第五十一章 根本的にゲームという魔法が宿るなら
「…‥…‥意味が分からないんだが?」
一瞬の静寂の後、驚きをそのまま口に出したのは、綾花の父親だった。
その綾花の父親の疑問に、拓也は立ち上がり、綾花の代わりに答える。
「おじさん、おばさん。綾花には、上岡が憑依しています」
拓也は綾花に進が憑依したことを打ち明けた後、綾花の両親に向かって真摯な瞳で伝えた。
「だから、今の綾花は綾花であり、そして上岡でもあるんです」
「ーーなっ?」
「ーーえっ?」
さすがに、予測不能な突拍子もない言葉だったのだろう。
拓也の発した言葉に、綾花の両親は固まり、言葉を発せない。
完全に理解を越えた内容に、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「嘘じゃないです。舞波が使った憑依の儀式という魔術によって、綾は上岡と心を融合させられたんです」
「ま、舞波くん?」
「はい。俺達の隣のクラスの生徒で、上岡の友人です。舞波は魔術が使えるんです」
困惑する綾花の父親に、元樹はしっかりと頷いた。
拓也は意を決したように綾花の方を振り向くと、神妙な面持ちで話し始める。
「舞波は、綾花と上岡はもはや一心同体故に元に戻す方法はないと言っていました。俺と元樹の方で何か手がかりはないか探してはいますが、糸口すら見つかっていません」
意外な事実に、綾花の父親は返す言葉を失い、ただただ綾花を見つめる。
その時、綾花の母親がおそるおそる綾花に訊ねてきた。
「…‥…‥もしかして、舞波くんって、前に綾花にお金を借りに来た男の子?」
「う、うん」
「なんだ、それは…‥…‥」
綾花にそう告げられても、綾花の父親はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、綾花の父親はテーブルに置いてあるカップに口をつける。
「…‥…‥いや、そもそも、心が融合するなんてことが本当に起こりうるのか?」
その言葉を聞いた途端、綾花は必死の表情で言い募った。
「本当なんだ!」
「なっ!」
「えっ!?」
突然、話し方が変わった綾花の豹変ぶりに、綾花の両親は思わずうろたえる。
綾花は顔を俯かせると、辛そうな顔をして言った。
「…‥…‥ごめん、お父さん、お母さん。驚かせて…‥…‥。でも、本当に俺は瀬生綾花であり、上岡進でもあるんだ」
「…‥…‥まさか」
「…‥…‥そんな」
今度こそ混乱する綾花の両親に、今まで綾花達の会話を黙って聞いていた進の両親が立ち上がり、視線を床に落としながら謝ってきた。
「瀬生さんのご家族には、度重なるご迷惑をおかけしてしまって誠に申し訳ございません」
綾花の父親は目を見開いて、そう告げてきた正面の進の父親を見つめる。
進の母親は唇を強く噛みしめると、立て続けに言葉を連ねた。
「ですが、ご無礼を承知でお願い致します。瀬生さんが、これからも私達の家に来ることを許しては頂けませんでしょうか?」
「…‥…‥ちょ、ちょっと待って、上岡さん!」
微妙に乱れた髪を直すこともせず、粛々と頭を下げる進の母親に、綾花の母親は心底困惑したように叫んだ。
「綾花が上岡くんって、何の冗談なの?」
「遥香、信じられない話だが、綾花達が言っていることは本当のことのようだ」
「あなた、何言っているの?本当のはずがーー」
「…‥…‥ねえ、お母さん」
いつまで経っても埒が明かない綾花の父親との折り合いの中、口振りを戻した綾花から遠慮がちな声をかけられて、綾花の母親は綾花の父親から綾花へと視線を向ける。
綾花は所在なさげな顔で、おずおずと綾花の母親を見ていた。
「私、お父さんとお母さんに見てもらいたいものがあるの」
「…‥…‥綾花、何を言ってーー」
切羽詰まったような綾花の態度に感じるものがあったのだろう。
思い詰めた表情をして言う綾花に、綾花の母親は口にしかけた言葉を詰まらせてしまう。
綾花の父親がてらいもなく訊いた。
「綾花、僕達に見てもらいたいものって何なんだ?」
「うん。その前に、私のーー進の部屋に来てほしいの」
綾花の父親の言葉に、綾花は顔を曇らせて俯くとそう答えた。
「お父さん、お母さん、ここが私のーー進の部屋だよ」
綾花の両親が進の家の二階にある進の部屋に足を踏み入れた瞬間、綾花は振り返り、そう言ってきた。
いそいそと前もって準備していたゲーム機に歩み寄り、ゲームを起動させながら綾花が嬉しそうに言う。
「私ね、ゲームが好きなの」
綾花は視線を落とすと、どこか懐かしむようにそうつぶやいた。
綾花の父親が綾花の視線を追うと、ゲーム機の近くに彼女の大好きなペンギンのぬいぐるみが置かれていることに気づく。
テレビのスピーカーからは、ゲームのオープニングジングルが鳴り響いていた。
綾花の父親は何気ない口調で訊いた。
「綾花。これが、僕達に見てもらいたいものなのか?」
「うん。私、ゲームが大好きだよ。ペンギンさんと同じくらい好きなの」
「綾花、ゲームなんて今までしたことなかったでしょう?」
綾花が嬉しくてたまらないという表情で笑うと、綾花の母親が躊躇うように不安げな顔でそう問いかけてくる。
「綾花としてはしたことなかったんだけど、進としては何度もゲームをプレイしたりして大会にも出たことがあったの」
「そうなのか?」
「うん」
真剣な眼差しでテレビのモニター画面を見る綾花の父親に、綾花は頷くと早速、コントローラーを持ち、メニュー画面を呼び出してバトル形式の画面を表示させる。
元樹は拓也の方へ視線だけ向けて、あえて世間話でもするような口調で言った。
「俺達もやるか」
「ああ」
そんな彼らの様子を釈然としないまま、綾花の両親はじっと眺めていた。
それから綾花は、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』を始めとしたいくつかのいろいろな種類のゲームを拓也達とともにやったのだが、そのいずれでも綾花はずば抜けたゲームの才能を見せつけた。卓越された動きと神業に近いそのテクニックは、素人目に見ても圧巻だった。
進が憑依するまではゲームに全くといっていいほど興味がなく触ったことすらなかった綾花は、今では高度で巧みなプレイを披露し、拓也達と一緒にゲーム談義をしながら楽しそうに笑っている。
その様子に、綾花の両親はあらためて綾花に進が憑依していることを思い知らされて愕然とした。
「私とて瀬生さんは瀬生さんだと思うのですが、それと同時に今の彼女は進でもあるんです」
「…‥…‥っ」
確信を持ってその結末を受け入れている進の父親の静かな声が、受け入れがたい事実を突きつけてくる。
そこでようやく、綾花の母親は綾花に進が憑依しているという現実を目の当たりにしたのかもしれない。
「どうかお願いします。これからも彼女に会わせて下さい」
それはまるで、祈りを捧げるような懇願だった。
進の父親のその言葉は、今までのどの言葉よりも綾花の母親の心に突き刺さった。
綾花の母親の表情が硬く強ばったことに気づいた綾花は、少し困ったようにはにかんでみせる。
「お父さんとお母さん、父さんと母さん。どちらも私にとって、大切な家族なの」
泣き出しそうに歪んだ綾花の母親の表情を見て、綾花は言葉を探しながら続ける。
「お母さん、笑って泣かないで。私は私だから」
「…‥…‥綾花っ!」
その綾花の言葉を聞いた瞬間に、綾花の母親の心の中で何かが決壊した。
綾花の母親は調度を蹴散らすようにして綾花のそばに駆け寄ると、小柄なその身体を思いきり抱きしめた。
「遥香、綾花」
綾花の父親はそんな綾花と綾花の母親のもとに歩み寄ると、二人をそっと抱き寄せる。
その隣には、進の両親が穏やかな表情で二人を見守っていた。
拓也はそんな四人の様子を見て元樹とともに安堵の息をつくと同時に、ふとあることに気づいた。
綾花の両親に全てを打ち明けることを断固拒否していた舞波は今頃、どうしているのだろうか?
あいつのことだから、綾花の両親に全てを打ち明けることを邪魔をしてくるものとばかり思っていたが、元樹の作戦が上手く功をそうしているのか?
こうした時の昂の周到な段取り、手回しの良さを充分、思い知らされていた拓也だったが、それと同時に間の抜けた昂の行動も理不尽ながら知り得ていたのだった。
「我は悪くない!ただ、我のやったことが綾花ちゃんのご両親にバレそうになったから、仕方なく禁断の魔術を産み出したまでだ!」
「…‥…‥ほう、それで」
全身から怒気を放ちながら、昂の母親は昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ!は、母上、話を聞いてほしいのだ!」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を振る。
一方、その頃、綾花達が綾花の両親に全てを打ち明けることを知り、禁断の魔術を使って妨害をしようとしていた昂は、自身の家の中にいた。
生徒達と鉢合わせて、昂に禁断の魔術を使わせることで進の家に行くことを邪魔するという元樹の作戦により、禁断の魔術が使える一時間はあっさりと過ぎてしまった。それでも、いざ『対象の相手の元に移動できる』魔術を使って、昂が何とか進の家にたどり着こうとした矢先に両親に見つかり、今回の件を執拗に問いただされていたという。
そしてその間に、綾花の両親に事の次第がバレてしまい、昂は綾花の両親から断固拒否されてしまって、彼女に会うことさえもままならない状況へと追い込まれてしまっていた。
最悪の事態の中、昂は綾花に会うことができる唯一の最終警告の条件の一つとして、禁断の魔術である『夢忘れのポプリ』を再度、使って、禁断の魔術の効果を失わせることを強いられてしまい、泣く泣く使用したことによって、何とか綾花に会えなくなることだけは免れたのだった。




