番外編第二十章 根本的に彼らは攻略できるか
「…‥…‥玄、大輝、父さん、母さん」
黒峯麻白の姿をした綾花は困り果てたように、黒峯玄達が住んでいるマンションの階の前で立ち往生していた。今回の用件を伝えるために、インターホンを押そうと恐る恐る手を伸ばすのだが、すぐに思い止まったように手を引っ込めてしまう。
「…‥…‥あたし、どうしたらいいのかな」
それを何度か繰り返した後、綾花がぽつりとそう言った。決して泣いてはいなかったが、代わりにその表情は乾いていた。
何故ならーー。
「おのれ、黒峯蓮馬!我を出し抜いたことを一生、後悔させてやるのだ!そして、今度こそ、我の魔術で黒峯蓮馬を返り討ちにしてくれよう!」
一応、誘拐犯という名目になっている、黒コートに身を包んだ、怪しげな格好をした少年ーー昂が、綾花の背後で、不愉快そうに顔を歪めながら、ぶつぶつとつぶやいていたからだ。
「これでもう、麻白ちゃんは我のものだ!」
挑戦的な笑みを浮かべた昂は、綾花の代わりに意気揚々とインターホンを押した。
「はい」
インターホンから、玄の父親と思われる男性の声が聞こえてきた。昂が簡単に要件を伝えると、オートロックが解除された後、玄関のドアが開かれ、中から一人の男性が綾花達を出迎えた。
「麻白!」
「あっ…‥…‥と、父さん」
少し慌てた様子の玄の父親の姿に、綾花は思わず少し感極まってしまう。
だが、玄の父親には、昨日の時のような毅然な姿は見受けられなかった。代わりに、確信に満ちた顔で笑みを深める。
「黒峯蓮馬、分かっていると思うが、今すぐ、黒峯麻白ちゃんを宮迫琴音ちゃんに戻すべきだ!」
「父さん、この人、さっきから変なことばかり言うの!あたしが麻白じゃないって…‥…‥」
困惑したように助けを求める綾花の姿を見て、昂はさも意外そうに言った。
「むっ、なにを言っているのだ?琴音ちゃんは、琴音ちゃんではないか」
「…‥…‥麻白を返してもらおうか?」
綾花のその反応に、玄の父親は満足そうに頷くと淡々と言う。
「否、断る」
予測できていた昂の即答には気を払わず、玄の父親は本命の問いを口にする。
「麻白を私達に返してくれるというのなら、宮迫琴音さんをもとに戻してもいい」
「むっ?どういう意味なのだ?」
意外な提案に、昂の鋭い目が細められる。
昂が先を促すと、玄の父親は神妙な面持ちでこう言葉を続けた。
「宮迫琴音さんには、麻白として生きてほしい。麻白として生きてくれるというのなら、彼女の記憶操作も解除しよう。そして、度々、君達にも会わせることを約束する」
一呼吸おいて、玄の父親は異様に強い眼光を綾花に向ける。
「ずっと、会えなくてもいい。誰かに迷惑をかけることになっても、麻白がーー家族が笑っていたあの時を取り戻したい。例え、それが『宮迫琴音』という少女の存在を、犠牲にする手段だったとしてもーー」
「それでは意味がないのだ!」
その昂の言葉が合図だったように、エレベーター付近に隠れていた、目深まで帽子を被った二人組の少年達が焦ったように綾花の腕を掴む。
「ーー宮迫、行くぞ!」
「舞波、頼む!」
少年達の声に応えるように、昂は魔術を使うために片手を掲げる。
「むっ!」
「ふわわっ!」
そして、咄嗟に使われた昂の魔術によって、彼らは驚きの声を上げる彼女とともに、マンションから逃げるようにして消えていった。
「ーーなっ?」
不可解な現象と不自然な少年達の行動に、玄の父親は思わず目を見開く。
「黒峯蓮馬、もらったのだ!」
その隙を突いて、昂は颯爽と玄の住んでいるマンション内に侵入する。
「…‥…‥『姿を消す魔術』と『対象の相手の元に移動できる魔術』か」
昂が室内に立ち去っていくのを見遣ると、玄の父親は防犯カメラにさえ映っていなかった少年達が突如、姿を現した現象と、綾花とその少年達が消えた事情を察して忌々しそうにつぶやいた。
玄の父親は携帯を取り出すと、あらかじめ室内と地下の駐車場に配置していた警備員数名と連絡を取り合う。
「 黒コートの少年が一人、室内に侵入した。恐らく、書斎に向かっているものだと思う。即急に、取り押さえていてくれないか」
周囲に目を配りつつ、玄の父親は厳かな口調で指示を続ける。
「それと、私は麻白をさらった者達を追う。今すぐ、車を配備してほしい」
あまりに自然かつ素早い反応をした玄の父親は一度、目を閉じると、速やかにその場を後にしたのだった。
昂の魔術によって、黒峯玄のマンションを抜け出した帽子を被った少年達ーー拓也と元樹は、黒峯玄の父親の追っ手を振り切るため、昂の母親が待っているワゴン車へと向かっていた。
拓也は黒峯玄のマンションがある方向に一旦、視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「黒峯玄の父親は、かなり手強い相手みたいだな」
「ああ。まさか、こういう手段でくるとはな」
元樹の言葉に、拓也はほんの数分前にマンションでかわした黒峯玄の父親と昂の会話を思い出す。
『宮迫琴音さんには、麻白として生きてほしい』。
黒峯玄の父親が口にしたその言葉は、考えられる限り、最悪に近い内容だった。
それだけ、黒峯玄の父親も思い詰められているということなのだろう。
元樹はマンションを背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「綾、今すぐ、上岡として振る舞えるか?」
「…‥…‥進に?」
綾花はそうつぶやくと、怪訝そうな顔で拓也と元樹を交互に見遣った。
「…‥…‥早くも、黒峯玄の父親の追っ手が来たみたいだ。ワゴン車に乗り込んだら、すぐに逃げないといけない」
「なっーー」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った元樹に、拓也は目を見開いた。
咄嗟に、拓也が焦ったように言う。
「もう、こちらの位置を把握してきたのか?」
「恐らく、俺達がもう一度、黒峯玄の父親と接触することは想定済みだったんだろう。この辺り一帯に、包囲網が張られている可能性がある」
「ーーっ」
ごく当たり前のことのように告げられた事実に、拓也は目を丸くし、驚きの表情を浮かべる。
少し間を置いた後、元樹は幾分、真剣な表情で続けた。
「綾、上岡は確か、絶叫系は大丈夫だったよな。それなら、舞波のおばさんが少し、スピードを上げても問題はないだろう」
「あ、綾花のままでも、大丈夫だもの」
「本当か?俺と二人で、テーマパークに行った時は、あんなに絶叫系に乗りたくなさそうだったけどな」
あくまでも強がりを言い続ける綾花に対して、拓也は咄嗟にそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。
指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ、綾花としては苦手だけど、進としては平気だもの。…‥…‥だ、だからーー」
「…‥…‥だから、上岡として振る舞わないといけないんだろう」
「…‥…‥うっ、たっくんの意地悪」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
いつものほんわかとした綾花とのやり取りに、拓也は一瞬、黒峯玄の父親の追っ手に追われていることなど忘れそうになってしまう。
だが、背後から聞こえてきた声が、拓也を現実へと引き戻した。
「いたぞ!」
「麻白お嬢様!」
「ううっ、…‥…‥お、お嬢様」
警備員達の呼びかけに、おろおろとあわてふためく綾花の手を取って、拓也と元樹は昂の母親が待っていたワゴン車へと乗り込む。
ハンドルを握りしめた昂の母親が、綾花達に言い聞かせるようにして告げた。
「行くよ、みんな!しっかりつかまっているんだよ!」
「はい」
「お願いします」
昂の母親がそこまで告げると、拓也と元樹は視線を床に落としながら請う。そしてまだ、進として振る舞えていない綾花へと視線を向ける。
「綾!」
「うんーーいや、ああ」
元樹の指摘に、咄嗟に口振りを変えた綾花は俯き、一度、言葉を切った。
だけど、すぐに顔を上げると、拓也と元樹に相次いで、綾花も粛々と頭を下げる。
「お願いします!」
「ーーじゃあ、行くよ!」
その言葉が合図だったように、昂の母親がアクセルを踏み込む。
「なっ!」
「うわっ!」
猛然と走り出したワゴン車に翻弄される警備員達を尻目に、綾花達はその場を後にするのだった。
「これは…‥…‥!」
「想像以上の包囲網だな…‥…‥」
拓也の言葉に、元樹が多少、深刻な表情でつぶやく。
ワゴン車に乗り込んでから数十分後、綾花達は人目のない路地で一旦、車を止めていた。
先を進んでいくごとに現れる黒峯玄の父親の妨害から逃れるため、綾花達がひとまず、逃げ込んだ先は路地裏だった。
ワゴン車が走り出した瞬間から、黒峯邸の警備員や部下、挙げ句の果てには警察官らしき人物から検問を受けてしまい、その度に昂の母親は上手くごまかして難を逃れてきたのだ。
拓也はそれでも人影がないか確認してから、そのまま黒峯玄のマンションがある方向へと視線を動かす。
「このままじゃ、とても、黒峯玄の父親と協議交渉なんておこなえそうもないな」
忌々しさを隠さずにつぶやいた拓也に、後ろに座っていた元樹が静かに告げる。
「ああ。これだけの包囲網を張られたら、俺達も何らかの手を打たないといけない。そうしないと、綾をもとに戻すための協議交渉どころじゃないからな」
「はあ~、黒峯玄の父親は何故、黒峯麻白の姿をした綾花が度々、会いに行くだけじゃ満足できないんだろうな」
困惑したように軽く肩をすくめてみせる拓也に、元樹は決然とした表情で言った。
「まあ、実際に黒峯玄の父親は、雅山が分魂の儀式における『補足魔術』で生き返った姿を目の当たりにしているはずだからな。恐らく、雅山あかりが生き返れたのに、黒峯麻白は生き返れないという理不尽さに、不満を抱いているんだろうな」
「だから、綾花を、本物の黒峯麻白にするつもりだったわけか?」
黒峯蓮馬の呆れた大胆さに、拓也は思わず、眉をひそめる。
「あの後、舞波がリボンをいろいろと調べた結果、分かったことがある。綾の髪に結わえられた白いリボンに施されていたのは、機械による記憶操作と、姿を一定に保つという魔術の知識によるものと、そしてーー黒峯麻白の人格断片だ」
「…‥…‥黒峯麻白の人格断片?」
一瞬の静寂の後、驚きをそのまま口に出したのは、拓也だった。
その拓也の疑問に、隣に座っていた綾花が元樹の代わりに答える。
「麻白の心の一部みたいなものかな。まあ、俺のーー進の時とは違って、麻白の想いや望みが分かる程度だけどな」
綾花は拓也に麻白の人格断片についてのことを打ち明けた後、拓也に向かって真摯な瞳で伝えた。
「リボンをつけられた時、麻白の心の一部が俺の心に宿ったんだ。だから、もし、あの時、昂の魔術で記憶操作の解除をしてもらえなかったら、俺、自分が麻白かもしれないって思っていたんだろうな」
「ーーっ」
さすがに、予測不能な突拍子もない言葉だったのだろう。
綾花の発した言葉に、拓也は固まり、言葉を発せない。
完全に理解を越えた内容に、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「綾を黒峯麻白にする。黒峯玄の父親が、綾に告げたあの言葉は、決して比喩ではなかったわけだな」
「…‥…‥黒峯麻白の記憶と心の断片を持っている。それはある意味、今の上岡として振る舞っている綾花と近い状態になっていたわけか」
「ああ、恐らくな」
困惑する拓也に、元樹はしっかりと頷いた。
拓也は意を決したように綾花の方を振り向くと、神妙な面持ちで話し始める。
「綾花、絶対にもとの姿に戻してやるからな。黒峯玄の父親には、綾花を渡さない」
「ああ。綾は絶対に護ってみせる」
「ああ。ありがとうな、井上、布施」
拓也と元樹の何気ない励ましの言葉に、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
「だけど、黒峯玄の父親と、これからどうやって接触するかだな」
「何も考えなくていい」
独り言じみた元樹のつぶやきにはっきりと答えたのは、綾花でもなく、拓也でも昂の母親でもなく、全くの第三者だった。
「私は、既に君達の前にいるのだからな」
驚きとともに振り返った綾花達が目にしたのは、先程、マンションで会ったばかりの黒峯玄の父親と、こちらを完全に包囲している警備員達だった。
「ーーなっ!?」
「…‥…‥さあ、麻白を返してもらおうか?」
綾花達の驚愕に応えるように、黒峯玄の父親は嗜虐的に笑みを浮かべたのだった。




