表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
于吉仙歌  作者: 厠 達三
19/35

19話

 呂布と曹操が痛み分けた濮陽の戦いの翌年、曹操は突如進路を洛陽にとった。長安を脱出した天子の一行が洛陽に戻る、という情報が何者かからもたらされたのだ。荀彧の進言に従い、曹操は天子を保護し、本拠地、許昌に天子を奉戴。この年改元して建安となる。これはつまり、曹操が天子の後見人として権力を振るうと天下に向けて宣言したのである。これにより曹操は各地の群雄と敵対することになった。余談だが建安元年、青州を袁紹に奪われた孔融が曹操に召され、漢に仕えている。名目上は曹操と同じ漢の臣下だが、実質、曹操の家臣である。孔子の末裔である孔融が曹操のような成り上がり者の、しかも宦官の孫などに仕えてられるかと言わんばかりに、孔融はしきりに曹操を嘲弄しているという。また、青州黄巾党の間では、かつて孔融を追い詰めた自分達と、同じ釜の飯を食うのが我慢ならないのだろうとも囁かれた。

「干禁は陥陣校尉に出世したってよ」

 木の株を起こしながら筑が言った。周平は興味なさげに大したもんだと相槌を打つ。そのつれない態度に筑は拍子抜けした。濮陽での干禁の功績には周平も大いに寄与したのは筑も知っている。なのに周平には半農半兵に与えられる手当てとなんら変わらぬ論功である。その手当ても苦役に耐えかねている連中の呑み代に使う体たらくだ。

 曹操に降ってからの周平には覇気が感じられない。青州黄巾の民が監視の兵に虐待されても見て見ぬフリで、彼らの不満の解消は干毒に丸投げしている。筑はそんな周平を見たくはなかった。が、当の周平は我、関せずで作業に打ち込んでばかり。曹操の家臣となった干禁が日の出の勢いなだけに、尚更歯痒かった。

 翌建安二年、涼州の軍閥、韓遂、馬騰が曹操に帰順。すると南陽に割拠する董卓の残党、

 張繍。

 という男も曹操に降服を申し出た。きたるべき袁紹との決戦を前に、着実な地歩固めとなる、二つの勢力の降服である。これに気を良くしたのか、曹操は自ら張繍の本拠、宛城へ出向いた。周平ら、青州黄巾の民にはそれこそどうでもいいようなことだったが、これが彼らを巻き込む一大事へと発展する。

 曹操が宛城へ発ってから約ひと月、いつものように一日の作業を追え、青州黄巾の民が宿舎に戻ろうとすると、なにやら兵士達が物々しい。武装して進発する一団も見える。するとある憶測が飛び交いはじめる。宛城に出向いた曹操が張繍に寝首を掻かれ死んだというのだ。現時点では根も葉もない噂だが、時が経つにつれてその噂を裏付けるような話が次々と舞い込んできた。曹操軍は突如宛城から軍を退き、追撃に出た張繍軍と舞陰で交戦。そこでも曹操軍は統率を欠き、許昌に向けて退却するも執拗な追撃を振り切れず、救援に出た夏侯惇、淵の軍と合流を果たすも、

舞陰の小城に籠城し苦戦しているという。そんな噂が青州黄巾の民の間でもまことしやかに囁かれたが、周平は嫌なものを感じた。そもそもこんな飛語が飛び交うこと自体が不自然である。まるで何者かが自分達を追い立てようとしているようだ。が、そんなことを自分が言ったところでこの混乱を鎮めるのは不可能であろう。筑ら半農半兵の者は武装して待機を命じられたが、周平は干毒と共に事態を静観していた。すると、甲冑に身を包んだ筑が血相を変えて二人の元に駆けつけた。

「大変だ。青州兵の奴らが踏み込んできた。あいつら、各作業場を回って暴動起こしてやがる。俺達にも暴動に参加しろみたいなこと言って、それに乗っかる連中が続出してる」

 筑の報告を聞き、周平も外に出た。するとあちこちで火の手が上がり、破壊活動を行う集団が見えた。紛れもなく青州兵である。その中には見知った青州黄巾の民の姿もあった。こと、ここに至り周平はしまったと思った。曹操に降った青州黄巾党は解体され、曹操軍に組み込まれた。その間、彼らは曹操軍から差別的な扱いを受け、恨みを募らせ、また、鉅野沢で青州黄巾党に煮え湯を飲まされた曹操軍にも遺恨は残り続けた。両者の軋轢は放置されたまま、曹操は徐州で青州兵に虐殺を行わせた。その狙いは彼らを血に酔わせ、恐怖で呪縛することにあったのではなかったか。その目論見は成功し、呂布との戦いでも青州兵は大いに戦果を上げた。が、それは砂上の楼閣であった。彼らは曹操軍として戦いながらも、曹操に対する恨みは消化できていなかった。その曹操が宛城で変事に見舞われれば、死を期待するのは当然ではないか。曹操さえ死ねば彼らの恐怖のタガは外れ、暴走するのは無理からぬことだ。周平は今までの無関心を悔いた。

「やはりこうなってしまったか。周平、すまぬが皆を止めてくれ。無駄かもしれぬが、このまま彼らを放置しておくこともできん」

 振り向くとそこには干毒がいた。その姿に周平は愕然とした。干毒はこれほど年老いていただろうかと。元々老けている方ではあったが、髪も髭も真っ白になり、顔には皺が刻まれ、腰も少し曲がっている。周平は長いこと自分のことにかかりきりで、干毒とまともに語らうことも、見ることもなかった。毎日顔を会わせていると気付かなかったが、ここ十年の間に、干毒は確実に年老いていた。皆を止めたくても、もう無理なのだ。

「分かった。先生。俺がなんとかする」

 周平が干毒の手を取り、言ったが、筑が口を挟む。

「なんとかするってどうするよ。連中、完全にのぼせ上がっちまって、止まりそうもないぞ」

 が、周平は筑が言い終わる前に駆け出していた。騒ぎの起こっている場所に駆けつけるとそこではすでに暴徒と化した青州兵が破壊、略奪に及んでいた。周平は我が目を疑った。彼らは同胞であるはずの青州黄巾の民をなぶりものにし、宿舎も、圃場も破壊している。燃え上がる彼らの住居を見て歓声をあげる姿は正気の沙汰ではない。さらに辺りを見回すと、子供を抱いた女達が下半身を丸出しにした男達に追われている。周平は戦慄した。彼らは徐州でこんな狂気を植え付けられたのかと。いや、それ以上にかつて自分も少年の頃、同じように狂気を植え付けられ、彼らと五十歩百歩なのではないのかと。

 男達が女を地面に押し倒す。と、蹴りと鉄拳が飛んできて数人の男達が吹っ飛ばされた。

「貴様ら、なにをやっておるか」

 鬼の形相の周平が一喝すると年若い青州兵は悲鳴を上げて逃げ出したが、相変わらず暴動は続いている。

「お前ら、自分がなにをやっているのか分かっているのか。やめろ。やめるんだ」

 周平が彼らの前に出て叫んだが、武装した一団が周平にも襲い掛かってきた。やむなく周平は近くに転がっていた角材を手にして応戦。たちまち全員を叩き伏せたが焼け石に水である。

 すると不意に声を掛けられた。

「周平さんじゃないか」

 見るとそこにいたのはかつての周平の部下達であった。彼らは青州兵に属していたが、やはり仲間の暴動を見過ごすことができず、周平と同じように止めようとしたものの、埒が明かないのだという。青州兵を統率する曹操軍が不在では彼らは獣の集団だった。黄巾党の頃の指揮系統はすでになく、解体され、再編成されているため、暴発すると抑えることなどできようはずもない。それでも彼らは必死に青州兵の前に出て彼らを止めようとしたが、数人が声を上げたところで聞く訳がない。するととうとう、周平の恐れていた事態が起こった。この暴動を鎮圧すべく曹操軍の一団が出てきたのだ。あろうことか、その部隊を指揮していたのは干禁だった。

「待て。お前ら一体なにをするつもりだ。なんで出てきた」

 周平が干禁の前に立ち塞がり問い詰めたが、愚問だと自分でも思った。

「知れたこと。奴らを鎮圧する。どけ」

「待ってくれ。連中は頭に血が昇ってるだけなんだ。俺に奴らを説得させてくれ」

「そんな悠長なことやってられるか。邪魔立てするならお前も殺すぞ。者共、かかれ」

 干禁が問答無用で鎮圧の指示を出すと、部隊が暴徒に攻めかかった。青州兵もこれに応戦したが、烏合の衆はなす術もなく干禁の部隊によって鎮圧されていった。その中で周平は一人叫んだ。が、その声に耳を傾ける者などいるはずもなく、抵抗する青州兵は容赦なく討ち取られ、夜が明ける頃には暴動はほぼ鎮圧された。

「ここはあらかた片付いたな。次の区画に向かう」

 干禁は指示を出し、まだ別の場所で起こっている騒ぎを収めるため移動を開始。やがて夜も明け、辺りが明るくなってくるとその惨状はさらに露になった。住居の殆どは破壊され、苦労して開墾した圃場も荒れ果てていた。辺りには死傷者と呻き声が溢れ、子供達の泣き声も聞こえる。周平はその場に膝をついた。再建と復旧には、どれほどの時がかかるか、どこから手を付ければいいのか、見当も付かない。周平が頭を抱えていると後ろから筑の声がした。

「周平。こいつはアンタのせいじゃない。あまり気に病むな」

「いや、俺のせいなんだ。俺はあいつらの恨みの深さを知りながら、気付かないフリをしていた。先生に全て押し付けていたんだ。俺はあいつらと同じだ」

「馬鹿言うなよ。アンタと奴らは全然違うじゃねえかよ」

 周平は大きく息を吐いた。

「覚えてるか、筑。俺達が旗揚げして間もない頃、攻め落とした城で行われた裁判を。その後県令達が処刑されて、お前は朔と一緒に吐いていた」

「そんなこと、あったかなあ。よく覚えてねえや」

「お前、あれを覚えてないのか」

 周平は驚いて筑を見たが、嘘を言っている風はない。

「俺さあ、中山国以前のことって、よく覚えてねんだ。黄巾旗揚げの前のことは覚えてるんだけどなあ」

 筑が言うのは辛い体験に蓋をする記憶障害である。が、二人はそんなことは知らない。

「そうか。俺ははっきり覚えてる。死刑執行の名のもとに、女、子供まで殺されてた。俺はそれを見て笑ってたんだ。肚の底から愉快だったのを、今でも覚えているんだ。俺は奴らと大差ない。違うのは黄巾か、曹操軍か、それだけだ」

 周平は再び頭を抱えた。その姿はまるで許しを請う罪人のようだった。

「やはり止められなかったか。まあ、暴動は鎮圧されたようだし、これで良かったのかもしれん」

 二人が振り向くと干毒がいた。杖をつき、歩くのもままならない様子だった。

「先生。ご免。俺、なにもできなかったよ。しかもあいつらを鎮圧したのは」

 干禁の名を出そうとしたが、そこで喉がつかえ言葉が詰まった。

「みなまで言わずともよい。この様子では儂が出たところで結果は同じであっただろう。過ぎたことを悔いても仕方がない。できることから始めようではないか」

 干毒はそう言うなり、五体満足な者に指示を出し、てきぱきと惨状の処理にかかった。まずは怪我人の収容。死んだ者の亡骸を集めると共に身元を確認。そんなことをしていると曹操軍が現れ、事情聴取をしようとしたが、干毒が怪我人の救出と死者の弔いが先だと譲らなかったため、そちらが優先された。そんなことが三日も続くと、曹操が許昌に戻ったと報告が入った。

 宛城で張繍に急襲され、曹操自身、危うかったのは事実らしい。さらに息子の曹昂、甥の曹安民、大力の武人、典韋もその奇襲で落命したという。救援に向かった夏侯惇、淵も命からがら逃げ帰るという有様であった。その話を聞いた周平は、あの曹操がそんな間抜けな失態を演じるだろうかと、俄かには信じられなかったが、この奇襲を画策したのは張繍の軍師、

 賈詡。

 という、神算鬼謀の男だった。この賈詡の二重、三重の罠に掛かり、生き延びた曹操こそ異常なのだが、それはまた別の話である。

 一方、舞陰に布陣し、青州兵の暴動を聞くやそれをよく鎮圧し、曹操の退路を確保した干禁には一時謀反のデマが流れた。デマの出所は不明だったが、干禁は詮議の場に引き出された。が、調べが進むに従い、すぐに事実が分かり干禁の潔白はすぐに証明された。その際、曹操自ら干禁に独断で軍を動かした理由を問うた。

「主君の生死が分からぬ状況下にありましては、武官たる者、命令なくとも軍規、軍令に則り、戦においては兵は君命の外にあり、然るに後背にて起きたる青州兵の暴動は我が軍の命運も左右しかねぬものだったため、まずは目の前の障害を除き、張繍軍に当たるべしと判断したのです」

 この干禁の答えに曹操は大いに喜んだ。実はデマを聞いたとき、曹操も干禁を疑った。何故干禁は弁明に来ないのか。干禁も青州兵鎮圧のさ中、このデマを聞き弁明に来いと命令を受けたが、干禁はそれを後回しにし、暴動鎮圧と張繍軍への防備を優先させた。結果的に曹操は命拾いしたのだ。曹操は過酷な状況下にあっても乱れることなく、よく混乱を鎮めた干禁を古の名将も及ばぬと褒めちぎり、益寿亭侯に封じた。

 論功がある一方、当然処分もある。今回、暴動を起こした青州兵は勿論、それを看過したとして干毒も拘束されることになった。周平をはじめとする青州黄巾の民は憤ったが、干毒は素直に従い連行された。

「曹操の信賞必罰は的確だな」

 干毒は笑いながらそう言い残し、周平に後を託して軟禁されることとなった。時に建安二年、春のことであった。ちなみにこの年の冬、曹操は呂布に徐州を追われた劉備と連合。下邳に呂布を水攻めで破り、飛将軍と呼ばれた呂布も乱世から姿を消している。一方、干毒が軟禁されてから周平は夜中に抜け出し安否を確かめに行ったりもした。それから一年余の時が過ぎ、紆余曲折はありながらも、屯田事業は一応の完成を見た。そして周平が干毒と面接して数日、筑が叫びながら走ってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ