番外編第四十四章 根本的に彼女のルナリア・オルタナティブ②
「おのれ~」
先を進んでいくごとに現れる、綾花達のいる決勝戦のステージに行くことへの警備員達の妨害から逃れるため、昂が逃げ込んだ先はエントランスホールだった。
大会会場の個室で長時間、大会スタッフ達の事情聴取を終えた後、突如、玄の父親の家で雇われている警備員達から追いかけられてしまい、その度に昂は魔術を使って難を逃れてきたのだ。
昂はそれでも人影がないか確認してから、そのまま決勝戦のステージがある方向へと視線を動かす。
「奴らは不死身のゾンビか?我を目の敵にしおって!我は麻白ちゃんのもとに行かねばならぬと何度告げても追ってくる!」
忌々しそうにつぶやいた昂は一人、淡々と言葉を連ね続ける。
「このままでは、麻白ちゃんに会うことさえもままならないではないか」
胸に手を当てて深呼吸をすると、昂はどうすれば追っ手を振り払って綾花達がいる決勝戦のステージに行くことができるのかを考え始めた。
だがすぐに考えるのを止め、昂は魔術を使おうと片手を掲げる。
「うむ、とりあえず、ここはーー」
『対象の相手の元に移動できる』魔術を使うべきだな。
昂がそう続けようとしたところで、エントランスホールの奥から誰かの声がした。
「いたぞ、あの少年だ!」
警備員のかけ声に合わせて、さらに数名の警備員達が左右両方からエントランスホールに駆け込んでくる。
あっという間に囲まれた昂は、彼らによってあっさりと捕らえられてしまう。
「な、なんなのだ! これは!」
拘束されながらも、昂は両拳を振り上げて不服そうに声を荒らげる。
「よし、ようやく、少年を確保したな!」
「後は、大会が終わった後、麻白お嬢様を彼らから取り戻さないといけない」
「そうだな」
警備員数人に連行されながらも、昂はうめくように叫んだ。
「こ、これでは麻白ちゃんのもとに行くことも、魔術を使うこともままならないではないかーー!!」
なおも逃走を図ろうとするが、完全に囲まれていてとても逃げられないことを悟り、昂はがっくりとうなだれる。
この時、昂も玄の父親の警備員達も気づいていなかったのだが、エントランスホールの柱からそんな彼らの様子をじっと見つめている男性がいた。
彼はーー1年C組の担任は、元樹と度々、連絡を取り合いながら、昂と玄の父親の警備員達を尾行していたのだった。
『YOU WIN』
システム音声がそう告げるとともに、巨大モニターに『ラグナロック』の勝利が表示される。
「つ、ついに決着だ!勝ったのは、『ラグナロック』!!」
興奮さめやらない実況がそう告げると、一瞬の静寂の後、認識に追いついた観客達の歓声が一気に爆発した。
「麻白達がーー『ラグナロック』が勝ったんだな」
噛みしめるようにつぶやくと、拓也の胸の奥の火が急速に消えていくような気がした。
だが、すぐに状況を思い出して、拓也は表情を引きしめる。
「だけど、授賞式が終わった後、どうやってここから出るかだな」
拓也は静かにそう告げて、大会会場内を見渡した。
見れば、大会参加チーム用の入口ゲートだけではなく、一般入場ゲート、大会スタッフ専用出入り口までもが、玄の父親の警備員達によって封鎖されている。
恐らく、俺達が、黒峯玄の父親達の目を盗んで、綾花とともここから逃げ出す手段はないに等しいだろう。
いや、舞波の魔術を除いてかーー。
もっとも、黒峯玄の父親も、そのことを理解した上でのーーこの行動だろうな。
拓也は顔を曇らせて俯くと、ぽつりとそう思った。
元樹からここから逃げ出す手段を探してほしいと頼まれたのだが、決勝戦が終わっても、拓也の思考は堂々巡りで、一向に一つの意見にまとまってくれなかった。
「そのことなんだが」
拓也の疑問を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「舞波が、黒峯玄の父親の警備員達の手によって、囚われてしまったらしい」
「なっーー」
元樹の思いもよらない言葉に、拓也は不意をうたれように目を瞬く。
戸惑う拓也に、元樹は深々とため息をついて続ける。
「先生に、舞波を救出してもらえるように頼んでいるが、恐らく考えられる限り、最悪に近い状況だな」
1年C組の担任と連絡を取り合った後、元樹がオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の公式サイト上でやり取りされた第三回公式トーナメント大会、チーム戦の観戦者達の情報などを収集して、大会会場内に張られた玄の父親の警備員達の包囲網をある程度、把握した結論だ。
元樹達は、綾花をーー麻白を連れて、大会会場から抜け出すことは正常な手段では出来ず、かつ正面から出ようとすれば、ほぼ確実に玄の父親達によって囚われてしまう。
捕まれば、綾花は麻白としての記憶の改竄を受け、元樹達とは引き離されてしまうことになるだろう。
まさに、最悪の状況と言っても、過言ではなかった。
「昨日のことといい、少なくとも最初から、黒峯玄の父親は今回の大会で、綾を黒峯麻白に仕立て上げるつもりだったんだろうな」
「…‥…‥綾花をーーっ、いや、麻白を捕らえるつもりだったっていうのか」
忌々しさを隠さずにつぶやいた元樹の言葉に、半ばヤケを起こしたように拓也が叫びかけてぐっと言葉を飲み込む。
元樹は一度目を閉じて、頭の中に溢れるこれからおこなわないといけない情報を整理する。
舞波の身柄の確保。
上岡の雅山への憑依が解けて、綾の『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術が使えるようになるまで、俺達で綾を護っていくこと。
そして、麻白の姿をした綾の分身体と入れ替わった綾が、1年C組の担任の先生と無事に合流した後、俺達も舞波の魔術でその場を離脱しなくてはならない。
目をゆっくりと開いた元樹は、優勝して喜んでいる綾花達を見つめて言う。
「こうなったら、当初の予定を変更して、俺達はここで、玄達に対戦を申し込もうと思う」
「なっ!俺達が、玄達と対戦するのか?」
呆気に取られた拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなくあっさりとした表情で言葉を続けた。
「黒峯玄の父親達も、まさか、俺達がここで玄達と対戦をするとは思わないだろう。その盲点を突こうと思う」
「盲点?」
「ああ」
訝しげな拓也の問いかけに、元樹は迷いなく断言する。
「俺達が玄達と対戦しているその間に、先生に舞波を救い出してもらおうと思う。そして、綾のーー上岡の雅山への憑依が解けた後に、綾と麻白の姿をした綾の分身体が入れ替わるように仕向ければ、綾を無事に護ることができるよな」
「なるほどな」
苦々しい表情で、拓也は隣に立っている綾花の方を見遣る。
だが、すぐに思い出したように、拓也は元樹の方に向き直ると、ため息をついて付け加えた。
「だけど、元樹、どうやって、玄達に対戦を申し込むつもりだ?」
「まあ、少し強引な手段かもしれないけどな」
そこまで告げると、元樹は決勝戦を終えて戻ってきた玄達に対して、何気ない口調で問いかけた。
「なあ、玄、大輝、麻白。授賞式が終わったら、ここでバトルをしないか?」
「ーーっ」
「なっ!」
「ええっ!」
それは玄と大輝、そして、綾花にとって、全く予想だにしていなかった言葉だった。
今の今まで、玄達、『ラグナロック』は、決勝戦で『クライン・ラビリンス』と対戦していたはずだ。
それが一体、どうしてそういう話になったのか?
全く理解できなかった玄と大輝は、率直に元樹に聞いた。
「…‥…‥友樹?」
「はあ?友樹、どういうことだよ?」
「頼む。麻白のためなんだ。力を貸してくれないか?」
玄と大輝が驚愕の表情を浮かべているのを目にして、元樹は少し躊躇うようにため息を吐くと、複雑な想いをにじませる。
「今、この大会会場は警備員達によって封鎖されている。恐らく、麻白を、俺達から引き離すためだ」
「…‥…‥っ。父さんは、拓達と和解していなかったのか?」
「ああ」
元樹の言葉に、玄は不意打ちを食らったように悲しみで胸が張り裂ける思いになる。
今までのように、麻白と拓達を会わせてやりたいーー。
そう恋い焦がれても、玄の父親との想いのすれ違いが大きすぎて、間の当てられない現実を前に、玄は静かに目をつむった。
「麻白と拓達を引き離す?何だよ、それ?」
引き離すという単語を聞いた瞬間、大輝の瞳に複雑な感情が入り乱れる。
そうして消化しきれない感情を抱えたまま、大輝は続けた。
「で、拓、友樹、俺達はどうすればいいんだよ?」
「しばらく、俺達と、ここで対戦してほしい。今、あの魔術を使える少年ーー魔王が、警備員達によって捕らえられている。俺達の仲間が、魔王を警備員達から救い出せるまで、時間を稼いでほしいんだ」
元樹の提案に、玄は納得したように頷いてみせる。
「…‥…‥分かった」
「玄、ありがとう」
綾花がぱあっと顔を輝かせるのを見て、玄は思わず苦笑してしまう。
そんな中、大輝はそっぽを向くと、軽く息を吐いて言う。
「はあ~。決勝戦が終わったばかりだというのに、すぐにおまえらと対戦しないといけないのか」
「大輝は順応性なさすぎ」
「おまえらが、順応性ありすぎなんだよ」
そう言い捨てると、大輝は足を踏み出し、手を伸ばし、不満そうに頬を膨らませてみせた綾花をがむしゃらに抱き寄せていた。
「ふわわっ…‥…‥」
「とにかく、麻白、久しぶりに俺と一対一で対戦しような」
「…‥…‥っ」
有無を言わさず、にんまりとした笑みを浮かべて、綾花を抱き寄せる大輝の姿を見て、元樹の隣に立っていた拓也は苦々しく眉を寄せる。
「大輝。勝つのはもちろん、あたしだよ」
「いや、勝つのは俺だからな」
綾花の嬉しそうな表情を受けて、大輝は少し不服そうに目を細めてから、小さな背中に回した手にそっと力を込めた。
「麻白と大輝らしいな」
玄は、どこまでも楽しそうな、いつもどおりの妹と幼なじみの姿を見て、ほっとしたように微かに笑ってみせる。
そして、いまだに大輝と楽しげに話している綾花の頭を、玄は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
「麻白、そろそろ授賞式に行くか」
「うん」
綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、嬉しそうにはにかんだ。
春のように火照った顔で自分に笑いかけてくる、誰よりも愛しくて大切な妹と過ごす時間は。
夢の中でも、現実の中でも、永遠に輝く光であるようにーー玄には思えた。
「…‥…‥おのれ、黒峯蓮馬!我を捕まえた上に、我自身を、麻白ちゃんを手に入れるための人質にするとは許さぬでおくべきか!」
「…‥…‥まさか、ここで玄達と対戦するつもりなのか?」
そんな中、警備員達によって拘束されながらも、昂は両拳を振り上げて不服そうに声を荒らげる。
だが、そんな昂をよそに、決勝戦のステージに視線を向けた玄の父親は訝しげに首を傾げてみせるのだった。




