番外編第十五章 根本的に偽りの再会を迎える
「我は納得いかぬ!」
綾花が、黒峯麻白として振る舞う当日ーー。
特急列車を乗り継ぎ、昂の母親が借りたワゴン車に乗って黒峯玄の家の近くへと向かっている途中、昂は後ろの席で地団駄を踏んでわめき散らしていた。
「井上拓也!何故、貴様が今回も綾花ちゃんの隣の席なのだ?貴様、今すぐ、その席を替わるべきだ!そうすれば、もれなく我は綾花ちゃんの隣で、綾花ちゃんという小さき天使を存分に見ることができるではないか! 」
「勝手なこと言うな!」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也は不愉快そうにそう告げる。
「我は、黒峯蓮馬から綾花ちゃんを護らねばならぬ、ーー護らねばならぬのだ!つまり、もう綾花ちゃんの隣の席は我のものだということだ!」
「なっーー」
あまりにも勝手極まる昂の言い草に、拓也は思わずキレそうになったがかろうじて思い止まった。
ワゴン車を運転していた昂の母親の静かな声が、車内に響き渡ったからだ。
「…‥…‥ほう、それで」
全身から怒気を放ちながら、昂の母親は昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ!は、母上、話を聞いてほしいのだ!我は、その、綾花ちゃんの隣の席に座りたくて仕方なくーー 」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を振る。
「…‥…‥ううっ、だ、大丈夫かな?バレたりしないかな?」
そんな中、拓也の隣に座っていた綾花は昂達が言い争っている車内に視線を向けると、躊躇うように不安げな顔でつぶやいた。所在なさげに持っている荷物をぎゅっと握りしめている。
綾花は藍色のカーディガンとシューズ に、フレアスカートを合わせて着ていた。
銀色の髪はツーサイドアップに結わえており、アースダウンハットの帽子を被っている。
そこに座っているのは、間違いなくいつもの綾花だ。
だが拓也には、綾花そっくりの少女ーー『宮迫琴音』がそこに座っているようにも思えた。
今回、綾花はもしもの時に備えて、あえて『宮迫琴音』の姿に扮している。
拓也は昂の母親がいる方向へと視線を向けると、はっきりと言った。
「綾花、きっと大丈夫だ」
「 心配するなよ、綾。今までいろいろと準備してきただろう。今の綾なら、黒峯麻白としてうまく振る舞えると俺は思うな」
「…‥…‥うん。ありがとう、たっくん、元樹くん」
ほんわかな笑みを浮かべて言う綾花を見て、拓也と元樹も笑顔を返す。
車内の窓に映る景色は、活気あふれる商店街から閑静な住宅街へと姿を変えていく。
やがて、ワゴン車は大橋を渡り、自然公園の横を過ぎ去った。
「わあっ!」
綾花は窓の外を通り過ぎる住宅街や自然公園などの景色を楽しげに眺めていたのだが、次第に姿を現した黒峯玄が住んでいると思われるーー超高級マンションの前に圧倒されてしまう。
「ううっ…‥…‥、あ、あれが、黒峯くんの住んでいるマンションなの?」
綾花は戸惑うようにぽつりとつぶやいた。
黒峯玄の家は、まさに毒気を抜かれるほどの壮麗な高級マンションだった。
「ーーっ」
冗談のような広大な敷地を前に、拓也も目を大きく見開き、驚きをあらわにした。
驚きににじむ表情のまま、拓也と綾花はおそるおそる昂を見遣る。
「うむ。我の父上が勤めている会社の社長の家だからな。すごいのは当然だ」
「…‥…‥すげえ、屁理屈だな」
「事実を言ったまでだ」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
「それにしても、なるほどな。確かにこれなら、黒峯麻白が亡くなったという事実を、長期入院中だということにあっさりと塗り替えられるわけだな」
きっぱりと断言した元樹は、今までネット上などで調べ上げた黒峯玄の父親の情報を再考し、眉をひそめる。
黒峯玄の父親は、経済界への影響力がかなり強い人物であることが分かっていた。
そうでなければ、亡くなったはずの黒峯麻白を、長期入院中などに塗り替えられるはずもない。
現に、黒峯麻白が長期入院中、そして退院だという噂が話題になった際にも、黒峯玄の父親は騒ぎを聞きつけたマスコミ達に対して、『麻白は今回の事故の後遺症で、記憶に一部、欠落があり、会える状態ではありません』と、テレビなどで一点張りに言い募っていたことを思い出す。
「そういえば、黒峯玄の父親とはどこで待ち合わせることにしたんだ?」
「ああ」
拓也の疑問を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「黒峯玄の家の近くに、自然公園があっただろう。そこで、黒峯麻白の姿をした綾と鉢合わせることにしている」
「自然公園で?」
呆気に取られたような拓也を見て、元樹もまた決まり悪そうに視線を落とす。
「ああ。雅山が入院している総合病院は、黒峯玄の父親がネット上などで大々的に退院することを告知してしまったせいでさ。ゲーム関係のマスコミが、病院の入口に集まっていて、俺達が入れる余地がないんだよ」
「なるほどな」
苦々しい表情で、拓也は隣に座っている綾花の方を見遣る。
実際、雅山が入院している総合病院の方に注目が集まっていて、黒峯玄の家の近くにはあまりマスコミの姿はない。
確かに、総合病院で待ち合わせるより、自然公園で落ち合う方が安全なのかもしれない。
だが、すぐに思い出したように、拓也は元樹の方に向き直るとため息をついて付け加えた。
「でも、黒峯玄の父親のことだ。今回のことに関して邪魔が入らないように、あえて雅山が入院している総合病院の方をマスコミに注目させたんじゃないのか?」
「ああ、恐らくな。だからこそ、俺達も慎重に事を運ばないといけない」
拓也の言葉に、元樹はきっぱりとそう答えた。
それは、仮定の形をとった断定だった。
「そんなことより、我は綾花ちゃんの演技力を信じている。綾花ちゃんのーー進の順応性は別格だからな」
「うん、ありがとう、舞波くん。絶対に私ーーいや、俺はやり遂げてみせる」
腕を組んで不遜な態度で告げた昂に、口振りを変えた綾花は俯き、一度、言葉を切った。
だけど、すぐに顔を上げると、綾花は苦々しい顔で吐き捨てるように言う。
「だけど、さすがに今回ばかりは、いろいろと大変そうだよな」
「…‥…‥綾花」
「まあ、それでも、俺は絶対にやり遂げてみせるけどな」
そう言うと、綾花は楽しそうに小さな笑い声を漏らした。
そうして笑っている姿は、いつもの綾花そっくりで妙な感慨がわいてしまう。
複雑な心境を抱く拓也とは裏腹に、綾花はひとしきり笑い終えると爽やかにこう言った。
「井上、布施、昂。今日はよろしくな」
「ああ。俺達も、できる限りのサポートをするな」
「無理はするなよ、綾」
拓也と元樹は綾花に視線を向けると、あくまでも真剣な表情で頷いた。
「うむ。我がいれば、何の問題もなかろう」
「…‥…‥ありがとうな、みんな」
拓也と元樹に続いて、昂が勝ち誇ったようにそう断言すると、綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、日だまりのような笑顔で笑ってみせる。
そんな彼らのやり取りをよそに、ワゴン車を運転していた昂の母親はほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべると、黒峯玄の家がある方向に視線を向けてこう言った。
「瀬生さん、そして進くん。本当に、いろいろなことに巻き込んじゃってごめんね」
昂の母親がぽつりとつぶやいた独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。
その日、亡くなったはずの黒峯麻白と落ち合うために、黒峯玄と浅野大輝が向かった先は、玄の家の近くにある自然公園だった。
「…‥…‥人がいないな」
目を細めて辺りを見回す大輝に言われるまでもなく、公園の中は閉散としていて人気はない。
ここなら麻白と会っても、誰かに聞かれてしまうという心配はないだろう。
玄は近くのベンチまで歩くと、大輝とともにその上に腰かける。
朝焼けに染まる空をぼんやりと眺めながら、玄の瞳には複雑な感情が渦巻いていた。
亡くなったはずの麻白と再び、こうして会えることはもちろん嬉しかった。
でも、玄は気づいていた。
これが、妹との仮初めの再会に過ぎないということをーー。
妹と会えるのは、父親が告げた特定の日ーーしかも、ほんの少しの間だけだ。
だが、それでも、玄はーー玄達は麻白に戻ってきてほしかった。
ベンチに座ってしばらくすると、腕を頭の後ろに組んでベンチにもたれかかった 大輝がぽつりと話し出した。
「なあ、玄。本当に、麻白は生き返ったんだよな」
「ああ。父さんはそう言っていた」
どこか辛辣そうな玄の言葉にも、大輝は嬉しそうに不適な笑みを浮かべる。
「そうか。麻白が戻ってきたら、今度は勝手に死んだりしないように見張っておかないとな」
「…‥…‥麻白が嫌がるぞ」
「それが麻白だろう」
怪訝そうな顔をする玄に、大輝はベンチから立ち上がるとふっと表情を消した。
「一度、死んでしまった影響で記憶喪失になってしまっても、麻白は麻白だろう。俺達のことを忘れてしまっているって言うんなら、すぐに思い出させてやろうぜ」
「…‥…‥大輝」
あっけらかんとした表情を浮かべた玄に対して、大輝は至って真面目にそう言ってのける。
不意に、大輝はあることに気づき、少し声を落として聞いた。
「だけど、実際に魔術で、本当に人が甦ることってあり得るのか?」
「分からない。だが、父さんは麻白が生き返ったと告げてーー」
玄がそう言い終える前に、どこからともなく、二人の虚を突く声が聞こえた。
「ーーところがびっくり」
不意に、全く予想だにしないーーだけど、誰よりも待ち望んでいた声が聞こえてきて、玄は思わず、目を見開いてしまう。
いつからいたのか、自然公園の入口前で、赤みがかかった髪の制服姿の少女が後ろ手を組んだまま、興味津々の様子で玄達を見つめている。
誰もが望んでいて、誰もが想像だにしていなかったことが今、現実に起きていた。
「父さんが言ったとおり、あたしは生き返ったんだよ」
二人が座っている自然公園のベンチにゆっくりと歩み寄ってきた少女に対して、玄は立ち上がり、ふと手を伸ばしそうになった。
その袖をつまんで、自分の方へと引き寄せたくなった。
だけど、代わりに玄の口からこぼれ落ちたのは、たった一つの言葉だった。
一度、口にしてしまえば取り返しのつかない、たった一つの言葉。
「…‥…‥麻白」
玄のその言葉に、満足げな笑みを浮かべた少女ーー麻白は、赤みがかかった髪をかきあげ、瞳に得意気な色をにじませて言い放った。
「玄、大輝、お久しぶり~。あたし、帰ってきたよ!」
「…‥…‥麻白」
「ーーま、麻白なんだな!」
その麻白の声を聞いた瞬間に、玄の心の中で何かが決壊した。
玄と大輝は調度を蹴散らすようにして麻白のそばに駆け寄ると、小柄なその身体を思いきり抱きしめた。
「ーーふわっ、ちょ、ちょっと、玄、大輝?」
麻白は少し驚いたように、玄と大輝を見上げる。
麻白が本当に魔術で生き返って、自分達のもとに戻ってきた。
ただ、それだけの事実が激しく玄の心臓を打ち鳴らし、ひとかけらの冷静さをも奪い去ってしまっていた。
夢の中で、玄は麻白を失う夢を何度も見た。
だが、もう、その夢を見ることはないかもしれない。
麻白は、こうして俺達のそばにいるのだからーー。
朝焼けの空を眺めながら、玄は確かにそう思った。




