに珍しい反応でもなく、奇跡の美貌を持つニーナにとってはいつものことである。

 なので正気に戻るのを待っていてあげると、一分ほどしてようやく我に返ったらしく女達はざわめきながら身じろぎだした。


「ま、まあ、ごめんあそばせ。あなたがあまりに綺麗でびっくりしてしまって、少しぼーっと……」

「ああ、はい。そういう反応はいつものことなので大丈夫ですよ」

 どんな人間でもニーナを見れば見惚れるものなのだから、と軽く流したのだが一転して女達の頬がピシッと引きつった。

「あ、あぁら、そう……! さすがにお綺麗な方はお心も優しくていらっしゃること!」

「心はあんまり言われたことないです。顔が綺麗なのは知ってるけど」

「──~~っ!!」


 なぜか悶絶しながらのけ反られ、その隙間を縫って他の女達がわらわらとニーナを取り囲んだ。


「まあ、本当に天女のようにお綺麗でいらっしゃること! さすがは後宮長の胡九天こきゅうてん様御自らお連れになった方だわ!」

「最後の花嫁候補が到着なさったと知って、どのような方かと楽しみにしておりましたのよ。我が主からニーナ様にご挨拶申し上げるようにと遣わされて参りましたの」

 問答無用で台座に座らされ、十人ほどにがっちりと脇を固められる。


「ニーナ様はラージャムの方ですの? 後宮長様とはどこでお会いになりまして?」

「年はおいくつ? ご両親のご身分は?」

「誰の推薦を受けてここに来られましたの?」


 興味津々というよりは、全員メモでもとりそうな真剣さだ。笑顔でも目は全く笑っておらず、気迫に押されるようにニーナは素直に経緯を語った。

「十五歳です。推薦とかじゃなくて、九ちゃんが私のいた娼館に来てくれて誘われました。私が綺麗だっていう噂を聞いて来てくれたそうです」

〝キューチャン〟が誰のことを指すのかあまりよく分からなかったらしい。

 それよりもニーナが発した「娼館」という語句に一瞬場が静まり、すぐさま辺りから悲壮な叫びが上がった。


「まああ、おいたわしい……! なんて哀れでお可哀想な身の上なんでしょう! ずっと娼館でお育ちでしたの?」

「えーと、五歳から十四歳までは見世物小屋にいましたよ。ずっとじゃないです」

「見世物小屋! ああ、なんてこと……! 本当に涙が出ますわ。さあさあ嫌なことは全て忘れてニーナ様もご一緒に乾杯いたしましょう!」


 とくに嫌なことはなかったのだが、女達は持参の盆に載った杯をニーナに手渡してくる。

 あれよあれよと乾杯させられ、飲んでみれば林檎酒だった。


「ところでニーナさん。あなた、葵様とご同室になられたそうね」


 林檎酒を飲み干せばまた新たに注がれ、ニーナはお礼を言いつつうなずく。

「ハイ、そうです。葵ちゃんはとっても優しくて可愛いです」

「──そう。葵様は薫子かおるこ様と同じ、瑞国ずいこくからいらっしゃったのでしょう? 葵様が選考会を辞退なさらないので薫子様はずいぶんとご機嫌斜めでいらっしゃいましたわ」

「薫子さま?」

 ニーナがきょとんとすると、軽やかな答えが返った。

「薫子様は瑞の国王の姪御様よ。ダリウス陛下の花嫁として内定していらっしゃるの」


「え!? 王様のお妃様はもう決まってるんですか?」


 すっとんきょうな声を上げてしまい、浴室中に声が反響する。


 すでに決定しているなら選考会などする必要はないではないか。後宮で働きたいニーナは、その薫子なる女性と急いでコンタクトを取らなければならない。

「薫子さんってどんな人なんですか? 葵ちゃんより可愛いですか? 何歳ですか?」

 もし葵以上だとしたらそれはとんでもない美人だろう。


 だが、ニーナの問いかけで浴場内に控えめな笑いが満ちた。

 それは細波のように静かで低い、含み笑いだ。


「そうね、美しいといえば美しいわ。今回の花嫁候補の中で一番大人でいらっしゃるの。二十四歳」

「あらあら、一番お年を召しているとはっきりおっしゃればいいのに。今日も朝から身だしなみに精を出していらっしゃったわ!」

 今度は弾けるような笑いが響く。

 なんだかよく分からないが、女達はとても楽しそうだ。

「薫子様の張りきりようといったらすごいこと。すでにラージャムの妃のような振る舞いですわ」

「仕方ないでしょう。ラージャムの臣下一同が薫子様を推薦しているのですから」

「でも葵様があんな美少女だったとはご存知なかったようね。動揺して扇を取り落としていらっしゃったもの」

「葵様にだけは負けたくないでしょうね。瑞の王族の姫君が格下の貴族の娘に負けるなんてあってはならないことよ」

「あら、格下とはいえ葵様のご実家は結構なお家柄ですし、瑞の国王が側室にと望まれたほどの姫君よ。まあそれもまた薫子様にとってお気に召さない要因なのでしょうけど!」


 ひとしきり話し合い、一人の女が満面の笑みで振り返った。


「ラージャムの国王様が二十七歳だなんて薫子様にとっては幸運でしたわね。十代半ばの子供などお呼びではないわ。そうですわよね、ニーナ様」


 ニーナもそう思う。

 葵はともかく、ニーナにとってはそうであってくれればいい。


「でも恋に年齢なんて関係なくてよ? 年が近ければいいというものでもないわ」

「そうよ、葵様ほどの美少女なら薫子様を差し置いて選ばれることもあるでしょうし」


 ニーナもそう思う。


「ダリウス陛下がどのようなお方か楽しみね。化け物だとか言われているけれど、人間であることに変わりはないでしょう?」

「あら、私の国では『人間とは思えない容姿』だと噂されていましたわよ?」

「人間とは思えない容姿なんて存在しませんわ! おおかた目も当てられない不細工なんでしょう!」


 また盛大に笑声が上がり、ニーナはややぼんやりする頭で話を聞いていた。


 自国の王が化け物だとか、人間とは思えない容姿と言われているとは初耳だ。

 ラージャム国民ではあるが庶民のニーナと違って、貴族の娘に仕える人々はやはり各国の王族に詳しい。

 だが国王のことを知らなくても、人間と思えない容姿など存在しない、という意見には賛成だった。なぜならニーナこそがそう言われているからだ。


「でも妃は薫子様にほぼ決定しているのですから、葵様はご辞退なさるべきでしたのよ。そうすればこんな嫌がらせを受けることもなかったでしょうに」


 え、葵ちゃんって嫌がらせされてるの?


 ────そう聞きたかったのに、不思議と口が動かない。


(なんか、眠い……)


 なんだろう。返事をしたいのに、さっきから思ったことが全然言葉にならない。

 眠気とは少し違うが、妙に頭にもやががかっている。女達の声が聞こえるのに、誰がしゃべっているのかよく分からない。全員手が届く場所にいるはずなのに。


「どちらにしろ目障りですわ。消えて頂きたい方にはそれ相応のことをしなければ」

「ええ。薫子様は難しくとも、せめて葵様やもちろんこの……様も…………」


 目蓋が重い。

 耳も遠くなって、会話が全然頭に入ってこない。

 たくさんの女達がニーナを見つめていると分かるのに、身体がぴくりとも動かなかった。



 カシャン、とどこかから高い音が聞こえる。



 それが自身の手からこぼれ落ちた杯の音だとは気づかず、ニーナの意識は暗闇の中に沈み込んでしまった。


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