第五章 根本的に彼が願ったこと
あけましておめでとうございます(*^^*)
活動報告では昨日、書いたのですが、イラストの投稿をしました。
もしよろしければ、見て頂けると嬉しいです。
「…‥…‥何故、ここにいる?」
今度の日曜日に綾花と水族館に行く約束をし、駅前広場の待ち合わせ場所に立った拓也は自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべていた。
その理由は、至極単純なことだった。
白いロングワンピースに合わせたレースいっぱいのインナーペチコートと薄桃色のコートを着こなした綾花が辺りをきょろきょろと見回している中、同じく私服姿の昂が腕を組みながらさらりと隣の綾花に声をかけているのが、拓也の目に入ったからだ。
「何故、ここにおまえまでいるんだ?」
涼しげな表情が腹立たしくて、拓也はもう一度、同じ台詞を口にした。
綾花は、拓也と一緒に水族館に行くと昂に告げたはずだ。にもかかわらず、昂は当然のようにここにいる。
拓也の問いかけに、昂はこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「我はたまたま水族館に行く用があるだけだ。気にするな」
「…‥…‥おまえはゲームセンターに用事があるんじゃなかったのか?」
当然の拓也の疑問に、昂は打てば響くように答えてみせた。
「綾花ちゃんが行くのなら、どこにでも我は行く!しかし、綾花ちゃんが行かないのなら我も当然、行かぬ!それだけだ!」
「…‥…‥おい」
居丈高な態度で大口を叩く昂に、拓也は低くうめくようにつぶやく。
「悪いが、水族館には俺と綾花だけで行く!」
拓也はそう言って昂を強く睨むと、綾花の腕を取ってそのまま駅に向かおうとする。
そんな拓也に、昂は人差し指を突き出すとさらに笑みを深めて言い切った。
「綾花ちゃんはもう我の彼女になったのだから、我とデートするべきだ!」
追い打ちをかけるように言う昂に、拓也は不満そうに眉をひそめてみせる。
「綾花は俺の彼女だと言っているだろう!」
「我は認めておらぬ!」
「おまえに認めてもらう必要はない!」
「…‥…‥ねえ、たっくん」
いつまで経っても埒が明かない昂との折り合いの中、綾花から遠慮がちな声をかけられて、拓也は昂から綾花へと視線を向ける。
綾花は所在なさげな顔で、おずおずと拓也を見ていた。待ちくたびれたのか、焦れたようにサイドテールをそわそわと揺らしている。風が吹いて、彼女の長いサイドテールの黒髪が大きく煽られた。
「そろそろ水族館に行かない?」
綾花が躊躇うように不安げな顔でそう問いかけてくる。
拓也は顔を片手で覆い、深いため息をつくと、状況の苛烈さに参ってきた神経を奮い立たせるようにして口を開いた。
「…‥…‥ああ。行くぞ、綾花」
「う、うん!」
「あっーー!!我も一緒に行くと告げておるではないか!!」
そう絶叫して後から追ってきた昂とともに、拓也は綾花と一緒に水族館に向かったのだった。
「うわぁっ!」
いそいそと水族館の回遊水槽に手を伸ばしかけた綾花が嬉しそうに言う。
正面の巨大アクリルパネルを始め、アクリルルームなど多方向から観覧できる回遊水槽は、この水族館自慢の施設だろう。
「ペンギンさんに早く会いたいな~」
これから訪れるペンギンの飼育スペースに心踊らせて、綾花は花咲くようにほんわかと笑ってみせた。
そんな中、昂はわなわなと綾花と水族館内を交互に見返しながら胸を高鳴らせていた。
「信じられぬ。本当に綾花ちゃんと二人きりだ。こ、これが世間でいうところのデートというものなのか…‥…‥!」
「…‥…‥おい」
不服そうな拓也の突っ込みをものともせず、昂はさらに力説して言葉を続ける。
「いや、こんな美味しい展開、我が見逃すはずもなかったな!」
「デートをしているのは、俺と綾花だ!おまえは今すぐ、即行で帰れ!」
「我は帰らぬ!」
「ねえねえ、たっくん、昂。早く行こう」
激しい剣幕で言い争う拓也と昂に、綾花はうずうずとした顔で声をかけた。
早く行きたそうにもじもじと手をこすり合わせるようにしてうつむく綾花に、昂は人差し指を立てると自慢げに胸を張って言った。
「綾花ちゃん、知っておるか?ペンギンの飼育スペースに鏡張りがあるのは、ペンギンが鏡に写った自分の姿を見て仲間がたくさんいると思い込んで安心するから、…‥…‥らしいぞ」
「えっ?そうなんだ。すごいね、昂」
この日のために学んできましたとばかりの雑学を披露する昂に、綾花は目を輝かせて感激した。
「あのな…‥…‥」
あくまでも不遜な態度でもの申す昂に、拓也はおもむろに視線を動かしてげんなりとする。
かくして、拓也と綾花と、何故か昂までいる水族館デートはこうして始まったのだった。
「ペンギンさん、可愛かったね」
大迫力の大水槽で観覧できる熱帯魚や深海魚、また、お目当てのペンギンの飼育スペースでのペンギン達の大行進を見ることができて、綾花は幸せそうにはにかんだ。
時刻はそろそろ、小腹も空き始める午後三時であった。
水族館館内にあるカフェは、ペンギンを見ながらスイーツを食べたり、ドリンクを楽しんだりすることができるという、綾花にとってはまるで夢のような場所だった。
目を輝かせて至福の表情で、この水族館オリジナルメニューであるペンギンロールケーキを頬張る綾花に、拓也は安堵の表情を浮かべて言った。
「ははっ、綾花が楽しそうで良かった。…‥…‥俺、心配だったんだ。本当は綾花はゲームセンターに行きたかったんじゃないかって」
「そ、そんなことないもの」
「本当か?この間、舞波に誘われた時はあんなに行きたそうだったけどな」
拓也は咄嗟にそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。
指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ」
「…‥…‥冗談だ」
「…‥…‥うっ、たっくんの意地悪」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
いつものほんわかとした綾花とのやり取りに、拓也は一瞬、綾花に進が憑依したことなど忘れそうになってしまう。
だが、目の前の席から聞こえてきた声が、非情にも拓也を現実へと引き戻した。
「うむ、あの時はまさか、進のゲーム好きが綾花ちゃんのペンギン好きに負けるとは思わんかったがな」
「…‥…‥」
拓也の嫌悪の眼差しに、昂は訝しげに大仰に肩をすくめてみせた。
「な、なんだ?不満そうな顔をしおって。貴様にとっては良かったことではないか」
そこまで言ってから、昂ははたと気がついた。
「…‥…‥むっ?さては貴様、綾花ちゃんが進ではなくなったのでは、と内心、思っておったのではないのか?」
「…‥…‥っ」
図星を突かれて不快な表情を浮かべた拓也に対して、昂は嘲るような笑みを向けた。
「そんなはずなかろう。今の綾花ちゃんはまぎれもなく進なのだからな」
昂の言葉に、拓也の顔が強張った。
「綾花は綾花だ!」
「なら、試してみてもよいのだな?」
「…‥…‥ねえ、また、昂のことだから、変なこと、企んでない?」
念を押すように拓也に言う昂に、今まで傍観していた綾花が訝しげに小首を傾げてみせる。
「変なことなど、我は今まで一度たりとも企んだ覚えはない!」
「私に迷惑行為ばかりしていたでしょう!」
「綾花に上岡を憑依させただろう!」
苛立ちを隠さず、声をそろえてそう言い放った綾花と拓也を前にしても、昂はめげなかった。
「そんなことよりも、綾花ちゃん。もう一度、あの者に綾花ちゃんの中に進がいることを知らしめるためにも、以前のように、進として振る舞ってはくれぬか?」
昂の勝ち誇った哄笑にも、綾花の表情は以前のようには揺らがなかった。
逆に綾花はそれを聞くと、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「ごめんね、昂。それはできないの」
「なっ、何故だ!?」
悲しげにそう答えた綾花に、昂は心底困惑して叫んだ。
「だって、たっくんと約束したもの。もう二度と、進としては振る舞わないって」
座っていた椅子から反射的に立ち上がると、昂は浮き足立ったように言い募った。
「なら、進は進自身を否定するのか?我の願いよりも、あの者との約束の方を選ぶと言うのか?」
「…‥…‥ごめんね、昂」
綾花の弱々しい小さな声は、カフェ内を忙しなく行き交う人々の中で聞き取るのが難しかった。
引き寄せられるように身を乗り出した昂は、綾花からそんな不可解極まる言葉をぶつけられて色めき立った。
「…‥…‥なっ」
初めて取られた進の否定の態度。
憑依の儀式の時にも、もちろん他の時にも拒否されたことはあったので、本当は初めてではなかったのだが、昂にはどんな時でも傍にいてくれた進が初めて自分のことを完全に否定した気がした。
昂は愕然としたまま、床にぺたりと膝をついた。立ち上がろうにも最早、足に力が入らなかった。
「ーーこ、昂!」
沈んだ顔をしていた綾花が、突然、床に膝をついた昂に驚いて目を丸くした。
綾花は床に座り込んだ昂の傍に慌てて駆け寄ると、そっと手を差し出そうとした。
だが、昂は乱暴にその手を払いのけると悔しそうに唇を噛みしめる。
綾花を進にしてしまえば、自分の気持ちは必ず届くと思っていた。
だが、結果はどうだろう。
綾花はーーいや、進さえも、自分の思いを否定してきた。
では、一体、どうしたら、この思いは伝わるというのだろう?
くっ!
何たる屈辱、何たる辱しめっ!
答えの出ないことを考えるうちに、昂はだんだんイラついてきた。
もういっそ、綾花ちゃんの思いも進の思いも、全て無視してしまえばよいのではないだろうか?
昂の思考はそう考えるようにさえなってきていた。
それで通じるなら、一番手っ取り早くはある。
「ーーもうよい!進が我を否定するのなら、我はもう…‥…‥」
昂が進に否定の言葉を告げようとする前に、拓也が言葉を挟んできた。
拓也は冷静な口調で昂に訊ねた。
「…‥…‥舞波、おまえは綾花が好きなのか?それとも、上岡が好きなのか?」
あまりに意外な一言に、昂は狼狽したように訊ね返した。
「な、何故、そのようなことを聞く?」
「おまえの態度を見ていると、綾花ではなく上岡のことが好きなようにも見える。綾花に上岡を憑依させたのも、その感情の裏返しのようだしな」
淡々と述べる拓也の言葉に、昂は動揺を隠せないまま、声を張り上げた。
「馬鹿な!違う!我は綾花ちゃんが好きだ!進は確かに、我にとって唯一無二の存在だ!だが、我が好きなのは、我が愛したのは綾花ちゃんだけ…‥…‥っ」
うろたえて口走った言葉に、昂はぎょっとした。
そこでようやく昂は気がついた。
ーーだから、あの時、憑依融合のようなものが起きたのか?
拓也に指摘されて、初めて昂はそのことに気づく。その発見で、ようやくすべてが腑に落ちた。
綾花ちゃんに進が完全に憑依しなかったのは、儀式を行っている最中、我が綾花ちゃんの心を消したくないと心のどこかで望んでいたからだ。
だから、当初の予定とは違って、進は綾花ちゃんの心の一部に過ぎなかったのだな。
ぼんやりとした思考の中、昂は自分の考えに自分で頷いた。
昂にとって進が大切な友人であると同時に、綾花は昂が初めて惚れた想い人だった。
どちらも昂にとって、大切な存在に違いない。
ましてや、今はどちらも綾花自身なのだから。
しみじみと感慨深く昂が物思いに耽っていると、不意に綾花が少し真剣な顔で声をかけた。
「ねえ、昂。私は確かに進だけど、綾花でもあるの。だから、昂にはどちらも私だと思ってほしいな」
「綾花ちゃん…‥…‥」
昂が溢れそうな涙を必死に堪え、綾花の顔を見上げると、綾花はどこか寂しげに笑った。
「私は昂を否定なんてしていないよ。だって、昂は私の大切な友人の一人だもの」
「‥…‥…う、うむ」
あくまでも進らしい綾花の励ましの言葉に、昂は嬉しくなってぱあっと顔を輝かせた。
そのやり取りを、拓也は複雑な表情を浮かべながら見守っていた。
拓也は綾花に何か声をかけようとして口を開き、でも何も言葉は見つからず、伸ばしかけた手を下におろした。
今の綾花は、綾花としての記憶とは別に進としての記憶が重なっている。
分かっていたはずだ。
しかし、拓也の心は大きく動揺した。
奇妙な対抗心が芽生えて、拓也は椅子から立ち上がると綾花を守るようにして昂の前に立ち塞がった。
綾花との会話を中断させられて、昂は一瞬、むっと顔を歪ませる。
だがすぐに、昂はそれらのことを全く気にせずに立ち上がると話をひたすら捲し立てまくった。
「井上拓也!今日のところは身を引いてやるが、覚えておくがいい!綾花ちゃんは我の彼女だ!」
昂は不適な笑みを浮かべて拓也に意味深な宣戦布告をすると、踵を返してその場から立ち去っていった。
ワンピースの裾をつまみ、ふわりと半回転してみせると、綾花は拓也に向き直ってほろりと言った。
「たっくんはすごいね」
「何がだ?」
拓也が戸惑ったように訊くと、綾花はにっこりと笑った。
「昂が私と進以外の人の名前を呼んだのって、たっくんが初めてだよ」
「そうなのか?」
「うん」
突然の綾花からの告白に、拓也は呆気に取られたように首を傾げた。
舞波から名前呼びをされたといっても、どうにもありがたみに欠ける。
拓也は訳が分からないまま、椅子に座り直した。
同じく隣の席に座り直した綾花は拓也の肩にぽすんと寄りかかって幸せそうに目を閉じた。
肩口に感じるそのぬくもりに、拓也はほっと安心したように優しげに目を細めて綾花を見やる。
どちらも、綾花か‥…‥…。
そう思えればーーいやそう割りきれば、どんなにか幸せなことだろう。
寄りかかってくる綾花の華奢な体を拓也はそっと抱き寄せると、ひそかに決意表明をするように綾花を誰にも渡さないことを再度、心に誓うのだった。