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三日目 私にできること 1


 三百人の候補者が集まったラージャム国王花嫁選考会も今日で最終日を迎える。

 明日はいよいよ結果発表であり、初日のダリウスのG殺しにもめげず残った約三十人から妃、または側室が選ばれるのだ。



(よし、なかなかの出来栄え!)


 先が見えないほどの雑草で覆われていた繚乱後宮の中庭は、大部分の草が刈られ緑の絨毯を広げたような野原になっていた。

 まだ木々の剪定はできていないし、埋まっていた小川も泥を取り除いただけで涸れたままだ。それでも三日前の後宮を知る者が見れば驚嘆するような変わりようだった。


「お疲れ様でした、ニーナ様」


 午前の内に片づいた庭を悦に入って眺めていると、献身的に協力してくれた庭番をはじめ下働きの面々が拍手をくれる。

「本当に、庭がこんなに見晴らしよくなるなんて思いませんでしたよ」

「綺麗になると気持ちがいいもんですね。虫が減っただけでも働く我々にとってありがたいことですし」

「後はニーナ様がお妃様になってくださるのを待つだけですね!」


 とても期待のこもった声で思いがけないことを言われ、ドキリとしたニーナはとっさに否定した。


「あの、ごめんなさい。それはないです」


 ニーナが妃に選ばれることは絶対にない。

 選考一日目にしてダリウスから恋愛対象外宣言をされている。

 下働き達から一斉に「え──っ!」と声が上がり、申し訳ない気持ちに襲われたがこればかりはどうしようもないことだった。


「お妃様は瑞のお姫様に決まっているそうなんです。こんなに手伝ってもらったのに、その、すみません……」


 そんなつもりはなかったのだが、よくよく考えれば騙してタダ働きさせたようなものだ。

 期待を裏切ってしまったと思うと弱々しく語尾が消え、集まっていた人々がわらわらとニーナを取り囲んだ。


「あああ、泣かないでくださいニーナ様。きっと大丈夫ですよ!」

「こんなに掃除を頑張ったニーナ様が選ばれないなんておかしいですよ! 陛下や後宮長様がきっと考慮してくださいます!」

「まだ選考会は終わってませんよ! 今日一日ありますし、ニーナ様も他の姫君方に負けないよう陛下とたくさんお話しなさってください!」

「我々一同、ニーナ様が王妃様に選ばれることを心からお祈りしております!」


(えっと……)


 もう勝負がついているのに掃除を手伝わせて申し訳ないと謝ったのだが、妃になれないことを悲しんでいると誤解されたらしい。

 訂正すべきか迷ったが、皆は徒労についてなんとも思っていないようなので素直に激励を受け取っておいた。


 不思議だ。

 悲しんでいるように見えたなんて。


 昼食のため下働きの者達と別れ、牡丹の宮の階を上がったニーナは三日をかけて整備した庭を振り返った。

 改めて見ればそこは見渡すほどに広く、初めてここを訪れたときに見た雑草の海はどこにもなくなっている。


(今日で終わりなんだ……)


 信じられないほど短い。

 明日にはダリウスの妃が決まり、自分は仕事の斡旋をお願いしてここを出ていくのだ。

 ダリウスが薫子を選ぶのか、もしくは他の女性を選ぶのか。それはニーナには想像もつかない。


(たった三日)


 九天から花嫁選考会の話を聞いたときは、太后様は無茶なことを考える人だと思った。

 そんな短期間で誰かと仲良くなり、好きになるなんてそんなことはありえない。もしあるとすればそれは運命だ。

 三日間じゃ何も変わったりしない。心なんて動くはずがない。


 そう、思っていたのに────。


「お昼ごはん、食べに行こう……」


 ひとり呟き、ニーナは庭に背を向ける。

 王妃となる人に取り入り働かせてもらおう──、という当初の計画を実行する気には、なぜだか分からないがなれなかった。



 ────────────── ※ ──────────────



 食事は部屋に運んでもらえるのだが、ニーナは気が向いたときに食べるので自身で厨房に取りに行くようにしている。


「葵ちゃーん、今日はお昼ごはん食べる? 食べるなら何かもらってくるよー?」


 瑞国の食事は朝夕二食らしく、葵は基本的に昼食を取らない。それでもこうして声かけするのが日課になっており、ニーナは今日も葵の部屋の扉を叩いた。


「葵ちゃん?」

 いつもならすぐに返事があるはずだが、今日は不思議と静まり返っている。


「葵ちゃん? どっか行ってるの?」


 何気なく扉を開いて中をのぞきこみ、ニーナは即座に足を止めた。


 葵の部屋は蛍の侵入によって窓が割れたため、ニーナの部屋の隣の隣へと変わっている。

 相次ぐ引っ越しで部屋を整える気力を失くしたのか、衣装櫃はわきに追いやられ、広い室内には備え付けの寝台と小さな文机しかない。


 そんな閑散とした部屋に、なぜだか黒い糸が大量にばらまかれていたのだ。


(なに、これ……?)


 十本や二十本ではない。あちこちでとぐろを巻くほど多く、中へと踏み込んだニーナは足元の黒糸を手に取った。

 部屋中に散らばったそれは長さもまちまちで、腕の長さほどの比較的短いものあれば大蛇のように長々としたものもある。

 絹糸のように見えたが手触りはしっかりとしており、持ち上げたニーナの指からさらさらとこぼれ落ちていく。


(髪の毛……?)


 思い当たった瞬間、皮膚が粟立った。


「……葵ちゃん? どこ?」


 背すじに冷たいものが走り、無意識に鼓動が速まる。

 物音なんてカサとも聞こえないのに、部屋に誰かがいるような気配がしてならない。


 蛇のようにうねる黒いものを踏まないよう、ニーナは奥にある寝台の側まで進み──。

 ひゅっと短く息を呑んだ。



「葵ちゃん!?」



 寝台と壁の狭い隙間に隠れ、袖に顔を埋めた葵がそこにいた。

 深くうつむいているせいで白い首筋が露わになっており、ニーナはその姿に身動きもとれず愕然とする。

 床を流れるほどあった葵の豊かな黒髪がばっさりと切り落とされ、肩にもつかないほど短くなっていたのだ。

 鋭利な刃物で手当たり次第切ったかのように長さがバラバラで、短いものは耳の上をこえている。


 何をどうすればいいのか分からない。動転しながら葵を引きずり出せば、衣の隙間から無残に切り落とされた髪の束が次々と落ちた。


「葵ちゃん、どうしたの……!? 何があったの!?」


 急きこんで肩を揺すっても答えるどころではない。泣き声どころか息まで殺した葵の顔は真っ赤で、涙でぐしゃぐしゃだ。


「ニーナ……!」


 ニーナの姿を認め、向き合ったとたん葵は爆発するような泣き声を上げて床に突っ伏す。

 大声で泣きながら床に倒れ込み、意味をなさない叫びを上げる葵にさすがのニーナも色を失くした。

「葵ちゃん! しっかりして、葵ちゃんッ!」

 このまま死んでしまうのではないかというほどの泣き声で、狂人のような取り乱しように動揺しニーナは立ち上がる。


「待ってて、九ちゃん呼んでくる!」


 誰を呼ぶのが適切か分からないが、とにもかくにも九天だ。

 そう考え走りだそうとしたニーナを、だが悲鳴のような声が止めた。



「駄目よッ!!」



 その声があまりに大きく、あまりに恐怖に満ちていたためニーナは前のめりになりながら踏みとどまる。


 ほんの一瞬前まであれだけ泣いていたとは思えない。

 ニーナを見据える葵の顔は蒼白に変わっており、涙の跡も消えないままきっぱりと首を振った。


「駄目よ。知られてしまう」

「知られてしまうって、でも……!」


 これは葵が自分で切った髪ではない。絶対に違う。

 明らかに誰かに襲われたもので、後宮長である九天が知っておくべきことだ。

 だが、葵は何度も首を振りながら懸命に訴える。


「お願いですわ、ニーナ。誰にもおっしゃらないで。わたくしは自分で髪を切りました」

「葵ちゃんッ!」


 自分で切ったならなぜこんなに泣き叫ぶのだ。

 瑞国の女にとって命とも言われる髪をなぜこんなにも無残に、部屋中に散らばるように切り散らかしたのだ。

 誰かが逃げようとする葵に追いすがって刃物を振るったとしか思えず、ニーナは湧き上がる怒りのままに強い瞳で葵を見下ろした。


「────分かった。葵ちゃんが自分で切ったんなら隠すことは何にもない。九ちゃん呼んでくる」


 気分転換に切りました、でかまわないだろう。

 必死に隠すこと自体が不自然で、冷ややかに言い捨てたニーナに葵が取りすがった。


「待って! お願いよニーナ、行かないでッ!」

「いいから。葵ちゃんはここで待ってて」

「やめて! やめて、行かないでッ!!」

「どのみち隠したままにはできないでしょ、こんなこと」

 アンタリの裾を掴む葵の手を振り払い、数歩進んだとき──。



「いい加減にして!」



 背中に鈍い衝撃が走り、ニーナは驚いてたたらを踏んだ。

 重い物が落ちる音や、何かが砕ける乾いた音。

 いろいろな音が重なり、振り返ったその床にはすずりや筆、墨、それらを入れていた漆塗りの黒い箱が散らばっていた。


 カラカラと転がる筆を拾おうともせず、膝立ちになった葵は鬼気迫る形相でニーナを見上げる。


「あなたのせいよ……ッ! あなたが、薫子様を怒らせたから……!」


 叫ばれた内容ではない。


 葵の憎悪の交じった憤激の表情に気圧され、ニーナは息を呑んだ。


 こんなにも激しい、明確な怒りに染まった表情を見たことがない。たった十五年とはいえ、これまで生きてきた中で初めてぶつけられた激情だった。

 立ちすくんだニーナの目の前で、葵は泣き叫びながら散らばった硯や墨を投げつける。


「あなたなんて大嫌いよ! あなたさえいなければこんなことにならなかった! どうしてそんなに無神経なの!? どうしてあの時陛下に会いに行けばいいなんておっしゃったの!? どうしてわたくしのことを考えてくださらないのッ!?」


 どうして、どうして、どうして────。


 手当たり次第物を投げつけ、葵は床に散った自分の髪をも投げつける。

 髪は当然ニーナに届くことはなかったが、正気を失くしたような葵の姿に呆然としてしまった。


 ニーナは昨日、薫子の機嫌を損ねたことは分かっていた。

 自分の提案が薫子のお気に召さず、下賤な小娘と思われただろうと察していた。なんとも生意気な、むかっ腹の立つ娘だろう、と。


 だが、それがこんな報復となって返ってくるとは頭の片隅にも浮かばなかったのだ。


「葵ちゃん」


 泣き伏す葵の側に膝をつき、だが触れることもためらわれてそっと声をかける。


「ごめん。葵ちゃん」


 こうなる可能性を考えて薫子と話すべきだったのだろうか。

 葵はダリウスと個人的に謁見するつもりだ。──ならば会えない身体にしてやろう。

 薫子がそう考えることを考慮し、相手を刺激しないよう話すべきだったのか。


(──たぶん、そうだったんだ)


 考えなしの自分のせいで、罪のない葵が傷つけられてしまった。

 浅慮と無知でこんな痛烈な罰を受けたことがなく、ニーナはただただ葵の側でうなだれる。




 長い時間そうしていたが、しばらくして泣き叫んでいた葵の声がすすり泣きに変わった。 

 泣く力すらなくなったのかそれも静かになり、ややあって、袖で顔を覆ったままの葵は怒鳴ったことを恥じ入るようにささやいた。


「……ごめんなさい、ニーナ。本当はあなたが悪いわけではないのに……」

「! 葵ちゃん、違うよ! 私が悪い!」


 葵が謝らなければいけないことは何もない。

 急いで謝罪しようとしたが、それを制して葵は涙を溜めた目でまっすぐにニーナを見つめた。


「お願いですわ、ニーナ。髪はわたくしが自分で切ったの。誰に何を聞かれても、そう答えて」

「でも……!」


 そんな言いつけは到底守れない。

 薫子を許すことはできないし、このまま泣き寝入りも御免だ。

 だがニーナのそんな感情すら見抜いたようで、葵は落ち着いた声で念を押す。


「誰にも何もおっしゃらないで。兄様にだけは絶対に知られたくないの」


 言葉を返せず黙ったニーナに、葵ははっきりとした口調で告げた。



「兄様は必ず薫子様を殺すわ」



 脅しではない。

 避けられない未来だと断言し、目を伏せる。


「兄様にはもう、誰かを害してほしくないの……。どうすればいいか考えたいから、しばらくわたくしを一人にさせて」

「駄目だよ!」

 こんな切られた髪が散らばる部屋に一人などよくないと気色ばんだが、葵は力なく首を振った。


「本当に少しの間でいいの……。もうこんなみっともない姿を誰にも見られたくない」


 全然みっともなくなんかない。

 ニーナは心底そう思っていたが、同時にその言葉が葵に届かないことも分かっていた。

 ──……今は側にいるだけで葵を傷つけてしまうのかもしれない。


 散らばった髪だけでも片そうと思っていたニーナは、声もなく泣き出した葵の姿にそう悟った。


「……分かった。でも一人にして大丈夫? 危ないことしたりしない?」


 万が一にも命を絶つようなことがあればと不安になったが、葵は小さく、だがしっかりとうなずく。


「いたしませんわ」

「うん。じゃあまた夕ご飯のときに来るね。会いたくなかったら『会いたくない』って言ってくれていいから」


 拒否されたところで傷つくニーナではない。

 じっと見つめれば袖で顔を隠そうとする葵の手を握り、ニーナはにっこりと笑った。


「葵ちゃんは髪の毛切っても最高に可愛いよ! 瑞の女の人は髪が命かもしれないけど、ラージャムじゃ違う。全然みっともなくなんかないし、私は髪の毛より葵ちゃん自身の方が大事だからそれだけは覚えてて? 早く元気になってね!」


 虚をつかれたのぱちぱちと黒い目を瞬く葵の髪を撫で、ニーナは「じゃあね!」と笑顔で部屋を辞した。





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