第四十六章 根本的に未来の支配者は憧れの姫君に魔術をかけられるか
グラウンドを出て、拓也達が向かった先は校舎裏だった。
校舎の陰で陽が当たらず、昼食を摂るにも休憩を取るにも向かない暗所だ。一般生徒は用事がない限り、まず近づくことはない。
もっとも今ではその秘匿性から、拓也達が学校内で秘密裏に会話を行わうための場所として使われていることが多い。
拓也はそれでも人影がないか確認してから、昂に視線を戻す。
「どういうことだ?」
忌々しさを隠さずに、拓也は警戒心をあらわにして訊いた。
「何故、魔術を使う前に、綾花が上岡として振る舞う必要があるんだ?」
「貴様らに答える必要はない」
訝しげな拓也の問いかけにも、昂はなんでもないことのようにさらりと答えてみせた。
拓也はさらに怪訝そうに眉を寄せると、立て続けに言葉を連ねてみせる。
「なら、おまえが魔術を使う前に綾花が上岡として振る舞うのを断った場合はどうするつもりだったんだ?」
再び質問を浴びせてきた拓也に対して、何を言われるのかある程度は予測できたのか、昂は素知らぬ顔と声で応じた。
「そのようなことは一ミリたりともあり得ぬが、その時は『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』という禁断の魔術の素晴らしさを、綾花ちゃんに語り尽くせばいいだけの話だ。それでも綾花ちゃんが不安だと言うのなら、先程、我自ら、使用した禁断の魔術を実行に移してみせてもよい」
「なるほどな。『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』、それが禁断の魔術の効果なんだな」
「うむ」
苦虫を噛み潰したような拓也の声に、不遜な態度で昂は不適に笑う。
「ーーむっ?」
そこでようやく、昂は自ら自白していたことに気づく。
混乱しきっていた思考がどうにか収まり、昂は素っ頓狂な声を上げた。
「おのれ~!井上拓也!貴様、我に自白させるのが目的だったのだな!」
「おまえが勝手に話しただけだろう!」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也は不愉快そうにそう告げた。
しばらく思案顔で何事かを考え込んでいた元樹だったが、顔を上げるといまだに激しい剣幕で言い争う拓也と昂、そして綾花を見渡しながら自身の考えを述べた。
「『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』魔術か。綾に起こりうる未来を変える。それだと、別に綾が上岡として振る舞う必要はないよな?」
「むっ、否、この魔術はいささか条件が厳しくてな。対象の相手がこの人物だと、限定特定させねばならぬのだ。綾花ちゃんのままだと、進が憑依する前の本来の綾花ちゃんの仮想未来しか現実に変えることができぬゆえ、『進の家に行きたい』という今の綾花ちゃんの願いは叶わないのだ」
「そうなんだ」
「…‥…‥なんだ、それは」
神妙な表情でつぶやく綾花に対して、拓也は呆れたようにため息をつく。
そこで、元樹は昂の台詞の不可思議な部分に気づき、昂をまじまじと見た。
「…‥…‥そう言えば、『使用した』って言っていたということは、まさかおまえ、さっきの先生の呼び出しの際に使ったのか?」
「無論だ!なにしろ、我を見逃してもらえるような状況ではなかったからな!そうでもしなければ、呼び出されたすぐ後に、我が土下座などで綾花ちゃんのもとに来れるわけがないではないか!」
「…‥…‥頭が痛くなってくるな」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
拓也は額に手を当てて呆れたように肩をすくめると、弱りきった表情で口を開いた。
「はあ…‥…‥。何度も言うが、おまえ、魔術は謹慎処分になっていたんじゃなかったのか?」
「何を言う?我が、綾花ちゃんに会えなくなるかもしれないという危機的状況ではないか。綾花ちゃんのためなら、謹慎処分など我の知ったどころではない」
苦虫を噛み潰したような拓也の声に、あくまでも不遜な態度で昂は不適に笑う。
「刮目するのだ、綾花ちゃん!これが、禁断の魔術道具ーー」
疑惑を消化できずに顔をしかめる拓也と元樹をよそに、昂はビシッと綾花を指差して殊更に持ってきていた魔術道具を鞄から取り出す。
「『夢忘れのポプリ』だ!袋に入っているポプリを全てかけた者の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変えることができる。一日、一時間限定ゆえに複雑な内容は変えられぬのがいささか難点だが、これさえあれば、綾花ちゃんはいつでも進の家に行くことができるという寸法だ!綾花ちゃんが気に入るようにと、綾花ちゃんのポプリの袋はペンギンの絵柄にしてある!」
「…‥…‥ゆ、夢忘れのポプリ?」
「ペンギンさんのポプリ!」
あまりにも意外な昂の言葉に、拓也は呆然としてうまく言葉が返せなかった。
しかし、呆れ果てる拓也を尻目に、綾花は両手を握りしめて期待に満ちた眼差しで目を輝かせた。
「さあ、綾花ちゃん。進の家に行くためにも、早速、進として振る舞ってはくれぬか?」
「…‥…‥ねえ、また、舞波くんのことだから、変なこと、企んでない?」
ペンギン柄のポプリの袋を握りしめ、あえて念を押すように綾花に言う昂に、今まで目を輝かせていた綾花は訝しげに小首を傾げてみせる。
「変なことなど、我は今まで一度たりとも企んだ覚えはない!」
「私に迷惑行為ばかりしていたでしょう!」
「綾花に上岡を憑依させただろう!」
「明らかに今まで、変な魔術のオンパレードだったよな」
苛立ちを隠さず、声をそろえてそう言い放った綾花と拓也、そして遅れて不満そうにぼやいた元樹を前にしても、昂はめげなかった。
「そんなことよりも綾花ちゃん。我は、綾花ちゃんとこれからも一緒にいたいのだ。綾花ちゃんのままだと、我が願っても意味はなさない。だから、我は綾花ちゃんにーーそして進に請う!綾花ちゃん、進として振る舞ってはくれぬか? 」
「…‥…‥ううっ、でも」
綾花はそれを聞くと、少し困ったような表情を浮かべて、だけど何かを我慢するように両拳を握りしめる。
その様子を見かねたように視点を転じると、拓也は綾花に向かって声をかけた。
「綾花、絶対に上岡として振る舞うな」
「…‥…‥う、うん」
その言葉に、綾花はほんの少しふて腐れた表情でうつむき、ごにょごにょとつぶやく。
「なにぃーー!」
拓也のその何気ない言葉を聞いて、昂は大言壮語に不服そうに声を荒らげた。
「貴様、我が綾花ちゃんに禁断の魔術をかけるのを邪魔する気か!!」
露骨な昂の挑発に、拓也は軽く肩をすくめてみせる。
「どこが、禁断の魔術だ!ただのご都合魔術だろう!」
「何を言う!我の素晴らしい頭脳をフル稼働してさまざまな書物を研究した結果、綾花ちゃんが進の家に行くためにはこの方法がもっとも最適だという結論が出たのだ!」
「…‥…‥だからそれは単に、綾花が前みたいに『宮迫琴音』として振る舞うことでも解決できるだろう」
大げさな昂の講釈に、拓也はげんなりとした顔をする。
だけど、昂も折れなかった。
「むっ!禁断の魔術の方が確実だと告げておるではないか!…‥…‥まあ、魔術の心得さえも知らぬ貴様には分からぬことゆえ仕方あるまいな」
「…‥…‥おい」
昂があっけらかんとした口調で言ってのけると、憤懣やる方ないといった様子で拓也がそう吐き捨てた。
「さあ、綾花ちゃん。進の家に行くためにも、進として振る舞ってはくれぬか?最も、我が先程、考えた仮想未来の中では、綾花ちゃんは進として振る舞ってくれておったがな」
「「なっーー」」
拓也と元樹は、そこで到底聞き流せない昂の言葉を耳にした気がして困惑した。
『俺は父さんと母さんに、これからも会いたい』
昂がそう告げた途端、綾花の中で綾花であって綾花ではない誰かがそうつぶやき続ける。
それは、自分の意志だったのだろうか。
綾花は半ば操られるような状態で、昂に手を伸ばす。
「私ーーいや、俺はーーっ」
「綾、ダメだ!」
元樹は咄嗟に、昂からポプリの入った袋を受け取った綾花の手を取って、自身のもとへと強引に引っ張った。
気遣うように顔を覗き込んできた元樹を見て、綾花ははっとしたように現実に焦点を結ぶ。
「ーーううっ、ご、ごめんね、私、私」
「…‥…‥むっ?仕方ない。綾花ちゃん、明日、もう一度、話し合おう!」
綾花をかばうようにして立った元樹を見て、昂は不服そうに捨て台詞を吐くと、軽く手を振りながら渋々と去っていった。
拓也は昂が引き上げていった方向に視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「想定外の魔術だったな」
「ああ。まさか、こういう魔術でくるとはな」
元樹の言葉に、拓也はほんの数分前にこの場所でかわした昂との会話を思い出す。
『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』。
舞波が口にしたその魔術の効果は、考えられる限り、最悪に近い内容だった。
綾花と会えなくなるということは、舞波にとって好きな人と唯一の友人を同時に失ってしまうことになる。
それだけ、舞波も思い詰められているということなのだろう。
元樹は校舎を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「一日、一時間だけ妄想を現実を変えられる魔術か。条件がそれなりに厳しそうだが、それでもかなりやばい効果だよな」
「…‥…‥ああ」
「たっくん、元樹くん」
思わず、身構えてしまった拓也に、元樹が殊更、深刻そうな表情でさらに言葉を続けようとした矢先、綾花がおずおずと声をかけてきた。
「ごめんね、ごめんね」
そう言う綾花は浮かない顔をしていた。所在なさげに、昂から受け取ってしまったポプリの袋をいじっている。
「ーー本当にごめん」
周囲を窺った後、驚いて振り返った拓也と元樹を見遣ると、口振りを変えた綾花は俯き、一度、言葉を切った。
だけど、すぐに顔を上げると、綾花は苦々しい顔で吐き捨てるように言う。
「布施、あの時、止めてくれてありがとうな」
「気にするなよ、綾。それだけ、舞波の魔術の影響が強かったってことだ。俺の方こそ、魔術の内容を聞いた時にすぐに気がついてやれなくてごめんな」
綾花の言葉に、元樹はあくまでも真剣な表情で頷いた。
そして、舞波がここに来る前に、禁断の魔術を既に使用し、さらに実行に移すと言っていたことを不意に元樹は思い出す。
「布施、ありがとうな」
元樹の言葉に綾花が輝くような笑顔を浮かべるのを目撃して、拓也は照れくさそうに、そして付け加えるように言った。
「綾花。舞波とは違う方法で、必ず上岡の家に行けるようにしてみせるからな」
「ああ。ありがとうな、井上」
拓也の何気ない励ましの言葉に、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
こうして、『禁断の魔術』の披露初日から波乱の予感を醸しつつ、綾花達による進の家に行くための作戦会議は始まったのだった。