番外編第二十一章 根本的に遠想歌の行く末は
「おのれ~」
先を進んでいくごとに現れる、黒峯玄の父親の書斎に行くことへの警備員達の妨害から逃れるため、昂が逃げ込んだ先はバルコニーだった。
玄達が住んでいるマンション内に侵入した瞬間から、玄の父親の家で雇われている執事やメイド、挙げ句の果てには警備員らしき人物達から追いかけられてしまい、その度に昂は魔術を使って難を逃れてきたのだ。
昂はそれでも人影がないか確認してから、そのまま玄のマンションの室内がある方向へと視線を動かす。
「奴らは不死身のゾンビか?我を目の敵にしおって!我は黒峯蓮馬の書斎に行かねばならぬと何度告げても追ってくる!」
忌々しそうにつぶやいた昂は一人、淡々と言葉を連ね続ける。
「このままでは、麻白ちゃんを琴音ちゃんに戻せないではないか」
胸に手を当てて深呼吸をすると、昂はどうすれば追っ手を振り払って玄の父親の書斎に行くことができるのかを考え始めた。
だがすぐに考えるのを止め、昂は魔術を使おうと片手を掲げる。
「うむ、とりあえず、ここはーー」
『対象の相手の元に移動できる』魔術を使うべきだな。
昂がそう続けようとしたところで、バルコニーの奥から誰かの声がした。
「いたぞ、あの少年だ!」
警備員のかけ声に合わせて、さらに数名の警備員達が左右両方からバルコニーに駆け込んでくる。
あっという間に囲まれた昂は、彼らによってあっさりと捕らえられてしまう。
「な、なんなのだ! これは!」
拘束されながらも、昂は両拳を振り上げて不服そうに声を荒らげる。
「よし、ようやく、少年を確保したな!」
「後は、麻白お嬢様の居場所を吐かせないといけない」
「そうだな」
警備員数人に連行されながらも、昂はうめくように叫んだ。
「こ、これでは黒峯蓮馬の書斎に行くことも、魔術を使うこともままならないではないかーー!!」
なおも逃走を図ろうとするが、完全に囲まれていてとても逃げられないことを悟り、昂はがっくりとうなだれる。
その時、昂を連行していた人物の一人が、昂にだけ聞こえる声で静かに告げた。
「先程、社長の書斎に侵入した際に、魔術のことが書かれた書類を発見した」
「おおっ…‥…‥」
その声を聞いた瞬間、昂が溢れそうな涙を必死に堪え、その人物の顔を見上げる。
「昂、今すぐ、私を連れて、ここから逃げられるか?」
「もちろんだ、父上」
きっぱりと告げられた言葉に、昂は嬉しくなってぱあっと顔を輝かせた。
昂を連行していた人物の一人ーーそれは、警備員に扮して先に侵入を果たしていた昂の父親だった。
「社長の書斎で、彼女をもとに戻す方法が書かれた書類を発見した。今は、合流場所で、昂が隅々まで調べてくれている」
その昂の父親のメールが、元樹の携帯に届いたのは、つい先程のことだった。
その書類を調べれば、綾をもとに戻すことができるかもしれない。
しかし、そのためには、自分達が舞波達との合流場所へと向かわないといけなかった。
もしくは、舞波達にこちらの場所を伝えなければならない。
だが、元樹はそのどれもおこなうことができなかった。
何故なら、玄の父親と警備員達によって、綾花達は完全に包囲されていたからだ。
拓也は元樹に視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「元樹、どうする?」
「舞波のおじさんが、書斎で魔術に関する書類を発見したみたいだ。とりあえず、この場から離脱しようと思う」
「…‥…‥離脱?」
予想外の元樹の言葉に、拓也は少し意表を突かれる。
元樹はつかつかと近寄ってきて、拓也の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「ああ。だがその前に、黒峯玄の父親と協議交渉をするつもりだ。黒峯麻白の姿をした綾に会わせる面接交渉権をかけてな」
「「ーーっ」」
元樹が客観的方法を提案してきた事実よりも、この絶体絶命の状況の中で、なおも、その方法を提案してきたということに、拓也はーーそして隣で二人の会話を聞いていた綾花と、運転席に座っている昂の母親は衝撃を受けた。
拓也達の目的は、黒峯麻白の姿をした綾花をもとに戻すことだ。
そのために、間接的な協議交渉という名の一環として、あえて偽りの『黒峯麻白の誘拐』を装い、黒峯玄の父親に綾花のーー宮迫琴音の記憶操作が完了しているように錯覚させる。
その上で、黒峯玄の父親以外を別の場所に引きつけ、肝心の黒峯玄の父親に、条件付きで黒峯麻白の姿をした綾花にこれからも会わせることを交渉する。
そして、綾花を黒峯麻白の姿からもとに戻すように仕向けるのが、今回の作戦の大まかな流れだったはずだ。
それなのに、今、この場で直接、協議交渉をするということは、黒峯玄の父親に有利な状況で、交渉をおこなうことに繋がる。
舞波達がもとに戻す方法についての書類を手に入れたとはいえ、舞波さえも知らない魔術の知識を持っている黒峯玄の父親の有利な状況下で、これからのことに関しての交渉をおこなうのは危険極まりないのではないだろうかーー。
拓也の思考を読み取ったように、元樹は静かに続けた。
「…‥…‥そうでもしないと、黒峯玄の父親は俺達を逃がしてくれそうもないからな」
「ーーっ」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った元樹に、拓也は今度こそ目を見開いた。
苦々しい表情で、拓也はばつが悪そうに周囲を見渡す。
確かに、この場から離脱するためには、舞波達にこちらの居場所を知らせる必要がある。
舞波のおばさんが舞波達にこちらの居場所を知らせている間、俺達が黒峯玄の父親に協議交渉を持ちかけることで、逃げる時間を稼げるかもしれない。
咄嗟にそう判断した拓也が元樹に何かを告げる前に、元樹は意を決したように玄の父親の方を振り向くと、神妙な面持ちで話し始めた。
「黒峯蓮馬さん。黒峯麻白さんについて、俺達と交渉して頂けませんか?」
元樹の言葉に、心動かされるものがあったのだろうか。
幾分、表情をゆるめて、玄の父親が尋ね返す。
「麻白についての交渉…‥…‥?」
「はい。これからも、黒峯麻白さんをあなた達に会わせることを約束します。ですが、代わりに俺達の条件をのんでくれませんか?」
「必要がない条件を何故、のむ必要がある」
冷たく切り捨てた玄の父親に、元樹は少し声を落として告げる。
「あなたが黒峯麻白さんに、いえ、宮迫に施した記憶操作は、既に舞波が解除しています」
「なっ!」
鋭く声を飛ばした玄の父親に、元樹は冷静に目を細めて続けた。
「そして、宮迫の髪に結わえられた白いリボンに施されていたのが、機械による記憶操作だけではなく、姿を一定に保つという魔術の知識によるものと、そしてーー黒峯麻白さんの人格断片だということも知り得ています」
「それを知ったからと言って、何になる」
「知っているからこそ、聞けることがあります」
元樹の言葉に、玄の父親は訝しげに首を傾げてみせる。
今、目の前にいる黒峯麻白は、本当は宮迫琴音だった。
元樹が告げた意外な真実を前にしても、警備員達には動揺した様子はない。恐らく、ここにいる警備員達は、既に真相を知り得ている者達なのだろう。
余裕の表情をみせる玄の父親に対して、元樹はあくまでも率直に告げた。
「ーーあなたはこんなかたちで、宮迫の存在を犠牲にするかたちで、黒峯麻白さんを生き返らせて満足なんですか?」
「…‥…‥君達もあの時、聞いていたはずだ。ずっと、会えなくてもいい。誰かに迷惑をかけることになっても、麻白がーー家族が笑っていたあの時を取り戻す。例え、それが『宮迫琴音』という少女の存在を、犠牲にする手段だったとしても、私は必ず、成し遂げてみせる」
「ーーなっ」
「ーーっ」
成し遂げるというフレーズに、拓也と元樹は明確に表情を波立たせた。
しかし、その言葉は、拓也達の想像をはるかに越えて、綾花を強く刺激していたらしい。
その言葉を聞いた途端、綾花は必死の表情で言い募った。
「俺は、黒峯麻白ではないです!」
「ーーっ」
突然、話し方が変わった黒峯麻白の姿をした綾花の豹変ぶりを前にして、玄の父親と警備員達はさすがにうろたえる。
綾花は顔を俯かせると、辛そうな顔をして言った。
「…‥…‥ごめん、驚かせて…‥…‥。でも、本当に俺は宮迫琴音なんだ」
「…‥…‥君の意思は関係ない。麻白の人格断片をーー麻白の心を受け継いだ君は、もう麻白なのだから」
綾花の説得をよそに、玄の父親は大げさに肩をすくめてみせる。
「でも、麻白の心の一部を持っているとしても、麻白の想いや望みが分かる程度で、俺は麻白じゃーー」
顔を上げた綾花はそれでも、しっかりとした口調で訴えようとして、
「ーー君は、麻白だ!」
と、拒絶の意思を如実に込めた玄の父親の言葉に強く遮られた。
不意に、目の前の玄の父親から距離を感じて、綾花は傷ついた表情を浮かべて俯く。
押し黙ってしまった綾花を見かねて、拓也はきっぱりと言った。
「あなたが宮迫を無理やり、黒峯麻白にするというのなら、俺達はもう二度と、黒峯麻白の姿をした宮迫に会わせるつもりはありません!」
「…‥…‥ならば、麻白を、君達から取り戻すとしよう」
決意のこもった拓也の言葉を尻目に、表情の端々に自信に満ちた笑みをほとばしらせて、玄の父親は言う。
「まあ、その前に、逃げさせてもらうけどな」
「ああ」
「…‥…‥っ」
警備員達に捕まりそうになってあわてふためいている綾花の手を取ると、元樹と拓也は昂の母親が待っているワゴン車へと再び、乗り込む。
そんな中、玄の父親はふっと悟ったような表情を浮かべて言った。
「そんなことできるはずがない。麻白の姿をした彼女を、このままにはしておけないはずだ」
「だろうな」
確信を持った笑顔。
その表情を見た瞬間、玄の父親は元樹のーー元樹達の思惑を理解した。
偽りの麻白の誘拐、昂くんのマンションへの侵入、そして、あえて誘拐を装うことによって、自分に宮迫琴音の記憶操作が完了しているように錯覚させる。
その全てが、本命である行動を隠すためのフェイクだとしたら?
本命である行動ーー。
つまり、彼らには他に協力者がいる可能性を示唆すればーー全て、つじつまが合う。
恐らくは、昂くんの父親の舞波あたりかーー。
玄の父親が顎に手を当てて真剣な表情で思案し始めようとした矢先、ワゴン車に乗り込もうとしてきた警備員の一人を拓也とともに振り払った元樹は屈託なく笑った。
「悪いけど、既に、宮迫をもとの姿に戻す方法は見つかっているんだよな。そして、ここから離脱する方法もな」
「なっーー」
元樹が捨て台詞のように言い切ると、次の瞬間、ワゴン車ごと、綾花達の姿はその場から消え失せたのだった。




