番外編第三章 根本的に彼と彼女のつむぐ日々③
あまりにも想定外なことが起こると人は唖然としてしまうものだが、この計画を目論んだ当の張本人である昂はすぐに立ち直ることができた。
(ーーうむ、綾花ちゃんではなく、綾花ちゃんの心の中にある進の心の一部だけがあの者に憑依するようになってしまったのか?もっとも、綾花ちゃんの時とは違い、進は一定置きくらいに、あの者ーーあかりちゃんに憑依してしまっているようだが)
綾花に指摘されて、初めて昂はそのことに気づく。その発見で、すべてが腑に落ちた。
これは喜ぶべきか、悲しむべきなのか。
いや、これは前者であろう。
昂は自分の考えに自分で頷いた。
魔術書には残念ながら、この場合の対処法は書かれていなかった。
だが、それでも構わない、と昂は思った。
綾花ちゃんを『あの少女ーーあかりちゃん』にすることは叶わなかったが、綾花ちゃんの心の中にある進の心の一部だけをあかりちゃんに憑依させることには成功した。
また、進の心の一部があかりちゃんに憑依している間でも、綾花ちゃん自身は何の問題もないようだ。
まあ、失敗は成功のもとというし、何より我が失敗などするはずがないではないか!
今や進は綾花ちゃんの心の一部であることから、これはいわゆる失敗ではなく、実際は成功したということであろう!
「やはり、我に不可能はない!!」
昂が声を荒げると、近くにいた買い物客達が足を止めて不思議そうにこちらを振り返った。
「ーーばっ」
とっさに先ほどの出来事が頭を過ぎり、拓也は目を剥いて綾花と昂の腕を掴むと元樹とともにその場から強引に連れ出したのだった。
「父さん、母さん。あのね、先程まで、舞波くんの魔術で、私の心の中にある進の心の一部だけが別の女の子に憑依していたみたいなの」
「恐らく、舞波が昨夜、綾花に使ったと言っていた、分魂の儀式における『補足魔術』のせいだと思います」
「まあ、本人自ら自白してきたからな」
ホテルの部屋に戻った綾花達からあまりにも衝撃的な事情を聞かされて、進の両親は二の句を告げなくなってしまっていた。
混乱と動揺を何とか収めた進の両親が、改めて確認するように綾花に尋ねる。
「琴音、本当なのか?」
「琴音、身体の方は大丈夫なの?」
「…‥…‥うん」
悲しそうに頷いた綾花の肩から手を離すと取り乱したように、進の父親は進の母親とともにそのまま部屋から出て行ってしまう。
「…‥…‥父さん、母さん」
綾花は、進の両親が出て行った先をじっと不安げな表情で見つめていた。緊張しているのか、かすかに肩を震わせている。
拓也は綾花に視線を向けると、はっきりと言った。
「綾花、大丈夫だ。きっと、上岡のおじさんとおばさんは、今回のことを分かってくれる」
「…‥…‥でも、お父さんとお母さんはびっくりするよね」
綾花は顔を曇らせて俯くと、ぽつりとそうつぶやいた。決して泣いてはいなかったが、代わりにその表情は乾いていた。
乾ききった微笑を浮かべ、綾花は続けた。
「きっと、お父さんもお母さんも、私がーー進が今まで別の女の子に憑依していたということを聞いたら混乱するかもしれない」
元樹は軽く息を吐くと、沈痛な表情を浮かべて何かを我慢するように俯いている綾花の前に立った。
「…‥…‥綾、俺は綾の両親も、上岡の両親と同じように今回の件を分かってくれると思う」
元樹の言葉に、綾花は俯いたまま、何の反応も示さなかった。
そんな綾花に、意を決したように元樹が綾花の手をつかんで続ける。
「例え、否定されても、綾の気持ちを伝える方法はいくらでもあるだろう。 綾にはもう、上岡の勇気があるんだからな」
「ーーううっ、ご、ごめんね、ごめんね。元樹くん、ありがとう」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。
そんな綾花に、元樹は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「まあ、そもそも、舞波がこんな変なことを企まなければ、ここまでとんでもない騒動にはなっていなかったんだけどな」
「むっ?貴様、我を誉めても何も出ぬぞ」
「「誉めてないだろう!」」
そう言い放ってにんまりと笑みを浮かべる昂に、拓也と元樹は苛立ちを隠さず、声をそろえてそう言い放った。
しばらく経った後、進の母親だけが部屋に戻ってきた。
恐らく、進の父親は綾花の両親に先程の話をしに行っているのだろう。
部屋に戻ってくるなり、物言いたげな瞳で進の母親は綾花のことを見つめてくる。
「琴音、身体の方は本当に大丈夫なの?」
「うん、もう大丈夫だよ」
再度、確認するかのように重ねて尋ねてくる進の母親に、綾花はしっかりと頷いてみせる。
進の母親は昂の方を見遣ると、目を伏せてきっぱりと言った。
「昂くん、今すぐ帰ってきなさい、と舞波さんから連絡がありました!」
「な、何故だ!?」
予想もしていなかった衝撃的な言葉に、昂は絶句する。
進の母親が発したその言葉は、昂にとって到底受け入れがたきものであった。
「琴音達から、話は聞きました。旅行の前に魔術を使わないと告げていたのにも関わらず、また、とんでもない魔術を使ったそうじゃない!」
「…‥…‥そ、それは」
にべもなく言い捨てる進の母親に、昂は恐れをなした。
昂は若干逃げ腰になりながらも、昂は進の母親から拓也達へと視線を向ける。
「…‥…‥お、おのれ~!井上拓也!そして、布施元樹!貴様ら、進の両親に根回しして、我を家に連れ戻すのが至上目的だったのだな!」
「おまえがしたことを話しただけだろう」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「も、もちろん、綾花ちゃんはこのまま、我が旅行に同行しても構わんであろう?」
何とかしてくれと言いたげに、昂は救いを求めるように綾花を見た。
「むっ、否、進が綾花ちゃんとあの者ーーあかりちゃんになったのだから、綾花ちゃんの彼氏である我が旅行に同伴することはもはや確定事項だ!」
昂が力強くそう力説すると、綾花は先程までのほんわかな綾花の表情とはうって変わって進の表情へと一変させると訝しげに眉根を寄せる。
「ーーだから、俺はそんな馬鹿げたことを認めた覚えなんてないからな!」
腰に手を当ててきっぱりと言い切った綾花に、昂は不満そうな声でさらに切り伏せた。
「進を綾花ちゃんとあかりちゃんにしたのだから、つまり、もう綾花ちゃんとあかりちゃんは我のものだ!」
「なっーー」
あまりにも勝手極まる昂の言い草に、拓也は思わずキレそうになったがかろうじて思い止まった。
拓也達の隙をついて、昂が綾花のもとへ向かおうと身を翻してきたからだ。
「…‥…‥綾花ちゃん!我も一緒にーー」
「昂くんはダメ!」
しかし、それは進の母親によって、あっさりと阻止されてしまう。
「舞波さん達の迎えが来るらしいから、昂くんは一旦、ロビーに行きましょう」
「進の母上、あんまりではないか~!」
進の母親があくまでも確定事項として淡々と告げると、昂が悲愴な表情で訴えかけるように進の母親を見る。
だが、昂の悲痛な訴えも虚しく、昂は進の母親に引き連れられて部屋を立ち去っていった。
「舞波くん、大丈夫かな?」
昂と進の母親が出て行った先をじっと見つめると、口振りを戻した綾花は不安そうにぽつりとつぶやいた。
「あいつのことだから、また、うまいこと立ち回っているだろう」
拓也が、そんな綾花の問いかけに顔を歪めて答えた。
「…‥…‥うん、そうだよね。こういう時、舞波くんはいつも無類の力を発揮するもの」
ほんわかな笑みを浮かべて思い出したように言う綾花を、拓也は何とも言えない顔で見つめる。
だがすぐに、拓也は軽く肩をすくめると、真っ先に疑問に思ったことを口にした。
「それにしても、舞波は今回、何がしたかったんだ」
「確かにな。まあ、綾を別の少女に憑依させたかったというのは間違いないが、あの最後の台詞を聞く限り、他にも何かありそうだよな」
呆れの響きが如実に滲む声で、元樹はそう言った。
そして目を細めて、元樹は綾花の様子を窺う。
「まるでーー」
元樹がさらに何かを告げようとする前に、綾花は真剣な眼差しでこう告げてきた。
「あのね、たっくん、元樹くん。舞波くんが私に施した魔術のことなんだけど、 私がーー進が憑依した女の子は、私が度々、憑依していないと死んでしまうかもしれないの」
「はあっ?」
その思いもよらない言葉は、幼なじみであり彼女でもある綾花から当たり前のように発せられた。
拓也が何かを言う前に、意を決したように元樹が綾花と拓也の会話に割って入ってきた。
「綾。それって、綾がーー上岡が憑依していないとその女の子が死んでしまうってことなのか?」
元樹が綾花に聞き返すと、綾花は少しだけ表情を曇らせた。
「…‥…‥うん。その女の子はーー雅山あかりは、私がーー進が憑依したことで生き返ったようなものだから」
「ーーっ」
その衝撃的な台詞は、何の前触れもなく告げられた。
その言葉に込められた意味に、拓也は思わず唇を噛みしめる。
つまり、綾花をその少女に憑依させないようにするということは、その少女の死を意味するのだ。
綾花がーー上岡が憑依することで彼女は何とか生き長らえてはいるが、もし何らかの拍子で憑依が解かれてしまったら、そのまま彼女は死んでしまうということなのだろう。
八方塞がりな状況に悩みに悩む拓也を尻目に、腕を頭の後ろに組んで部屋の壁にもたれかかっていた元樹が先程、応えられなかった言葉を口にした。
「まるで、本当に魔術で綾を二人にしたかったみたいだな」
「そうなのか?」
困惑したように驚きの表情を浮かべる拓也に、元樹は軽く肩をすくめると手のひらを返したようにこう言った。
「まあ、実際のところ、俺もどういうことなのか分からないけどな」
「…‥…‥そうか」
拓也が顎に手を当てて真剣な表情で悩み始めると、不意に元樹は拓也が予想だにしなかったことを言い出してきた。
「なあ、拓也。俺、明日の旅行最終日に綾と二人きりで行ってみたい場所があるんだけど、ダメか?」
「当たり前だ」
元樹が手を合わせて至って真面目に懇願してくると、拓也は眉をひそめてきっぱりとそう断言したのだった。




