最終選考日 みんなの一歩 1
人の減少と共に荒れ果て、かつては百花咲き乱れると呼ばれたものの見る影を失くしてしまった繚乱後宮────。
その宮殿が、今日ばかりは様相を違えていた。
普段であれば男子禁制のそこには早朝から兵士達が溢れ、ニーナや下働きが整備した中庭をさらに美しく整えていく。
地を均し、樹形を整え、残っていた雑草を隅々まで刈り取り。
中央にある石舞台には簡易の木柱が建てられ、舞台奥には廃墟となった桂花の宮を隠すように白の書き割りが置かれた。
舞台と相対するように幾列も長椅子が設置され、端には見物に来る後宮の姫君達のために薄い帳を下ろした衝立まで用意される。
舞台の両脇にも国旗のたなびく幟が幾本も立てられ、午後三時に始まる勝負に向けて着々と準備が進められていた。
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「本当にお出ましにならないんですか? いい席をご用意しますよ」
いつものように執務室で書類と向き合うダリウスは、ぴくりと手を止めた。
本宮からは見えるはずもないのに、窓から後宮の方角を眺める九天は独り言のように続ける。
「戦うのがニーナ様と薫子様だなんて、れっきとしたお妃争いの最終局面ですけどね」
「……陰から見守ると言ったはずだし、ニーナが勝っても私は彼女を妃にしたりしない」
「では一人選ばなければいけない側室はどうするんですか?」
蛍の願いを聞き入れ、葵を選ぶのか?
十五歳のニーナを「まだ子供だから」と候補から外すのであれば、十六歳の葵を選ぶのもおかしな話だ。
「……それについては選考会が終わってから考える」
「結論を出す日が今日なんですけどね。あなた何か誤解してません?」
「九天」
言いたいことが理解できて、ダリウスは挑発に乗らないよう落ち着いた声で応じた。
「私は、自分の立場をわきまえているつもりだ。ニーナは私と恋がしたいわけではない」
初めてニーナを膝に乗せ、抱きしめてほしいと言われたときに確信した。
「ニーナが求めるのは恋人ではなく、信頼できる保護者だ」
ニーナがダリウスに懐いてくれているのは恋愛感情を持たないからに違いない。そんな少女を妃に選ぶなんて騙し討ちにもほどがある。
どう考えても信頼を失くすだろうし、ニーナの心に深い傷を残してしまうかもしれない。
「ニーナが勝った場合、私は誰も選ばないつもりだ。跡継ぎを望む臣下には申し訳ないことだが、ここへ来る気のなかったニーナを私などの妃に選んでは可哀想だ」
「では薫子様が勝った場合は?」
「──薫子姫は年齢的にも私と釣り合い、ラージャムの王妃となるため自らここへ来た。私は、薫子姫が妃でもかまわないと思っている」
臣下もそれを望んでいるだろうし、性格に難はあるがダリウスなら押さえつけることも可能だ。
彼女に王妃としての権限を与えて自由にさせる気は毛頭ない。
それさえできれば、瑞の王族の姫に文句はなかった。
「もともと人並みの結婚など望んではいない。どんな理由であれ、薫子姫が私に価値を見出してくれたのならありがたいことだ」
ダリウスが持つものはラージャムの国土と王という地位だけ。薫子はそれを正しく理解している女性といえる。
話を終わらせたつもりだが、それでも九天は黙らない。
「あなたはニーナ様のことが好きなんですよね?」
「いいや」
────好きだ、とは言えなかった。
言ってしまえば、九天はどんな手を使ってでもニーナを引き止めるだろう。
「ニーナのことはとても好ましく思っているが、恋ではないよ。彼女には私以外の男と幸せになってもらいたいと思う」
これは嘘偽りのない本心だ。
ニーナのような素晴らしい女性には十二歳も年の離れた自分のような異形ではなく、もっともっと相応しい相手がいる。
できればその相手と末永く幸せになってもらいたい。
そう思う気持ちは嘘ではないが、九天の目を見ることができず、ダリウスは全く頭に入ってこない書類の字を追い続けた。
妙に長く感じる時間が流れ、やがてかすかな吐息が聞こえる。
「──。分かりました」
意外にもあっさりと引き下がり、九天は窓辺からダリウスの前へと歩み寄った。
「月季の宮の一番西の部屋を整えておきました。正面ではありませんけど舞台がよく見えますので、午後三時にはそこに来て下さい」
「分かった。必ず行こう」
ニーナとの約束だ。
真顔で請け負ったダリウスに脱力し、九天はやれやれというように視線を逸らした。
「僕はずっとあなたに幸せになってもらいたいと思ってたんですよ」
「知っているよ。ありがとう、私は十分幸せだ」
理解ある人々に囲まれ、わがままも通してもらっている。
王になれと言うなら隠れた王になりたい。表には出たくないという究極のわがままを。
自分の政策を伝える臣下は揃っているし、外交なら両親が担ってくれる。それでかまわない。両親がいなくなるなら、自分は王位を従兄に譲る宣言をしている。
十分に幸せであり、これ以上望むべくものはなかった。
「そうらしいですね」
他人事のように言い、九天は肩をすくめる。
「僕は心のどこかであなたが不幸だと思ってたんでしょうね。ニーナ様に陛下は全然不幸じゃない、と言われこう言っちゃなんですが横っ面を張り倒された気がしました」
「ニーナに?」
「実際に張り倒されたわけじゃないですよ。そう感じただけです」
九天は自嘲するような、悔しそうな、泣きそうな、何とも言えない複雑な顔をした。
「もっと外に出てほしい、やりたいことを自由にしてほしい。僕やあなたのご両親があなたのために願っていたことは、けっきょく僕達の願いであってあなたの願いじゃなかった」
「九天──」
「分かってます。それは違う、僕達に感謝してるとあなたは言いたいんでしょう?」
ダリウスのような人間には気にかけて背中を押してくれる人が必要だ。
九天や両親がそれで、異形のダリウスに孤独ではないことを教えてくれる。間違いなく大切な存在だ。
「でもニーナ様に言われて初めて知ったんです。僕達があなたの傷に無頓着だったと」
立ち上がろうとしたダリウスを制し、九天は言葉を継いだ。
「──あなたはちゃんと選んでいたんですね。どこまでの痛みに自分が耐えられるのか。行動によって得られるものはその痛みを越えるほど価値があるのかを」
動け動けと無責任に煽るが、動いた結果傷つくのは九天でも先王でも太后でもない。
ダリウス自身だ。
だからこそ傷が大きすぎると判断すれば梃子でも動かないし、傷ついても価値があると判断すれば動く。
(痛みを越えるほどの、価値があるのか──)
自分では意識したこともない、考えもしなかったことを言葉にされて動きを止めたダリウスに、九天はそっと一礼した。
「ニーナ様が、あなたにとって行動を起こす価値のある存在でありますように」
────傷ついてでも手に入れたい、と思う存在であればいい。
九天が音もなく執務室を出ていき、見送ったダリウスはそのまましばらく動かなかった。




