1話
照りつける太陽の下、荒れ果てた大地に鍬を打ち込むと額から飛んだ汗の粒が地面に落ち、渇いた。耕せど耕せど、目の前に広がる荒野が田畑になるなど想像できない。この大地を豊かな土地に蘇らせるまで、一体どれほどの時と汗が必要なのか、考えただけで周平は気が遠くなった。
五十頃耕せば一割が自分達のものになる。
そんな夢のような屯田政策も空手形にならぬという保証はない。しかし彼らはその約束を信じた。いや、信じる他なかったのだ。この後漢末期の中国で、彼らに安住の地は他になく、ここで苦役に耐えさえすれば彼らの信仰も認められていたのだから。尤も、周平には信仰心の欠片もなかったのだけれど。
(結局、信じるか信じないかは、それが損か得かだけのことかもしれないな)
周平はそう、心の中で呟いた。自分にもかつては信じる未来があった。将来には希望があると信じていた。だが、それは儚く、残酷な幻想であった。にもかかわらず、未だ自分達は目の前の約束を信じて、毎日苦役に耐えている。信じるものがなければ、人は生きてゆけない生き物なのかもしれない。
「なあ、周平。先生が牢に入れられてもう、ひと月になるぜ。何の音沙汰もないのか」
後ろからそう声を掛けたのは親友の筑だった。
「ある訳ないだろ。あればとっくに報告してる」
「なんだよ、薄情な奴だな。先生の弟子だろ。牢に入れられて病気でもしちゃいないかって、心配になんないのかよ」
「先生は頑健だ。今まで、どれだけの人を治して、俺達を率いて戦ったと思ってるんだ。俺や筑に心配されるほどヤワじゃない」
「それだよ。あれだけの戦をやらかして、あれだけの怪我人、病人を治してた先生がだ、いきなり牢なんかに入れられたら、ガクッとしちまうんじゃないかってな」
筑の言い分も分かる。強がりを言っても、誰よりも心配しているのは周平なのだ。言われると益々不安は頭をもたげてくる。折りしもこれ以上なんの報告もなければ、敷地を抜け出し、様子を見に行こうと思っていた矢先だった。二人はそれ以上なにを話すでもなく、監視する兵の目を気にしつつ、作業に打ち込んだ。
やがて日も傾き始め、今日も長く苦しい一日が終わった。夕方の点呼も終え、皆は三々五々、宿舎に重い足を引き摺りながら戻っていく。だが周平は一人、監視の目を盗み封鎖された敷地から抜け出した。筑に言われて不安が募った訳ではない。以前から計画していたことだ。この日の晩は監視の兵の交代があるので、いつもより警備が薄いことは分かっていた。
目指す収容施設に向けて周平は駆けた。少年の頃から幾多の戦場を駆けていた周平である。夜のマラソンなど、昼間の農作業に比べれば楽なものだった。
干毒。
それが牢に入れられた周平の師の名だ。周平が初めて干毒と会ったのはおよそ二十年は前であっただろうか。兎に角、あの黄巾の乱が起こる三、四年は前であったから、光和四年の頃であったはずだ。周平は十になるかならないかといった齢だった。
その頃の漢は無政府状態であった。民は毎年の重税と凶作に喘ぎ、職も住む場所もない流民が各地に溢れ、周平と母も、その中のありふれた親子に過ぎなかった。父は物心ついた頃からいなかったが、周平はまだ恵まれていた。二親のない者も多かったから。毎日腹を空かせ、その日の暮らしもままならなかったが、優しい母と一緒に寝るのが周平は好きだった。母の笑顔があれば苦しい日々も耐えられた。親子二人、希望も持てないような時代を、慎ましく生きていた。だが、その母が病を得た。見る間に体は痩せ細り、苦痛に襲われながらも、我が子を心配させまいと、必死に耐える母を見るのはいたたまれなかった。母の体内にできたしこりは日に日に大きくなってゆく。それが母の体を、命を、心を蝕んでいった。幼いお前を一人残して、先立つ母を許しておくれ。もう、私は死んで楽になりたいんだよ。そんな弱音を吐くようになった。
「お母ちゃん、そんなこと言わないでおくれよ。きっとおいらがなんとかするから。おいらが助けて見せるから」
周平は泣きながら母を助けるために走り回った。だが、どの大人も母の病は治らないものだと言う。だが周平は信じなかった。なにか助ける方法がある筈だと信じて疑わなかった。そんなときに聞いたのだ。各地で数多の病人を治し、寄る辺ない者に救いの手を差し伸べる奇跡の教団。
太平道。
の、ことを。周平は最後の希望を託した。太平道の教祖、張角には治せぬ病はないという。また、不思議な力で人々を苦しみから解放するとも聞いた。この太平道ならば母を救ってくれるに違いないと。だが、そのためには太平道に入信しなければならない。入信するにはいくらかのお布施を包まねばならず、それは幼い周平にはとても用意できるものではなかったが、周平はその無理を通した。お布施の米を集めるために、盗み、物乞い、墓荒らし。思いつくことは全てやった。そして入信に必要なお布施をついに周平は集め、母の手を引き、欣喜雀躍で太平道の施設に入った。そこにはやはり、救済を求める民が列をなしていた。
周平達のいた地域に派遣されていた導師は名を干毒といった。齢はまだ若く、自立を少し過ぎた程度だったが、実年齢より老けて見え、柔らかな物腰でありながら体つきは小柄ながら逞しく、どこか神秘的な雰囲気を纏った男だった。その干毒の治療の腕前は確かだと地域でも評判で、近隣の集落から入信を希望する者が続々と訪れていたのだ。
そしてついに母が診て貰う順番が来た。周平は鼻高々だった。だが、干毒の言葉は周平を奈落の底に叩き込んだ。
「残念ですが、この病は治しようがありません。申し訳ない。しかし、貴方方はお布施を出して、我が教団に入信して下さいました。病を治すことはできませんが、痛みを取り除くことは可能です。貴方方が望むなら、その治療を施し、痛みを消して差し上げましょう」
周平は茫然とした。やはり治らないのか。結局母は死んでしまうのか。太平道に入信すればなんとかなる。そんな噂を耳にして、やっとそれが叶ったというのに、全て無駄だったなどと信じられない。いや、信じたくなかった。周平は取り乱し、暴れた。
「嘘つき。インチキ。なにが太平道だ。お布施を返せ。米を返せ。張角を出せ。張角なら治せる筈だ。お前なんかお呼びじゃない」
周平は泣き喚きながら施設の中を壊しながら走り回った。やれやれ、またかと周囲の男達が押さえにかかる。よくあることだったのだろう。だがその後の事態が、よくあることではなかった。周平は辺りを鶏のように駆け回り、大人達に捕まらない。やっと掴んだと思っても、噛み付いたり、蹴りを入れたりして触らせない。同じ信者の、しかも子供に手荒な真似はできぬと、大人達は手を焼いた。周平は益々騒いで手が付けられない。と、一人の少年が周平の前に躍り出た。
これも蹴散らすべく飛びかかった周平だったが、腹に強烈な正拳を食らい、その場に悶絶した。
「いい加減にしろ! 本来なら入信したばかりの者に、痛散の術を施すこともないんだぞ。それを干毒先生は、無駄と知りつつ治療するって言ってるんだ。それが分からないのか」
少年に一喝されても、言ってる意味がよく分からない。周平は現実を受け入れることができず、大声で泣いた。すると少年は慰めるように言った。
「後ろを見ろ。お前のお袋さんを」
周平が振り返ると、そこには笑みを浮かべた母が立っていた。
「周平。私は嬉しいんだよ。この痛みや苦しみが消えるだけで。それで充分。周平のお陰だよ。ありがとう」
母はそう言って周平を抱きしめた。こうして、二人の最期の時間が始まった。
太平道での信者としての生活は豊かとは言えないまでも、流民の頃よりずっと良かった。周平親子には特例として労働も祭礼も免除された。住む場所も食べ物も与えられ、一日数度の祈りを捧げるだけでよかった。尤も、そんな特別待遇が許された理由は周平にこそあったのだが、そんなことを二人は知る由もない。兎に角、周平は母に笑顔が戻ったのが嬉しかった。二人は毎日のように話した。明日の天気はと他愛もないことから、母の子供の頃の話、母の母の話、周平の父のことなども話してくれた。周平の父は若くして死んだが、祖先は戦で功も挙げた武人だったとも言った。あるいは息子を元気付けるために脚色していたのかもしれないが、周平は母の話に聞き入り、それは楽しい時間だった。二人はいつまでも話し続け、母は生き生きとしていた。もしかすると病は治ったのではないかとさえ思えた。やはり苦労しても、太平道に入信して良かったと周平は思った。この幸せな時間が、いつまでも続くと思った。
ほどなくして母は死んだ。母の葬儀はつつがなく行われ、その遺体は手厚く葬られた。やはり病は治せなかったのだ。しかし干毒は言ったとおり、やれるだけのことをやってくれた。そう、思えるようになっていた。母との最期のひととき、干毒は二人をよく気遣ってくれた。信者は教団のための労働も義務付けられていたが、それも免除してくれた。二人の生活の面倒をなにかと見てくれたのは、干毒の指示を受けた、あの少年だった。干毒は一人になった周平の肩に手を置き、言った。
「ここで、私の弟子にならないか?」
周平に断る理由はなかった。
太平道の医術は、概ね次のようなものが有名である。
まず病人から症状を聞き取り診断。それに応じて符水という薬を処方すると共に、患者の悩み、過去にはたらいた罪を自白させる。それを懺悔させ、新たな生を受けたと暗示にかける。当時としては一般的やり方ではあるが、太平道のそれは効果が高いと評判だった。評判が高いほど暗示にかけやすく、演出の仕方も巧みだったのだ。患者の中にサクラを仕込み、大袈裟に宣伝することさえあった。実際にそれで病が治った、治ったと思い込む者も大勢いた。なにより当時において、医療にかかれるのは上流階級に限られており、太平道に入信すれば衣食住の現世利益にもあずかれる。その構造は信者の布施と労働から賄われる、現代のネズミ講のようなものなのだが、無政府状態の漢王朝よりも、民衆にとっては太平道という悪貨の方が遥かにマシだった。
そして太平道に入信した子供達には訓練を義務付けられていた。山の中に築かれた施設で、武術、体術、集団戦闘の基礎を叩き込まれた。訓練はそれなりに厳しく、負傷する者、逃げ出す者も多くいた。だが、周平にはその水が合った。訓練に加わった周平には早速、新入りへの洗礼が待ち構えていたが、すぐに実力でねじ伏せた。周平はこの訓練に、なにか自分の将来を懸けられるものがあるような気がした。だが、ここには周平がどうしても適わぬ同輩もいた。干毒の元にいた、あの正拳突きの少年である。名を、
干禁 文則。
といった。干毒の弟子であり、族氏でもあるという。両親はすでに他界し、干毒が親代わりらしかった。干禁はまさに文武両道の麒麟児だった。訓練の組み手では負け知らず。周りの少年達も干禁に一目置き、長幼を問わず信望を集めた。周平も干禁には対抗心を燃やしたものだが、同じ干毒の弟子として尊敬もしていた。干毒の弟子である二人は干毒の手伝いもこなさなければならず、他の少年達より早く訓練を切り上げることができた。それを羨む者は多かったが、周平には頭の痛い問題だった。干毒の診療所の掃除や片付けはいいとして、薬や医療器具の選別、整理などが周平には全く向かなかったのだ。干禁に教えて貰っても難しい字が書かれてある、似たような薬の見分けなど周平にはつかないし、努めて覚える気にもならなかった。薬とはいっても、中には麻や芥子という、毒のような物まであるというのだから間違いは許されない。周平が頭を抱えていると干毒は無理にやらせようともしなかったが、周平はそれが不甲斐なかった。干禁は薬の分別から調合までこなし、干毒の助手として信者の治療まで手伝っている。周平が逆立ちしても干禁に適わぬ分野であった。
太平道の指導者にはいくつかの階級があり、数千から万の信者を束ねる者は「方」と呼ばれ、五、六万ともなれば「大方」と呼ばれた。更にその下に渠帥、大帥などの、千人から百人規模の信者を統率する指導者がピラミッド構造で組織されていた。そしてその頂点に教祖、張角は、
「大賢良師」
の名で、崇められていた。干毒は中帥という位で、五百人規模の信者を束ねていた。だが周平はそんなことに興味はなく、軍事訓練と干毒、干禁との生活があればそれでよかった。やがて一年も経つ頃には周平と干禁は少年部隊の隊長級となり、首席を争うようになった。
満月であった。丘の上に立つ周平の眼下に、干毒が収容されている施設がある。牢とはいっても、地下に何層もある、鉄格子が嵌められた獄のようなものではない。周平達の生活する宿舎とさほど変わらぬ施設である。軽い刃傷や喧嘩に及んだ者を一時的に収容するのが主な目的なので、周平達の宿舎からそう遠くなく、警備も甘い。干毒がここに収容されたと聞いたときは心底、安堵したものだが、ひと月もすれば大抵の者は出所するのである。喧嘩で入れられた者と干毒は同列にできないが、ここまで長引くともしや、という不安が頭をもたげてくる。周平は中腰になって施設に忍び込んだ。発覚しても殺されはしないだろうが、面倒なのは間違いない。巡回する兵士の目を盗み、難なく施設に潜入したものの、さて、干毒はどこにいるのやらと周平は考え込んだ。そこで、手当たり次第に収容されている者達に外から声を掛けていった。牢に入れられているのは殆どが太平道の信者なのだ。中には知り合いもいる。彼らは周平が来たことを知ると快く協力してくれ、干毒の居場所は思いのほか簡単に分かった。干毒が収容されていると思しき施設は牢というより邸だった。周平達のいる宿舎よりも待遇は良さそうである。建物のぐるりを調べ、構造上、人が閉じ込められていそうな場所に当たりをつけ、意を決して外から声を掛けてみた。
「先生。干毒先生」
暫くすると中から押し殺した声で返事があった。
「周平か?」
紛れもなく干毒の声。周平は思わずガッツポーズをとる。
「一体何事だ。まさか、また暴動でも起きたのか?」
「そんなんじゃないよ。先生が心配で様子を見に来たんじゃないか」
「まったく。あまり驚かせてくれるな。かえって心臓が止まりそうになったぞ」
冗談が出るところを見ると元気そうである。干毒の姿は見えなかったが、声を聞けただけで周平は安心した。
「ご免ご免。筑の奴が随分心配しててさ。俺は大丈夫だって言ったんだけど」
「そうか。なら、筑に伝えておいてくれ。儂はもう長くない。毎日、暇で暇で明日にでも死んじまいそうだってな」
「そうなのか。じゃあ、毎晩話し相手に来ようか?」
「遠慮しておく。見つかったらただじゃ済まんぞ。早く帰れ」
「分かった。じゃあな、先生。また来るよ」
「もう来るなよ」
周平はすぐにその場を後にした。入れ替わりに監視の兵が現れてヒヤリとしたが、見つかることなくやり過ごせた。そのまま施設を抜け出し、帰路に着いた。
どういう訳かは知らないが、曹操は干毒に対しては甘いようだ。周平はそんなことを考えながら歩いた。美しい満月を眺めながら歩いていると、いつの間にやら宿舎に着いた。往路は走りだったが長く感じた。やはり不安だったのだろうと自嘲した。すると宿舎の入り口に、周平の帰りを寝ずに待っていたのであろう、筑の姿があった。
「よう。どうだった? 先生は」
「俺の言ったとおり、元気だったよ。毎日暇で死にそうだってさ」
「そうか。そりゃ良かった。でもよ、先生がいないと病人も怪我人も増える一方だよな。こんなときにあいつがいてくれりゃあ助かったのに。干禁は上手いことやったよな」
いや、と、周平は心の中で否定した。今でこそ干禁は飛翔する鷲のごとき勢いだが、高く飛ぶほどに大地は遠くなる。上手くやったか下手を打ったかは、人生の終わりの瞬間まで分からない。母のように、あまり恵まれていたとは言えないような人生でも、死の間際に笑っていられれば、それは幸福な人生と言える。果たして干禁はどうであろうかと思うと、一抹の不安を周平は覚えた。それはなにも干禁を兄のように慕っていたからではない。あと十も若ければ、周平もやはり筑のように干禁を妬んだであろう。
「兎に角、先生は息災だったんだ。それで良しとしないとな。もう寝よう。明日も早いんだ」
筑は周平の態度に拍子抜けした。こんなに冷めた奴だったろうか。周平の背を見送りつつ、少年時代を思い返した。
参考書籍
三国志演義全8巻 羅貫中著 徳間文庫
人間三国志全6巻 林田慎之介著 集英社
三国志全3巻 陳寿著 筑摩書房
三国志人物事典 渡辺精一著 講談社
三国志史話 林亮立著 立風書房
爆笑三國志全5巻 光栄
僕達の好きな三国志全2巻 宝島社
三国志がよくわかる事典 知的生きかた文庫