第六章 根本的に心弾かれて
小説にブクマ、評価、ありがとうございました(*^^*)
pixivのイラストを見て下さり、ありがとうございます。
すごく嬉しいです(*^^*)
こちらも評価して頂いてありがとうございます。
床には奇妙な絵柄が描きこまれた魔法陣とその中に倒れている少年。
手にはボロボロの魔術書と聖水の入ったガラスの小瓶。そして周囲には乱立する蝋燭が置かれてある。
都市部から外れた場所に立つ一軒家。
全ての灯りを消したその薄暗い部屋の中で、怪しげな雰囲気を漂わせる小道具に囲まれながら、一人の少年が一心に呪文を唱え続けていた。
少年の名は舞波昂という。
これは、彼にとって一世一代の憑依の儀式であった。
これで、綾花ちゃんは我の彼女だ!
自分に言い聞かせるように、昂はほくそ笑みながら詠唱をし続ける。
よもや、この後、この計画を企んだ当の張本人である昂ですら唖然としてしまう出来事が待ち構えているとは、この時の彼には知るよしもないことだった。
「‥…‥…せくん、布施くん!」
耳元で直接名前を呼ばれて、布施元樹は突っ伏していた机から勢いよく顔を上げた。
放課後の教室にはいつの間にか半分ほどの生徒しかいない。
元樹はうつろな目をこすると、微睡みを邪魔してきた少女ーー星原茉莉をゆっくりと見上げた。
「何だよ、星原‥…‥…いい気分で寝ていたのに」
「何だよじゃないよ、もう」
ぷうっ、と頬を膨らませると、茉莉は元樹をジト目で見下ろす。
「何回、メール、送ったと思っているの」
茉莉は後ろ手に組んだまま、不服そうにそうつぶやいてみせた。
「メール?‥…‥…あー、あのことか」
元樹が携帯を確認すると、未受信のメールが七件あった。その全てが、茉莉からのメールだ。どれも、『布施先輩のメールアドレス』というキーワードが含まれている。
「布施先輩のメールアドレス、教えてくれる約束でしょう?」
「悪い、忘れていた」
茉莉が態度で不満を表明していると、元樹は面倒くさそうに片手を掲げて謝罪した。
「もう」
茉莉の呆れたような言葉に、元樹はからかうような口調で笑った。
「それにしても、星原は本当に兄貴が好きなんだな。それならそうと、さっさと告白でも何でもすればいいのに」
適当な言葉を口にする元樹に、茉莉はさらに不満そうに肩をすくめてみせる。
「そ、それが出来れば苦労しないわよ」
「わかった、わかった」
片手をひらひらとさせてあっさりと茉莉の発言を遮った元樹に、感情に任せた声で茉莉は投げやりに叫んだ。
「もうー!だったら、そういう布施くんは好きな人っているの?ちゃんと想いは伝えたっていうの?」
「いる‥…‥…けれど」
元樹はぽつりとつぶやくと、そこでふっと茉莉から視線をそらす。
悲しげに向けられた彼の視線の先は、まだ残っている同じクラスの生徒達を確かに捉えていた。
茉莉は両拳を突き上げると、感極まった表情で元樹に訊ねた。
「ええっ!本当に!だれだれ?」
「絶対に、想いが伝わらない相手だよ」
再び、茉莉へと向き直った元樹は、察しろと言わんばかりの眼差しを茉莉に突き刺した。
「そうなの?」
呆気に取られたように言う茉莉に、元樹はため息とともに目を細めると立ち上がった。
「‥…‥…俺、今から部活だから」
「むっ、寝ていたくせに」
ふて腐れたようにぼやく茉莉に、兄貴のメールアドレスは後でメールしておくとだけ伝えて、鞄とサイドバックを掴むと逃げるようにして元樹は教室を後にした。
元樹が教室を後にした後、女子生徒達のあちらこちらから、動揺とも感嘆ともつかない声があふれ出した。
「布施くん、かっこいいね~」
「ねえ、好きな人いるって、本当なのかな~」
楽しそうな女子生徒達の会話をよそに、茉莉は周囲を窺うようにしてからこそっと小声で綾花につぶやいた。
「ねえねえ、綾花」
「どうしたの?茉莉」
言い募る茉莉に、綾花は不思議そうに首を傾げてみせる。
「布施くんの好きな子って誰だと思う?」
「えっ?茉莉じゃないの?」
「ち、違うわよ!」
きょとんとした表情で当たり前のことのように尋ねてくる綾花に、茉莉は顔を真っ赤に染めて決まり悪そうに否定した。
「私、てっきり布施くんは茉莉のことが好きなのかなと思っていたけれど」
「亜夢も亜夢も!」
綾花の疑問にかぶせるように、ほわほわとした雰囲気の少女が陽気な声で言うと軽く敬礼するような仕草をしてみせる。
同じクラスで、綾花と茉莉の友達の霧城亜夢だ。
二人から言い寄られて妙に気恥ずかしい空気に、茉莉は心底困惑して叫んだ。
「ち、ちょっと亜夢まで何言っているのよ!違うに決まっているでしょう!前にあいつに聞いたら、はっきりとあり得ないって言われたわよ!」
そう口にする茉莉は口調こそ重かったものの、どこか晴れやかな表情を浮かべていた。
「そうなんだ」
「そうなんだ~」
神妙につぶやく綾花の真似をするように、亜夢がいきいきとした表情で同じ言葉を繰り返す。
不意に、茉莉は目を瞬かせ、ふと気づいたように綾花に訊ねた。
「そういえば、今日は井上くんと一緒じゃないの?」
「たっくんは調べものがあるからって、図書室に行っているの」
綾花が少し困ったようにはにかんでそう答えると、茉莉は手をぽんと叩いて思い出したように朗らかに続けた。
「そういえば、そんなこと言っていたっけ」
「綾花ちゃん、我はもう待ちくたびれた!」
教室の扉に手をかけながら不機嫌極まりない様子でそう言い放った昂に、残っていた生徒達はうんざりとした顔で冷めた視線を昂に向けてくる。
だが、そんな視線などどこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「あんな奴などほっといて、我と一緒に帰るべきだ!」
「ちょっと、昂。教室で待っててって言ったのに」
得意げにぐっと拳を握り、天に突き出して高らかにそう言い放つ昂に、綾花は口元に手を当てて困ったようにおろおろとつぶやく。
嫌悪感を抱いていたはずの昂のことを呼び捨てにして、しかも親しげに話しかけているという、綾花にしては珍しい反応に、残っていた生徒達がみな目を丸くして綾花を見た。
だが、生徒達以上に動揺したのは茉莉だった。
茉莉は訝しむようにして綾花をまじまじと見つめると、戸惑ったように訊いた。
「ち、ちょっと綾花、いつの間に舞波くんのこと、呼び捨てで呼ぶようになったの?」
「えっ?ずっと前から、そう呼んでいるよ」
状況説明を欲する茉莉の言葉を受けて、綾花はくるんと巻かれたサイドテールを撫でつけながら、ついでのように言った。
まるで以前からそう呼んでいたような言い方をする綾花のどうしようもなくズレたその台詞に、茉莉は呆気にとられた。
「はあ~、綾花、何言っているのよ?あんなに舞波くんのこと、遠ざけていたじゃない!舞波くんにつきまとわれてすごく困っているって!」
そんな茉莉の問いかけに答えたのは昂だった。
昂は綾花に向かって無造作に片手を伸ばすと、抑揚のない声できっぱりと告げた。
「それはいまや遠い過去の話だ!今の綾花ちゃんは我の彼女ーー否、我の将来の結婚相手だ!」
昂の視線は目の前の綾花達を突き抜けて、教会の下、タキシード姿の自分とウェディングドレス姿の綾花との結婚式の想像図へと飛んで行ってしまっていた。
昂の行動原理はかくも難解で、時に過激である。
「なに言っているのよ!昂」
一瞬で顔を真っ赤に染め、赤らんだ頬にそっと指先を寄せる綾花に、昂は不適な笑みを浮かべて当然のように言ってのけた。
「綾花ちゃん、我が必ず幸せにしてみせるぞ!」
「綾花、結婚するんだ‥…‥…」
事実無根なことを次々と挙げていく率直極まりない昂の言葉に、今までのほほんと話を聞いていた亜夢が不思議そうに目をぱちくりと見開く。
「亜夢、違うの!」
「‥…‥…何やっているんだ」
あることないことを言いふらす昂に綾花が内心たじたじになっていると、図書室から戻ってきた拓也が割り込むように口を挟んできた。
「あっ、たっくん。昂がねーー」
拓也の姿を捉えた綾花は、乱れたサイドテールを念入りに整えながら焦った顔で駆け寄ってくると、拓也の腕にするりと巻きついた。
サイドで高めに結んだ長い黒髪が至近距離でさらさらと揺れるのを眺めながら、拓也は眉を寄せて小さく息を吐く。
「落ち着けって、綾花」
冷静を装って綾花をたしなめつつ、拓也は昂にも鋭い視線を向ける。
「舞波、俺は教室で待ってろと言ったはずだ!」
低く唸るようにして言った拓也に、昂はあっさりとした笑みを浮かべると不遜な態度で腕を組んだ。
「我は待ちくたびれた。よって、綾花ちゃんに会いに来ただけだ」
「だからといって、騒ぎを起こすな!」
感慨深そうな昂を見据えて、拓也は強く声を返す。
そんな怒り心頭の拓也の肩を、ちょんちょん、と誰かがつついた。
「…‥…‥ほ、星原?」
振り返ると、すぐそばに疑惑の眼差しを向けた茉莉の顔があって拓也は驚愕した。
「ねえ、井上くんも、あの舞波くんと知り合いなの?」
「うっ、それは…‥…‥」
痛いところを突かれて、拓也は言葉を詰まらせる。
「もちろんだ!綾花ちゃんは我のかのーー」
足を踏み鳴らして昂が再度、高らかに宣言するのを受けて、残っていた生徒達がみな、不思議そうにこちらに視線を向けてきた。
「ーーばっ!?」
とっさに拓也が右手で昂の口を塞ぎ、事なきを得る。
拓也は焦ったように綾花と昂の腕を掴むと、二人を教室から強引に連れ出したのだった。
拓也が向かった先は、以前、綾花とともに訪れた学校近くの公園だった。
二人に振り返ると、拓也は窮地に立たされた気分で息を詰めた。
「頼むから、余計なことは言うな」
「むっ、綾花ちゃんは我の彼女だと言って何が悪いのだ」
昂は面白くなさそうに顔をしかめると、つまらなそうに言ってのける。
拓也はきっと厳しい表情で昂を見遣るときっぱりと告げた。
「綾花は俺の彼女だと言っているだろう!」
「否、我の彼女だ!」
慣れた小言を聞き流す体で、昂は拓也に人差し指を突きつけると勝ち誇ったように言い切った。
だがすぐに、昂はふと思い出したように意味深な表情を浮かべると非難の眼差しを向ける拓也を見遣る。
「そういえば貴様、何故、今日は我がいてもいつものように綾花ちゃんにつきまとうなと言わんのだ?」
そのもっともな昂の疑問に、拓也はむっ、と唸るとなんとも言い難い渋い顔をした。
くるんと巻かれたサイドテールを撫でつけながら、綾花がぽつりと言う。
「たっくんは、昂に聞きたいことがあるんだよね」
「我に聞きたいことだと?」
綾花の言葉に、昂の顔が強張った。
拓也は綾花を背に、昂と対峙するように立つとはっきりと告げる。
「おまえはあの時、綾花に上岡を憑依させたと言っていたな?」
「確かに告げたが、それがどうかしたのか?」
あっけらかんとした口調でそう答えてみせた昂に、拓也は立て続けに言葉を連ねた。
「なら、どうやって綾花に上岡を憑依させた?」
「どうやってだと?」
探りを入れるような拓也の言葉に、口に出しながら昂の思考は急速展開する。
そこで昂は何故、拓也が図書室などに赴いたのか事情を察知した。
思い至ると同時に、昂はまるで自嘲するようにせせら笑った。
「なるほど、進を綾花ちゃんに憑依させる前に、我が学校の図書室で本を借りていたということを綾花ちゃんから聞いたのだな?」
「ああ」
拓也は昂の言葉に力強く頷いてみせた。
舞波が憑依の儀式の際に使用したとされる魔術書。
その魔術書があれば、綾花をーーそして上岡も元に戻す方法が見つかるかもしれない。
あえて、一人でその魔術書を探しに行ったのは、舞波が綾花を追って図書室内で騒ぎを起こしかねないことを考慮してのことだ。
拓也の疑問に答えるように、昂はわざとらしく考え込み、その後、淡々とした調子で説明を始めた。
「だが、図書室で借りた本は魔術書でははなかっただろう?当然だ!我はいたって普通の本を借りたからな!」
「…‥…‥おい!」
抗議の視線を送る拓也に、昂は腰に手を当てると得意げに言う。
「勘違いするな。念のために言っておくが、もうその魔術書はないぞ。前にも告げたが、この憑依の儀式を行うと元の身体ーーつまり進の身体は消滅するようになっている。それと同時にその際、用いた魔術書や小道具なども同様に消滅してしまうのだ」
「なっ!?」
あまりにも非情な事実に拓也が絶句する中、綾花は不思議そうに拓也と昂を見比べながら言った。
「ねえ、昂はいつもどこであんなにいっぱいの魔術書を買っているの?」
「むっ?」
綾花が小首を傾げて核心に迫る疑問を口にすると、昂は物憂げな表情で空を見上げた。
昂が憑依の儀式の時に使用したとされる魔術書は、続く昂の説明で徐々に具体性を帯びてきた。
「我の父上が仕事で海外に赴いた時に、お土産として何冊か購入してきてくれるのだ」
「そうなんだ。昂のお父さんって、よく海外に出張しているもんね」
憂いの帯びた昂の声に、綾花もわずかに真剣さを含んだ調子で穏やかに言葉を紡ぐ。
しかし、この質問で拓也の方も疑問がようやく氷解していた。
昂が憑依の儀式に使用したとされる魔術書は、今現在は消滅しており存在しない。
昂の家に置かれてある魔術書の多くは、父親からのお土産であること。
そして以前、昂が告げたとおり、一度、この憑依の儀式をしてしまえば、もう二度と元には戻せないという事実の上塗りだった。
拓也が苦虫を噛み潰した顔で昂を睨み付けたが、昂はあえてそれを無視する。
「おお、そうだ!忘れていた!」
代わりに昂は物憂げな表情を収め、意気揚々に綾花に視線を向けて言った。
「進の予約していた最新ゲームが手に入ったぞ!もちろん、予約特典付きだ!」
「えっ?本当!」
得意絶頂の昂の言葉に、綾花は嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた。
「おい、綾花。最新ゲームって…‥…‥?」
「この間、出たばかりの新作のゲームなの」
拓也にゲームについて聞かれた綾花はにこりと笑って答えた。
だがすぐに髪の毛先を落ちつかなげにちょいちょいとすくと、綾花は不満そうな顔でおもむろに口を開く。
「うっ…‥…‥でも、せっかく予約していたのに結局、昂のせいで今まで出来ずじまいだったんだよね」
「だが、こうして手に入ったのだから、良かったではないか!」
綾花が進としてのゲームへの熱き思いを馳せつつも機嫌を損ねていると、昂は大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのける。
ゲーム話にしばし花咲かせる二人を前にして、拓也は言い知れぬ疎外感を味わっていた。
進が憑依するまではゲームに全くといっていいほど興味がなかった綾花は、今では昂と一緒にゲーム談義をしながら楽しそうに可憐に笑っている。
以前の綾花とのギャップが大きすぎて、拓也は思わず頭を抱えたくなってきた。
だが、次の思いもよらない昂の行動に、拓也は不意を打たれ、驚きで目を瞬くことになる。
昂は綾花の顔を覗き込むと彼女の唇に人差し指を触れさせ、ささやくようにこう告げたのだ。
「進、久しぶりに我の家に来ないか?」
その意味深な言葉が、昂の謎の行動とともに妙に拓也の頭に残った。