番外編第二十三章 根本的に彼女の彼の呼び方だけは変わらない
「おのれ…‥…‥、黒峯蓮馬め」
放課後、昂は一人、1年C組の教室の自分の席で悔しそうにうなっていた。
昨日、昂が意図したとおりに、黒峯玄の父親を出し抜き、綾花をもとの姿に戻すことに成功した。
その点では、昂の目論見はほぼ成功したと言えるかもしれない。
しかし、である。
ひとつだけ、昂が見誤っていたことがあった。
それは、玄の父親の書斎から、魔術の知識が書かれた書類を勝手に持ち出した、ということだった。
必然的に、社長の重要な書類を持ち出した昂の父親は懲戒処分となり、昂自身もお昼休みに、昂の母親から学校の電話越しに、今回のことを説明されたのだった。
当然のことながら、昨日、やっとの思いで手に入れた魔術の知識が書かれた書類もあっさりと没取されてしまった。
そして、再発防止の注意勧告とともに、玄の父親から懲戒処分を取り消す代わりに、黒峯麻白に関して、ある提案を持ちかけられてしまったのだった。
何故、我の家族が、このような目に遭わねばならぬのだ。
しみじみと感慨深く昂が物思いに耽っていると、二年の教室から拓也達とともにやって来た綾花が、不安そうな顔で声をかけてきた。
「舞波くん、先生から話を聞いたんだけど、私のせいで、舞波くんの家族に迷惑をかけてごめんなさい」
「あ、綾花ちゃん」
あくまでも進らしい綾花の謝罪の言葉に、昂は先程までの怒りなど忘れたように、突っ伏していた机から勢いよく顔を上げるとぱあっと顔を輝かせた。
「心配するな、綾花ちゃん。黒峯蓮馬に魔術の知識が書かれた書類を奪われ、綾花ちゃんに対して、ある提案を持ちかけられてしまったのだが、我がいる限り、何の問題もないのだ」
「ある提案?」
「うむ。オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会のチーム戦に出場するために、麻白ちゃんの姿の綾花ちゃんに『ラグナロック』のメンバーの一人として、大会に出場してほしいというものだ。その際、綾花ちゃんのーー麻白ちゃんのサポート役として一人、付き添っても構わぬらしい」
訝しげな拓也の問いかけにも、昂はなんでもないことのようにさらりと答えてみせた。
拓也がさらに何かを言う前に、意を決したように、元樹が拓也と昂の会話に割って入ってきた。
「やっぱり、そうきたか」
「元樹、どういうことだ?」
拓也が意味を計りかねて元樹を見ると、元樹は眉を寄せて腕を頭の後ろに組んで言った。
「オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チーム『ラグナロック』のメンバーの一人、黒峯麻白がチームに復帰したはずなのに、いまだに『ラグナロック』は、どの大会にも出場していない」
拓也の言葉にそう答えた元樹は、携帯を取り出すと、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チーム『ラグナロック』のことをネット上で検索してみる。そして、表示された『ファンからの黒峯麻白のーーそして、チームの復帰を望む声』の多さを見ながら、こっそりとため息をつく。
「もうすぐ、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会が始まるっていうのに、さすがに、このままではまずいと黒峯玄の父親は判断したんだろうな」
「はあ~、昨日、もう二度と、綾花に会わせるつもりはないと告げたはずなんだけどな。黒峯玄の父親はどんな手段を用いても、黒峯麻白の姿をした綾花に会いたいんだな」
困惑したように軽く肩をすくめてみせる拓也に、元樹は決然とした表情で言った。
「ああ。だから、こちらも相手の作戦を逆手に取り、あえて黒峯麻白の姿をした綾を『ラグナロック』に復帰させようと思う」
「黒峯麻白の姿をした綾花を、『ラグナロック』に復帰させる!?」
怪訝そうな顔をする拓也に、元樹はきっぱりとこう続けた。
「もちろん、昨日の件があるため、ただ、チームに復帰させるつもりはない」
「元樹、どういうことだ?」
元樹がふてぶてしい態度でそう答えると、拓也は不思議そうに首を傾げる。
「黒峯玄の父親は、黒峯麻白の姿の綾が『ラグナロック』のメンバーの一人として、大会に出場する代わりに、綾のサポート役として一人、チームに付き添っても構わないと言ってきた」
「だから、今回も、その作戦を逆手に取るわけか?」
黒峯蓮馬と元樹、お互いの呆れた大胆さに、拓也は思わず、眉をひそめる。
「ああ。綾のサポート役を、あえて一人と言わずに、俺達全員で引き受けようと思う。そうすれば、黒峯玄の父親から直接、綾を護ることができるしな」
「…‥…‥えっ?」
「俺達全員で、綾花のサポート役につくのか?」
思わぬ言葉を聞いた綾花と拓也は、元樹の顔を見つめたまま、瞬きをした。
だが、綾花達以上に動揺したのは昂だ。
元樹自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの顔をしていたが、昂は拳を震わせると、不服そうに顔をしかめて訴える。
「…‥…‥お、おのれ~、布施元樹!貴様、綾花ちゃんのサポート役を努める我と、麻白ちゃんの姿の綾花ちゃんとの楽しいチームメイト同士のひとときを邪魔するのが狙いだったのだな! 」
「勝手なことを言うな」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「そもそも、おまえは黒峯麻白を誘拐した張本人だろう。まあ、舞波の魔術の効果で、俺達の身元がバレることはないとは思うが、それでも、黒峯玄達からはすげえ不審がられそうだけどな」
「…‥…‥お、おのれ」
決死の言葉を元樹にあっさりと言いくるめられて、昂は悔しそうに唇を噛みしめた。
そんな中、綾花は一人、遠くへと視線を向ける。
『玄、大輝、お久しぶり~。あたし、帰ってきたよ!』
『…‥…‥麻白』
『ーーま、麻白なんだな!』
「えへへ。また、ただいまって言えるね、玄、大輝…‥…‥」
一昨日の黒峯玄と浅野大輝との会話を思い出して、綾花はほのかに頬を赤くし、両手を胸に当てると、麻白の想いに誘われるままにこの上なく嬉しそうに笑ったのだった。
昂の父親がさらなる懲戒処分を受けないためにも、チームに復帰することになった黒峯麻白の姿をした綾花のサポート役を、拓也達全員で引き受ける。
元樹が拓也達に提案したのは、あくまでもなりふり構わない直接的な手段だった。
しかし、それは想像していた以上に難解で困難極まりないことなのだと、拓也は痛感させられていた。
なにしろ、黒峯麻白の姿をした綾花を『ラグナロック』に復帰させて、なおかつ、彼女を黒峯玄の父親から護らなければならない。
そして、黒峯玄の父親は舞波さえも知らない魔術の知識やあらゆる情報操作を用いることによって、巧みに自分の都合よく状況を変革することができる。
玄達と一度、顔合わせをすることになった日、拓也はそれを嫌というほど実感することになった。
その日、玄の家の近くの自然公園で待ち合わせていた玄の父親の執事に連れられて、綾花達はやたらとおしゃれなブティック店へと入った。
様々な服と雑貨が並んでいるハンガーラックと棚に、奥には休憩スペースとしてアンティークのテーブルと椅子が設けられている。
一目で見渡せるこざっぱりとした店内には、玄の父親によって貸し切られているのか、祝日にしては閉散としていて人気はなかった。
「はあ…‥…‥、今から黒峯玄達と顔合わせするんだな」
「ああ」
いろいろなファッションが並んでいる店内を眺めながら、拓也と元樹は休憩スペースへと行くと空いた席に腰をおろす。
「たっくん、見て見て!玄と大輝が、あたしにプレゼントしてくれたの!」
玄の父親の執事から渡された服を試着室で着た後、拓也達のいる休憩スペースへとひょっこりと顔を覗かせた黒峯麻白の姿をした綾花は、目を輝かせて拓也達に言った。はにかんで黄緑色のフリル付きのフレアスカートの裾を掴むと、ふわりと一回転してみせる。
「はあ?たっくん?」
「うっ、だって、たっくんはたっくんだもの」
目を見開いて正面の綾花を見つめる拓也に、綾花はほんの少しむくれた表情でうつむき、ごにょごにょとつぶやく。
相変わらずズレたことを口にする綾花に、拓也は思わず頭を抱えたくなった。
「あやーーいや、麻白、その呼び方はさすがにまずいだろう」
「…‥…‥そ、そうかな」
「まあ、確かに、その呼び方の方が麻白らしいけどな」
拓也はそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ。それ、どういう意味?」
「まあ、気にするな。麻白は麻白ってことだ」
「気になるー」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
「確かに、麻白らしいよな」
「麻白ちゃん、我はもう待ちくたびれた!」
元樹がそう告げて、屈託なく笑ってみせた。
その途端、まるで見計らったように、休憩スペースへと乗り込んできた黒コートに身を包んだ少年ーー昂に、拓也と元樹はうんざりとした顔で冷めた視線を昂に向けてくる。
だが、そんな視線などどこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「黒峯玄、浅野大輝、あんな奴らなどほっといて、我と一緒にデートするべきだ!」
「ふわっ、ちょ、ちょっと」
それだけを言い終えると、ついでのように昂が綾花を抱きついてきた。
「おい!どさくさに紛れて、麻白に抱きつくな!」
「おまえ、勝手なことばかりするなよな!」
「否、我なりのやり方だ!そして、我は麻白ちゃんから離れぬ!」
ぎこちない態度で拓也と元樹と昂を見つめる綾花を尻目に、拓也と元樹は綾花から昂を引き離そうと必死になる。だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
「ううっ…‥…‥」
そんな中、激しい剣幕で言い争う拓也と元樹と昂に、黒峯麻白の姿の綾花はあかりの時と同じく、いつも以上に小柄なために身動きが全く取れず、窮地に立たされた気分で息を詰めていた。
「…‥…‥麻白」
「…‥…‥なんだよ、あいつら」
その一連の行動をブティック店に入るなり、思わぬかたちで目の当たりにしてしまった玄と大輝は、呆気に取られたようにぽつりとつぶやく。
「…‥…‥玄、麻白のサポート役としてあいつらと組むの、やめてもいいか。そもそも、『たっくん』は俺だろう。大輝だし」
「…‥…‥確かにそうだな」
大輝が不服そうに投げやりな言葉を返すと、玄は戸惑っているいつもどおりの妹の姿を見て、ほっとしたように微かに笑ってみせたのだった。
こうして、黒峯麻白を護る謎のサポート役の少年達を気にしながら、綾花が黒峯麻白として、チームに復帰することになったのだった。




