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 笑顔で手を振ってくれたニーナが去り、一人になったダリウスは静かに立ち上がる。


 開いたままの窓辺に寄り、おもむろに上方を見上げた。


「──蛍か」


 窓から手を伸ばせば触れられるほど張り出した、大きな太い枝。

 それらが葉擦れの音を立てて揺れ、黒づくめの装束をまとった大柄な男が木々を伝って姿を現した。


 暗殺にでもきたのかと思ったが、そうではないらしい。


 殺気は感じられず、木の幹に手を掛けたまま黙る蛍を見てダリウスは苦笑する。


「また抜け出したのか。お前を閉じ込めておくのは本当に難しいな」

「……すんません。陛下と、どうしても話をしておきたくて。すぐに牢に戻ります」

 珍しく殊勝だ。


 蛍は長い間沈黙し、根気よく待つダリウスに向けて重々しく口を開いた。


「全部、分かってるつもりっす」

「──そうか」


 多くは語らなかったが、その一言で蛍が何もかもを察したと理解できる。

 葵の髪を切った本当の犯人が誰なのか。

 なぜ葵はそのことを漏らさなかったのか。なぜダリウスが犯人を庇ったのか。


(思ったほど直情一辺倒ではないな)


 もっと猪突猛進で感情のままに動く男だと思っていたが、意外に冷静になるのが早く物事の理解も速い。

 怒りは収まっていないだろうが、暴れることはなさそうだ。


 とくに責めたりしないダリウスを見つめ、蛍ははにかむように目を伏せた。


「なんっつーか、陛下はすごいっすね。俺、自分より強い奴に初めて会ったんで」

「言っておくが今は戦えんぞ? お前のせいで私は絶不調だ」

「戦いませんってば。怪我させてしまって申し訳ないです。もう一回戦っても勝てる気しないし」

「何を言う。昼間はお前が冷静さを失くしていたからだろう」


 勝てないのはこちらの方だが、蛍は自嘲する。


「逆っすね。今まで頭に血が上った俺を止められる奴っていなかったんすよ。だから俺はどこに行ってもけっこう厄介者で怖がられてて……。落ちついてりゃいいんすけど、ガキの頃からキレやすかったんで親からも見放されてました」

「──……そうか」

「そうなんすよ。叱られる、殴られる、泣かれる、怯えられる、見捨てられるってのは慣れてたんすけど、葵がしてくれるみたいに心配してくれる、励ましてくれる、誰が何を言ってもわたくしは兄様が大好きって言われるのは慣れてなくて。だから妹だって分かってたのにコロッと惚れましたね」


 いつからなのかは分からない。

 それがとても昔の頃からのように思えて、ダリウスは何も言わずに聞いていた。


「別に葵をどうこうしたいわけじゃないんです。ただ、俺は葵がこの世で一番大事なんすよ。葵に幸せになってもらいたい。葵を泣かせる奴は俺が消すし、葵が辛い目に遭うなら俺が救ってやる。さしあたり今殺したいのは俺の親父ですね」

「蛍!」

「なんちゃって、冗談すよ」


 へらりと笑い、蛍はふいに真顔になった。


「陛下。勝負のこと九天様から聞きました。お妃様はニーナになるんすよね?」

「──いいや。ニーナが勝負に勝っても私はニーナを選ばないし、彼女も妃の座を望んでいないだろう」


「だったら葵を側室に選んでやってください」


 思いがけない言葉に、とっさに返事をしそこねた。

 目を見開いたまま口を閉ざしたダリウスにかまわず、蛍は真剣な顔で嘆願する。


「ニーナが勝っても陛下はニーナを選ばないんすよね? でも側室を一人選ばないといけない。だったら葵を選んでやってください」

「いや、それは……」

「年の差とかどうでもいい。そんで、もしニーナを妃にするってんなら葵を女官にしてやってください。あいつは箱入りのお姫様だ。誰かの世話なんて慣れてないけどニーナに仕えるなら心配はない」


 それは、今この場で返事をすることができない。


 無言のまま見つめ合い、ダリウスは深く息を吐いた。


「薫子姫が勝つとは思わないのか?」

「思わないっすね。ニーナの得意分野だって聞いてますし、言い出したからには負けないでしょ」


 ダリウスもニーナの生い立ちについて聞いているが、蛍の自信はそこに起因するものではないだろう。


(私が言って止まるものではないな……)


 止めたいなら、こちらが力づくで止めるしかない。

「分かった」

 答え、ダリウスは間髪容れず言葉を継いだ。


「ニーナが勝てば約束どおりお前も私の側に置いてやろう。お前ほど強ければ護衛もよく務まりそうだ」


 もともとラージャムで働きたいと言ったのは蛍の方である。

 蛍は虚を衝かれたように一瞬だけ呼吸を止めたが、すぐさまニカッと白い歯を見せて笑った。


「ありがたいっす。俺はもう瑞には帰れないんで」

 へへっとくすぐったそうに笑い、頭をかく。

「嬉しいっす。なんか、初めて居場所ができたような感じで」

「ちゃんと牢に帰るんだぞ」

「了解っす!」


 返事は心置きなく、底抜けに明るい。

 来たときと同じように木々を揺らし、蛍は夜の闇へと消える。

 あっという間に姿が見えなくなり、ダリウスは遠くなっていく葉擦れの音に耳を澄ませていた。


「──出る幕なかったですね」


 蛍が去ったと分かったとたん背後から声が聞こえ、ダリウスはゆっくりと振り返る。

 ニーナの退室と入れ違いになるように、気配を消して部屋に入っていた九天は暗器を弄びながら窓辺へ寄った。


「あなたを暗殺する気はなさそうだから脱獄を見逃しましたが、まあ予想どおり薫子様を殺す気満々ですね。私としては放っておいてもべつに──」

「九天」


 遮り、緊張の面持ちで口をつぐんだ九天に向けてダリウスは柔らかく微笑んだ。


「礼を言っておこう。薫子姫との言い合いではすまなかったな」


 叱責を受けると思っていたのだろう。

 予想外の礼に九天が目を丸くし、その表情がおかしくてダリウスは屈託なく笑った。


「いつもお前が先に怒るから私が怒りそびれる」


 ダリウスに対する侮辱や心無い言葉を九天は決して許さない。

 最終的にダリウス本人がなだめ役に回ってしまうことが多く、困りもするが気持ちは嬉しかった。

 今回も薫子に対し怒りを爆発させた九天は、ダリウスの礼に照れたようにそっぽを向く。


「……あなたの反応が遅すぎるんですよ」

「お前が速すぎるだけだろう」

 どちらともなく笑い、真顔になったダリウスは短く命じた。


「蛍を追え。何かあれば止めてやってくれ」


 このままで終わるはずがない。

 御意と答えた九天が軽やかに窓から外へと消え、ダリウスはようやく安堵して仕事を再開した。



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