第五十三章 根本的に彼女といる未来へと ☆
ビュッフェ車に寄って拓也達とともに購入してきたお昼のお弁当を持って、対面式へと回転させた座席に座ると、綾花は不安そうに拓也と元樹と昂を見比べながら言った。
「ねえ、たっくん、元樹くん、舞波くん。お父さんとお母さん、父さんと母さん、大丈夫かな?」
「ああ」
綾花が小首を傾げて核心に迫る疑問を口にすると、拓也はことさら深刻そうな表情で後ろの席に視線を向ける。
「心配するな、綾花ちゃん。綾花ちゃんのご両親は、ついに我を認めたのだ。我と綾花ちゃんの結婚式は、もはや秒読みの段階だと言ってもよい」
「あのな~。ただ、旅行について行くことの承諾をもらっただけだろう!」
傲岸不遜なまでに自信満々な台詞を昂が吐き出すのを聞いて、元樹は思わず、ムキになって昂を睨み付けた。
大言壮語な昂に対して、拓也が不本意そうに口を開こうとしたところで、不意に後ろの席から声が聞こえてきた。
「瀬生さん、このーー進のアルバムを見て頂けませんか?」
進の母親がそう言って綾花の母親に差し出してきたのは、一冊のアルバムだった。
綾花の母親はゆっくりと進の母親からアルバムを受け取り、時間が止まったはずの進のアルバムをめくり始める。
そこに写し出されていたのは、上岡進が生まれてから瀬生綾花に憑依するまでの数々の想い出達だった。
上岡進が泣きながら生まれて、明るい表情で笑いながら立ち上がり、ランドセルを背負いながら元気いっぱいに走り回って ーーそして中学の入学式の時に出会った昂に振り回されながらも、高校の合格発表を進の母親とともに喜び合っている。
綾花の両親の知らない、綾花のーー進の人生がいっぱい詰まっていた。
「これが上岡くん…‥…‥」
一瞬、遠い目をした綾花の母親の顔を見て、進の母親は穏やかに微笑んだ。
「はい。進はいつも人一倍、元気いっぱいで明るい性格の子だったの。私達や友達が困っているとすぐに気づいて、心配そうに声をかけてくれたのよね」
記憶を辿るように、進の母親は楽しそうに思い出をめくり続ける。
同時に最愛の息子との想い出を、進の母親は脳裏に思い描いていく。
「高校に入学してから数ヵ月後に、昂くんから進が行方不明になったと聞かされた時は胸が張り裂けそうな気持ちだった」
必死としか言えないような眼差しを向けてくる進の母親に、綾花の母親は今にも泣き出しそうな顔で肩を震わせる。
「でも、しばらく経ってから、琴音がーー進が井上くんとともに家に訪ねてきてくれたの。昂くんの憑依の儀式のせいで、進が瀬生さんの心の一部となったという事実を聞かされた時は本当に驚いたけど、進が生きていることが分かってすごく幸せだった」
進の母親は噛みしめるようにそうつぶやくと、何かを訴えかけるように自分の胸に手を当てる。
そんな進の母親の様子に、綾花の母親は決まり悪そうに顔を俯かせると、ぽつりぽつりと語り始めた。
「…‥…‥綾花は、小さい頃から泣き虫で引っ込み思案な子だったわ。それに方向音痴だったから、よく泣いて家に帰ってきていたの」
「そうなんですね」
列車の座席で膝の上に置いた手を握りしめていた綾花の母親が、正面に座る進の母親の言葉でさらに縮こまる。
綾花の母親は躊躇うように、不安げな顔で言葉を続けた。
「でも、優しくて思いやりのある子だった。泣いている子がいれば、一緒に泣いてあげて、落ち込んでいる子がいれば、『どうしたの?』って、ずっとその子のそばにいたの」
「進みたいですね」
「…‥…‥そうですね」
大切な想い出を語るように穏やかな表情を浮かべた進の母親につられて、綾花の母親も噛みしめるようにそっと笑みを浮かべてみせる。
すると、進の父親は綾花の両親をまっすぐ見据え、揺らぐことのない声でこう言った。
「アルバムの最後のページを見て頂けませんか?」
その言葉を受けて、あらゆる思いをない交ぜにしながら、綾花の母親は横で見つめている綾花の父親とともに、何気なくアルバムの最後のページを開いた。
「「ーーっ」」
次の瞬間、綾花の父親と綾花の母親は目を見開き、思わず言葉を失う。
無邪気に笑いながら、ペンギンのぬいぐるみを掲げて喜んでいる幼き日の綾花の姿。
両手で掲げたペンギンのぬいぐるみが、とてもいじらしいと思った。
そして、その隣に写っていたのは、一見、どこにでもいるような普通の少年だ。
ペンギンのぬいぐるみを抱えた綾花の隣で、同じ年頃の少年ーー幼い頃の進が明るい顔で右手を振っている。
それは、綾花がかってメールに添付して進の父親に送った、魔術を使った合成写真だった。
「あっ…‥…‥」
綾花の母親がぽつりと言葉を漏らす。
綾花の母親の脳裏に、あの日、綾花に案内された進の部屋での出来事が蘇る。
「綾花と…‥…‥?」
「進の写真です」
口に手を当てて思わず動揺した綾花の母親の顔を見て、進の母親は頬に手を当てるとくすりと笑みをこぼした。
そんな二人の反応に、綾花の父親は少し逡巡してから乾いた笑みを浮かべる。そして、進の父親の方を振り向くと、ゆっくりと話し始めた。
「…‥…‥正直、僕も遥香もまだ、綾花に上岡くんが憑依したという事実は受け入れきれていません。でも、あの時、綾花達が頑張って僕達に伝えてくれた言葉だけは信じてみようと思っています」
「ありがとうございます。私にとって、進はーー琴音は大切でかけがえのない息子でありーーそして、愛しい娘です」
「お父さん、父さん、ありがとう!」
それを聞くなり、みんながいる前だというのに、前の席にいたはずの綾花は人目もはばからず、綾花の父親と進の父親に勢いよく抱きついてきた。
「綾花?」
「…‥…‥お、おい、琴音。どうかしたのか?」
さすがに予測不能な突拍子もない行動だったのだろう。
突然、綾花に抱きつかれた綾花の父親と進の父親は困り果てたように、たじたじになりながらうろたえる。
その様子を見て、進の母親はくすりと笑みをこぼした。
「琴音、私達の話を聞いていたみたい」
「そ、そうなのか?」
「…‥…‥うん」
進の父親が上ずった声で問いかけると、 綾花は指先をごにょごにょと重ね合わせ、たまらず視線をそらした。
綾花の父親は重いため息をつくと、真剣な眼差しでただまっすぐ綾花を見つめて言った。
「…‥…‥綾花、列車内でまぎわらしい呼び方をするな。みんな、こちらを見ているぞ」
「…‥…‥うっ、ごめんなさい」
言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。
進の父親の胸の方にうずくまって涙を潤ませている綾花に、綾花の父親は思わず顔をゆるめていつものように優しく頭を撫でる。
「綾花、怒鳴ってしまってすまない。だけど、今はもう泣いている場合じゃないだろう?綾花はこれからーー」
そして続いた綾花の父親の言葉は、あまりにも唐突で想像だにしない告白だった。
「綾花と上岡くんの二人分、生きていかないといけないのだからな」
「あっ…‥…‥」
綾花の父親のその言葉に、不意打ちを食らった綾花はただただ、うろたえるしかなかった。
そんな綾花の様子を見かねた拓也は、一息置くと吹っ切れたような表情を浮かべて言う。
「心配するな、綾花。綾花はここにいる。上岡は、ちゃんと綾花の中にいる」
「ああ。今の綾には、上岡という心強いもう一人の自分がいるんだからな」
「うむ。何の問題もなかろう」
「…‥…‥ありがとう、みんな」
拓也と元樹と昂がそれぞれの言葉でそう答えると、綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、幸せそうにはにかんだ。
その隣には、綾花の母親と進の母親がお互い戸惑いながらも、穏やかな表情で綾花を見守っていた。
綾花が綾花であること。
綾花が上岡であること。
それは、これからも何も変わらない。
でも、何故だろう。
きっと何かが変わる。
そんな予感がしたから。
誰よりも大好きな彼女にーー。
誰よりも愛しい彼女に、想いをはせるようにーー。
「俺は、綾花が好きだ」
「俺も、綾が好きだ」
「我は、綾花ちゃんが大好きだ」
二家族旅行の最中、窓から満面の夜空が見渡せるホテルのラウンジで幸せに浸りながら、彼らは彼女に愛をつぶやいた。
教会の下、水色のウェディングドレス姿でほんわかと笑う綾花。
その隣に、自分が立っていることを信じてーー。
「マインド・クロス」についてですが、今回で本編は完結していますが、このまま番外編を書いていこうと思っています。
番外編は本編の続きーー後日談になります。
また、これから書く予定の新作についてですが、「マインド・クロス」のサイドストーリーになる予定です。
今後は「マインド・クロス」の番外編と「マインド・クロス」のサイドストーリー(新作)を交互に載せていこうと思っています。
もしよろしければ、どうかよろしくお願い致します。




