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 ダリウスと蛍の決闘から数時間後、ニーナは再び後宮を訪れた九天の立会いの下、薫子と明日の勝負について決め事を行った。

 蛍の起こした騒動は早くも後宮の噂の的になっていたが、ニーナも薫子も素知らぬ顔で明日のことしか口にしない。


 勝負の場所は繚乱後宮中庭の石舞台。ニーナが皆の協力を得て整備した場所だ。

 観客は後宮の全ての花嫁候補と下働き、そして九天が集める本宮の官人と使用人達に決まった。

 王妃が決まるかもしれないという一戦だけあって臣下の関心は高く、宰相や大臣などの要人をはじめ兵士や女官も訪れる予定だという。


 対決内容は〝人形のふりをし続けること〟のただ一点のみ。


 時間は無制限で、どちらかに人形らしからぬ動きや感情の発露があった時点で終了となる。

 また、薫子にはニーナに対する妨害が許可されており、ニーナ自身に触れない限り何をしても許されるということが決められた。



     ※



 花嫁選考会最後の日となった今夜もそろそろ終わり、日が変わろうとしている。

 真夜中という時刻だが、後宮を出たニーナはまっすぐにダリウスの執務室を目指した。

 もしかすると眠ってしまっているかもしれないが、まだ仕事をしているかもしれない。


 わずかな望みをかけて本宮に入ったニーナは、見知った兵士達が変わらず執務室前に立っている姿を見てほっとした。どうやらダリウスはまだ起きているらしい。


(王様……)


 兵の一人が取次ぎをしてくれ執務室に入れば、蛍と激しい乱闘を繰り広げたとは思えぬほど、ダリウスは平素と変わらない姿でニーナを迎えてくれた。


「ニーナ、どうした。まだ起きていたのか?」


 いつもどおりの笑顔と優しい声で呼びかけられ、ニーナはたまらず駆け寄りその膝に飛び乗った。


「王様ぁ!」

「うぐぉおっ!」


 どすこい、と胸に飛び込めばダリウスが苦悶の呻きを上げて身を折る。


「へ、陛下──っ! ご無事ですか!?」

「ひいい大変だ、固定した肋骨が!」

「侍医を! 九天様を呼んで来いっ!」


 右往左往する近習の様子に、ダリウスが怪我をしていたことを思い出したニーナは慌てて身を引いた。


「ごめんなさい、王様。大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ……! 気にするな、オールオッケーだ!」


 血相を変えて駆け寄る皆を制し、ダリウスは脂汗を拭いながら膝から下りようとしたニーナをも止めた。

 また失敗だ。けっこうな苦しみようだったが、ダリウスが放してくれないのでそのまま膝に乗せてもらうことにする。

 いつもの横抱きの体勢に落ち着き、痛みも治まったのかダリウスは一息ついてニーナを見下ろした。


「葵の様子はどうだ?」

「泣き疲れてさっき眠ったところです。ご飯も食べてくれなくて……」


 蛍に知られたことがよほどショックだったのだろう。

 部屋はダリウスの派遣した女官が片づけてくれたし、もう切られた髪は散らばっていない。それでも一人にさせておくのが不安で、今夜は一緒に眠るつもりだった。

 胸に寄りかからないよう気をつけていたニーナが目を伏せれば、かすかな足音がして人の気配がなくなる。

 執務室の人払いをし、二人きりになったダリウスはそっとニーナを胸に抱き寄せた。


「君が……、急に薫子姫を追い出そうとした理由がよく分かった」

「…………」


 ニーナには誰にも言わない、という葵との約束がある。

 だが無言は肯定と同義だ。

 もはや黙っていても無意味な気がして、考えた末にニーナはぽつりとつぶやく。


「……王様が薫子さんを追いだすことはできないんですか?」

「ニーナの気持ちも分かる。だが、残念ながらそれはできない」

「どうしてですか! なんでですか!?」


 ニーナはキッと険しい顔を上げた。


「葵ちゃんの髪を切ったのは絶対絶対絶対薫子さんなんです! 証拠なんてないけどあの人以外考えられない! 王様はどうしてあんな人を許すんですか!? あの人がお妃様に決まってるからですか!? だったらそんなの────!」


「ニーナ」


 ぽんと頭に手をのせられ、身を固くしたニーナだが、聞こえたのはなだめるような優しい声だった。


「少し落ち着け、ニーナ」

 大きな手で頭を撫でられ、ニーナはほっと緊張を解きつつむくれる。

「だって……!」


 悪いのは薫子なのに、彼女は裁かれずに葵が泣くなんてどう考えてもおかしい。

 怪我人であるダリウスの膝に座っているのでじたばたするのは堪えたが、本当は暴れて訴えたかった。なんでなんで、どうしてと思いっきりわめき倒したい。

 そんな心情を読み取ったのか、ダリウスはそっとニーナの茶色い髪を梳く。


「少し真面目な話になってしまうが……。葵が自分で髪を切ったと主張するのは故郷の父親を守ろうとしているのだろう」

「お父さんを?」


 ならば守る価値などない。

 葵から聞いた父の話を思いだし、ニーナは冷ややかに目を細めた。


「葵ちゃん、お父さんに死ねって言われてここに来てます。そんな人のこと守る必要はないし、葵ちゃんが守りたいのは蛍さんだと思います」

「き、君は顔が綺麗なぶん怒ると怖いな……! いや、その、機嫌を直して聞いてほしいんだが、たしかに蛍を守りたいというのも本当だろう。だがそれなら今すぐ私に、薫子姫に髪を切られたと訴えるべきだ」


 そうすることでダリウスは薫子を帰国させ、蛍から引き剥がすことができる。

 しかし葵はそれをしようとしない。

 なぜかと考えるのも嫌になるが、ニーナはむかむかしながら思考を巡らせた。


(薫子さんを犯人にして帰国させたら、瑞にいるお父さんの立場が悪くなるから?)


 ダリウスは薫子が蛍によって殺される危険性も説明するだろう。

 だが蛍の父は葵の父。蛍の蛮行も葵の父を追い詰める要因になり、いくらすでに勘当した息子だといっても責任逃れはできない。


「こう言ってはなんだが、葵の証言以外に証拠もないのだ。薫子姫は否定するだろうし、それを押し切って私が彼女を帰国させれば少々ややこしいことにもなる」


 葵の父と瑞王どころか、瑞とラージャムの問題に発展しかねない案件だ。

 花嫁選考会をつつがなく終え、正当な理由で薫子を帰国させたい────。

 ダリウスも葵もそう願っていることを知り、ニーナは口をついて飛び出しそうな言葉を無理やり呑み込んだ。


「…………全然納得はできないけど、一応話は分かりました」


 この先はニーナが関われることではない。ニーナにできることは明日の勝負に勝利し、薫子を妃に推す輩を黙らせ彼女を追いだすことだけだ。

 怒りを堪えしぶしぶ言えば、ダリウスは胸をなでおろし表情を緩める。


「ありがとう。分かってもらえてよかった」


 分かっただけで腹は立ちっぱなしだが、これ以上ダリウスを困らせるつもりもない。

 それでも気がおさまらないニーナに、ダリウスがことさら優しい声で語りかける。


「ちゃんと話ができてよかった。君はとても友人思いで優しい。落ち着いて話を聞くこともできる、本当にいい子だ」

「…………」

 ……嘘だ。全然落ち着いてなんていないではないか。


 ますますむくれてしまったが、ダリウスはかまうことなくニーナを抱き寄せる。


「明日の勝負は……、大丈夫か?」

「大丈夫です。私が人形のふりで負けるなんてありえないです」


 怒りの余波で口調がきつくなってしまったが、ダリウスは気に留めず髪を撫でてくれた。


「そうか。君はすごいな。誰かのために戦うことができて、自分の価値がどこにあるのかも知っている。これなら負けないというものを持っているのは素晴らしいことだ」

「……人形になれるのは綺麗だからです。容姿は私が努力して手に入れたものじゃない」

「九天から君のことを聞いた。完璧な人形役ができるのは君の努力の賜物だろう?」

「だって、そうしないと生きられなかったから」

「それなら尚更すごい。君は幼いころから自棄にならず冷静に状況判断をし、辛いことに耐え忍ぶだけの根性もあったということだ。また、そんな境遇にもかかわらず明るく元気で皆を笑顔にさせることができる。君は本当に素敵な女性だ」

「あううう……」


 ここまでくるとさすがにご機嫌取りだと分かるが、髪を梳かれながら褒め称えられては斜めだった機嫌もまっすぐになるしかない。

 乗せられるのも癪だが悪い気がしないのも事実だ。


「容姿は君の力じゃないというが、この世には天賦の才を悪用する輩もいる。それに比べて君はどうだ? 謙虚で容姿を盾に他人を押しのけてのし上がることもせず、その力を使うのは友人のため。自分でも素晴らしいと思わないか?」

「お、思わないです、思わない!」

「それはすごい! 君は最高の女性だ!」

「ああああっ、もういいです! 分かりました、もういいですっ!」


 真っ赤になって遮れば、ダリウスは堪えかねたように声を上げて笑う。

 容姿について称賛されるのはどうでもいいが、それ以外で褒められることはまずない。自分を元気にさせるためのお世辞と分かっていても恥ずかしくて、ニーナは生まれて初めて赤面という体験をさせられた。


 熱くなった頬を手の甲で冷ませば、ダリウスは黄金の瞳を優しく細める。


「分かってくれたならいい。ニーナはとても素直で優しく、賢い子だ」


 沈んだ気分もいつの間にか吹き飛んでしまい、ニーナは紅潮した頬を隠すようにダリウスの胸に顔を埋めた。

 顔面しか取柄のないニーナにいったいどれだけの褒め言葉を与えてくれるのか。

 頬を寄せたアンタリは相変わらずいい香りで、ここまで男性に密着しているというのに不快感の欠片もない。


(王様優しい。大好き)


 胸も腕もがっしりしていて、男らしくて素敵だ。きりりとした顔は見れば見るほど整っていて見飽きることがない。中でも赤と黄金の眼が綺麗で引き込まれる。

 膝の上は居心地が良くて、ずっと側にいたいぐらいだ。


 目を閉じたニーナに、ダリウスはそっとささやく。


「大丈夫だ。葵も少し時間を置けばきっと立ち直るだろう」

「……でも、すごく泣いてました。そんなに髪の毛って大事なんですか?」

「瑞の貴族にとっては。我々ラージャム人には理解できても共感はできないだろうな」

「葵ちゃんは髪を切ってもすごく可愛いのに。短い方が楽だし便利じゃないですか?」

「はは、そうだな。私もそう思うよ。だがそれが他国の文化というものだ」


 違う価値観を持つ人間を説得することは難しい。

 他国の人間がその国のことを深く知りもせず、「こうした方が便利だ」「そんなことをするのはおかしい」と意見するのは傲慢だ。


「文化はその国の人達がとても大事にしているものだ。提案ぐらいはかまわないが、他人が大事にしているものを否定したり無理やり変えさせてはいけない。ニーナも大切にしている物が他の人にも認められれば嬉しいだろう?」


 逆も然り。他者に否定されたり軽んじられれば悲しいものだ。

 ダリウスの話を一つ一つ呑み込み、ニーナは自分なりに考えうなずいた。


「分かりました。葵ちゃん自身の気持ちが変わるまで、そっとしておきます」

「それでいい。過度に同情せず、否定もせず、自然体で側にいてあげなさい」

「はい。あの、葵ちゃんの髪の毛ってもう捨ててしまいましたか?」

「いいや? まだあると思うが……」


 不思議そうに目を丸くしたダリウスに、ニーナは葵の悲しみに寄り添いながら感じていたことを説明してみる。


「切られた髪の毛ってもう見たくないものなんでしょうか? それともずっと自分の側にあったものだから、捨てられると悲しいものなんでしょうか。葵ちゃんがどう思うのか分からないから一応集めて置いておこうかと思ったんです」


 捨ててしまえば後悔しても取り戻せない。破棄するにしても葵の意見を聞いてみたかったのだ。


 ダリウスはどこか呆然としてニーナを見つめていたが、やがて染み入るような温かい声でささやいた。


「そうだな。瑞には添え髪の文化もあるからそうした方がいい。君は本当に思いやりのある女性だ」


 また褒められてしまった。

 なんだかくすぐったくなってしまって、ニーナは照れ隠しに自身の短い髪に触れる。


「私は早く髪を切りたかったから娼館を出てすぐに切りました。嬉しかったしさっぱりしましたけど」

「髪が長かったのか?」

「はい。腰ぐらいまでありました」


 瑞ほどではないが、ラージャムでも女性の髪は基本的に長い。今のニーナの姿を見れば、見世物小屋の座長も娼館の女将も顔色を変えて怒鳴るだろう。


「駄目でしたか?」

 急に黙りこまれたので不安になって見上げれば、ダリウスはふっと目許を和ませた。


「まさか。短い髪もよく似合っているが、長いときの姿も見てみたかったな」

「…………」

「どうした?」


 ふるふるとニーナは首を振る。

 なんでもない。


 なんでもないのだが、ほんの少し。


 ちょっとだけ、髪を切らずにいればよかったな……と思ったのだ。


「さあ、ニーナ。もう夜も遅い。明日の準備をあるだろうしもう後宮へ戻りなさい。外の兵に女官を呼んでこさせよう」

「ううん、自分でお願いするから大丈夫です。あの、王様」

 優しく膝から降ろされ、ニーナは最後にとそのたくましい腕に手を添えた。



「明日、勝負を見に来てくれませんか?」



 外に出ることを怖れる人だと知っている。無理にお願いするつもりはない。


「陰からでいいです。私、絶対に勝ちますから見ていてください」


 もちろんダリウスの応援が無くても負けるつもりなどない。薫子を妃になどさせない。

 自信なら余るほどあるが、ダリウスが見ていてくれるならもっともっと頑張れる気がした。


 ダリウスはほんの数秒黙り、ニーナを見下ろす。

 そして、迷うそぶりも見せずすぐに微笑んでくれた。


「分かった。必ず見に行こう」

「──! ありがとうございます!」


 嬉しい。全身に力がみなぎるようで、ニーナは明るく一礼する。


「明日は頑張ります! それじゃあ、お仕事頑張ってください!」


 大きく手を振り、執務室を後にした。




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