番外編第二十五章 根本的にリボンに秘められた追憶 ☆
『挑戦者が現れました!』
「あっ…‥…‥」
昂の部屋のテレビ画面に響き渡ったシステム音声に、コントローラーをじっと凝視していた綾花の声が震えた。
期待に満ちた表情で、綾花はなりふりかまっていられなくなったように思わず身を乗り出す。
隣で同じくコントローラーを持ち、今か今かと待ち構えていた昂も、今ばかりは目を見開いて事の成り行きを見据えていた。
『チェイン・リンケージ』。
今や知らぬ人がいないのではというほど、有名なオンラインバトルゲームだ。
典型的な対戦格闘ゲームに過ぎなかったチェイン・リンケージが、社会現象になるまでヒットしたのは二つの特徴的で斬新な宣伝とシステムによる。
一つは本作が有名なゲーム会社同士のタッグでの合同開発だったということだ。また、斬新なテレビCMと相まって今や空前絶後の大ヒットゲームとなっている。
そしてもう一つが、従来の格闘ゲームとは一線を画す独特なシステムだった。最先端のモーションランキングシステムに、プレイヤーは仲間とともに爽快感抜群の連携技を繰り出せることで臨場感溢れるバトルを楽しむことができた。
「綾花ちゃん…‥…‥いや、進。初めて使用する麻白ちゃんのキャラで、我と対戦など、無理かとでも思ったか?」
「舞波くんーーいや、昂、そんなはずないだろう!」
交わした言葉は一瞬。
挑発的な言葉のはずなのに、昂と途中で口振りを変えた綾花は少しも笑っていない。
隠しようもない余裕のなさに、拓也は軽く首を傾げるとため息をつく。
ーーバトル開始。
対戦開始とともに、二人のキャラは同時に動いた。
昂は自身の侍風のキャラの武器である刀を片手に持ち替えると、たん、と音が響くほど強く地面を蹴る。
次の瞬間、拓也が認識したのは、大上段から綾花のーー麻白のキャラに対して刀を振り落とす昂のキャラの姿だった。
だが、綾花は昂のキャラが刀を振り落とす前に、ぎりぎりのところで刀を回避した。
「…‥…‥綾花」
初めて使用するキャラにも関わらず、昂のキャラと互角に渡り合う綾花の姿に、拓也は思わず、呆気に取られてしまう。
「さすが、進だ。初めて使用する麻白ちゃんのキャラで、我とここまで渡り合えるとは。だが、勝つのは我だ!」
「いや、俺が勝ってみせる!」
昂が態度で勝利を宣言してくると、綾花は当然というばかりにきっぱりと告げた。
あっという間に離れた二人は、息もつかせぬ攻防を再び、展開し始める。
拓也は元樹に視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「綾花は、黒峯麻白のキャラを使いこなせているな」
「ああ。恐らく、黒峯麻白の心の一部が、綾に宿っている影響だろうな」
元樹の言葉に、拓也はこの間の祝日に、ブティック店でかわした黒峯玄達との会話を思い出す。
麻白がカスタマイズしたキャラのコードを渡す代わりに、記憶が欠落している麻白のゲーム操作のサポートをしてほしい。
玄達にそう頼まれていたのだが、綾花は既に、麻白が今までどのようにゲームをプレイしていたのか、分かっているようだった。
元樹は本棚を背景に視線をそらすと、怪訝そうに肩をすくめて言う。
「ただ、今回、黒峯玄の父親が、綾に何もしてこなかったのが気になるな。綾が前よりも自然に黒峯麻白として振る舞えていることといい、もしかしたら、黒峯麻白の心の一部の影響が強くなっているのかもしれない」
「…‥…‥黒峯麻白の心が強くなっているっていうのか?」
忌々しさを隠さずにつぶやいた元樹の言葉に、拓也は驚きをそのまま口にする。
「まあ、強くなっていると言っても、上岡の時とは違って、黒峯麻白としての想いや望みが強くなっていると言った方がいいかもな」
「…‥…‥そうなんだな」
苦々しい表情で、拓也は隣で、昂とともにゲームをしている綾花の方を見遣った。
そんな拓也に、元樹は真剣な表情を収めて屈託なく笑うと意味ありげに続ける。
「心配するなよ、拓也。上岡の時とは違って、黒峯麻白の想いや望みが分かるというだけで、根本的には、綾に変わりないんだからさ」
「…‥…‥あ、ああ」
ばつが悪そうな表情で二人のバトルを傍観する拓也に、眉を寄せてやれやれとため息をつくと、元樹は大儀そうに言う。
「綾もさ」
「ん?」
元樹は話の流れを変えるように、がらっと口調を変えて言った。
少しタメがあるのが気になり、拓也はバトルを見るのを一旦、止めて、元樹の方を振り向く。
そうして口にされたのは、思いもよらない言葉だった。
「上岡と心が融合しただけではなく、黒峯麻白としての心も自分に宿っていると、舞波から聞かされた時、拓也に嫌われてしまうんじゃないかって悩んでいたことがあるんだ」
「綾花が?」
思わぬ言葉を聞いた拓也は元樹の顔を見つめたまま、瞬きをした。
元樹は綾花に視線を向けると、さも当然のことのようにこう続ける。
「だから俺は、その時、俺も拓也も舞波も、絶対に綾を嫌いになったりしないって、きっぱりと言ってのけたんだよな」
「そ、そうなんだな」
驚きで固まっている拓也に、元樹が指を振って付け加える。
「拓也は、綾に上岡が憑依している上に、黒峯麻白の人格断片も宿っていると聞いて、綾のことが嫌いになったのか?」
「そんなはずないだろう!」
座っていた床から反射的に立ち上がると、拓也は浮き足立ったように言い募った。
拓也が至って真面目にそう言ってのけるのを見て、元樹は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
「ああ、俺も同じだ。だから、綾は誰にも渡さない」
「ーーっ」
以前ーー元樹が初めて、綾花に進が憑依していることを知った時に、自分自身が口にした台詞をぶつけられて、今度こそ拓也は言葉を失った。
呆気にとられたような拓也を見て、元樹もまた決まり悪そうに視線を落とす。
「綾はさ、拓也にゲームのことを話している時は、すごく楽しそうに話しているんだ。今、こうして、バトルをしている時と同じくらいな」
「…‥…‥そうか」
頭をかきながらとりなすように言う元樹に、拓也は穏やかな表情で胸を撫で下ろす。
「…‥…‥ああ。むかつくくらいな」
元樹が不服そうに投げやりな言葉を返すと、ようやく拓也はほっとしたように微かに笑ってみせた。
ーー綾はさ、拓也にゲームのことを話している時は、すごく楽しそうに話しているんだ。
元樹の言葉の波紋がじわじわ広がり、拓也の胸の奥がほのかに暖かくなる。
「俺は、綾花がーー」
「進、強いのだ!」
拓也が何かを言いかける前に、昂はコントローラーを掲げて絶叫した。
「綾花ちゃんの心と進の心が融合し、そしてなおかつ、麻白ちゃんの心の一部までもが宿っている。まさに、今の綾花ちゃんは最強ではないか!」
「この調子なら、すぐに黒峯麻白のキャラを使いこなせそうだな。後は、黒峯玄達と一緒に公式の大会に出場したりして、実戦を重ねていくしかないか」
「ーーうん、ありがとう、舞波くん、元樹くん」
昂と元樹がそう言った瞬間、綾花の表情がいつもの柔らかな表情に戻る。
昂と元樹の言葉に綾花が輝くような笑顔を浮かべるのを目撃して、拓也は何かを決意するように、そして照れくさそうに先程、口にすることができなかった言葉を告げた。
「俺は、綾花が好きだ。綾花に上岡が憑依しても、黒峯麻白の心が宿っていても、この想いだけは変わらない」
拓也がそう告げるや否や、綾花は立ち上がると、拓也にしがみついて嬉しそうに切々と訴える。
「たっくん、ありがとう!ありがとう!」
「うむ、綾花ちゃん。我も、綾花ちゃんが大好きだ!」
「ふわっ、ちょ、ちょっと、舞波くん」
それだけ言い終えると、ついでのように昂が綾花の背中に抱きついてきた。
「おい、舞波!綾花から離れろ!」
「我は、大好きな綾花ちゃんから離れぬ!」
ぎこちない態度で拓也と昂を交互に見つめる綾花を尻目に、拓也は綾花から昂を引き離そうと必死になる。だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
「ふわわっ」
激しい剣幕で言い争う拓也と昂に対抗心を覚えたのか、気がつくと元樹は右手を伸ばし、綾花の腕を無造作につかんでいた。
「…‥…‥も、元樹くん?」
顔を覗き込まれた綾花が、きょとんと顔を上げる。そして、元樹と視線が合うと、今度は恥ずかしそうに俯いて頬を赤らめた。
それにつられて、綾花の顔を覗き込んでいた元樹も、顔を真っ赤に染めて思わず視線を逸らしてしまう。
「おい、元樹!」
「おのれ~、貴様!我が、綾花ちゃんに抱きついているのを邪魔するとは許さぬでおくべきか!」
自分とは違い、綾花に抱きついているはずの拓也と昂からの意外な反応に、元樹は一瞬、目を丸くした後、今度は声を立てて笑った。
そのまま笑い出したい自分を抑えながら、元樹は言う。
「はははっ、拓也らしいな。まあ、俺も拓也と一緒で、綾を離すつもりなんて毛頭ないけどな!」
「一緒にするな!」
「あっ、悪い。舞波とは違うから安心しろよ」
呆れ顔の拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなく思ったことを口にする。
「ううっ…‥…‥」
激しい剣幕で言い争う拓也と昂と元樹に、綾花は身動きが取れず、窮地に立たされた気分で息を詰めてしまう。
だが、この時、昂の机の上に置いてあった麻白の白いリボンが突如、淡い光を放っていたことには誰も気がつかなかったのだった。
「綾花、大変よ!」
「綾花、大変ー!大変ー!」
その衝撃の知らせは、綾花が昂と対戦した数日後の放課後にやってきた。
いつもなら、茉莉と亜夢は教室で綾花に抱きついてきたりするものなのだが、この日は違った。
綾花達の教室ではなく、何故か昇降口で、茉莉と亜夢が動揺をあらわにして綾花に抱きついてきたのだ。
さすがに綾花も、綾花と一緒に下校していた拓也も、驚きを隠せずに言った。
「…‥…‥ど、どうしたの?茉莉、亜夢」
「どうしたんだ?星原、霧城」
「今度、おこなわれるドームの公式の大会から、黒峯玄達のチーム、『ラグナロック』が復帰することになったんだが、そのことで黒峯玄の父親が舞波に訪ねてきたんだ」
綾花と拓也が躊躇うように不安げな顔で聞くと、昇降口の入口の近くにいた元樹が強ばった顔で、綾花に抱きついている茉莉と亜夢の代わりに答えた。
「黒峯玄の父親が!」
「…‥…‥ああ。ここは、さすがに人目がある。場所を変えよう」
やや驚いたように振り向いた拓也に、腕を頭の後ろに組んだ元樹が平たく言う。
「わ、分かった。行くぞ、綾花」
「…‥…‥あ、たっくん、待ってよ」
拓也は焦ったように綾花の手を取ると、足早に校舎裏へと向かう元樹の後を追って昇降口を歩いていく。
校舎裏は、校舎の陰で陽が当たらず、昼食を摂るにも休憩を取るにも向かない暗所だ。一般生徒は用事がない限り、まず近づくことはない。
もっとも今ではその秘匿性から、拓也達が学校内で秘密裏に会話を行わうための場所として使われていることが多い。
拓也はそれでも人影がないか確認してから、元樹に視線を戻す。
「元樹、どういうことだ?」
驚きを隠さずに、拓也は警戒心をあらわにして訊いた。
「どうして、黒峯玄の父親が、この学校に来ているんだ?」
「先生から聞いたんだが、五限目の授業が始まった時に、1年C組の教室で、舞波の机の上に置いてあった黒峯麻白のリボンが突然、消えたらしい」
「麻白のリボンが!」
「なっーー」
その衝撃的な台詞は、何の前触れもなく告げられた。
意外な元樹の言葉に、綾花が輪をかけて動揺し、拓也は目を見開いて狼狽する。
「…‥…‥リボン」
そうつぶやいた瞬間、奇妙な想いが再び、綾花の脳内にぽつりと流れ込んでくる。
『あたしのリボンがなくなった』
麻白の想いに誘われるように、傷ついた表情を浮かべ、顔を伏せた綾花の様子を見かねた拓也が、抑揚のない口調で訊いた。
「もしかして、黒峯麻白のリボンが消えたことと、黒峯玄の父親がこの学校に来たことは、何か因果関係があるのか?」
「ああ。恐らく、黒峯玄の父親は、舞波が黒峯麻白のリボンを調べるために、学校にまで持ってくることを見抜いていたんだろう。そして、何かしらの方法で、舞波が通っている高校を割り出したんだ。既に舞波が、魔術で俺達のことを特定できないように小細工しているはずなのに妙だな」
そのとらえどころのない玄の父親の行動の不可解さに、元樹は思考を走らせる。
咄嗟に、拓也が思い出したように口を開いた。
「舞波のおじさんの息子の学校だから、黒峯玄の父親は分かったんじゃないのか?」
「それでも、舞波の魔術の効果で、今まで判明しなかったよな。雅山が入院していた総合病院は、すぐに黒峯玄の父親に知れ渡り、訪問されていたというのに」
「ーーっ」
「…‥…‥ううっ」
きっぱりと告げられた元樹の言葉に、拓也が眉をはねあげ、綾花は驚きの表情を浮かべた後、すぐにみるみる眉を下げて表情を曇らせた。
「黒峯麻白のリボンには、まだ何か秘密があるのかもしれない」
「…‥…‥秘密」
顎に手を当てて断言してみせた元樹に、俯いていた綾花が微かに肩を震わせたのだった。




