前日 ビビビッ! 電撃一目惚れ 1
海月、という生き物がいる。
海の中をふよふよと漂うアレだ。
いろいろな形があるが、一般的には傘状の体があり、その下から触手が出ている。
ニーナたちが暮らす大陸を歩いて回った過去の偉人は、「この大陸は海月である」という心に響く有名な言葉を残した。
お椀を伏せたような形の大陸に北の竜安国、南のラージャム王国。触手の部分は無数の島々が集まったザザ連合王国。そして触手の左手をひょいと上げた形で、ザザからは完全に独立した東の島国、瑞がある。
ラージャムは言ってみれば大陸の中心。
国土の広さは竜安に負けるが、豊かさでは大陸ナンバーワンを誇る大国だった。
そんな大国の国王が花嫁の選考会を実施する──────。
色めき立ったのは国内の女性だけではない。
竜安、ザザ、瑞の各国もこぞって娘達を送り出し、ラージャムの王妃の座を狙って同国の貴族同士で火花を散らすような事態になっていた。
国王ダリウスは未婚の二十七歳。
まだ存命の先王から三年前に位を譲られ、継承権を争うような兄弟親族もおらず、国内は目立った内紛もなく豊かで平和。
一度も人前に出たことがないため「二目と見られぬ不細工である」とか「化け物のような姿をしている」と噂されているが、それを除けば是非とも姻戚関係を結びたい好物件だ。
かくして、花嫁選考会が行われるラージャム宮殿の後宮には才色兼備、貴賤上下の別もない最高峰の美女が集まりつつあった。
────────────── ※ ──────────────
「うわぁっ、すごいね九ちゃん! ここがラージャム王国の後宮?」
世紀の美貌を隠すために掛けられたヴェールを肩に落とし、ニーナは元気に歓声を上げた。
あやうく解体の憂き目に遭いかけたが、ニーナの口添えで営業の権利を取り戻した月下亭を旅立って四日。
旅慣れないせいで予定より一日遅れて、九天とニーナはラージャム王国の後宮へとたどり着いていた。
目の前には塗装が剥げ落ち、もはや朱塗りではなく鈍い錆色となった巨大な門。
両扉の留め具は残されているが、そこに留めるべき扉などない。かつていかなる侵入者も寄せ付けなかったであろう鉄壁の門は、長い年月の間にその堅牢さを取り除き常にオープン状態だ。
のぞきこんだ中庭は伸び放題の雑草でうっそうとしている。
あちこちで蜂だの藪蚊だの、名前の分からない虫だのがブンブン飛び交い、緑の向こうに崩れた瓦屋根の古い木造建物がちらりと見えた。
「ほえ~、すごい。自然が豊かな場所だね、九ちゃん!」
「この凄まじい廃墟を見て、そんな好意的な感想を言ってくださるのはニーナ様だけですよ……。それはそうとニーナ様、その〝九ちゃん〟っていうのどうにかなりませんかね。呼ばれるたびに九官鳥でもいるのかなって思ってしまいます」
「なんで? 九天さんだから九ちゃんだよ」
もともと人懐っこいニーナは、都に着くまでの間にすっかり九天と打ち解けていた。
愛称は仲良くなる第一歩だ。九天もやれやれと呆れはするが、やめろとは言わなかった。
「まったく。ダリウス陛下は優しい方なので大丈夫ですけど、他の花嫁候補と接するときは気をつけたほうがいいですよ。その容姿にその天衣無縫さなら必ず反感を買います」
「分かったー。気をつける」
「気をつける気ゼロですね!」
すでにニーナの性格を把握しつつある九天は、脱力しながら古びた門をくぐる。
お妃争いに参加するつもりのないニーナは、月下亭を出た翌日にばっさりと切った髪に触れて笑った。
「何かあったらそのときに考えるよ。私今すっごく楽しいんだ。こんなに遠くまで来たの初めてだし、見たことないものばっかり。髪の毛も軽いし、ここに来られただけでよかったと思ってるよ」
腰まであった長い髪はなくなり、今は顎の下あたりで切りそろえたおかっぱ頭だ。肩にもつかない長さだが、髪を切るだけでこんなに身体が軽くなるのかと驚いた。
最後まで髪を切ることに反対していた九天だが、喜ぶニーナに根負けしたのか苦笑する。
「あなたは黙っている姿からは想像もつかない性格をしてますよね」
褒め言葉と受け取っておこう。
背丈ほどもあろう雑草が生い茂る中庭を横目に、朱門から入った九天は先に立って細い石畳を歩いた。
「他の花嫁候補の皆様には本宮から後宮に入って頂いたんです。だからこんな道からですみません。あなたはイレギュラーなもので」
「そうなの? 私が綺麗だって噂を聞いたから九ちゃんが迎えに来てくれたの?」
「──……そうですね。凄まじい、人とも思えないような美貌だと聞いて、それなら陛下も心を動かされるかもしれないと思ったんです」
独り言のようにささやき、長い道の中ほどまで来た九天は指で後宮の建造物を示す。
「三つの建物があるでしょう? 我々は南門から入りましたが、右手側に見える、この道とほぼ平行に建つ一番大きな廃墟が桂花の宮。昔々は妃にもなれない下級の女官が暮らした宮です。正面やや右奥の廃墟が月季の宮。部屋持ちの側室たちが住んだ宮ですね。そして最後に我々の行く先にある西の建物が牡丹の宮。正妃や数人の寵妃が暮らした宮です」
後宮はこの三つの宮に囲まれる形で中庭があり、牡丹の宮の奥からは白い柱が連立する美しい回廊が伸びていた。
回廊の先には朱塗りの後宮とは打って変わって、白い円屋根と四本の尖塔がそびえ立つラージャム王国の荘厳な宮殿が見える。
あれこそ国王が政務を行う本宮に違いない。
「この後宮をお造りになったのは初代のラージャム国王です。初代国王は女性が好きで好きで仕方のない方で、広いハーレムを作りそこに千人の美女を置きました。その中でもトップに立ったのが竜安国の女性で、たいそう花がお好きだったとか。ありとあらゆる花を植え、ラージャムの後宮は百花繚乱の花が咲く場所──繚乱後宮と呼ばれています」
異国から来たその妃のため、後宮は竜安風に造営され直されたと伝えられている。
今や咲き誇るのは雑草ばかりとなったが、牡丹の宮にたどりついた九天は靴を脱いで階を上がった。
ラージャムは石造家屋の国なので靴を脱ぐ習慣はないが、竜安風の娼館で過ごしていたニーナは裸足に慣れっこだ。
躊躇なく革のサンダルを脱ぎ、九天に続いて軋んだ音を立てる扉から中へと入った。
雑草や木が茂りすぎて陽の光が入らないのだろう。屋内は薄暗く静かだ。
手入れがされていない外観に反して磨かれた木の床を歩きながら、ニーナは興味深くあたりを見渡した。
(暗いけど、中はそんなに荒れてない。飾られてる壺とかも高そうだし、娼館の偽物感とは全然違う)
ニーナがきょろきょろしていることに気づいたのか、九天は歩調を合わせ隣に並ぶ。
「この牡丹の宮がひとまずニーナ様の生活の場になります。ここは一番小さいですけど、まあ人が住める範囲の崩壊で済んでますので」
「他が住めないくらい壊れてるってすごいね。この宮以外は掃除してないの?」
「してないですね。後宮は馬鹿みたいに広いし、桂花の宮や月季の宮は無人になってニ十年ほど経っています。それぞれの宮の裏側は完全な森ですので、ニーナ様も気をつけてくださいね。庭はあのとおり雑草だらけですし」
「牡丹の宮だけ使えるってことは、ここには人が住んでたの?」
「もちろん。三年前まで今の国王陛下の母上である太后様がお住まいでしたよ。ただ側に置く女官が極端に少なかったですし、太后様が家出……、いえ、先王と一緒に諸国漫遊に出られてからは形ばかりの庭番を置くだけでしたので」
手が回らない上に人もいないからと整備も後廻しになり、ここまで荒れてしまったのだろう。
「一応王宮の敷地内なので不審者なんて入れませんけど、警備の兵も後宮の外側にしかいませんので。ちなみに最低限生活のお世話をする下働きは雇いましたが、お仕えする侍女……あなた専用の召使いはいません」
「召使い? そんなのいらないよ」
それは用意してもらうものではなく、ニーナが目指すべき仕事だ。
ニーナの返事に九天はなぜか疲れたように肩を落とす。
「花嫁候補の姫君全員がそういう考えならよかったんですがね。皆さん侍女がいないなら連れて来るってタイプなので、おかげさまで部屋が足らずエライことに……」
後半はぶつぶつと口の中で言い、九天は暗い廊下の一番奥、明かりが届かず闇にまぎれそうになっている扉の前で立ち止まった。
「こちらがニーナ様の暮らすお部屋になります。お詫びのしようもありませんが、二人で一室。期間中は他の花嫁候補の方と共同生活をして頂きます」
ノックして、九天は黒檀の扉を開く。
元は侍女の部屋であったのだろうか。
中は二人で暮らすにはいくぶん狭く、並んで置かれた二つの寝台と衝立、そして大きな漆塗りの櫃でいっぱいになっていた。
衣装櫃に見えるそれは三つもあり、目を奪われていると衝立の陰で人の動く気配がする。
ほどなくして衣擦れの音が聞こえ、一人の少女がしずしずとニーナの前に姿を現した。
「ご紹介しましょう、ニーナ様。こちらは東の瑞国からいらっしゃった葵様です。葵様、こちらは本日お着きになった最後の花嫁候補、ニーナ様です」
おそらくニーナと同年代だろう。
同じ花嫁候補であるニーナに敵意を見せず、かといって笑顔を見せることもない葵と正面から向かい合い、ニーナはその特異な容姿に目を瞠った。
(すごい……! 髪の毛がめちゃくちゃ長い!)
娼館の女も髪が長いが、それらをはるかに凌ぐ長さだ。腰も足首も完全に通り過ぎ、後方の床まで流れている。
まっすぐで癖のないそれは艶やかな黒で、猫のように吊り上がった綺麗な目も漆黒。肌はニーナ以上に白く、透き通りそうなほどだ。
着ている装束も初めて見る。竜安国の単衣に似ているがもっと着込んでいて、床を引きずるほど裾が長い。
一番下は白の単衣に朱色の袴。徐々に青みを強く衣を五枚ほど重ね、一番上は紫で帯を締めずに羽織るだけ。
重そうな格好だと思う以上に、ニーナは初めて覚える感情に胸を高鳴らせた。
(────ものすごく可愛い……!)
ニーナは基本的に他人の美醜に鈍感だ。
人が醜いと言う顔に関して何も思わないし、逆に美しい顔にも心動かされない。
人外の美貌と言われる自分自身も人に綺麗だと言われるからそう認識しているだけで、自分で鏡を見てうっとりするかと言えばそうではなかった。
それなのに、目の前に立つ少女はそんなニーナですら「可愛い!」と感じられるほどの美少女だったのだ。
綺麗な黒い瞳で見つめられるとドキドキする。
そうか、これが他者を可愛いと思う感情なのかと感動したが、ニーナを視界に納めた葵も大きく後ずさった。
「な……、ッ……!」
一言発したきり、愕然と言葉を失う。
初めて可愛いと思えた葵に見惚れるニーナも、恐るべき美貌を目にした葵も、どちらも身動き一つしない。
けっこう長い間無言のまま向かい合い、九天がいい加減声をかけようとしたとき、ようやくニーナがぺこりと頭を下げた。
「ニーナです。はじめまして」
こんな美少女と同室とは先が楽しみだ。
にこにこと上機嫌で挨拶すれば、まだ固まっていた葵はほっとしたように肩の力を抜いた。
「……驚きましたわ。お話すれば普通の方ですのね」
声まで可愛い。
まるで水のせせらぎのような、透明感のある声音だった。
平静を取り戻した葵は手にしていた華麗な扇をぱらりと開き、口許を隠しながら優雅に目を瞬く。
「葵と申します。どうぞお見知りおきを」
「うん! 葵ちゃんだね、よろしく!」
娼館でも同年代の友人はいたが、葵はこれまで出会ってきた少女と何もかもが違う。
わくわくと右手を差し出したが、葵はニーナの呼びかけに眉を顰め扇の陰で顔を背けた。
「馴れ馴れしいですわ。近寄らないでくださる?」
「いやだ。近寄る」
「い、嫌!? 意見を訊いているのではなくてよ! 近寄らないでと申しましたの!」
「改めて近寄る」
「さ、最低っ! あなた最低ですわ!」
「よく言われる」
「いやああああああああッ!」
うわーいと飛びかかれば葵は鋭い悲鳴を上げて身を縮こまらせる。
身長はほぼ同じ。重ねた衣を取り去ればニーナより細いであろう身体を抱きしめると、葵は怯えのあまり青ざめながら震えだした。
「しょ、初対面でこんなに無礼な方は初めてですわ! 九天様、早急に部屋替えをお願い致します! わたくしこの方でなければどなたでもかまいませんわ!」
「そう言われてももう部屋の空きがないんですよね~。かといって人の交換もできないし。葵様も他の方々ががっつりスクラム組んでるのご存じでしょう?」
葵がぐっと言葉に詰まり、ニーナはここぞとばかりに手を挙げた。
「私は葵ちゃんがいい! 絶対いい! ビビビってきた!」
「おっと一目惚れですか。電撃結婚されると困りますが、仲良きことは美しき哉。相性もいいようですので葵様も頑張ってみてください」
「投げやりですわ! どこを見て相性がいいとおっしゃいますの!?」
「すみません、面倒くさかったので適当に言いました。いいじゃないですか、葵様も元気が出たようですし」
「──!」
ニーナの腕の中で葵の身体がかすかに揺れた。……ような気がした。
「葵ちゃん……。重ね着しすぎで葵ちゃんの動揺とかが分かりにくいから服脱いだ方がよくない? 脱ごうよ、着すぎだよこれ」
「ちょっ、いや! おやめなさいっ! わたくしの国ではこれが普通、っていやあああっ!!」
「この服すごい! 紐解いたら全部一気に脱がせられる!」
「いやぁッ、馬鹿! このお馬鹿! あなた馬鹿よ!!」
「よく言われる!」
「いやああああああッ!」
テンポよく返される言葉が気持ちいい。
嬉々として四枚ほど脱がせた時点でグーで殴られ(非力だと信じてたのにけっこう痛かった)、一枚だけ残った羽織りを死守するように葵は自分で自分を抱きしめる。
「わ、わたくしはあなたの相手をする時間なんてございませんの! 本日午後四時にダリウス陛下が後宮にいらっしゃいますもの、その準備を……!」
「なんですって?」
目を剥いたのはニーナではない。九天だ。
明らかに驚いた顔をして、舌打ちしそうな様子で言葉を吐く。
「こっちの到着が一日遅れたってのに予定通り挨拶を強行って、どんだけ融通が利かない人なんだ! こうしちゃいられません。ニーナ様、僕は本宮に戻りますんでお風呂に入って一撃必殺の勝負服に着替えておいてください!」
「ないよ、そんなの~」
ニーナが持っているのは、旅の途中で九天が買ってくれた簡素な旅行服と顔を隠す大きなヴェール、そして一足のサンダルだけだ。
どれもこれも洗濯していないし、袋の底に押し込まれしわだらけになっている。
「ならば葵様っ!」
「嫌ですわ!!」
ニーナ様のためになんかいい衣装を貸してくださいませんかね、申し訳ありませんがライバルですものお断りいたしますわ、の会話を一秒で終了させられ、九天はガシガシと癖のない黒髪をかき回す。
「到着してからで間に合うと思ってたのに、陛下にしてやられた……! ニーナ様、とりあえずお風呂に入って身綺麗にして、あとはあなた自身の輝きでカバーしてください!」
「だったら全裸で行こうか?」
「おおっと、陛下には刺激的すぎますのでそれはご容赦を。とりあえず葵様、あとはよろしくお願いいたしますよ!」
「なぜわたくしが!?」
「同室の宿命です! それでは失礼しまーす!」
葵に反論する隙すら与えない。騒ぐだけ騒ぎ、九天は嵐のように部屋を去っていった。
「行っちゃった……。葵ちゃん、お風呂ってどこにあるの?」
「…………………………」
「葵ちゃん? 葵ちゃん、おーい? どうしたの? しゃべってくれるまで呼んじゃうよー? 葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃん葵ちゃ」
「ええぃっ、ノイローゼになりますわ! なぜわたくしがこんな目に!」
「同室の宿命だよ。そういう星のもとに生まれたんだよ」
「なんという不幸で厄介な星……。ともかく、お湯殿でしたらこの部屋を出て突き当り、左奥ですわ」
「そうなんだ、ありがとう! 着る服だけしわ伸ばししておこう」
渋々と、だがちゃんと答えてくれた葵に礼を言い、ニーナは旅の間に九天に買ってもらった衣服を取り出す。
なんの変哲もない生成りの上下と、アンタリと呼ばれるラージャム特有の大きな長方形の一枚布だ。
庶民から貴族まで使用するアンタリは長さがかなりあり、生地にも着こなしにも明確な決まりはない。男性は片方の肩から斜め掛けにして、女性は羽衣のように両肩に掛けて前に垂らし腰帯で留めるのが一般的だ。
腰帯に巻きつけて前掛けにすることもあり、帯で留めずに肩に羽織るだけのこともあり、腰に結び付けて帯にしてしまう人もいる。
王様に会うのなら肩に掛けた方がいいかな……と深緑のそれを取りだし広げると、葵がせせら笑うように目を細めた。
「あらあら、地味なお衣装ですこと。他の花嫁候補の皆様はお国の衣装で美々しく飾るでしょうから、あなたは大広間で埋もれるしかありませんわね。衣装も用意できないほど貧しくていらっしゃったの?」
「埋もれるのは別にいいよ、他に着る物なんてないし。貧乏っていうか、娼館にはいっぱい綺麗な服があったけど私のじゃなかったから」
餞別でもらえる雰囲気じゃなかったしとニーナが肩をすくめれば、自身の衣装選びに戻ろうとしていた葵が勢いよく振り返った。
大きな黒い目が見開かれ、驚愕の表情のまま凍りつく。
ショックを受けたような顔でニーナを見つめ、小さくささやいた。
「あなた、ひょっとして娼館からいらしたの……?」
「そうだよ。まだ十五歳だからお客は取ってなかったけどね」
葵は見るからに良家のお嬢様だ。
世間知らずのニーナでも、娼妓が身分ある人々にどういった印象を与えるかぐらいは知っている。
さきほどまで元気いっぱいだった葵が静かになってしまい、ニーナも少しだけ気落ちしてしまった。
娼館から来たなど汚らわしい、と嫌悪されたのだろうか。
(まあ、それも仕方ないけど)
普通の反応なのだからニーナがどうこう言うことはできない。
だが半分あきらめたニーナの前で、葵は自身の持参した櫃を開いていくつかの衣装を取り出した。
「……では、これはいかが? ラージャムの装いも必要だと国の者が持たせてくれましたの。あなたと私は体型も似ているし、わたくしはもっと落ち着いた色が好みなので着る予定もありませんし」
渡されたのは、純白の長衣と鮮やかな深紅のアンタリだ。
長衣には優雅な襞があり袖口も広く、裾だって床に届くほど長い。上に羽織るアンタリは薄くしなやかな正絹で、一面に金糸の刺繍と縫い取りが施されていた。
よく見れば長衣にも細かな宝石を縫い込んだ刺繍が入れてあり、腰に結ぶ帯も黄金。物の良し悪しや価値を知らないニーナでも、一目で高価と分かる代物だ。
「いやいや、さすがにこれは遠慮するよ。ちゃんと葵ちゃんが着た方がいい」
「わたくしは瑞国の正装で参りますわ。その方が落ち着きますし、あなたには赤が似合いそうだと思いましたの」
「でも」
押し返したとたん、葵が涙目でキッとにらみかえしてきた。
「言っておきますけど、同情なんかじゃありませんから……! わたくしは単純にあなたも装うべきだと思ったのです! 着飾った者が選ばれなくて、みすぼらしい装いのあなたが陛下に選ばれたらわたくしたちの立場がありませんもの!」
「ぶはっ! 私が選ばれるなんて決まったわけじゃないよ!」
要するに、可哀想だと思ってくれたらしい。
一生懸命同情だと思われないようにしている葵が可愛らしくて、思わず噴き出してしまった。
葵の態度は誰がどう見ても同情以外の何ものでもなかったが、ニーナはそれをはねつけるような誇り高さは持ち合わせていない。
同情されて傷つく名誉もなく、屈辱や怒りもない。
正直なところ国王との謁見で飾り立てる気はなかったが、嫌悪より同情を選んでくれた葵の心情が嬉しくて素直に衣装一式を受け取った。
「ありがとう、葵ちゃん。じゃあバッチリ着飾るよ。輝くよ」
「宝飾品と髪飾りもありますから持ってけドロボーですわ!」
「えっ、貸してくれたのに泥棒扱い!?」
「気前よくお渡しするときの文句です! その前に、いまさらですがあなた馴れ馴れしすぎません? 十五歳なのでしょう? わたくしは十六歳ですもの、葵お姉さまとお呼びなさい」
「葵お姉さまちゃん、略して葵ちゃんで」
「なんて不愉快な返事ですの!? いやぁッ、抱きつかないで! 早くお湯殿にお行きになって! 身支度の時間が無くなりますわよ!?」
「はーい」
葵ちゃん優しい、と言えばまたキイイッと噛みついてくるに違いない。
にまにま笑いながら言いつけに従い、まずは旅の汚れを落とすべく立ち上がった。