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マインド・クロス  作者: 留菜マナ
分魂の儀式編
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番外編第十六章 根本的に彼女といつまでも

少女は泣いていた。

小学校の校舎裏で、黒峯玄はランドセルを背負った妹がしょんぼりとうなだれている姿を見かけた。何かを探しているかのように、視線をきょろきょろとさ迷わせている。

玄は少し困ったように、妹の顔を覗き込んで言った。

「…‥…‥麻白、どうした?」

「玄、あ、あたしのリボンがない」

言葉に詰まった麻白は顔を真っ赤に染めてぽつりと俯いた。麻白の瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

話を聞いてみると、どうやら、彼女が先程まで持っていたリボンが風で飛ばされてしまったらしい。

そんな麻白の手を取ると、玄は淡々としかし、はっきりと告げた。

「分かった。一緒に探そう」

「…‥…‥み、見つかるかな」

その麻白の涙声に、微妙に拗ねたような色が混じっている気がして玄は苦笑した。

「…‥…‥ああ、大丈夫だ」

「…‥…‥う、うん」

そう言って泣きじゃくる麻白の頭を、玄は優しく撫でてやった。

そして、もう片方の手で、震える小さな手に、玄はそっと力を込める。

麻白が泣きやむまで頭を撫で続けていた玄は、不意に背後から声をかけられた。

「おい、そこ、麻白に甘すぎだろう」

「大輝が冷たすぎ」

後から校舎裏にやって来た、玄と麻白の幼なじみである男の子に指摘されて、麻白は振り返ると不満そうに頬を膨らませてみせる。

「麻白、俺は冷たくないぞ。何故なら、ほら!」

「…‥…‥あっ」

「おまえのリボン、校門前まで飛ばされていたぞ!」

玄と麻白に向かって、幼なじみの少年ーー大輝は片手を上げる。その手には、なくしたはずの彼女の白いリボンがひらひらと揺れていた。

そんな彼らのやり取りを背景に、幻想的な淡い夕暮れはどこまでも広がっていた。


幼い頃の儚い想い出。

それは俺達にとって、どれだけ幸せな光景だったんだろう。

失ってから初めて、そのことに気づかされるーー。






「ただいま、母さん。心配かけてごめんなさい」

「ーーま、麻白!」

玄と大輝の二人と他愛ない会話をした後、麻白は玄の母親がいる部屋に入った。

部屋のドアを開けながら、開口一番、小声で謝ってきた麻白を見るなり、玄の母親は調度を蹴散らすようにして麻白の傍に走り寄ると、華奢なその体を思いきり抱きしめる。

あまりにも突然の出来事だったため、麻白はすぐには反応することができず、されるがままに抱き寄せられていた。

「…‥…‥麻白、麻白、おかえりなさい」

「…‥…‥ただいま、母さん」

先程まで焦点の合わない虚ろな表情を浮かべていたはずの玄の母親は、麻白を抱きしめると、初めて花が綻ぶように無垢な笑顔を浮かべる。

そんな母親の姿を、麻白は躊躇うように不安げな顔で見つめていた。

ーーごめんなさい。

本当は私、麻白じゃないの。

溢れる気持ちは、言葉にならずに熱となって喉元にせり上げる。

麻白をぎゅっと抱きしめながら、涙をぽろぽろとこぼれ落ちす玄の母親の姿に、麻白はーー麻白の姿をした綾花は胸が締めつけられるような気がした。

「麻白。少し、話しておきたいことがある」

麻白に抱きついている玄の母親を見て、別の部屋から出てきた玄の父親が深刻な面持ちで言う。

「…‥…‥麻白、お父さんのお話が終わったら、また、みんなでお話しましょう」

「…‥…‥うん」

玄の父親の言葉に躊躇うように顔を俯かせる玄の母親と同様に、綾花もまた、不安そうに身体を縮ませてこくりと頷く。

足早に書斎へと向かう玄の父親に連れられて長い廊下を歩きながら、綾花は不思議そうに小首を傾げた。

黒峯くんのお父さんは、私が麻白ではないことを知っている。

でも、黒峯くん達は私が麻白でないことを知らないのかもしれない。

だから、あえて席を外して、これからのことを話せる場所へと移動しているのかな。

うーん。

黒峯くん達に抱きしめられた時に、私ーー進から綾花に戻ってしまったけど、もう一度、進として振る舞った方がいいのかもしれない。

だけど、綾花のままでいくのか、進として振る舞うのか、答えを出せないまま、いつの間にか目的の場所であるーー書斎へとたどり着いてしまう。

書斎に入ると、玄の父親は一度、警戒するように辺りを見渡した後、綾花の方へと向き直る。そして、率直にこう告げた。

「…‥…‥麻白、いや、宮迫琴音さん」

「ーーっ」

宮迫琴音、その単語が出た瞬間、綾花の表情があからさまに強ばった。

「結論から言わせてもらう。君には、これから麻白として生きてほしい」

ぽつりぽつりと紡がれる玄の父親の意味深な言葉に、綾花は思わず、目を見開いた。

「で、でも、父さん。あ、あたしは麻白じゃないよ」

「君の意思は関係ない。君は、これから麻白になるのだから」

動揺しつつも拓也達から忠告されたとおり、綾花はどんな時でも麻白として振る舞い続ける。

だが、綾花の言葉には答えず、玄の父親は意気揚々と嬉しそうに、だが明らかに不可解なことを告げた。

綾花の理解が及ばない言葉。

だが、問題はそれではない。

もっと根本的な疑問をぶつける必要がある。

「それってーー」

どういうこと。そう続けようとした綾花は、


その言葉を言い終えるのとほぼ同時に、玄の父親から優しい手つきで大きな白いリボンを髪につけられた。

まるで、はじめからそれは仕組まれていた出来事だったかのように。


「リボン?」

そうつぶやいた瞬間、奇妙な記憶が、綾花の脳内に洪水のように流れ込んでくる。

あっ…‥…‥。

これって、あたしのリボンだよね。

玄が、あたしの誕生日プレゼントのために買ってきてくれた大切なリボンでーー

…‥…‥あれ?

あたしのリボン?

あたしは麻白じゃないのに、どうして…‥…‥?

それは綾花も拓也も、情報を集めていた元樹や昂さえも知り得なかったはずの不可解で不自然な麻白の記憶。

徐々に綾花の中で、直前に玄の父親が綾花の髪につけた白いリボンの謎が結びついて形を成していく。

もしかして、このリボンをつけた影響で、あたしのーー麻白の記憶が流れ込んできているの?

「あたし、あたしは…‥…‥」

きりきりと痛む頭を押さえながら、綾花は必死にリボンを取ろうとして自分自身を保とうとする。しかし、リボンはまるで張りついているかのように一向に取れる気配はない。

綾花が内心焦ったように、涙を潤ませたーーその時だった。


不意に、麻白の姿をした綾花がその場から姿を消した。


「ーーっ」

突如、起こった不可解な現象に、玄の父親は眉をひそめる。

玄の父親は書斎のドアの鍵が完全に閉まっていることを確認すると、先程まで麻白がいた方へと視線を向けた。

一瞬前まで確かにそこに立っていたはずの麻白は、影も形もなくなっていた。

「…‥…‥魔術、か」

麻白が消えた事情を察して、玄の父親は忌々しそうにつぶやいた。

「だが、既に仕込みは終わっている」

しかし、すぐに息を一旦、止め、まっすぐ麻白がいた場所を見つめると、玄の父親はその言葉を口にしたのだった。






「何故、取れぬのだ!」

ワゴン車内で、昂が地団駄を踏んでわめき散らしていた。

綾花を黒峯玄の父親から救い出した後、拓也達は綾花の髪に結わえられたリボンを取ろうとしたのだが、何故か、一向に取れる気配はない。

リボンに施されていた機械による記憶操作の解除は、昂の魔術によって果たされたのだが、肝心のリボンは昂の魔術を持ってしても外すことができなかった。

「これ、取れそうで取れないよな」

何度目かの挑戦後、元樹がふてぶてしい態度できっぱりと言う。

「おのれ~、黒峯蓮馬!せっかく、綾花ちゃんが麻白ちゃんの姿で麻白ちゃんとして振る舞ってくれたというのに、その好意を棒に振るとは!」

「…‥…‥はあ。黒峯玄の父親は、最初から俺達の約束を守る気はなかったみたいだな」

元樹が呆れたように嘆息すると、昂は不愉快そうに顔を歪めた。

「我は許せぬ!今後一切、我の家族は黒峯蓮馬とは縁を切るのだ!」

「…‥…‥それをしたら、おまえの父親は失業することになるんじゃないのか?」

「そんなことはどうでもよい。我のテリトリーの中で、綾花ちゃんを泣かせたというだけでも万死に値する。我は、黒峯蓮馬から綾花ちゃんを護らねばならなかったというのに、護りきれなかったのだ!」

元樹があっけらかんとした口調で言ってのけると、憤懣やる方ないといった様子で昂がそう吐き捨て、目の色を変えて綾花のもとに近づこうとする。

「…‥…‥ああ、許せないよな。だけど、黒峯玄の父親は綾に記憶操作のリボンを施したりと、このまま、黒峯麻白の姿をした綾のことを諦めるつもりはなさそうだ。再び、情報操作などの撹乱を起こさないか、気がかりだな」

これ見よがしに昂が憮然とした態度で言うのを聞いて、元樹はまるで苛立つように意識して表情を険しくするとまじまじと綾花を見た。

「ううっ…‥…‥」

麻白の姿をした綾花は、拓也に支えられながらも、頭を押さえながら思いつめた表情でしょんぼりとうなだれている。

「綾花、大丈夫か?」

「たっくん」

拓也が話しかけると、綾花は顔を上げて驚きの表情を浮かべたが、すぐにみるみる眉を下げて哀しそうな顔になった。

元樹は乾いた声で、もう一度、拓也と同じ質問をする。

「綾、大丈夫なのか?」

「…‥…‥も、戻れないの」

言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。

そんな綾花の反応に、元樹は表情をさらに険しくして軽く肩をすくめてみせる。

「戻れない?」

「私、麻白の姿から戻れないの」

拓也達は一瞬、綾花が何を言っているのか分からなかった。

複雑な表情を浮かべた拓也が、戸惑うように言う。

「綾花、どういうことだ?」

「麻白の姿になってから、もう四時間が過ぎたのに、まだ、私、麻白の姿のままなの」

そうして口にされたのは、思いもよらない言葉だった。

これには拓也と元樹と昂も、運転席で話を聞いていた昂の母親も唖然とした。

「なっーー」

「あ、綾花ちゃん、何を言っているのだ?」

「…‥…‥綾、本当なのか?」

状況がいまいち呑み込めない拓也と昂と不思議そうに問い返してくる元樹が、綾花をまじまじと見た。

拓也達の姿を視界に捉えると、急速に綾花の勇気は萎えていく。それでもギリギリのところで踏みとどまり、残された全ての勇気を動員して綾花は告げた。


「私、麻白から戻れなくなったの!」


その瞬間、拓也達は凍りついたように動きを止める。

彼女の衝撃的な言葉は、緊迫したその場の空気ごと全てをさらっていった。



黒峯麻白が退院したその日ーー。

瀬生綾花は、黒峯麻白の姿からもとに戻れなくなってしまった。


「麻白が望む未来を、私は手にしてみせる」


そしてその際、玄の父親が書斎に置いてある書類を見ながら、ぽつりとつぶやいた独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。

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― 新着の感想 ―
覚悟というか欲求のほどがうかがい知れる場面でした。敵ながら?思いの強さがよく伝わってきました。すさまじい執念ですね。そして、取れないとは。物理的などうにもならなさが、メンタル的にも相手方はどうにもなら…
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