11話
連日降り続いた雨は止む気配がないままに台風の到来となった。最初のうちこそ雨のお陰で休めると言っていた青州黄巾の民も川が氾濫し、開墾した区画に水が流れ込み始めるとそうも言っていられなくなった。豪雨と強風の中、彼らは周平の指揮の下、田圃を守るため出動した。が、流れ込む水の量が時間の経過と共に増してきて、とても防ぎきれるものではなかった。
「土を盛れ。根元には材木を組み上げて補強するんだ。グズグズするな」
「周平さん。水の勢いが強くなる一方だ。いくら堰き止めてもキリがない」
「掘削隊が水路を繋げるまでの辛抱だ。なんとしても圃場を守れ」
周平が作業に当たれる者を総動員し、水害から圃場を守るべく奮闘するが自然が相手では勝手が違った。すでに強風に煽られ幾人もの男手が負傷している。そもそも屈強な男手の殆どは青州兵として曹操軍に組み込まれ、屯田開発に携わる青州黄巾党は女、年寄り、子供が主な働き手で、周平や筑のような働き盛りの方が稀なのである。彼らに無理強いもできない周平はもどかしかった。すると堤防の調査に向かわせていた筑が仲間と共に戻ってきた。
「周平、分かったぜ。思ったとおり、堤防の根元から水が湧いてる箇所を見つけた。あのまま放置してたら決壊しちまうぞ」
「よし。俺も行く。力仕事のできる者を何人か集めてくれ」
周平が筑を伴い現場に駆けつけると、そこには濁流に耐えかね、堤のあちこちから水が吹き、今にも決壊しそうな堤防の姿があった。
「なんてこった。さっき見たときより全然酷い。おい周平。こいつはもうお手上げだ。下手を打つと圃場を守るより、作業に当たらせてる連中が濁流に呑まれちまうぞ。もう諦めて、皆を避難させた方がいい」
筑の言うことはもっともである。が、周平にはその判断はできそうになかった。
「筑。お前は女、子供、年寄りを集めて近くの高台に避難。そのついででいい。俺とここでの作業に付き合う命知らずを募ってくれ。強制する必要はない」
「そんな。アンタ、一体なにするつもりだ」
「灌漑用に作っておいた土嚢が作業現場にある。そいつを積んでここを塞ぐ」
「無茶言うな。現場からここまでどれだけかかると思ってる。車を押しても運べる土嚢は五、六袋がせいぜいだ。いや、この足場じゃそれも無理かもしれない。やってる間に生き埋めになるのがオチだぜ」
「だから、強制はしないし、できない。俺一人でも、やる」
「なんで、なんで命令しないんだよ。アンタが命令すれば、素直に従う奴なんていくらでも」
「昔言ったろ。各人の意見を尊重するのが周平隊の美徳だって。もっとも、あの頃からの生き残りなんて、俺とお前だけになっちまったけどな」
筑とその場にいた者達は呆然と立ち尽くした。皆、雨でずぶ濡れになっていたが、筑は泣いているようにも見えた。
「時間がないんだ。行け」
周平が筑を促すと、一人の青年が前に出た。
「周平さん、俺もやるよ」
すると、その場にいた全員が俺も俺もと名乗り出て、結局連れてきた者全員が作業を行うことになった。筑は民を非難させるために、周平は作業にかかるため、別々に走り出した。
周平は作業に当たった者達と共に土嚢を運ぶ。が、筑の言ったとおり、作業は困難を極めた。また、十数人の人手ではできることも高が知れており、決壊は最早時間の問題と思われた。周平が協力を申し出てくれた者達を非難させようと思ったときだった。青州黄巾の民が大挙して駆けつけた。
「よおし。総員、作業開始だ。周平の指示に従って動くんだ。なんとしても、ここを死守するぞ」
見れば筑が皆を率いて作業に取り掛かろうとしている。思わず周平が駆け寄った。
「筑。なにやってんだ。高台に非難させろと言ったはずだ。手伝ってくれるのは志願してくれた者だけでいい」
「ああ、言ったよ。ところがよ、声を掛けた奴全員、アンタを手伝うって聞かないんだよ。俺は止めたんだけどなあ」
筑は涼しい顔で言った。
「お前なあ。頼むのは男手だけでいいんだよ。何も女、子供にまで声を掛ける事ないだろう」
二人が言い合っている間に、皆は大量の土嚢をすでに積み上げ始めていた。
「周平さん、なにやってんだ。ここを守るんだろ。陣頭指揮を執ってくれよ」
「水臭いじゃないか。周平さん。もっとアタシらを頼っておくれよ」
皆が周平を促した。その表情は一様に明るかった。筑が言った。
「皆の意見を尊重するんだろ。こいつら全員、アンタのこと、慕ってるんだぜ。皆、自分の意思でここに来たんだ。その気持ちを分かってくれよ」
周平はしばし茫然としていたが、皆、作業を進めつつ周平の声を待っているようだった。
「よし、作業を続行。ただし、女子供は現場に戻り土嚢作りと補充に当たれ。年寄りは運搬。ここは俺達、力のある者が積み上げ作業を行う」
周平の指示の元、各作業に当たる編成がなされ、夜を徹しての作業が始まった。すでに雨脚は弱まり、強風も止みつつあったが、水の勢いは当分収まりそうもない。が、皆の決死の作業が実を結び、堤防にも引けを取らぬ見事な土嚢の堤が出来上がると、吹き出す水も収束を始めた。かつて鉅野沢で籠城する鮑信を攻めた経験が活きた。空が白み始めると堤防の上で監視の任に当たっていた者が手を振った。
「喜べ。水が引き始めたみたいだぞ。この勝負、俺達の大勝利だ」
筑が勝鬨を上げると、皆が歓声を上げた。抱き合って喜ぶ者、感極まって泣き出す者、周平はその様子を眺めていたが、突如、皆が周平を捕まえ、胴上げを始めた。
「おい、よせ。みんな、大袈裟だぞ。おおい、筑、助けてくれよ」
だが、周平の叫びも虚しく、筑も胴上げに加わり、皆が笑いあった。青州黄巾党の民が、ひとつになったひとときだった。




