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于吉仙歌  作者: 厠 達三
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7話

 どこか遠くで蝉の声が聞こえる。自分がどこにいるのか分からない。暫くすると自分が立っているのではなく、仰向けに寝ていることが分かった。暗かった視界に光が戻り、ぼんやりと人の顔らしきものが見えた。

「おっ。気が付いたみたいだな。ほれ、これ飲め」

 筑の声だった。筑はそう言うなり、碗に汲んだぬるい水を周平の口に流し込む。寝ているので上手く飲み込めず、むせた。が、意識ははっきりしてきた。周平が体を起こそうとするが上手くいかない。筑が慌てて止めた。

「おい、無理すんな。この暑さでアンタ、ぶっ倒れちまったんだぜ。暫く気がつかないから、肝を潰したぞ。いいから寝てろって」

「でも、俺だけ休む訳にはいかないだろ」

「いいから、いいから。ここ最近、監視の兵は干禁の麾下なんだ。今日倒れたのは運が良かったよ。今日のところは、大人しく休むんだな」

「そうか。干禁の。道理で、暫く連中が大人しいと思った」

 意識がはっきりしてくると、周平は作業現場から少し離れた木陰に寝かされていたことに気付く。筑が運んできてくれたのであろう。

「お前には世話になりっぱなしだな。もう大丈夫だから。いくら監視が干禁の配下でも、バレたらただじゃ済まないし、みんなに迷惑がかかる」

 体を起こそうとする周平を、またも筑が押さえた。

「かたいこと言うなって。一人や二人、いなくなってもバレるもんか。みんなやってることだ。俺なんてしょっちゅう、おっと。そんなことより、少しは養生しろよ。もしここでアンタまで倒れちまったらどうする。ここにいる連中が、どれほどアンタを頼りにしてるか知らないのか」

 知らない。周平は自分が頼られているなどと考えたこともなかった。青州黄巾党が心の拠りどころとしていたのはやはり干毒であり、次いで弟子の干禁であったろうと。同じ弟子でも自分は毛色の違う、おまけか雑用係のようなものだと自覚していた。干毒が自分を弟子にしたのも、寄る辺ない者をお情で拾っただけだろうと思っている。あの二人がいなくなったとはいえ、自分にその代わりが務まるとは到底思えなかったし、周りの認識もその程度であろうと。そんな周平をよそに、筑は周平に休むよう言って聞かせた。

「兎に角だ、俺は作業に戻る。アンタはここで休む。夕方の点呼までに、こっそり戻ってくれればいいよ。みんなには俺が説明しておくから。じゃあな」

 立ち去る筑の背を見送って周平は苦笑したが、あの要領の良さは見習うべきところもあると思った。再び周平は草むらに体を沈め、木漏れ日に目を遣ると、意識が大地に呑み込まれるような気がした。黄巾党の戦士だった頃は大地を駆け、いつかこの大地も支配できると思っていた。やっていたことは賊と大差なかったが、それでも千を数える兵士を率いて戦ったりもした。あの頃の自分は肩で風を切っていただろうか。いや、絶望の中、今日を生き延びるのに精一杯だった。そんな人生に嫌気が差し、大地に寄り添うと決めた。なのに、この望郷に似た想いはなんなのか。つまるところ、人は現在の状況に満足できず、過去を美化し、未来に夢を託し、現在を無為に過ごすことになるのだろうか。では今の塗炭の苦しみも、そう遠くない未来には幸せだったということになるに違いない。焦ることはない。多少遅れても、寄り道をしても、人はいずれ死ぬ。気楽に行けばいい。今の状況を楽しんだ方がいい。周平は自分にそう、言い聞かせた。暫くすると、狂ったように鳴いていた蝉の声が遠くなってきた。蝉も鳴き疲れるのだろうか。そう思ったが、自分の意識が再び遠のいていっていることに気付いたときには、全ての感覚が失われた。

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