5話
「周平さん、少しいいかい?」
ある雨の日、彼らに休息が与えられた。雨中での重労働は能率が悪い上、事故や病気の発生に繋がるからだ。雨の日ばかりは、彼らにも安息が許される。だが、その日は少々いつもと違い、一人の壮年が周平を呼び出した。後ろには大勢の男衆もいる。皆、殺気立っている。周平はやれやれと嘆息しつつ、男についていった。彼らは集会場に集い、密談を始めた。最近、やっとその程度の自由を認められたばかりだ。
「話ってのは他でもない。俺達でいっそ、決起しないか。いや、なにも暴動を起こそうってんじゃない。ただ、俺達への待遇は目に余る。青州兵も戦では常に危険な前線にやられているという。連中も曹操に対して、いい感情は持っちゃいない。青州兵と俺達で有志を募り、曹操に上告したいんだ。幸いアンタはここの兵士共に一目置かれている。お陰で俺達は助かっているが、他の作業現場では酷い虐待が毎日のように起こっているらしい」
男の言葉に、後ろにいる目の据わった連中も頷く。
「頼む。周平さん。アンタしかいないんだ。俺達を纏め上げて、人を集め、決起を促せるのは。アンタが頭になってくれれば、きっと曹操も動かせる」
周平は頭を掻きつつ、独り言のように言った。
「買い被りすぎだ。俺達ごときが上告したって、たいしたことはできないと思うがな。前回の暴動もすぐに鎮圧されただろう」
「いや。あの暴動は頭に血が昇った連中が逆上して起こしたようなもので、志も展望もなかった。アンタを頭に、ちゃんとした組織を作って計画を立てれば、あんな暴動にはならない」
「それで? 組織を作ってなにをどうしたいんだ」
「決まってる。俺達の待遇の改善だ。食事は一汁に一菜を加え、一日一回から二回へ。作業時間の短縮。作業員の交代を認め、定期的に休めるようにし、兵士の虐待を禁止する。他にも、数え上げればきりがない」
周平はため息が出そうになった。まるで曹操の掲げる法家主義を聞かされている気分だ。それ自体を否定はしないが、そもそも周平は法というものを信じていない。人が生きるうえでは必要とは思うが、それもいき過ぎればなにかおかしなことになる。その点では信仰の持つ胡散臭さと通底するものを感じていた。周平はその場をやり過ごしたかった。
「その気持ちは分かるけどな、訴えが通らなかったらどうする。下手を打つと全員斬首かもしれない。そうならなくても、振り上げた拳を下ろすのは難儀だぞ」
「そのときは仕方がない。決起しよう。すぐに鎮圧されるかもしれないが、必死の抵抗を見せればなにかが変わるはずだ。周軍鶏が俺達を率いてくれればきっとやれる。俺達は戦える」
どこかで聞いたような言葉だと思ったが、周平にはいい迷惑だった。
「そうだな。大事なことでもあるし、干毒先生が戻ったら、またみんなで相談しよう」
「なに、悠長なこと言ってんだ。毒師はいつ戻るか分かったもんじゃない。あれからなんの音沙汰もない。毒師がいなくなって、毎日のように死ぬ者、倒れる者は後を絶たない。時間がないんだ。いや、ひょっとすると毒師はもう」
周平が男を睨んだ。はっとして男は口を噤んだが、周平は再び視線を落した。
「いや、その懸念は俺にもある。先生はすでに殺されているかもしれない。でも、俺の一存では無理なんだ。先生は俺に後を頼むと言った。俺としては、そんな大事を勝手に決める訳には、いかないな」
適当にごまかした。干毒の無事は以前、夜中に抜け出して確認済みだ。もっとも、あれからひと月は経っているので、また心配にはなっているが。それに再び軌道に乗り始めた開墾作業をまた頓挫させるようなこともしたくなかった。自分達の田畑を手に入れる。周平はそう心に決め、今は亡き二人と約束したのだから。だが、そんな周平の思いを知るはずもない彼らは易々とは退き下がらない。
「そんな頼りないことを言うアンタじゃないだろう。あの鉅野沢の戦いで、曹操軍の名だたる宿将と互角にやりあって、敵も味方も震え上がらせた周軍鶏が。聞くところによると、あの呂布とも大立ち回りをやらかしたそうじゃないか。アンタが起ってくれれば、こっちになびく青州兵は多いはずだ。頼む。周軍鶏」
皆が一斉に頭を下げた。が、周平の心は動かない。
「周軍鶏は死んだ。ここにいるのはその抜け殻、鶏肋だよ。周平子雲っていう、腰抜けだ。悪いことは言わない。待遇改善の訴えを起こすなんてよせ。どうせ謀議の段階で発覚して、全員逮捕されるのがオチだ」
「なんで発覚するって言い切れるんだ」
「俺が曹操軍に密告するからだ」
この言葉に皆が唖然とし、やがて失望した。
「見損なったぞ周軍鶏。いや、周平。アンタがそこまで腑抜けていたとは思わなかった」
彼らの挑発にも周平は俯いたまま、応えることはなかった。皆は諦め、一人、また一人と集会場を後にした。一人残った周平の元に、筑が現れた。
「連中も見る目がないなあ。この筑様を差し置いて、お前を大将に担ぐ話なんてよ」
「なんだ。お前もいたのか。やりたけりゃ、やれば?」
「冗談。みんなの意見の代弁者なんて柄じゃない。どうせ奴らが先走らないよう、宥めるのが俺の役回りなんだろ? 任せとけ」
「すまないな。俺もなんとか、皆の分まで作業を進めるから、そっちは頼む」
「おい。お前、今でも充分無理してるじゃないかよ。これ以上負担を増やしたら倒れるぞ」
筑の言葉は嬉しかったが、周平は皆を黙って従わせることのできない自分が不甲斐なかった。干毒ならば、あるいは彼らの不満を上手く解消させることができたのかもしれない。干毒は太平道の伝道者でもあったから。だが、周平は太平道を信じることができなかったし、干毒の真似事ができるほど器用でもなかった。屯田開発に希望を見出せることができれば、皆の心を一つにできるかもしれないとも思うが、終着点は遠く、見当もつかなかった。