16話
干禁が教えてくれたとおり、ひと月もすると干毒の拘束が解かれ、面会も許されるとの沙汰があり、早速周平は皆を代表して面会に行くこととなった。以前、夜中に忍んで様子を見に行ってから一年半が経過していた。道中、周平は逸る心を抑えていたが、自然、歩みは速くなった。
干毒の身柄が移されたという施設に到着すると、なんのことはない、以前忍び込んだ大きな邸であった。門を潜り中に入るといくつかの煩雑な手続きを済ませ、面会室で干毒を待つ。すると数人の衛兵に連れられ、干毒が現れた。
「よう」
干毒は気さくに周平に声を掛けると席に就いた。長いこと会っていなかったが、紛れもなく干毒であり、若干痩せたようにも見えるが、以前と同じ干毒だった。
「久しぶりだなあ。先生。こんなに離れていたこともなかったもんな。元気だったかい」
「大袈裟だな。元気でなかったら会えもせんわい。とはいえ、やることのない生活には根を上げちまいそうだがな。そんな訳で、儂から話すことはなにもないんだ。すまんが、お前達の話を聞かせてくれ」
干毒に促されて周平は干毒が収容されてからのことを話した。屯田事業が一応の完成を見たこと、周平が皆に干毒の弟子として認められつつあること、つい最近、干禁が訪ねてきたことなどの話を。
干毒は満足げに髭を撫でながら周平の話に聞き入っているようだった。気が付くと周平一人が喋っていることに気付いた。自分は干毒に対してこれほど饒舌だったろうかと、自分でも意外だった。
ひとしきり周平が近況を伝えると、以前からの考えを打ち明けることにした。
「なあ、先生。実は折り入って頼みがあるんだ」
「珍しい。なんだ? 随分神妙ではないか」
「俺に、医術、教えてくれないかな。以前ほどじゃないにしても、やっぱり怪我人、病人は大勢出る。先生がいれば助かる命もあったと思う。俺が不甲斐ないせいで、屯田事業の完成を見ずに死んだ、浮かばれない者も沢山いる。だからさ、今すぐには無理でも、一人でも助けることができればって思うんだ。今度は真面目にやるよ。俺に医術を教えて欲しいんだ」
だが、干毒は苦笑しつつ首を振った。
「その気持ちは嬉しいが、やめてくれ。お前が医術なんか使ったら、助かる者も助からなくなっちまう。人には得手、不得手がある。周平には周平のできること、周平にしかできないことがある。無理して儂の真似事など、しなくてよい」
干毒は穏やかに、しかしきっぱりと周平の申し出を断った。ある程度予想していた答えではあったが、面と向かって言われると、やはり少々バツが悪い。二人の会話が急に途絶え、しばし気まずい空気が流れた。すると、面会の終わりを告げる兵士が入室した。
「すまんが、面会はもう終わりだ。来て早々悪いが、もう引き取ってくれ。次の面会時間は長くとってやるから。干毒先生、アンタにお客人だ」
そう言われて周平はそそくさと席を立った。
「そうだな。俺もあまり長居はできないし、今日はもう帰るよ。じゃあ、先生、また来るよ」
「おう。いつでも来てくれ」
周平は邸を後にし、帰路に着いた。干毒の息災の確認と近況報告ができれば充分だった。が、周平にはどうにも違和感が拭えなかった。確かに以前と変わらぬ干毒だった。しかしなぜか、干毒が遠くに感じられた。目の前にいるのに手が届かない、そんな感覚を。自分の直感をあまりアテにしない周平は、長く会えなかった干毒との再会で、そのように感じるのだろうと自分を納得させた。そして兵士が言っていた干毒への客人というのも気になった。青州黄巾党以外の者で干毒に会いに来る者など、曹操軍の者に違いないのだ。初め干禁かと思ったが、干禁は袁紹への警戒のために北へ向かうと言った。のんびり干毒と面会できる身分ではないはずだ。何者かは知らないが、また干毒を乱世が呑み込もうとしているのではないかと不安に駆られた。
干毒は兵士に案内され、邸の中央、議事堂に通された。
「それにしても、あれほどの御仁がわざわざ訪ねて来るとはな。先生、アンタ一体なにをやらかしたんだ? まあ、ご機嫌を損なわないようにするんだな。覚えめでたければ恩赦もあるかもしれんぞ」
兵士は小声で言った。干毒が入室すると、数人の兵士に護られた一人の男が部屋の最奥に腰掛けている。年の頃は周平と同じくらいであろうか。文官らしき衣冠に身を包み、かなり高い身分の者と分かる。手にした巨大な扇をだらしなく煽いでいた。




