第四十八章 根本的にいつか出会えるように
ーー何かを好きになるのは、ほんの些細なことでごくありふれた思いなのだと思う。
駅前に新しくできたスイーツショップの店内で、自分が薦めたフルーツケーキとアールグレイの紅茶というお互い、同じものを購入し、二人がけのテーブル席に着いたほのかは購入したばかりのフルーツケーキの方をじっと見つめていた。
「すごいな」
「ふわふわだね~」
彼女のーークラスメイトの宮迫琴音の言葉に、ほのかは無邪気にそう返すと早速、ナイフとフォークでフルーツケーキを嬉しそうに切り分け始める。そして、柔らかなケーキと同じくらいにふわんとした顔をして、切り分けた一片を口に運んだ。
「う~ん、美味しい」
美味しくてたまらないとばかりに、きゅっと目を細めて頬に手を当てるほのかを見て、琴音は目を丸くする。
「相変わらず、倉持はケーキに目がないよな」
どことなく聞き覚えのある彼女の台詞に、ほのかは思わず顔を赤らめてしまう。
高校入学当時、初めてスイーツショップに誘ったのは上岡くんだった。だけど今、隣にいるのは宮迫さんだ。
なのに何故か、上岡くんと一緒にいる時と同じような気分になってしまう。それがどこか不思議な感じがして、何だか落ち着かない。
上岡くん。
いつしか、行方が分からなくてしまった、同じクラスの太陽のように輝いていた男の子。
「…‥…‥また、ゲームの大会に出て探してみようかな」
ふっと息を抜くように笑うと、ほのかは一人、遠くへと視線を向ける。
もしかしたら、上岡くんが出場しているかもしれない。
そんな淡い期待を込めて、ほのかは何気なく大会にエントリーすることを決めた。
その後日、『宮迫琴音』がこの高校に在籍していたということも、宮迫琴音に関するあらゆる記憶や認識も全て白紙へと戻された後でも、彼女のその想いはいつまでもこびりついていて消えることはなかった。
オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の大会は、個人戦とチーム戦、二つの形式に分類されていた。
綾花、そして元樹の兄、尚之が出場していた個人戦とは違い、チーム戦は必然的にチームを組んでくれるメンバーが必要になってくる。
また、個人戦のみしか出場していない尚之のように、チーム戦のみにしか出場していない『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で上位を占めるプレイヤーも数多く存在していた。
ゲームセンターで開催されるオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦に出場することになった綾花達は、そこで『禁断の魔術』による昂の決定的な動きを目の当たりにする。
「今から、我のチームを参加させてほしいのだ」
ゲームセンターに入ってすぐの大会受付のところで、昂はゲームセンターの運営者らしき人物にあらかじめ用意していたエントリー用紙を差し出すと、あくまでも単刀直入な言葉を発した。
大会当日のチーム戦決勝の直前で、しかも事前エントリーもなしという無茶にもほどがある昂の発言を、
「…‥…‥はい、今すぐ手配させて頂きます」
と、ゲームセンターの運営者はさも当然であるかのようにあっさりと了承した。
スタッフに指示を出しながら足早に立ち去っていくゲームセンターの運営者に呆気に取られる綾花達の方へと振り返ると、昂は両手を広げ、満面の笑みでこう告げた。
「どうだ、琴音ちゃん!我の禁断の魔術の効果は!」
「…‥…‥厄介な魔術だな」
昂の自信に満ちた言葉に、拓也が額に手を当てて呆れたように肩をすくめてみせる。
元樹はつかつかと近寄ってきて、拓也の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「ああ、一時間だけとはいえ、舞波の考えたことが現実に反映されるんだ。ほとんど、洗脳に近いだろうな」
「…‥…‥そうだな」
苦々しい表情で、拓也は昂の方を見遣る。
目下、一番重要になるのは、舞波の行動だ。
舞波の目的は、綾花に禁断の魔術を使わせることだ。
ゲームの大会に出場するためには、綾花が上岡としてーー『宮迫琴音』として振る舞う必要がある。
ゲームの大会に誘うことを発端として、綾花に禁断の魔術を使うタイミングを見計らっているのだろう。
それだけは、何としても防がなければならない。
だが、それを防ぐ行為さえも、禁断の魔術によって妨害されてしまう恐れがある。
「…‥…‥だけど、今から参加だと、決勝戦はどうなるんだ?」
沈みかけた思考から顔を上げ、現実につぶやいた拓也は、改めて盛り上がる周囲の様子を見渡す。
ゲームセンターに集まった少なくはない観客達が、みな大会用に設置された拓也達のいるステージへと注目している。
見れば、もうまもなく決勝戦の準備が終わろうとしていた。
「なあ、あや…‥…‥いや、宮迫」
「琴音」
拓也がそう言って綾花に声をかけようとした矢先、不意に進の母親の声が聞こえた。
声がした方向に振り向くと、少しばかり離れた場所で進の母親が綾花の姿を見とめて何気なく手を振っている。
進の母親の元へと慌てて駆けよってきた綾花を見遣ると、進の母親は穏やかな表情で言った。
「琴音、頑張ってね」
「ああ」
綾花がそう意気込むと、進の母親は嬉しそうに微かに笑みを浮かべてみせた。
「なあ、宮迫、ちょっといいか?」
「うん?」
拓也が手招きして呼びかけると、進の母親と話していた綾花は再び、ステージ上に立っている拓也達のもとへと駆けていく。
警戒するように辺りを見渡した後、拓也は深呼吸をするように深く大きなため息を吐くと、綾花に小声でつぶやいた。
「舞波の禁断の魔術についてなんだが、元樹が少し対策を練ってくれたみたいなんだ」
「対策?」
目を丸くし、驚きの表情を浮かべた綾花を見て、拓也はばつが悪そうな表情で続ける。
「ああ。俺もまだ、詳しくは聞かされていないんだがーー」
「さあ、お待たせしました!ただいまから、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦決勝を開始します!」
何かを告げようとした拓也の言葉をかき消すように、突如、実況の声が綾花達の耳に響き渡る。
実況の決勝戦開幕の言葉に、観客達はヒートアップし、万雷の歓声が巻き起こった。
「本来は決勝に上がってきた二チームでの対戦ですが、今回は特別ゲストとして オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の事実上準優勝の宮迫琴音を擁するチームを含む、三チームでの対戦となります!」
実況の甲高い声を背景に、綾花はまっすぐ前を見据えた。
決勝の舞台で戦うプレイヤー。
そのうちの一人の姿を見た瞬間、綾花は息を呑んだ。
「倉持!」
「…‥…‥倉持?」
驚愕する綾花を横目に、拓也は戸惑うように綾花に話を振ってきた。
「俺のーー進のクラスメイトなんだ」
「そ、そうなのか?」
「ああ。でも、俺の知る限り、倉持はあまりゲームをしたりすることはなかったんだけどな」
不合理と不調和に苛まれた混乱の極致の中で、綾花はまじまじとほのかを見つめた。
綾花のーー上岡の知り合いなのか?
そう思ってつられるようにほのかを見やった拓也は、そういえば綾花が宮迫琴音として登校している時によく隣のクラスで見かけた少女だということに思い至る。
元樹はちらりとその様子を見ながら、こともなげに言った。
「どんな相手だろうと、戦うだけだ。俺達も負けられないからな」
不意にかけられた言葉が、意味深な響きを満ちる。
絶対にーー。
言外の言葉まで読み取った拓也を尻目に、元樹はステージ上のモニター画面に視線を戻すとコントローラーを手に取る。
「うむ。我の実力を見て、吠え面をかくといい」
拓也は早くも臨戦態勢に入った昂に軽くため息を吐き、右手を伸ばした。コントローラーを手に取って正面を見据える。
「レギュレーションは、一本先取。最後まで残っていたチームが優勝となります」
「いずれにしても、やるしかないか」
決意のこもった拓也の言葉が、実況の言葉と重なった。
「ああ」
拓也の言葉に綾花が頷いたと同時に、キャラのスタートアップの硬直が解けた。
ーーバトル開始。
「…‥…‥っ」
対戦開始とともに、昂に一気に距離を詰められた対戦相手は後退する間もなく無防備なまま、一撃を浴びせられる。
さらに昂は、後方から戦闘に加わってきたもう一人の対戦相手も軽々と吹き飛ばすと、目の前の対戦相手が立て直す前を見計らって一振り、二振りと追撃を入れてから離れた。
昂の一撃に吹き飛ばされたことにより一旦、退こうとした対戦相手の出鼻をくじくような形で、綾花は相手の背後を取ると、対戦相手が振り返る間も与えずに続けて斬撃を放ってみせる。
元樹は自身のキャラの武器である槍を構えると、それぞれ短剣、槍を携えた他のチームのキャラ達の斬撃を最低限の動きで避け、同時にその避ける行動が反撃の一部であるように最速の突きを放つ。
モニター画面に写るスタンダードな草原を背景に、拓也は一人、何も出来ず、いや、何もしていないというのに半分近くまで減った対戦相手のキャラ達を見ながら唇を噛みしめた。
「…‥…‥強い」
対戦開始から数分後、他の対戦相手のキャラの体力ゲージをいともあっさりと削り、容赦なく彼らを追い詰めていく綾花と昂と元樹に、拓也は愕然とした表情でつぶやいた。
個人戦と違い、チーム戦は複数のチームと同時に戦う可能性が非常に高い。
必然的に一対一の戦いは少なくなり、不慮の一撃というのも増えていく。
しかし、そんな乱戦状態の中でも、綾花達は的確かつ確実に相手を倒していった。
第一回公式トーナメント大会の事実上準優勝者の綾花と優勝者の弟である元樹、そしてモーションランキングシステム内で上位を占めるプレイヤの一人である舞波ーー。
大技を食らったわけではないし、とてつもない連携技を披露されたわけでもない。なんということもなく基本技のみで相手を撃ちくだしていく姿に、拓也は呆気に取られてしまう。
「うむ。やはり、どのチームも全く相手にならぬな」
「…‥…‥くそう、俺はこのまま、何もできないのか!」
ゲーム画面を見据え、噛みしめるように意味深な笑みを浮かべる昂をよそに、半ばヤケを起こしたように拓也が叫ぶ。
ぶつけようもない不安と苛立ちを吐き出そうとするも、自分に返ってきては再び、拓也の頭をもやもやさせる。
「井上、まだ戦いは終わっていない」
ゲーム画面を見据えながらも断言してみせた綾花に、拓也は思わず、目を見開いた。
「…‥…‥ああ、そうだな」
真剣な眼差しでステージに立つ綾花を横目に、拓也はどこか照れくさそうな笑みを浮かべるとコントローラーをぎゅっと握りしめ直す。
そうだ。
半分近くまで減ったということは、逆に考えれば相手はまだ、半分残っているということだ。
拓也は先程の慢心を諌めるように自分に言い聞かせ、まっすぐ画面を睨みつける。
「負けられない!」
その時だった。
軽装に身を包んだ少女騎士が伸ばした右手に無骨な剣斧を翻らせ、この上ない闘志をみなぎらせる。
少女騎士を操作するほのかから強い気概を投げつけられた綾花達は、そちらに視線を送って思わず、絶句した。
そんな彼女の操作する少女騎士の背後から、鎧姿にもかかわらずに俊敏に動く同じく騎士風の二人の男が飛び出してきたからだ。
「むっ!」
右側面から放たれた斬り下ろしを、上体をそらすことでかわした昂は、視界を遮る斬影に反撃の手を止め、その一瞬の隙を突くようにもう一人の騎士風の男の高速斬り上げが昂のキャラを襲った。
わずかにダメージを食らいながらも防ぎきった昂のキャラめがけて、接近していた少女騎士が間隙を穿とうとする。
「ーーっ!?」
昂は迎え撃つ体勢をとりーー、しかし、少女騎士が昂のキャラに一瞥もくれずに綾花のキャラに襲いかかっていったことに虚を突かれた。
少女騎士は綾花のキャラに右手一本で軽々と剣斧を振り落とすと見せかけて、すかさず左手に持ちかえると、今度は石段に昇り、大上段から綾花のキャラへと剣斧を振り落とそうとした。
力押しの一撃に、昂は綾花のキャラを守るようにして立ち塞がると、自身の侍風のキャラの武器である刀を両手から片手へと持ち替えり、たん、と音が響くほど強く地面を蹴る。
次の瞬間、ほのかが認識したのは、同じく大上段からほのかの操作する少女騎士へと刀を振り落とす昂のキャラの姿だった。
「うむ。さすがは、進のクラスメイトのチームだ。先程の言葉は、いささか前言撤回せねばいかぬな」
「っ!?」
反射的に、少女騎士は剣斧で受けようとしーー刀の刀先が剣斧を通り抜けるのを目の当たりにする。
透視化の固有スキルかーー。
拓也がそう思ったのと同時に、何の障害もないように刀に斬りつけられ、体力ゲージを減らした少女騎士は反射的に反撃しようとして、その出先を刀の柄に押さえられた。
たまらず、バッグステップで距離を取ると、少女騎士が後退した分だけきっちり踏み込んだ下段斬り上げを見舞わされる。
斬りつけられた少女騎士は、少なくないダメージエフェクトを放出していた。
あくまでも容赦ない昂に呆れつつも、元樹は合流した綾花のキャラとともに残る二人の騎士風のキャラと他のチームのキャラを相手にしながら拓也に問いかけてきた。
「次は、連携技で勝負をしかけてくるな」
「なっーー」
唐突な質問。だが、それは問いかけではなかった。
拓也が応える前に、急加速した少女騎士が連携技の一撃を浴びせようと仕掛けてきたからだ。
その攻撃を目にした途端、拓也は不意に綾花と尚之の再戦の場所を決める際の一幕を思い出した。
『たっくん、連携技がくると分かったらねーー』
不意に、綾花の声が聞こえてきた気がした。
少女騎士の絶妙かつ豪快な連携技に、拓也は半身だけずらしてぎりぎりのところで剣斧を回避した。
「なっーー」
「最初から連携技がくると分かっていれば、いくらでも対処はできる」
唖然とするほのかに対して、拓也がなんということもなく言うと、隣で操作していた昂は不満そうに拓也を睨みつける。
しかし、昂はすぐに画面に向き直ると超反応で追撃とばかりに斬撃を繰り出し、わずかに残っていたほのかのキャラの体力ゲージを根こそぎ刈り取った。
そして少し遅れて、綾花のキャラと元樹のキャラによる連携攻撃の一撃が、最後に残っていたキャラに決まる。
『YOU WIN』
システム音声がそう告げるとともに、綾花達の勝利が表示される。
一瞬の静寂の後、認識に追いついた観客達の歓声が一気に爆発した。
「宮迫さん」
名前を呼ばれてそちらに振り返った綾花は、コントローラーを置いたほのかが必死の表情で綾花を見つめていることに気づいた。
「ひとつだけ聞いてもいいかな?」
「うん?」
「宮迫さんは今、上岡くんがどこにいるのか知っているの?」
ほのかの弱々しい小さな声は、忙しなく行き交うスタッフや観客達の中で聞き取るのが難しかった。
引き寄せられるように身を乗り出した綾花は、ほのかからそんな不可解極まる言葉をぶつけられて色めき立った。
「ーーっ」
倉持は、俺のことをーー『宮迫琴音』のことを覚えているのか?
とめどなくあふれる疑問は、ほのかの浮かべた真剣な表情に残さず、かき消された。
「…‥…‥いや」
綾花が短く端的にそう答えると、ほのかは俯き、少し顔を曇らせた。
「…‥…‥そうなんだ。以前、大会で観た宮迫さんの戦い方って上岡くんに似ているような気がしたから、宮迫さんって上岡くんと会ったことがあるのかなと思っていたの」
「そうなんだな」
眉根を寄せて真剣な調子で答えるほのかに、綾花はそれがただの杞憂だったことに気づいて呆気に取られたようにーーだけど、少し寂しそうにため息をつく。
「また、ゲームしようね。今度はもっとまともに戦えるようになっているから」
「ああ」
ぽん、と手を打ったほのかがいつものように嬉々とした表情で興奮気味に話すのを見て、綾花は思わず、物憂げな表情を収めて苦笑する。
どうすれば、上岡くんの心を留めておけるのかーー。
進が行方不明になったと聞かされた後、ほのかが考えて思いついたのは、至って平凡極まりないものだった。
「ゲームを覚えたら、上岡くんとまた、会えるかもしれない」
大会に負けてしまったことよりも、進に関する手がかりが見つからなかったということよりも、いつかまた、上岡くんに会えますように、それだけをほのかは心から願い続けていた。




