第四十九章 根本的に夢の続きを探して
ゲームセンターの更衣室に立ち寄り、いつもの格好に戻った綾花と元樹、そして昂とともに駅に辿り着いた拓也は、綾花に振り返ると一呼吸置いて言った。
「綾花、ゲームの大会で優勝できて良かったな」
「うん、たっくんと布施くんと舞波くん、そして、母さんのおかげだよ」
穏やかな表情で胸を撫で下ろす綾花を見て、拓也も胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
すると両手を広げ、生き生きとした表情で綾花はさらにこう言う。
「たっくん、元樹くん、舞波くん、ありがとう!」
「ああ」
拓也が頷くと、綾花は嬉しそうに顔を輝かせた。
その不意打ちのような日だまりの笑顔に、元樹は思わず見入ってしまい、慌てて目をそらす。
「あ、ああ」
「元樹、協力してくれてありがとうな」
ごまかすように人差し指で頬を撫でる元樹に、拓也も続けてそう言った。
「さあ、大会は終わったぞ。舞波、おまえにはもう一度、禁断の魔術を使ってもらう!」
少し間を置いた後、居住まいを正して真剣な表情で口を開いた拓也に、昂は腕を組むとこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「我が、そのような戯れ言を聞くとでも思っているのか!」
「おい!」
居丈高な態度で大口を叩く昂に、拓也は低くうめくように言う。
綾花は人差し指を立てると、きょとんとした表情で首を傾げてみせた。
「ねえ、たっくんは、舞波くんに聞きたいことがあるんだよね?」
「我に聞きたいことだと?」
綾花の言葉に、昂の顔が強張った。
拓也は綾花を背に、昂と対峙するように立つとはっきりと告げる。
「おまえは大会の時、綾花に一度も『禁断の魔術』を使ってこなかったな?」
「確かに使わなかったが、それがどうかしたのか?」
あっけらかんとした口調でそう答えてみせた昂に、拓也は立て続けに言葉を連ねた。
「なら、何故、上岡として振る舞っている時の綾花に『禁断の魔術』を使わなかったんだ?大会の時も一度しか使っていなかったみたいだし、おまえの目的は上岡として振る舞っている時の綾花に禁断の魔術をかけることだろう?」
「何故、だと?」
探りを入れるような拓也の言葉に、口に出しながら昂の思考は急速展開する。
そこで昂は何故、拓也がこんなことを言い出してきたのか事情を察知した。
思い至ると同時に、昂はまるで自嘲するようにせせら笑った。
「なるほど、先程の大会で我が一度しか禁断の魔術を使わなかったことに疑念を抱いているのだな?」
「ああ」
拓也は、昂の言葉に力強く頷いてみせた。
禁断の魔術道具、『夢忘れのポプリ』。
その強引で危険極まりない魔術は、一日一時間以内なら、何度でも使うことができた。
あの舞波が一度しか禁断の魔術を使わずーーしかも綾花が上岡として振る舞っているという絶好の機会に使わなかったことに、拓也は訝しんでいた。
拓也の疑問に答えるように、昂はわざとらしく考え込み、その後、淡々とした調子で説明を始めた。
「簡単なことだ!我は今回、大会に集中していたからな!」
「…‥…‥おい!」
疑惑と抗議の視線を送る拓也に、昂は腰に手を当てると得意げに言う。
「勘違いするな。念のために言っておくが、わざとしなかったわけではないぞ。ただ、綾花ちゃんと約束したからな。綾花ちゃんに禁断の魔術を使ってもらうのは、いざという時の最後の手段に取っておくと」
意外な言葉に、拓也は虚を突かれたように目を丸くしてしまう。
動揺する拓也を尻目に、昂は自然な感じでさらにこう付け加えた。
「それに非公式の大会とはいえ、こうして我は綾花ちゃんとチームを組み、ゲームを楽しむことができたのだ。我は感激極まりない」
「舞波くん…‥…‥」
予想外の昂の言葉に、綾花は嬉しそうに可憐な笑みを浮かべて昂を見ていた。
「しかしながら、一度しか禁断の魔術を使わなかったというのは過ちだ。正しくは、一度しか使えなかったのだ。ゲームセンターに来る前に、我の母上と進の母上に再び、魔術の件などで怒られないように禁断の魔術を使っておったからな」
「…‥…‥だから、上岡のおばさんは、おまえに対して何も言ってこなかったんだな」
拓也が苦虫を噛み潰した顔で昂を睨みつけたが、昂はあえてそれを無視する。
「本来なら、綾花ちゃんのご両親に禁断の魔術を使って今回の件を何とかしたかったのだが、禁断の魔術は対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけしか現実に変えることができぬからな」
「…‥…‥はあっ~。それでも、かなり厄介な魔術だよな」
「我の産み出した魔術だからな」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
「綾花ちゃん、今日は楽しかったのだ。次の大会のスケジュールが決まったら、また一緒に出場してほしい」
「舞波、まだ、話は終わっていないだろう!」
「おい、待てよ!」
拓也と元樹の抗議を黙殺して、昂はそれだけを告げると踵を返し、その場から立ち去っていった。
列車の窓から射し込む夕日は、普段より眩しく思えた。
かたことと揺れる列車の車内で窓の外を通り過ぎる住宅地やショッピングモールなどの景色を眺めながら、拓也は拳を強く握りしめて唸った。
ちょうど帰宅ラッシュとぶつかり、車内はそれなりに混みあっている。
帰りの列車の中で身を縮め、拓也の隣で何とか吊革に掴まろうと背伸びしている綾花から視線をそらすと、拓也は薄くため息をついた。
「そういえば、元樹が言っていた『禁断の魔術』の対策法って何だったんだ?」
「ああ」
拓也の疑問を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「前もって、舞波に禁断の魔術を使わせる」
「前もって?」
呆気に取られた拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなくあっさりとした表情で言葉を続けた。
「禁断の魔術はさ、『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』魔術だろう。つまり、その一時間さえ乗り切ることができれば、舞波はもうその日、禁断の魔術によって、綾に何かをしてくることはないよな」
「なるほどな」
苦々しい表情で、拓也は隣に立っている綾花の方を見遣る。
実際、今日の大会は、舞波が既に舞波の母親と進の母親に禁断の魔術を使っていたため、以前の時のように綾花に何かをしてくることはなかった。
確かにその一時間さえ乗り切ることができれば、その日、舞波が禁断の魔術を使って綾花に何かをしてくることはないだろう。
だが、すぐに思い出したように、拓也は元樹の方に向き直るとため息をついて付け加えた。
「でも、舞波のことだ。そう何度も同じ手には乗らないんじゃないのか?いや、それすらも、禁断の魔術を使って妨害してくるかもしれない」
「ああ。だから、まずは綾が上岡の家に行けるように、綾の両親と上岡の両親を一度、ちゃんとしたかたちで対面させようと思う。もちろん、舞波に禁断の魔術を使わせた後でな」
「「ーーっ」」
元樹が客観的方法を提案してきた事実よりも、その方法を提案してきたということに、拓也はーーそして隣で二人の会話を聞いていた綾花は衝撃を受けた。
綾花の両親と上岡の両親を対面させるということは、綾花の両親に綾花に上岡が憑依したという事実がバレる可能性が増すことに繋がる。
もし綾花の両親にバレてしまったら、きっといろいろと誤解を招かれて大変なことになり兼ねない。
いや、下手をすれば、思い詰められた綾花は傷つき、悲しみに暮れて立ち直れなくなってしまうかもしれない。
拓也の思考を読み取ったように、元樹は静かに続けた。
「…‥…‥俺は、綾の両親には近いうちに本当のことを話すべきだと思う」
「なっーー」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った元樹に、拓也は今度こそ目を見開いた。
咄嗟に、拓也が焦ったように言う。
「はあ? 元樹、なに言っているんだ?」
「拓也も分かっているだろう?」
元樹の即座の切り返しに、拓也は元樹が何を告げようとしているのか悟ったように、ぐっと悔しそうに言葉を詰まらせる。
「俺、あれからいろいろと考えてみたんだ。これから先も、綾の両親に本当のことを話さないように徹するには無理があるんじゃないかって」
それにさ、と元樹は言葉を探しながら続けた。
「もし、綾が上岡の両親に内緒で会っていたことが知れたら、本当に綾の両親は上岡の両親に今後一切、綾に会わないでほしいと言ってきそうだ。だけど、上岡の両親はもう、綾を手放すつもりはないだろう。それに、綾に上岡が憑依しているという事実は否応なく、これからも綾にーーそして綾の両親と上岡の両親に付きまとっていくことになる」
何のひねりもてらいもない。
そう思ったから口にしただけの言葉。
目を丸くし、驚きの表情を浮かべた拓也を見て、元樹は意味ありげに綾花に視線を向ける。
元樹は軽く息を吐くと、沈痛な表情を浮かべて何かを我慢するように俯いている綾花の前に立った。
「…‥…‥綾、すげえ不安にさせることを言ってしまってごめんな。だけど、俺も拓也と同じで、綾が傷つくのを見たくない」
元樹の言葉に、綾花は俯いたまま、何の反応も示さなかった。
そんな綾花に、意を決したように元樹が綾花の手をつかんで続ける。
「不安だと思う。苦しいと思う。それに、綾の両親に全てを明かすのだって怖いと思う。でも、このままじゃ、やっぱりだめなんだよ。だから、勇気を出してくれないか」
「…‥…‥ううっ、元樹くん」
元樹の強い言葉に、綾花が断ち切れそうな声でつぶやく。
そんな綾花に、元樹は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「例え、否定されても、綾の気持ちを伝える方法はいくらでもあるだろう。 綾にはもう、上岡の勇気があるんだからな」
「ーーううっ、ご、ごめんね、ごめんね。元樹くん、ありがとう」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。
泣きそうに顔を歪めて力なくうなだれていた綾花は、次に元樹が取った行動に虚を突かれた。
伏線も予備動作もなく、顔を近づけてきた元樹は、滑らかな頬を淡く染め、たまらず視線をそらした綾花を愛おしそうにそっと抱き寄せた。
「なっーー」
そして、拓也が咎めるより先に、元樹は綾花の唇に自分の唇を重ねる。
矢継ぎ早の展開。それも唐突すぎる流れに、綾花は一瞬で顔が桜色に染まってしまう。
だが、予想外のことをされた驚きが勝ってか、咄嗟にその顔からは悲しげな色は消えていた。
「おい、元樹!」
「絶対に負けないからな」
苛立たしそうに叫んだ拓也に、元樹ははっきりとそう告げる。
恥ずかしそうに赤らんだ頬にそっと指先を寄せる綾花の頭を、拓也はため息を吐きながらもいつものように優しく撫でてやった。
「…‥…‥綾花。結果がどうなったとしても、綾花のーーそして上岡の中には、精一杯頑張った思い出が残った方がいいのかもしれないな」
「何か困ったことがあったら、すぐに俺達が助けるからさ」
「…‥…‥うん。ありがとう、たっくん、元樹くん」
拓也と元樹の何気ない励ましの言葉に、綾花はようやく顔を上げると嬉しそうに笑ってみせる。
「綾花、上岡の家に行けるようになったら、またみんなで一緒に旅行にでも行こうな」
「うん」
綾花の花咲くようなその笑みに、拓也は吹っ切れた表情を浮かべて一息に言い切ったのだった。




