番外編第二十六章 根本的に彼は間が悪い
綾花達が校舎裏で話し合っていたーーその日の放課後、綾花達が知らないところで突如、事件が降りかかった。
黒峯玄の父親によって校長室に呼び出された昂が、黒峯麻白のリボンを再び、綾花にーー宮迫琴音に渡すように催促されたのである。
「麻白ちゃんのリボンを、琴音ちゃんに渡すわけにはいかないのだ!」
「だが、玄と大輝くんともに大会に出場するからには、麻白と会える時間が四時間という限られたものでは困る」
「貴様、また、そう言って、琴音ちゃんに記憶操作を施すつもりではないのか!そもそも、貴様、どうやって我の通っている高校を突き止めた!」
玄の父親の言葉を打ち消すように、昂はきっぱりとそう言い放った。
玄の父親は目を伏せると、静かにこう告げる。
「昂くんが、学校に持ってきていた麻白のリボンにはGPS機能ーー発信器を施している。最も昂くんが、魔術で昂くんと彼女達のことを特定できないように小細工していたため、今の今まで場所の特定に時間がかかってしまったがな」
「じ、ぴ…‥…‥何なのだ、それは?」
「リボンの位置情報が分かるシステムだ」
予想もしていなかった衝撃的な言葉に、昂は絶句する。
玄の父親が発したその言葉は、発信器そのものを知らない昂にとって、到底受け入れがたきものであった。
「と、とにかく、リボンは受け取れないのだーー!」
「「ーーっ」」
「…‥…‥うっ!」
昂はそう言い放つと、牽制するように、書棚に置かれていた本をフリスビーのようにして、玄の父親と執事に向かって放り投げた。
だが、やや回転をかけすぎたのか、玄の父親達がいる方向ではなく、ちょうど、校長室に入ってきたばかりの校長先生に運悪く当たってしまう。
「わ、我は悪くない!ただ、黒峯蓮馬に、リボンを受け取れないことを証明しようとしたまでだ!」
「それなら何故、参考書を投げたのか知りたいのだが?」
昂のたどたどしい言い訳に、この学校の校長は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ!こ、校長先生、話を聞いてほしいのだ!」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を横に振る。
放課後になり、いざ、綾花に今回のリボンの消失の件を話そうとした矢先、昂は玄の父親達に呼び出され、黒峯麻白のリボンを再び、綾花にーー宮迫琴音に渡すように執拗に催促されたのである。
そしてその際、校長先生に参考書をぶつけてしまうという無情な失態を、昂はおかしてしまったのだ。
だが、綾花達がそのことを知るのは、昂が玄の父親達と事情の知らない怒り心頭の校長先生によって、強制的にリボンと奇妙な杖を受け取るかたちになってしまったことを、綾花達に話すために校舎裏に呼び出した、その翌日のお昼休みである。
「綾花ちゃん、お待たせなのだ。それとこれは昨日、黒峯蓮馬から渡された麻白ちゃんのリボンだ」
「ありがとう、舞波くん」
昼休みーー、校舎裏で、昨日とは打って変わってご機嫌な様子で黒峯麻白のリボンを綾花に手渡した昂を見遣ると、拓也は警戒心をあらわにして訊いた。
「何を企んでいる?」
「何も企んでおらん。何もな。ただ、大会に出場するためには、麻白ちゃんのリボンが必要なのではないかと思ったまでだ」
訝しげな拓也の問いかけにも、昂はなんでもないことのようにさらりと答えてみせた。
拓也はさらに怪訝そうに眉を寄せると、立て続けに言葉を連ねてみせる。
「なら、おまえが機嫌がいいのは昨日、黒峯玄の父親からもらったという、その奇妙な杖のせいか?」
「確かに、大会に出場するためには、魔術の効果が四時間だけでは厳しいかもしれない。だけど、おまえが黒峯玄の父親に言われたとおり、黒峯麻白のリボンを綾に渡すなんて変だよな。おまえがもらったその杖には、何かそれ相当の秘密があるんじゃないのか?」
再び質問を浴びせてきた拓也と元樹に対して、何を言われるのかある程度は予測できたのか、昂は素知らぬ顔と声で応じた。
「秘密など、何もない。ただ、魔術の知識を用いた、この杖を使えば、我の魔術の効果が格段にアップするというのでな。今朝、早速、『対象の相手の元に移動できる』魔術を使って、実行に移してみたというわけだ。そのおかげで、ぎりぎりの時間だったというのに遅刻せずにすんだ」
「なるほどな。つまり、杖のおかげで、おまえの魔術の効果が格段に上がったから、機嫌がいいわけだ」
そのもっともな昂の説明に、拓也はむっ、と唸るとなんとも言い難い渋い顔をした。
元樹は校舎を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「その杖をもらう代わりに、綾に黒峯麻白のリボンを渡す。昨日、黒峯玄の父親とそういう取引をしたんだな」
「うむ」
苦虫を噛み潰したような元樹の声に、不遜な態度で昂は不適に笑った。
「ーーむっ?」
しかし、そこでようやく、昂は自ら自白していたことに気づく。
混乱しきっていた思考がどうにか収まり、昂は素っ頓狂な声を上げた。
「…‥…‥お、おのれ~!井上拓也!そして、布施元樹!貴様ら、我に自白させるのが目的だったのだな!」
「おまえが勝手に話しただけだろう!」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「…‥…‥おのれ」
「…‥…‥ねえ、舞波くん」
昂が次の行動を移せずに歯噛みしていると、不意に綾花が少し気弱な笑みを浮かべて聞いた。
「麻白のリボンをつけなくても、その杖を使ったら、『対象の相手の姿を変えられる』魔術の効果の時間を延ばしたりできるんじゃないかな?」
「むっ?」
綾花が小首を傾げて核心に迫る疑問を口にすると、昂は物憂げな表情で空を見上げた。
昂が玄の父親にもらったという杖の効果は、続く昂の説明で徐々に具体性を帯びてきた。
「すまぬ、綾花ちゃん。我が黒峯蓮馬からもらった、この素晴らしい杖は我の魔術にしか効果がないようだ。『対象の相手の姿を変えられる』魔術は、綾花ちゃん自身が使っているため、この杖を使っても効力は変わらない」
「…‥…‥そうなんだ」
「…‥…‥どこが、素晴らしい杖だ」
神妙な表情でつぶやく綾花に対して、拓也は呆れたようにため息をつく。
そこで、元樹は昂の台詞の不可思議な部分に気づき、昂をまじまじと見た。
「なるほどな。舞波の魔術には、効果があるのか」
「無論だ!なにしろ、この杖は、黒峯蓮馬が我のために産み出した魔術道具だからな!」
「…‥…‥おまえのために、ではないと思うけどな」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
「なあ、舞波。おまえの魔術に効果があるというのなら、リボンの『姿を一定に保つという魔術の知識』以外の効果を全て打ち消す魔術を使えば、綾がそのリボンをつけていても問題ないよな」
「むっ、確かに、それをすれば、綾花ちゃんが麻白ちゃんのリボンをつけていても問題なかろう」
元樹から重ねて問われて、昂は意を決したように息を吐くと、必死としか言えない眼差しを綾花に向ける。
その言葉が、その表情が、昂の焦燥を明らかに表現していた。
「綾花ちゃん、麻白ちゃんのリボンを置いてその場から離れてほしいのだ!」
「うん」
綾花がリボンを地面に置いて、その場から離れるのを見届けると、昂は魔術を使うために杖を構える。
「むっ!」
「ふわわっ!」
そして、驚きの声を上げる綾花をよそに、咄嗟に使われた昂の魔術によって、杖は淡い光を放ち始めた。
「ーーっ」
その光に宿るものに、拓也は思わず刮目してしまう。
だが、淡い光が消えても、リボンは先程と特に変わりない状態で地面に置かれていた。
咄嗟に、拓也が焦ったように言う。
「おい、リボンはどうなったんだ?」
「ふむ。これはーー」
何かを告げようとした昂の言葉をかき消すように、唐突に、どこからか弾けるような爆発音が響いた。
今度は、何が起こったんだ?
そんな拓也の疑心を尻目に、綾花は校舎に視線を向けると、心底困惑したように言った。
「たっくん、元樹くん、舞波くん。校舎が何故か、燃えているよ!」
「「ーーっ!?」」
綾花の視線を追った先には、まるで悪夢のような光景が広がっていた。
校舎が燃えている。
校舎が激しく燃えていた。
そこで、はたと一番気にしなくてはいけないはずの重大事に、拓也と元樹は思い当たる。
「こ、これって、まさか」
「…‥…‥ああ」
「ふむ。やはり、リボンの効果ではなく、校舎を打ち消してしまったようだな」
「「おい!」」
そう言い放って嘲るような笑みを浮かべる昂に、事態を把握した拓也と元樹は苛立ちを隠さず、声をそろえてそう言い放った。
「仕方あるまい。杖をもらったのは昨日だったゆえに、上手く方向転換ができなかったのだ!」
昂は素知らぬ顔で声を荒げると、さらに言葉を連ねる。
「しかし、今ので、リボンに対する杖の方向づけを定めることができた。次こそは必ずや、成功するであろう!やはり、我に不可能はない!!」
どこまでも我田引水の見本のような台詞を吐く昂が再び、魔術を使うために杖を構えようとした。
しかし、その前に、騒ぎを聞きつけてきた生徒達の群れを分け入り、ぐいぐいと前へと進んできた、見覚えのある男性教師が彼の肩をぽんと叩く。
「むっ?」
「…‥…‥舞波、これはどういうことだ?」
「…‥…‥そ、それは」
怪訝そうに振り返った途端、にべもなくそう言い捨てる自分の担任教師ーー1年C組の担任に対して、昂は思わず恐れをなした。
「…‥…‥う、うむっ。これは、黒峯蓮馬からもらったリボンに、どこか怪しいところがないか調べていたまでだ」
「なら、何故、校舎が燃えているんだ!」
不本意だと言わんばかりの昂の訴えを、1年C組の担任は一喝して黙らせる。
校舎裏にて、どこに逃げても手ひどく叱られることを悟った昂は仕方なく、ままよとばかりに口を開く。
「綾花ちゃん、頼む!いつものように、我を助けてほしいのだ!」
「うっ…‥…‥、またなの?」
両手をぱんと合わせて必死に頼み込む昂に、綾花が躊躇うように少し困り顔でつぶやいた。
あまりにも勝手極まる昂の言い草に、拓也は額に手を当てて顔をしかめてみせる。
「何故、いきなり、綾花に話を振る?」
「こういう時は、いつも進が助けてくれたからだ!」
「…‥…‥おい」
「…‥…‥あのな」
傲岸不遜な昂の言葉に、拓也と元樹が呆れていると、1年C組の担任はきっぱりとこう告げた。
「すまないが、私は今から消防車が来るまで、舞波と他の先生方とともに、魔術で生じた校舎の消火活動と被害状況の確認、そして生徒達の避難誘導をおこなおうと思う。申し訳ないが、瀬生と井上と布施の三人で、校舎裏にいる生徒達の避難を手伝ってほしい」
「先生、あんまりではないか~!」
1年C組の担任があくまでも確定事項として淡々と告げると、昂が悲愴な表情で訴えかけるように1年C組の担任を見る。
だが、昂の悲痛な訴えも虚しく、昂は1年C組の担任に引き連れられて、校舎裏を立ち去っていった。
後に、1年C組の担任と他の先生達、そして、消防団員の迅速な消火活動により、昂の魔術で生じた綾花達の学校のボヤ騒ぎは速やかに鎮火したのだった。




