番外編第十章 根本的に魔術書の真実に迫る
「本日は、我が社の創立記念パーティーに、多くの皆様にご出席頂きまして誠にありがとうございます」
司会の挨拶の下、進の父親が勤めている会社の創立記念パーティーは順調に進んでいった。
「はあっ…‥…‥」
いよいよ創立記念パーティーが始まったという思いと、予想以上の出席者が入っているという意識のせいで、拓也は身をすくむのを感じていた。
しかし、拓也と違い、他のみんなには気後れという概念はないようだった。
グラスを持ち、ぎこちなく視線をうろつかせる拓也の横では、元樹が気さくな感じで隣に立っている綾花に話しかけている。
綾花と他愛ない会話をしていた元樹は、不意にあることに気づき、ゆっくりと会場内を見渡し始めた。
先程まで浮かれ気分で、綾花とあかりとどうすれば婚約できるのか試行錯誤を繰り返していたはずの昂の姿が、いつの間にか見当たらない。そして、その話を聞いていた昂の父親も姿を消していた。
先程の昂の発言を想起させるような状況に、元樹は苦々しい顔で眉をひそめる。
元樹はつかつかと近寄ってきて、拓也の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「拓也。先程から、舞波と舞波のおじさんの姿が見当たらないよな」
「…‥…‥ああ。俺も気になっていた」
苦々しい表情で、拓也は元樹とともに会場内を見渡す。
舞波のことだ。
もしかすると、創立記念パーティーの時に、綾花と雅山、二人との婚約発表をお披露目するという、ろくでもないことを考えているのかもしれない。
悶々と苦悩していると、そんな不安さえ拓也の頭をもたげてくる。
また良からぬことを考えているのではないか、と思案に暮れる拓也を尻目に、顔を輝かせていた綾花が、不意に苦しそうに頭を押さえた。
「ーーっ。ううっ…‥…‥」
「綾花、大丈夫か!」
「綾!」
元樹とともに、立っているのも辛そうな綾花のもとに駆け寄ると、拓也は必死な表情で焦ったように言う。
その様子を見て、綾花の父親と進の両親ともに慌てて駆け寄ってきた綾花の母親が、不安そうに綾花に声をかけてきた。
「綾花、大丈夫なの?」
「う、うん、大丈夫だよ」
ぎこちなくそう応じる綾花の様子に目を瞬き、少しだけ首を傾げながら、綾花の母親は先を続ける。
「綾花。また、綾花の中の上岡くんの心の一部が雅山さんに憑依してしまっていたの?」
「…‥…‥う、うん。でも、あかり達が憑依の間隔のサイクルを見つけてくれて、いつ憑依が戻るのか分かるようになったから、前よりも楽になったみたいなの」
指先をごにょごにょと重ね合わせ、たまらず視線をそらした綾花に、綾花の父親は首を横に振ると問いかけるような瞳を綾花に向けた。
「それでも、頭痛の痛みは前と変わらないんだろう」
「…‥…‥うん」
「なら、無理をするな」
「…‥…‥うっ、ごめんなさい」
言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。
顔を俯かせて涙を潤ませている綾花に、綾花の母親は深々とため息をつき、こう告げてきた。
「ごめんね、綾花。お父さんとお母さん、やっぱり、まだ不安なの。綾花に上岡くんが憑依した上に、綾花の中の上岡くんの心の一部が雅山さんに度々、憑依してしまっているなんて」
「う、うん」
綾花の母親の言葉に、綾花が少し不安そうにそう言った。
すると、綾花の母親は言いづらそうに、おずおずと言葉を続ける。
「でも、綾花は綾花だものね」
「…‥…‥えっ?」
その言葉に、綾花は口に手を当てて思わず動揺した。
驚いた表情でじっと黙ったままの綾花に、綾花の父親はあえて軽く言った。
「ああ、そうだな。綾花は綾花だ」
「…‥…‥うん。ありがとう、お父さん、お母さん」
綾花が嬉しくてたまらないという表情で笑うと、綾花の両親は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
綾花の父親は進の父親の方に向き直ると、居住まいを正して真剣な表情で頭を下げてきた。
「今日は、このようなおめでたい席に私達家族も招待して頂き、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、どうかよろしくお願い致します」
綾花の父親の言葉に、進の父親は決然とした表情で深々と頭を下げる。
その様子を見て一瞬、遠い目をした綾花の母親の顔を見て、進の母親は穏やかに微笑んだ。
「瀬生さん、今日は息子ーーいえ、娘共々、よろしくお願い致します」
「は、はい。こちらこそ、娘共々、どうかよろしくお願い致します」
大切な想い出を語るように穏やかな表情を浮かべた進の母親につられて、綾花の母親も噛みしめるようにそっと笑みを浮かべてみせる。
「綾花、もう無理はしないでね」
「琴音、無理はしないようにね」
揃って同じことを告げた綾花の母親と進の母親は、互いの顔を見合わせるとくすりと笑みを浮かべる。
「…‥…‥む、無理はしていないもの」
「本当か?綾花の場合、一人にすると、すぐに無理をして迷子になりそうだけどな」
拓也は咄嗟にそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。
指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ、そんなことないもの」
「…‥…‥冗談だ」
「…‥…‥うっ、たっくんの意地悪」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
そして、一旦、綾花の両親達と別れた後、拓也は綾花を休ませるために、元樹とともに会場の外にある休憩スペースへと座る。
「たっくん、元樹くん、ありがとう」
「ああ」
拓也達が頷くと、綾花は嬉しそうに顔を輝かせた。
いつものほんわかとした綾花とのやり取りに、拓也は一瞬、昂達がいなくなったことなど忘れそうになってしまう。
だが、突如、目の前から聞こえてきた声が、非情にも拓也を現実へと引き戻した。
「綾花ちゃん、我の父上から重大な話を聞いたのだ!」
「…‥…‥」
拓也の嫌悪の眼差しに、昂は訝しげに大仰に肩をすくめてみせた。
「な、なんだ?不満そうな顔をしおって。貴様達にとっても良かったことではないか!」
昂が力強くそう力説すると、拓也と元樹は訝しげに眉根を寄せる。
「俺達にとっても、良かったこと?」
「どういうことだよ?」
「うむ。実は、父上が購入してきてくれた魔術書についてのことが分かったのだ」
「「ーーっ」」
魔術書というフレーズに、拓也と元樹は明確に表情を波立たせた。
舞波が憑依の儀式、そして分魂の儀式の際に使用したとされる魔術書。
そのうちの一つ、憑依の儀式に使用したとされる魔術書は、今現在は消滅しており存在しない。
だが、舞波の家で没収された魔術書の多くは、舞波の父親からのお土産であることが分かっている。
舞波の父親がどこで購入してきたのか分かれば、綾花がーー上岡が度々、憑依しなくても雅山が生き続けられるかもしれない。
拓也達の疑問に答えるように、昂はわざとらしく考え込み、その後、淡々とした調子で説明を始めた。
「我の父上が仕事で海外に赴いた時に、お土産として購入してきてくれた魔術書は、我が魔術を使えることを知った父上の会社の社長が売ってくれたものだというのだ」
「舞波くんのお父さんの会社の社長さん?」
「うむ」
綾花が小首を傾げて核心に迫る疑問を口にすると、昂は物憂げな表情で天井を見上げた。
昂の父親に魔術書を売買してくれたという人物は、続く昂の説明で徐々に具体性を帯びてきた。
「確か、その人物は、黒峯蓮馬という名だったはずだ」
「黒峯蓮馬さん。そ、それって、もしかして黒峯玄さんの!?」
憂いの帯びた昂の言葉に、綾花は心底困惑したように言った。
「ああ。黒峯蓮馬は、あのオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チームのメンバーの一人である黒峯玄の父親だ」
訝しげな綾花の問いかけに、元樹はきっぱりと答えてみせた。
そして、元樹は怪訝そうに眉を寄せると、立て続けに言葉を連ねてみせる。
「舞波。黒峯蓮馬は、おまえの魔術を使って、何かをさせようとしたことはないのか?」
質問を浴びせてきた元樹に対して、何を言われるのかある程度は予測できたのか、昂は素知らぬ顔と声で応じた。
「もちろんだ。あの者にも生き返らせたかった者ーー黒峯麻白ちゃんという娘がいるようだが、その時には我はもう『分魂の儀式』における補足魔術をあかりちゃんに使用しておったし、既にその者も亡くなっていたからな。『分魂の儀式』は憑依させる者も、使用するその時点では生きていなくては意味をなさぬ」
一呼吸置くと、昂は抑揚のない声で続ける。
「ただ、最近、産み出した『対象の相手の姿を変えられる』という魔術の話を父上がした際に、いささか目の色を変えたらしくてな。それを実行に移してほしいみたいなことは言われたようだが、綾花ちゃんの体調を心配した母上がきっぱりと断ってしまったようなのだ」
「なるほどな。つまり、黒峯蓮馬はその生き返らせたい人物を最近、失ったために、既に舞波が使用してしまった『分魂の儀式』などの魔術は使えないが、この間、産み出したばかりの『対象の相手の姿を変えられる』という魔術は使えるのでは、と踏んだわけだな」
「うむ」
苦虫を噛み潰したような元樹の声に、不遜な態度で昂は不適に笑う。
「ーーむっ?」
そこでようやく、昂は自ら、長々と自白していたことに気づく。
混乱しきっていた思考がどうにか収まり、昂は素っ頓狂な声を上げた。
「おのれ~!布施元樹!貴様、我に自白させるのが目的だったのだな!」
「おまえが勝手に話しただけだろう!」
昂が罵るように声を張り上げると、元樹は不愉快そうにそう告げる。
しばらく思案顔で何事かを考え込んでいた拓也だったが、顔を上げると皆を見渡しながら自身の考えを述べた。
「それって、その黒峯蓮馬っていう人が、その魔術のことで綾花に頼みに来ることがあるんじゃないのか?」
「綾花ちゃんのことは、我も父上も『宮迫琴音ちゃん』として話しておるので問題はないと思う。だが、綾花ちゃんが度々、憑依しているあかりちゃんは、既に黒峯蓮馬自身が熟知しているので来ないという保証はできぬな」
「おい」
それを聞いた拓也が、苦虫を噛み潰した顔で昂を睨み付けたが、昂はあえてそれを無視する。
「おお、そうだ!肝心なことを忘れていた!」
代わりに昂は不服そうな表情を収め、意気揚々に綾花に視線を向けて言った。
「綾花ちゃん、我と婚約してほしいのだ!」
「ええっ!?」
「我は綾花ちゃんとあかりちゃん、どちらの綾花ちゃんとも婚約したいのだ!」
「…‥…‥ふ、ふわわっ、ちょっと、舞波くん!」
そう言うと同時に、昂が綾花に抱きついてきた。
「おい、舞波!どさくさに紛れて、綾花に抱きつくな!」
「否、我は許嫁の綾花ちゃんから離れぬ!」
ぎこちない態度で拓也と昂を交互に見つめる綾花を尻目に、拓也は綾花から昂を引き離そうと必死になる。だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
あれよあれよと進んでいく昂の話に、当事者である綾花は取り残されていた。
「…‥…‥はあ」
そんな中、拓也と同様に綾花のもとへと向かっていたのだが、たどり着く前に他の出席者達に遭遇してしまい、綾花達の輪に入り損ねてしまった元樹が不満そうに唇を噛みしめる。
だが、一呼吸置くと、元樹は苦々しい表情で会場の方を見遣った。
「…‥…‥黒峯玄の父親、黒峯蓮馬か。綾と雅山を護るためにも、一度、今回のことを踏まえて、いろいろと対策を練ってみる必要がありそうだな」
導き出された結論に、元樹は静かに眉をひそめたのだった。




