番外編第三十三章 根本的に彼らは決意表明する
「麻白お嬢様!」
黒峯玄の父親が、麻白の携帯を手に入れてから数分後ーー。
黒峯邸の警備員のかけ声に合わせて、さらに数名の警備員達が左右両方から綾花達が訪れたという駅に駆け込んでくる。
だが、肝心の綾花達が駅構内に見当たらず、警備員達は困惑した。
「くっ、彼らは何処に行ったんだ?」
「確かに先程まで、あの少年達がこの駅にいたはずなんだが」
「彼らが乗っていたワゴン車が止まっているということは、まだ、この近くにいるかもしれない。手分けして探そう」
警備員達はそう言い合うと、彼らに連れさらわれた麻白の行方を掴むために、すぐさま、駅の周辺の捜査を開始したのだった。
「上手くいったな」
狙いどおり、改札口を通り抜け、駅のホームに立った、目深まで帽子を被った二人組の少年達の一人ーー元樹は、決然とした表情で言った。
元樹の隣に立つ、もう一人の少年ーー拓也は警備員達が引き上げていった方向に視線を向けると、顔を曇らせて言う。
「ああ。だけど、今回はやばかったな。警備員達に、舞波の姿を見られた時は、本当に絶体絶命だと思った」
「むっ、我は悪くない!そもそも、何故、我がこのようなものの背後に隠れなくてはならないのだ!おのれ~、魔術を使える体力さえあれば、このようなものの背後に隠れる必要などなかったというのに!」
拓也の言葉を聞きつけて、近くにあった自動販売機の背後から、何かがごそごそと動いた。
「ううっ…‥…‥、たっくん、元樹くん、舞波くん」
その様子を、 見覚えのない幼い少女が浮かない顔をして見守っていた。所在なさげに持っている荷物をぎゅっと握りしめている。
五歳ほどの癖のある茶色の髪の少女は、白いワンピースの袖を揺らし、小首を傾げている。
拓也は少女がいる方向へと視線を向けると、はっきりと言った。
「心配するな、綾花。家に帰るまでの辛抱だからな」
「ああ。もう少しの辛抱だからな」
「…‥…‥うん」
拓也と元樹は同じ目線の高さで、幼い少女にーー少女に姿を変えた綾花に諭すように語りかけると、綾花をそっと抱きしめた。
綾花は拓也と元樹の胸に顔をうずめて、肩を震わせている。
傍から見ると、幼い妹をなぐさめている兄達の姿のようだった。
警備員達に捕まりそうになった際、玄の父親の追手から逃れるため、綾花は元樹から聞かされていた一つの策を実行に移した。
それは捕まりそうになった際、『対象の相手の姿を変えられる』魔術を使って、麻白の姿から別の姿になって逃げるというものだった。
玄の父親の追手から逃げていた綾花達は偶然、両親とともに特急列車に乗り込んでいたこの少女を見かけた。
そして、すぐさま、人目のない場所で、綾花がこの少女に姿を変えたことにより、玄の父親の追手を何とかやり過ごすことができたのだ。
別の人物に姿を変えることも視野に入れたのが、『対象の相手の姿を変えられる』魔術の発動条件が、同じ性別の人物、そして、昂から受け取ったメモには書かれてはいなかったのだが、姿を変える本人と同年代もしくは年下のみしか姿を変えることができないようだった。
肝心の警備員達に発見された昂は、それでも捕まりそうになってしまったのだが、近くにあった自動販売機の背後に隠れて、何とか難を逃れている。
そして、昂の母親はワゴン車から持ち出した荷物をまとめるため、待合室で荷物を整えていた。
「綾花、もうすぐ特急列車がーー」
「我は納得いかぬ!」
拓也が何かを言いかける前に、自動販売機の背後に隠れていた昂は地団駄を踏んで激怒した。
「井上拓也!何故、貴様がワゴン車内でずっと綾花ちゃんの隣の席だったのだ?貴様があの時、席を替わっていれば、もれなく我は綾花ちゃんの隣で、綾花ちゃんという小さき天使を存分に見ることができたではないか! 」
「勝手なこと言うな!」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也は不愉快そうにそう告げる。
「我が、綾花ちゃんを黒峯蓮馬の魔の手から救ったのだから、つまり、もう綾花ちゃんとあかりちゃん、そして、麻白ちゃんは我のものだ!」
「なっーー」
あまりにも勝手極まる昂の言い草に、拓也は思わずキレそうになったがかろうじて思い止まった。
まもなく特急列車が到着するという、駅アナウンスが流れたからだ。
そんな中、駅のホームを眺めながらこっそりとため息をつくと、元樹は吹っ切れたように綾花に話しかけてきた。
「なあ、綾。特急列車に乗っている間、何か困ったことがあったら、いつでも元樹お兄ちゃんに言えよな 」
「…‥…‥えっ?」
思わぬ言葉を聞いた綾花は、元樹の顔を見つめたまま、瞬きをした。
「ちょ、ちょっと待て!なんで、そうなるんだ?」
綾花以上に動揺したのは拓也だ。
何気ない口調で言う元樹の言葉に、拓也は頭を抱えたくなった。
「まあ、いいじゃんか!綾がこの子の姿になっている時だけ、俺達はしばらく、綾のお兄ちゃんになるっていうのもさ!」
「うん!私、たっくんと元樹くんと舞波くんの妹になってみたい!」
元樹が大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのけると、綾花は両拳を前に出して話に飛びついた。
わくわくと間一髪入れずに答える綾花に、拓也は困惑した表情でおもむろに口を開く。
「今だけ、俺と元樹と舞波が、綾花のお兄ちゃんなのか?」
「うん」
「ああ」
綾花と元樹がほぼ同時にそう答えると、拓也はもはや諦めたようにこう言った。
「…‥…‥分かった」
「えっ?」
その言葉に、綾花は驚いたように目を見開いた。
拓也はため息を吐きながらも、いつものように綾花の頭を優しく撫でる。
「だけど、あくまでも家に帰るまでの間だけだからな」
「…‥…‥うん、ありがとう、たっくん」
綾花がぱあっと顔を輝かせるのを見て、拓也は思わず苦笑してしまう。
「ならば、綾花ちゃん。今すぐ、我のことを『昂お兄ちゃん』と呼んでほしい!」
その途端、まるで見計らったように、自動販売機の背後から飛び出してきた昂に、拓也と元樹はうんざりとした顔で冷めた視線を昂に向けてくる。
だが、そんな視線などどこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「井上拓也、布施元樹、あんな奴らなどほっといて、我のみを『お兄ちゃん』と呼ぶべきだ!」
「あのね、舞波くん、もうすぐ特急列車が来るからーー」
「我が待てるはずがないではないか!」
得意げにぐっと拳を握り、天に突き出して高らかにそう言い放つ昂に、綾花は口元に手を当てて困ったようにおろおろとつぶやく。
なおも、上機嫌で綾花に話しかけてくる昂に、げんなりとした顔を向けた後、気を取り直したように拓也は鋭い眼差しで昂を睨みつけた。
「勝手なことばかり言うな!」
「否、我なりのやり方だ!」
「あ、その…‥…‥」
「…‥…‥行こう、綾」
綾花が窮地に立たされた気分で息を詰めていると、有無を言わせず、元樹は綾花の手を取った。そして、拓也と昂の返事を聞かずに、到着した特急列車の車内へと強引に連れだそうとする。
当然のことながら、拓也は動揺をあらわにして叫んだ。
「おい、元樹!」
「心配するなよ、拓也。今回の帰りの特急列車はいつもの指定席ではなく、自由席だ」
「自由席?」
拓也がさらに不可解そうに疑問を口にするが、元樹は気にすることもなく言葉を続ける。
「ああ。だから、早く乗らないと、席を確保できないだろう?」
「ーーっ」
決死の言葉を元樹にあっさりと言いくるめられて、拓也は悔しそうに唇を噛みしめた。
特急列車の車内に入ると、元樹はそのまま、昂の母親から受け取ったキャリーバックと綾花の手を取って、自由席の車両へと向かってしまった。
拓也と昂も慌てて、特急列車へと駆け込む。
「みんな、はぐれないようにね」
遅れて車内へと入った昂の母親は、そんな彼らの様子を見てため息をつきながらも真摯な瞳でそう言ったのだった。
特急列車の窓から射し込む夕日は、普段より眩しく思えた。
かたことと揺れる特急列車の車内で窓の外を通り過ぎる住宅地やショッピングモールなどの景色を眺めながら、拓也は拳を強く握りしめて唸った。
ちょうど帰宅ラッシュとぶつかり、車内はそれなりに混みあっている。そのためか、自由席内では座ることができず、綾花達は席が空くまで自由席の入口付近に立っていた。
帰りの特急列車の中で身を縮め、拓也の隣で何とか手すりに掴まろうと背伸びしている幼い少女ーー綾花から視線をそらすと、拓也は薄くため息をついた。
「今回も、大変な一日だったな」
「ああ」
拓也の言葉を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「黒峯玄の父親の目的は、綾を黒峯麻白にすることだ。恐らく、これからも何かしらの動きがあるだろうな」
「…‥…‥そうだな。だけどーー」
苦々しい表情で、拓也は隣に立っている綾花の方を見遣る。
実際、今日のドームの大会も、黒峯玄の父親に裏をかかれてしまった。
その後、作戦を練って何とか、綾花を取り戻すことには成功したが、これからも黒峯玄の父親は、綾花を麻白にしようと目論んでくるだろう。
本来なら、綾花と黒峯玄の父親達を会わせないようにした方がいいのかもしれない。
だけどーー。
拓也の思考を読み取ったように、元樹は静かに続けた。
「だけど、俺達はそれでも、綾にーー麻白に、玄の父親達を会わせたいだろう」
「…‥…‥あ、ああ」
元樹の即座の切り返しに、拓也は言いたかった言葉を先に告げられて、ぐっと悔しそうに言葉を詰まらせる。
「…‥…‥たっくん、元樹くん、舞波くん、ごめんね」
いつものように拓也達が話し合っていると、手すりを握りしめていた綾花が拓也達に声をかけてきた。
「何がだ?」
隣に立つ拓也が怪訝そうに首を傾げると、綾花は躊躇うように不安げな顔で言葉を続けた。
「…‥…‥私のーーあたしのわがままで、みんなを大変なことに巻き込んじゃってごめんね」
「ああ、何だ。そのことか」
一点の曇りもなくぽつぽつとつぶやく綾花に、合点がいったようにまるで頓着せずに拓也は言った。
「気にするな、綾花。前に言っただろう。綾花が、綾花と上岡と雅山と麻白の四人分生きると決めたのなら、俺達は綾花の負担を少しでもなくしてみせる」
「ああ。黒峯玄の父親達が、麻白に生き返ってほしいと願っているように、俺達も、綾がーー綾の心に宿る麻白が生き返ってよかったって思えるようにーー幸せになってほしいんだよな」
「うむ。麻白ちゃんは我の婚約者だ。何の問題もなかろう」
「…‥…‥ありがとう、みんな」
拓也と元樹と昂がそれぞれの言葉でそう答えると、綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、幸せそうにはにかんだ。
その隣には、昂の母親が戸惑いながらも、穏やかな表情で綾花達を見守っていたのだった。




