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于吉仙歌  作者: 厠 達三
21/35

21話

 干毒と周平は連れ立って豫州にある許昌へ向かった。宿舎から片道五日の道程である。その間、旅の準備は筑達に任せ、二人は道を急いだ。許昌には予定通り到着したが雲行きが怪しく、今にも雨が降りだしそうな曇天である。干毒は日を改めればよかったかなと笑ったが、ひと月という期限があれば、悠長なことも言っていられなかった。

 許昌は急ごしらえの都とはいえ、さすがに天子のお膝元である。周平は初めて見る都市の賑わいに心奪われ、桃源郷に踏み込んだような錯覚さえ覚えた。城内の大路には大勢の人が行き交い、巨大な商店、市が軒を連ねる。周平はおのぼりさんのように、どこに行けばいいのか分からない。が、干毒は住所録を手に、勝手知ったるように驢馬を進め、劉備の住む邸に難なく辿り着いた。

だが応対に出た童子に劉備は不在だと告げられた。

 劉備は呂布に徐州を追われた後、曹操の元へ逃げ込んだ。曹操は劉備を快く迎え、戦でも一軍を任せた。袁術、呂布との戦いでも活躍している。曹操は劉備を頻繁に招き、一度呼ばれたらいつ戻るか分からないと言う。やはり日を改めるべきだったかと二人は天を仰いだ。空には益々黒雲が広がり、雨も落ち始めた。すると童子は言った。

「お客様。雨も降り始めたことですし、劉皇叔が戻られるかは分かりませんが、お邸で待たれてはいかがでしょう。劉皇叔は張飛様を伴ってお出かけになられましたが、関羽様はお邸にいらっしゃいますよ」

 二人に断る理由はなかった。

 応接室に通されると童子は関羽を呼びに行った。二人が席につくと雨は本降りになってきた。遠くで雷の音も聞こえる。

「なあ、先生。劉皇叔ってのはなんだい」

 周平は今しがた童子が口にした劉備の通称の意味を聞いた。

「劉備はなんでも、中山靖王、劉勝の末裔だそうだ。つまり、皇帝の遠縁に当たるということだな。劉備は天子に謁見した際、皇叔と名乗ることを許されたらしい。ま、嘘か真かは知らんがの」

 劉備が皇帝の縁者と聞いても周平はピンとこない。関羽、張飛ほどの武人が仕え、配下に死を恐れさせない理由はそんなものではあるまいと。やはり実際に劉備に会ってみなければその実像は掴めそうにない。そんなことを考えていると童子が関羽の到着を告げた。二人が振り向くとそこには身の丈八尺超の偉丈夫。胸まで伸ばした美髯。紛れもなく関羽であったが、周平には戦場で目にしたときより小さく見えた。が、やはり感慨深いものがある。

「それがしが関雲長にござる」

 関羽は深々と拱手した。干毒と周平も応じる。

「武人の誉れ高い関羽殿にお目にかかることができ、この干毒、感無量です」

「なんの。干毒殿の勇名も聞いておりますぞ。まあ、よからぬ評判もありますが、乱世の武名ならば毀誉褒貶相半ばするのは致し方ありませぬな」

 二人は暫し他愛もない挨拶を交わし、着席すると本題に入る。

「みどもが劉備殿を訪ねたのはひとえにその仁徳に縋りたい一心からであります」

「と、申されると」

「ご周知のとおりみどもは青州黄巾党を率い各地を転戦しておりました。その中で多くの悪事も働いたのも承知しております。しかし彼らはその日の糧を得るのに必死であり、罪は彼らを導いたみどもにあるのです。ここにおる周平などはみどもの息子のようなものですが、実に良い若者です。青州黄巾の民も、なんら他の民草と変らぬ者達です」

 干毒に息子と言われた周平はいきなりのことで驚いたが、嬉しかった。

「なるほど。分かり申した。して、御用向きというのは」

「劉備殿の仁徳は天下に鳴り響いております。そこで願わくば彼らを劉備殿に守っていただきたい。みどもは彼らを導く立場にありながら今般、ある事情により遠い異国に向かわねばならなくなり申した。みどもなどおらずとも彼らは立派にやっていけるとは思いますが、曹操殿の元、彼らがどのように扱われるか分かりません。劉備殿に守っていただければ、これほど心強いことはありませぬ」

 雨脚が強まってきた。遠雷が聞こえる。関羽は美髯を撫でつつしばし考えを巡らせ、

「事情は分かり申した。が、兄者は現在曹操殿の監視下におるようなもの。立場で言えば青州黄巾の民と大差ありませぬゆえ、ご期待には沿いかねると思うが」

「それでも良いのです。守ると言っても、実際に身を挺してまでとは申しませぬ。ただ、彼らの行く末を劉備殿に案じていただけさえすれば、その仁徳に彼らは守られることになるのです」

 干毒は平身低頭した。周平も合わせて頭を下げる。関羽は瞑目し、腕を組み沈思黙考。三人にしばしの沈黙。激しい雨の音だけが聞こえる。と、突然轟音と共に近いところに雷が落ちた。

「周平といったな」

 関羽が目を開き不意に声を掛けた。いきなり話を振られた周平が素っ頓狂な返事をする。

「良い名だ」

 ありがとうございますと応じたが、関羽の意図が読めない。

「益徳が、そなたを褒めておった」

 張飛が。自分を。なぜ。周平はなんのことやらさっぱり分からない。

「益徳を見て一目散に逃げた若者が、この関羽には勇敢にも討ちかかったとな」

 そう言って関羽は笑った。周平は記憶を辿る。確かに大興山で周平は張飛から逃げた。が、十五年は前の、周平が少年部隊だった頃の話だ。七、八年前、北海国で周平は関羽にも打ちかかったが、これも逃げたようなものだ。しかもその場に張飛はいなかったはずだから、二人の共通の話題で自分のことが出たのだろうか。こちらは劉備三兄弟を知っていても、向こうがただの雑兵に過ぎない自分を覚えてなどいないだろうと思っていた。戦場で見た、名もない兵士の顔を忘れない。それも武人の成せる業なのかと思った。すると関羽。

「干毒殿のお気持ち。良く分かり申した。兄者がどう判断するかは分からぬが、しかと伝え申そう。またこの関羽も、青州黄巾の民のこと、できうるかぎり心に留めておきましょう。もっとも、我らもいつこの許都を去ることになるやら分からぬ身の上、安請け合いはできませぬが」

「ありがとううございます。関羽殿の一諾を得られ、胸の支えが取れ申した。みどもも関羽殿の真心、必ずや青州黄巾党の民に伝えましょう。彼らは孫子の代まで感謝の気持ちを忘れないでしょう」

 話が一応の落着を見て、三人はしばし歓談した。そのうちに雨も上がり日が差し始めたので二人は戻ることにし、邸を後にした。周平はなぜ干毒が自分を同行させたのか分かった気がした。

「たいしたもんだ。お前は」

 干毒は笑いつつ言ったが、本当にたいしたものは干毒であろうと周平は思う。干毒は江東に向かうことになってもなお、青州黄巾の民の行く末を案じ、わざわざ劉備に会いに来たのだ。劉備の不在でそれは不発に終わったが、関羽の協力を取り付けただけでも大成果であろう。二人は帰路についた。それから程なくして劉備は張飛と共に戻ったので、全くのすれ違いであった。

 二人が戻った頃には期限が迫っていたが、旅立ちの準備はほぼ完了し、ささやかな壮行会が行われると共に干毒は名を、

 干吉。

 と、改めた。

 この名は太平道の信者ならよく知っている。黄巾党の首領、張角がまだ名もない修験者であった頃、神山に籠り修行中の張角に太平術要道書なるものを渡す者あり。その名は南華老仙。神仙術の伝道者である。その南華老仙から神仙術を授けられた張角はその力を民の救済に使おうと思い立ち、太平道を開いた。太平道の教義の冒頭にある伝説である。この南華老仙の名が干吉。

 勿論、ただの伝説なのでそんな人物の存在自体、怪しいものなのだが、姓が同じというだけで干毒が干吉の縁者と思いたがる者もいたし、干毒の使う医術や麻酔術こそ、太平術要道書に記された神仙術だと信じて疑わない者もいた。とはいえ、教祖の師匠にあたる人物の名である。周平は安直なと思う一方、信者の怒りを買いはすまいかと心配したが、逆に好感を持って迎え入れられ、数日後には江東に向けて出発の日と相成った。

「みんな、元気でな。さあ、行かん。太平道の新天地、江東へ」

 なぜか筑が音頭をとっていた。周平は同行する者の選定の際、妻子ある者は除外したのだが、彼の場合、妻子が多くなりすぎて正直居辛くなったのだと泣きつかれては同情せざるを得なかった。旅立つ一行を青州黄巾の民はいつまでも見送っていた。

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