第四十二章 根本的に会うたびに好きになっていく
似ている。
似ているのだ。
いつもの彼女は違うのに、たまに見せる何気ない仕草や表情が進に似ている。
だからこそ、私も母さんも、彼女にーー進を重ねてしまっているのだろう。
こんなにもーー。
ーーいや、実際に今の彼女は進でもあるのだから、似ているのは当たり前なのかもしれない。
そう苦笑いすると、進の父親は今日もまた帰宅するなり、進の母親に進が来ていたのか訊ねてしまう。
いつかーー。
いつかきっと、また前のような家族三人で幸せに過ごせる日々が訪れることを願ってーー。
「綾がいなくなった?」
半信半疑な表情で、元樹は拓也に訊いた。
綾花がいなくなって動揺する綾花の父親を、綾花の行き先に心当たりがあるからと告げて何とか落ち着かせた後、拓也は携帯で連絡を取り合っていた部活帰りの元樹と駅のホームで落ち合っていた。
駅のホームで話をするのもどうかと考えたが、幸い、ホームは混みあっており、拓也達の話に耳を傾ける者はいなかった。
「本当なのか?」
「ああ」
拓也は綾花が進の家に入っていくところを綾花の母親に見られてしまったことなどを打ち明けた後、元樹に向かって真摯な瞳で伝えた。
「星原や霧城の家にも行っていないらしい。恐らくはーー」
「…‥…‥上岡の家か?」
「ああ」
拓也にそう告げられても、元樹はあまりにも衝撃的な出来事に頭を悩ませる。
不意に、元樹はある事に気づき、少し声を落として聞いた。
「ーーなあ、拓也」
一旦、言葉を途切ると、元樹は鋭く目を細めて告げた。
「まずくないか?」
核心を突く元樹の言葉に、拓也は思わず目を見開く。
「このままだと、綾の両親が上岡の両親に今後一切、綾に会わないでほしいと言ってきそうだ。だけど、上岡の両親はもう、綾を手放すつもりはないだろう」
「…‥…‥分かっている」
拓也は複雑そうな表情で視線を落とすと、熟考するように口を閉じる。
綾花に上岡が憑依したことが、綾花の両親にバレてしまう可能性がある。
恐らくそれが、この場で最も起こりうる最悪なことだろう。
もし綾花の両親にバレてしまったら、きっといろいろと誤解を招かれて大変なことになり兼ねない。
いや、下手をすれば、思い詰められた綾花は傷つき、悲しみに暮れて立ち直れなくなってしまうかもしれない。
拓也の脳裏に、自然と数ヶ月前の喫茶店の光景が思い描かれた。
綾花に上岡が憑依したことを舞波から告げられた、あの光景だ。そして、先程の綾花の父親が告げていた口論のことを思い出す。
嫌な予感が、拓也の胸をよぎった。気持ち悪い感情が込み上げてくる。
拓也は顔を上げると、それらを吐き出すようにきっぱりと言ってのけた。
「…‥…‥上岡の家に行こう」
「ああ、そうだな」
粘りつく雨が駅のホームの屋根に垂れ落ちる中、元樹は右手で庇をつくって空を見上げた。
視界に広がる雨の帳はさらに激しさを増し、しばらく止みそうにはなかった。
「はい」
進の家に着くと同時に、拓也がインターホンを押すと、インターホンから進の母親と思われる女性の声が聞こえてきた。
拓也が簡単に要件を伝えると玄関のドアが開かれ、中から進の母親が拓也達を出迎えた。
「夜分遅くに失礼致します」
「遅くにすみません」
拓也がそう切り出して頭を下げると、元樹もそれに倣って一礼する。
拓也は顔を上げると、神妙な面持ちでこう言葉を続けた。
「綾花、来ていますか?」
「…‥…‥その」
拓也のその言葉に、進の母親は悲壮感を漂わせるように玄関の奥に視線を向ける。
「…‥…‥ううっ」
そこには通路の壁に身を隠すようにしながら、綾花が困り果てたようにちらりとこちらに顔を覗かせていた。
「…‥…‥たっくん、元樹くん。お父さんとお母さん、怒っているよね」
拓也達の顔を見るなり、綾花がぽつりとそう訊いてきた。決して泣いてはいなかったが、代わりにその表情は乾いていた。
「…‥…‥怒ってはいない。ただ、綾花の心配をしているだけだ」
「ああ、心配するなよ。綾」
拓也と元樹のとりとめのない励ましの言葉を受けても、綾花は沈んだ顔をしていた。
いそいそと玄関の外に立っている拓也達のもとまで歩み寄ると、綾花は今にも泣き出してしまいそうな表情で訴え続ける。
「…‥…‥お父さんとお母さんが、もう、父さんと母さんに会ったらダメって言うの。でも、私、これまでのように、父さんと母さんに会いたい!」
綾花の嘆きの言葉は現実を伴って、拓也達の耳朶を震わせる。
無意識に表情を険しくした進の母親をよそに、拓也は幾分、真剣な表情で綾花に声をかけた。
「心配するな、綾花。絶対にそんなことにはさせない!」
「たっくん。…‥…‥で、でも」
はっきりと告げられた拓也の言葉に、綾花は顔を上げて驚きの表情を浮かべたが、すぐにみるみる眉を下げて哀しそうな顔になった。
そんな綾花に、意を決したように元樹が綾花の手をつかんで言った。
「綾、前に言っただろう?また、何か困ったことがあったら、いつでも俺達が相談に乗るって」
それにさ、と元樹は言葉を探しながら続けた。
「拓也の話によると、綾の両親、綾がいなくなって、すげえ心配しているらしいからな」
「…‥…‥っ」
元樹の率直な言葉に、綾花が断ち切れそうな声でつぶやく。
そんな綾花に、元樹は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「なあ、今日は帰らないか?これから先のことは、みんなで少しずつ考えていけばいいしな」
「…‥…‥ううっ、ご、ごめんね、ごめんね。たっくん、元樹くん、ありがとう」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。
泣きそうに顔を歪めて力なくうなだれた綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
「帰ろう、綾花」
「うーー」
「…‥…‥待って、ことーー進!」
うん、と答えようとしたその時、咄嗟に悲痛な声をかけられて、綾花は拓也からそちらへと視線を向ける。
「母さん?」
必死としか言えないような眼差しを向けてくる進の母親に、綾花は目をぱちくりと瞬くときょとんとした顔をした。
「…‥…‥その、旅行の時、乗り越えたつもりだったのよね」
進の母親は寂しげにそう口を開いた後、何かを訴えかけるように自分の胸に手を当てる。
「進はもう、瀬生さんの心の一部になったんだから、ここは進のーー琴音の帰るべき場所の一つになっただけなんだって、何度も自分に言い聞かせて納得させていた。でもーー」
一呼吸置いて、進の母親は淡々とーーだけど、焦ったように叫んだ。
「もう二度と、進に会えなくなってしまうのだけは嫌なの!進が行方不明になったと聞かされたあの時のーーあんな思い、もう二度と味わいなくない…‥…‥。お願い、井上くん、布施くん。これからも進に会わせてほしいの!私達から、進を奪わないで…‥…‥」
そう言い終えると、進の母親は綾花を食い入るように睥睨しながら肩を震わせていた。
その眼差しは、執拗に綾花にこだわり、綾花のことを考えていた以前の自分と重なって見えてしまい、拓也は決まり悪そうに視線を落とす。
「…‥…‥ううっ、か、母さん。私ーーいや、俺も離れたくない」
進の母親の嘆き悲しむ姿に、堪えきれなくなったのだろう。
突然、綾花は口振りを変えると再び、今にも泣き出してしまいそうな表情で、進の母親に勢いよく抱きついてきた。気を抜くと、目から涙がこぼれ落ちそうになってしまう。
「進…‥…‥」
反射的に抱きとめた進の母親は、愛おしげに綾花の頭を優しく撫で続ける。
そんな二人の様子に、拓也は意を決したように顔を上げると、決然とした表情ではっきりと告げた。
「はい、離れ離れなんかにはさせません!」
「ああ、絶対にそんなことさせるかよ!」
拓也に続いて元樹が至って真面目にそう言ってのけるのを見て、拓也は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
「綾花!」
その時、遠くから唐突にかけられた声に、進の母親の胸にうずくまっていた綾花の心臓が大きく跳ねた。
まさかーー。
まさかーー。
ゆっくりと振り返った綾花は、自身の予感が的中したのを目の当たりにして息を呑んだ。
そこには、拓也が綾花の行き先に心当たりがあるからと告げたことにより、マンションに一度戻ったはずの綾花の父親の姿があった。
必ず、上岡の家族をーーそして綾花の家族を守ってみせる。
必ず、この二つの家族を幸せにしてみせる。
綾花を守る。
この言葉に誓ってーー。
驚愕する綾花の父親をよそに、拓也は拳を握りしめると、ひそかに決意表明をするように綾花を守ることを再度、心に誓ったのだった。