番外編第二十八章 根本的に未来を見据えない魔術士
「はあ…‥…‥」
綾花が、黒峯麻白としてドームの公式の大会に出場する当日ーー。
進の家のリビングで、拓也は窓の近くに置かれた進が手に入れたゲームの大会のトロフィーなどを見ながら、綾花とこれからやって来る元樹達を待っていた。
長方形のテーブルには、拓也の分のポットとティーカップが置かれてある。
自分の彼女に憑依した男の家にいるという、相も変わらずの居心地悪さに、拓也は思わず息をつく。
あの後、試行錯誤を重ねた舞波の魔術によって、綾花は麻白のリボンを使わずとも姿をある程度、一定に保つことに成功した。
しかし、黒峯玄の父親の思惑が分からない以上、俺達も元樹が考え出した対抗策を取っていくしかない。
「たっくん、見て見て!」
決意を固めた拓也のいるリビングへとひょっこりと顔を覗かせた黒峯麻白の姿をした綾花は、目を輝かせて拓也に言った。はにかんでフレアスカートの裾を掴むとふわりと一回転してみせる。
「なっ…‥…‥」
盛装した綾花の眩しさを目の当たりにして、拓也は思いもかけず動揺した。
綾花は黄色のブラウスに、青いベスト、そして、ゆるふわなフレアスカートを着ている。
黄色のブラウスに控えめにあしらわれた赤みのかかったリボンは、その可憐な容姿によく似合っていた。
先程、着ていた深窓の令嬢風とは違う、森ガール系のファッションの綾花の姿に、拓也は思わず、目を丸くする。
「どうかな?」
そわそわとアホ毛を揺らす綾花に、拓也は胸中に渦巻く色々な思いを総合してただ一言だけ言った。
「ああ、よく似合っている」
「ありがとう、たっくん」
瞬間、綾花はぱあっと顔を輝かせた。頬をふわりと上気させて嬉しそうに笑う。
「そうでしょう?琴音、似合っているわよ」
綾花の後に、リビングへとやってきた進の母親はにこりと笑って言った。
すると、遅れてリビングへと入ってきた綾花の母親が不安そうに進の母親に声をかけてきた。
「でも、上岡さん。大会の日なのに、この格好で大丈夫だったかしら?」
「黒峯麻白さんも、このような格好で大会に出場していたことがあるみたいなので大丈夫だと思います」
「そうなんですね」
大切な想い出を語るように穏やかな表情を浮かべた進の母親につられて、綾花の母親も噛みしめるようにそっと笑みを浮かべてみせる。
綾花は拓也から離れると、 進の母親と綾花の母親の元に駆け寄り、自身のブラウスの胸口を飾るリボンにおずおずと手を伸ばした。
「お母さん、母さん、このリボン、可愛い」
「そうなの!琴音、可愛いでしょう!」
「今日、綾花は、黒峯麻白さんの姿で大会に出場するから、どうかなと思ったんだけど、やっぱり、こちらにして良かったわね」
衣装談義に花を咲かせる三人を前にして、拓也は言い知れぬ疎外感を味わっていた。
しかし、三人が仲良く話している様子を見ていると心温まる思いにもなった。
綾花に上岡が憑依したことを打ち明けた当時は、まだ、綾花の両親は上岡の両親に対して戸惑いを隠せない様子だったのだが、今では、綾花の両親と進の両親はこうして少しずつ交流をしており、親交を深めている。
一呼吸置いて、拓也は言った。
「なあ、綾花。そろそろ、元樹達も来る頃だし、大会の時の俺達の名前の再確認をしておこう」
「…‥…‥う、うん」
あわてふためいたように再び拓也の元に歩み寄った綾花の頭を、拓也は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
そんな二人の様子を見て、進の母親は少し名残惜しそうな表情をして言う。
「うーん、もう少し、琴音と話したかったのだけど仕方ないわね…‥…‥」
顎に手を当てて物憂げに嘆息する進の母親の瞳が、拓也の隣で同じく物寂しそうにしている綾花へと向けられた。
「琴音、そう言えば、大会の時、井上くん達のことをなんて呼ぶことにしたの?」
「…‥…‥ううっ、たっくんは『たく』で…‥…‥えっと」
「琴音?」
ぎこちなくそう応じる綾花の様子に目を瞬き、少しだけ首を傾げながら、進の母親は先を続ける。
「井上くん。何か、問題があったの?」
「…‥…‥すみません。大会の時は、綾花以外はあだ名で呼び合うことにしたんですが、その、綾花に『たっくん』と呼ばれることには慣れているんですが、元樹達にまで『たっくん』はちょっと辛かったので『たく』にしたんです」
「うっ、だって、たっくんは『たっくん』だもの」
顔を曇らせて、正面の進の母親を見つめる拓也に、綾花はほんの少しむくれた表情で俯き、ごにょごにょとつぶやく。
相変わらずズレたことを口にする綾花に、拓也は思わず頭を抱えたくなった。
「綾花、元樹達まで、それを言うのはさすがに変だろう」
「…‥…‥そ、そうかな」
「まあ、綾花らしいけどな」
拓也はそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ。それ、どういう意味?」
「まあ、気にするな。綾花は綾花ってことだ」
「気になるー」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は苦笑しながらも再び、優しく撫でてやった。
すると、綾花の母親は言いづらそうに、おずおずと言う。
「綾花、昨日も必死になって、拓也くん達のあだ名の練習をしていたんです」
「琴音らしいですね」
「はい、綾花らしいです」
頬に手を当ててくすりと笑みをこぼした進の母親の顔を見て、綾花の母親は口に手を当てると穏やかに微笑んだ。
そんな二人の反応に、拓也は少し逡巡してから乾いた笑みを浮かべる。そして、綾花の母親と進の母親の方を振り向くと、ゆっくりと話し始めた。
「俺が『拓』で、元樹は『友樹』です。そして、舞波がーー」
「我は、『偉大なる未来の支配者』だ!」
拓也の言葉を打ち消すように、元樹とともに進の家に入ってきた昂は、リビングのドアに手をかけながら、上機嫌でそう言い放った。
何故、こいつはこんな無茶苦茶なあだ名を、当たり前のように口にするのだろうかーー。
唐突に、昂があまりにも漠然的なあだ名をぶつけたので、拓也は苦り切った顔をして額に手を当てる。
「…‥…‥おまえ、もう少し、まともなあだ名にしただろう。いや、どちらにしてもまともなあだ名じゃないか」
元樹が呆れたように嘆息すると、昂は不愉快そうに顔を歪めた。
「そんなことはどうでもよい! 我は綾花ちゃん達に、我のあだ名を告げようとしておったのだぞ! 邪魔をするな!」
「おまえの考えたあだ名は、いろいろと問題があるんだよ!」
傲岸不遜なまでに自信満々な台詞を昂が吐き出すのを聞いて、元樹は思わず、ムキになって昂を睨み付けた。
そこには時計があり、ちょうど、今回もワゴン車を運転することになっている昂の母親との待ち合わせの時間の少し手前を示していた。
「うわっ、やべえ!そろそろ行かないと、まじで待ち合わせの時間に間に合わないじゃんか!」
元樹はおもむろに玄関に戻ると、荷物を持ち、片手を上げて屈託なく笑いながら言った。
「それじゃあ、拓也、綾、舞波、行こう!」
「ああ」
「うん」
「綾花ちゃんは、我が護ってみせるのだ!」
元樹が念を押すように告げると、綾花達は真剣な表情でしっかりと頷いてみせる。
「お母さん、母さん、行ってきます」
「綾花、気をつけてね」
「琴音、無理はしないようにね」
心配そうな綾花の母親と進の母親に見送られて、必死としか言えないような眼差しを向けた後、綾花は拓也達とともに、急ぎ足で進の家を後にしたのだった。
「麻白」
「おい、麻白!」
特急列車を乗り継ぎ、ワゴン車から降りた後、綾花達が荷物を手に、待ち合わせのドームの大会会場へと向かっていると、不意に玄と大輝の声が聞こえた。
声がした方向に振り向くと、少しばかり離れた道沿いに、玄と大輝が綾花達の姿を見とめて何気なく手を振っている。
荷物を握りしめて玄達の元へと慌てて駆けよってきた綾花は、少し不安そうにはにかんでみせた。
「玄、大輝、遅くなってごめん」
「心配するな」
「麻白、遅いぞ」
玄と大輝がそれぞれの言葉でそう答えると、綾花は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように持っている荷物をぎゅっと握りしめる。
元樹とともに、綾花の後を追いかけ、玄達の前に立った拓也は、居住まいを正して真剣な表情で頭を下げた。
「黒峯玄、浅野大輝、今日はよろしくな」
「おまえら、大会の邪魔だけはするなよな。あと、いつまでも、俺達のことをフルネームで呼ぶな」
拓也の言葉に、大輝はそっぽを向くと、ぼそっとつぶやいた。
「はあ…‥…‥」
困ったようにため息をついた拓也をよそに、元樹がこともなげに言う。
「なら、玄と大輝…‥…‥でいいか?」
「あ、ああ。…‥…‥拓、友樹」
「あっ、大輝、照れている」
綾花に指摘されて、大輝は振り返ると不満そうに眉をひそめる。
「麻白、俺は照れてないぞ。ただ、こいつらの呼び名の確認をしていただけだ」
綾花の嬉しそうな表情を受けて、大輝は不服そうに目を細めてから両拳をぎゅっと握りしめた。
「大輝らしいな」
笑ったような、驚いたような。
あらゆる感情の混ざった声が、玄の口からこぼれ落ちる。
「ふむふむ」
そんな中、電柱の陰に隠れながら、奇妙な杖を持ち、黒コートに身を包んだ少年ーー昂は、綾花達の様子と玄の父親達の動向を探るため、こそこそと聞き耳を立てていた。
『綾を、黒峯玄の父親から徹底的に護ってほしい』
元樹の懇願を受けて、昂は綾花を護るために、少し離れた場所から綾花達の様子を見守っていた。
玄の父親の思惑が分からない以上、この方法が何よりも有効かもしれないと、元樹は考えたのだ。
もっとも、実際のところは、昂が綾花のーー麻白のサポート役として、玄達に認められなかったから、というのが最大の理由ではあったーー。
だが、あまりにも怪しすぎて、近くにいた他の大会参加者達や通行人達から思いっきり冷めた眼差しを向けられ、電柱自体が必然的に避けられていたことにも気づかずに、昂は先を続ける。
「やっぱり、麻白ちゃんは可愛いのだ」
こみ上げてくる喜びを抑えきれず、昂はにんまりとほくそ笑む。
しかし、そうこうしているうちに、綾花達は既に大会会場へと歩き始めようとしていた。
「むっ、こうしてはおれん!早速、麻白ちゃんの後を追わねば!」
この後、昂は通行人達から、黒峯麻白のストーカーではないかという疑いをかけられてしまい、警察に事情聴取を受けることになってしまったという。
一抹の不安を残しつつも、綾花達は大会に出場するために、ドームの大会会場へと向かったのだった。




