番外編第十二章 根本的に彼女の声が届くように
「むっ?」
感極まったように何度も綾花を絶賛した後、昂はふと気づいたように意味深な表情を浮かべると、非難じみた眼差しを向けてくる拓也達を見遣った。
「そういえば貴様ら、何故、今日、我が『対象の相手の姿を変えられる』魔術を使ってくると分かったのだ?」
そのもっともな昂の疑問に、拓也はむっ、と唸るとなんとも言い難い渋い顔をした。
元樹は教室を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「おまえは、創立記念パーティーの時に言っていたよな?春休みの課題集を創立記念パーティーの三日前に終わらせたと」
「確かに告げたが、それがどうかしたのか?」
あっけらかんとした口調でそう答えてみせた昂に、元樹は立て続けに言葉を連ねた。
「それなら何故、その間に綾に会いに行かなかったんだ?」
「そ、それは…‥…‥」
「つまり、その間、おまえは何かをしていたことになるよな」
探りを入れるような元樹の言葉に、昂の顔が強張った。
拓也は綾花を背に、昂と対峙するように立つとはっきりと告げる。
「決定的だったのは、今朝の綾花に向けた交換ノートの内容だ。『我は今日、綾花ちゃんと一緒には帰れぬ。だから、井上拓也と一緒に帰ってほしい』。普段のおまえなら、絶対に俺と一緒に帰ってほしいなんて言わないからな」
「あ、綾花ちゃん、交換ノートを見せてしまっては元もこうもないのだ~!」
「…‥…‥おい」
昂が心底困惑して訴えると、拓也は低くうめくようにつぶやいた。
そんな中、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「最近、おまえが新たに産み出した魔術は『対象の相手の姿を変えられる』魔術だったよな。綾に渡して自分は使わないなんて、今までなかったからさ、きっと今回も何らかのかたちで使ってくると踏んだんだよ」
元樹自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの顔をしていたが、昂は不服そうに顔をしかめてみせる。
「…‥…‥お、おのれ~!井上拓也!そして、布施元樹!貴様ら、我の素晴らしい作戦を邪魔するのが狙いだったのだな!」
「自業自得なだけだろう」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「…‥…‥おのれ」
「…‥…‥ねえ、舞波くん」
昂が次の行動を移せずに歯噛みしていると、不意に綾花が少し気弱な笑みを浮かべて聞いた。
「舞波くんはもう、ゲーム雑誌などに掲載されていた、あの記事は見た?」
「もちろんだ。やはり、黒峯蓮馬は綾花ちゃんをあの者にーー麻白ちゃんの姿に変わってもらうことを諦めておらぬようだな」
表情を曇らせて沈んだ声に言う綾花に、昂はそう語りながら、持ってきていたゲーム雑誌を鞄から取り出すと隅々まで凝視する。
ゲーム雑誌の紙面の見出しには、このような内容が大きく書かれていた。
入院中だった、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チーム『ラグナロック』のメンバーの一人、黒峯麻白が来月、チーム復帰予定であるとーー。
「この展開は、さすがに想定外だよな」
「ああ。まさか、こうくるとはな」
拓也の言葉に頷いた元樹は、携帯を取り出すと先程、パソコン室で綾花達に見せた内容と同じく、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チーム『ラグナロック』のことをネット上で検索してみる。そして、表示された『ファンからの黒峯麻白の復帰を望む声』の多さを見ながら、こっそりとため息をつく。
「これ、絶対に、わざと綾に見せるためにしているんだよな」
「…‥…‥ううっ、そ、そうなのかな?」
決まりの悪さを堪えるように綾花がおろおろとしながら口元に手を押さえると、元樹はこともなげに言う。
「これだけ情報を流されれば、俺達も何らかの手を打たないといけない。そうしないと、次からは恐らく『宮迫琴音』、もしくは『雅山あかり』の情報を求める内容が発信される可能性があるからな」
「はあ~、その黒峯玄の父親は余程、黒峯麻白の姿をした綾花に会いたいんだろうな」
困惑したように軽く肩をすくめてみせる拓也に、元樹は決然とした表情で言った。
「ああ。だから、こちらも相手の作戦を逆手に取り、あえて黒峯麻白の姿をした綾を黒峯玄の父親に会わせようと思う」
「黒峯麻白の姿をした綾花を、黒峯玄の父親に会わせる!?」
怪訝そうな顔をする拓也に、元樹はきっぱりとこう続けた。
「いろいろと調べてみたら、黒峯麻白が入院していることになっている総合病院は、雅山が入院している病院と同じところらしい。既に、黒峯玄の父親の手によって、彼女が三週間後に退院することが決まっており、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の公式サイト上で彼女の退院時の動画を配信するという情報までバラまかれている」
「だから、その作戦を逆手に取るわけか?」
黒峯蓮馬と元樹、お互いの呆れた大胆さに、拓也は思わず、眉をひそめる。
「ああ。その日、黒峯麻白の姿をした綾が、実際に黒峯玄の家に行って黒峯麻白として振舞う代わりに、魔術書についてのことを詳しく教えてもらおう。そして退院した後も、黒峯麻白の姿をした綾に会わせる条件として、俺達が同行できる日のみであることと、これ以上、雅山や俺達のことを詮索しないようにしてもらう」
ただ、と元樹は言葉を探しながら続けた。
「実際に、黒峯麻白の姿をした綾が、大会に出場するかはまだ決めかねてはいるけどな」
「麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんを、黒峯蓮馬に会わせるだと?」
意外な元樹の言葉に、口に出しながら昂の思考は急速展開する。
そこで昂は何故、拓也達が自分にこのことを語ったのか事情を察知した。
思い至ると同時に、昂はまるで自嘲するようにせせら笑った。
「なるほどな。ネットやサイトというものは我には全く分からぬが、つまり、麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんが、黒峯蓮馬達のもとに度々、会いに行くためには、我の協力が必要不可欠だと考えたわけだな?」
「ああ。黒峯玄の父親が、綾を手放そうとしない可能性があるからな」
元樹は、昂の言葉に力強く頷いてみせた。
「それならばーー、綾花ちゃんが麻白ちゃんの姿になってくれるというのなら、我はできる限りの尽力をつくそう」
しれっとした態度で承諾されて、拓也は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「やけに、あっさりと承諾するんだな?」
「綾花ちゃんが、麻白ちゃんの姿で麻白ちゃんとして振る舞ってくれる。我が、このような重大なサプライズを見逃すわけがないではないか!」
そのもっともな昂の意見に、拓也は気まずそうにむっ、と唸る。
「…‥…‥ううっ。で、でも、私、麻白として振る舞ったりできないよ」
綾花はうろたえ、そして困り果てた。
亡くなった黒峯麻白の代わりに、黒峯麻白として黒峯玄達に会ってほしいと言われても、どうしたらいいのか分からなかったのだ。
元樹はそんな綾花の気持ちを汲み取ったのか、 手をぱんと合わせて懇願した。
「少しずつで構わない。綾が黒峯麻白として振る舞えるように、黒峯玄の父親から黒峯麻白の情報や特徴を教えてもらったり、舞波の魔術で、俺達や綾のーー宮迫のことを黒峯玄の父親達に悟られたりしないようにと、俺達もできる限りの協力をするからさ」
「…‥…‥う、ううっ」
元樹のその言葉に、綾花はみるみるうちに顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。
元樹は軽く息を吐くと、沈痛な表情を浮かべて何かを我慢するように俯いている綾花の前に立った。
「…‥…‥綾、すげえ不安にさせることを言ってしまってごめんな。だけど、俺も拓也と同じで、綾がーーそして、雅山達が傷つくのを見たくない」
元樹の言葉に、綾花は俯いたまま、何の反応も示さなかった。
そんな綾花に、意を決したように元樹が綾花の手をつかんで続ける。
「不安だと思う。苦しいと思う。それに、偽りの黒峯麻白として振る舞うのだって怖いと思う。でも、このままじゃ、やっぱりだめなんだよ。だから、勇気を出してくれないか」
「…‥…‥ううっ、元樹くん」
元樹の強い言葉に、綾花が断ち切れそうな声でつぶやく。
そんな綾花に、元樹は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「例え、亡くなってしまっても、雅山のように生き返れなくても、黒峯麻白の想いをーー夢を叶える方法はいくらでもあるだろう。 綾という、それを叶えてくれる存在がいるんだからな」
「ーーううっ、ご、ごめんね、ごめんね。元樹くん、ありがとう。私、頑張る。麻白の想い、頑張って伝えてみる」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。
もし、あの時、あかりが生き返れなかったら、春斗くん達は思い詰められた黒峯くんのお父さんのように傷つき、悲しみに暮れて立ち直れなくなっていたかもしれない。
自分がいなくなった世界で、自分の周りの人達が悲しみに暮れてしまう。
その事実を、綾花は進としても体験してきたことで、そのことを身を持って知っていたのだ。
あかり達には、そして黒峯くん達には、本当に心の底より、幸せになってほしいと思う。
その願いだけが、綾花の涙を拭わせていた。
今にも泣き出しそうな綾花の頭を、拓也はため息を吐きながらも、いつものように優しく撫でてやった。
「綾花が、黒峯麻白の想いに応えると決めたのなら、俺達は綾花の負担を少しでも軽くしてみせる」
「何か困ったことがあったら、すぐに俺達が助けるからさ」
「綾花ちゃん、大船に乗ったつもりで、我に全てを任せるべきだ!」
「…‥…‥うん。ありがとう、たっくん、元樹くん、舞波くん」
拓也と元樹と昂の何気ない励ましの言葉に、綾花はようやく顔を上げると嬉しそうに笑ってみせる。
「綾花、黒峯麻白として振る舞えるようになったら、またみんなで一緒にゲームでもしような」
「うん」
綾花の花咲くようなその笑みに、拓也は吹っ切れた表情を浮かべて一息に言い切ったのだった。
綾花と拓也と昂と元樹。
亡くなった黒峯麻白を生き返させるという、不可思議で奇妙な四人の共同作戦が、こうして幕を開けたのだった。




