第三十九章 根本的に想いのかけらを探して
デート当日ーー。
生徒手帳の効果をなくす方法について教える代わりに、綾花にデートすることを承諾させた昂は、早くも待ち合わせ二時間前から待ち合わせ場所である森林公園前に立っていた。
しかし、二時間前から待っているというのに、昂は浮かれた顔でまさにご機嫌の極みにあった。
綾花にデートの約束を取り付け、前もって入念にデートプランを試行錯誤し、綾花とのデートへの万全の準備を果たしたのだから、当然のことだったのかもしれない。
ところが、その昂の上機嫌はほんの少しの時間しかもたなかった。
「何故、ここに貴様らがいるのだ!」
綾花との二人きりのデートのため、いつにもましておしゃれな入れ立ちをした昂は、自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべて叫んだ。
その理由は、至極単純なことだった。
「元樹、陸上部の記録会が近いんだろう。部活を休んでまで、一緒に来る必要はなかったんじゃないのか?」
「仕方ないだろう!今日は舞波と綾のデートが気になって、部活どころじゃなかったんだよ!」
すぐ後ろで私服姿の拓也が綾花を探すように辺りを見回し、同じくカジュアルな装いの元樹が不満そうに隣の拓也に食ってかかっているのが、昂の目に入ったからだ。
「何故、いつも何かと我の邪魔してくる井上拓也と、綾花ちゃんに二度も口づけをしてのけた、不届き千万な布施元樹がここにいるのだ!」
涼しげな表情が腹立たしくて、昂はもう一度、同じ台詞を口にした。
昂は前もって、綾花とのデートを妨害されないようにと、デート前日まで偽の待ち合わせ場所の情報を綾花に伝えていた。そして、デート当日の早朝に、綾花に『交換ノート』を用いて本当の待ち合わせ場所である『森林公園前』を知らせるという、手の込んだ方法を用いていたのだ。少なくとも、二人が本当の待ち合わせ場所である、この場所を知るよしはない。
にもかかわらず、拓也と元樹は当然のようにここにいる。
昂の問いかけに、拓也はさも当然のことのようにこう答えた。
「綾花から、おまえが言っていたあの場所が、この『森林公園』だと聞いていたからな。少なくとも、前日までおまえが告げていた『駅前広場』ではないと思っていた」
「綾花ちゃん、言ってしまっては元もこうもないのだ~!」
「…‥…‥おい」
昂が心底困惑して訴えると、拓也は低くうめくようにつぶやいた。
そんな中、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の出演後に生徒手帳の効果をなくす方法について教えるって言っていたのに、出演前に綾とデートなんていかにも見え透いた嘘っぽいよな。本当に教えるのかどうか分からなかったし、また、何か企んでいそうな感じだったんで、綾に頼んで今回のデート先を聞き出したんだよ」
元樹自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの顔をしていたが、昂は不服そうに顔をしかめてみせる。
「…‥…‥お、おのれ~!井上拓也!そして、布施元樹!貴様ら、我と綾花ちゃんの二人きりのデートを邪魔するのが狙いだったのだな!」
「自業自得なだけだろう」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「…‥…‥おのれ」
「たっくん!元樹くん!舞波くん!」
昂が次の行動を移せずに歯噛みしていると、不意に綾花の声が聞こえた。
声がした方向に振り向くと、少しばかり離れた道沿いに綾花が拓也達の姿を見とめて何気なく手を振っている。
大きなランチボックスを握りしめて拓也達の元へと慌てて駆けよってきた綾花は、少し不安そうにはにかんでみせた。
「遅くなってごめんね」
「気にするな、俺達も今、来たところだ」
「心配するなよ、綾」
「うむ、問題なかろう」
拓也達がそれぞれの言葉でそう答えると、綾花は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように持っているランチボックスをぎゅっと握りしめる。
「綾花ちゃん、可愛いのだ!」
綾花の姿をまじまじと眺めていた昂が、拓也と元樹が先に告げようとしていた言葉をあっさりと口にして目を輝かせた。
森林公園前に駆け寄ってきた綾花は、ペールグリーンのワンピースを着ていた。
胸元にはオリーブグリーンのレースが連ねて縫い付けられており、腰のあたりに共色の大きなリボンが結ばれている。
「ありがとう、舞波くん」
陽光に輝く綾花の横顔は、今までに見たこともない喜びに満ちていた。
希望を溢れさせるその顔を見て、拓也はどこか切なさを感じてしまう。
昂はおそるおそる、人差し指を綾花が持っているランチボックスに向けて差し示すとぽつりぽつりとつぶやいた。
「あ、綾花ちゃん…‥…‥、そ、それはまさか、お、お、おーー」
「…‥…‥う、うん。お母さんと一緒に、お弁当を作ってきたの」
昂の問いかけに、綾花は持っているランチボックスに視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「綾花ちゃんのお弁当だと!」
綾花の何気ない言葉に、昂は両拳を握りしめて歓喜の声を上げた。
「ならば、綾花ちゃんは我とデートしているのだから、そのお弁当は我がもらうべきだ!」
露骨な昂の挑発に、拓也は軽く肩をすくめてみせる。
「勝手に決めるな!」
「勝手ではない。すでにこれは、我によって定められた確定事項だ」
いつもの傲岸不遜な昂の言葉に、拓也はむっと顔を曇らせる。
ことあるごとにぶつかる二人に対して、元樹が軽い調子で声をかけてきた。
「俺も、綾の弁当、食ってみたいな」
「あのな、元樹」
あっけらかんとした元樹の言葉に、拓也が不満そうに顔をしかめてみせる。
すると、綾花はランチボックスを置くと両手を広げ、生き生きとした表情でこう言ってきた。
「後で、みんなで食べよう」
「…‥…‥あ、ああ」
拓也が少し不満そうに渋々といった様子で頷くと、綾花は嬉しそうに顔を輝かせた。
そんな中、感慨深げに昔を懐かしむように、昂は周りを見渡しながらつぶやいた。
「…‥…‥うむ。しかし、ここは前に進とともに来た時とさほど変わってはいないようだ」
「うん、そうだね」
憂いの帯びた昂の声に、綾花もわずかに真剣さを含んだ調子で穏やかに言葉を紡ぐ。
そんな綾花と昂のやり取りを見遣ると、拓也は警戒心をあらわにして訊いた。
「ここが、おまえの言っていた『あの場所』なのか?」
「むっ、否!ここは『あの場所』ではない!」
昂が力強くそう力説すると、拓也は訝しげに眉根を寄せる。
「『あの場所』ではない?」
「うむ。正確に言うと、『あの場所』とはこの森林公園の奥にある噴水広場だ」
噴水広場というフレーズに、拓也は明確に表情を波立たせた。
この遊歩道ではなく、アスレチック広場でもなく、何故かあえて噴水広場を、昂は念押しする。
その、どうしようもなく不安を煽る昂の態度に、拓也は焦りと焦燥感を抑えることができずにいた。
「…‥…‥懐かしいな」
道中、昂の言葉を訝しながらも拓也達が噴水広場にたどり着くと、綾花がぽつりとそうつぶやいた。
森林公園は、土曜日とあってか、親子連れなど、かなりの人で賑わっていた。
また、森林公園の噴水広場は、森林公園内でも人気の昼食スポットになっている。そのためか、噴水広場のベンチはもちろん、腰かけられる場所はどこも空いていなかった。
「ううっ…‥…‥、お弁当、どこで食べようか?」
「問題ないのだ、綾花ちゃん。我は既にこのレジャーシートなるものを用意しておる」
綾花がランチボックスを抱えたまま、目を細めて心細そうに辺りを見回していると、昂は咄嗟にこの日のためにと用意していたレジャーシートを取り出した。
「綾花ちゃん、知っておるか?このレジャーシートは、くるくると丸めて止めるだけで持ち運びができるコンパクトなレジャーシート、…‥…‥らしいぞ」
「えっ?そうなんだ。すごいね、舞波くん」
この日のために学んできましたとばかりの雑学を披露する昂に、綾花は目を輝かせて感激した。
事実、昂はこの日のためにと、前もって入念にデートプランなどを試行錯誤してきたので、当然といえば当然だったかもしれない。
「あのな…‥…‥」
あくまでも不遜な態度でもの申す昂に、拓也はおもむろに視線を動かしてげんなりとする。
だが、そんな拓也の言葉を無視して、昂はおおっぴらにレジャーシートを敷いてみせると一番乗りとばかりにその上に座った。
「うわぁっ!」
いそいそとレジャーシートに手を伸ばしかけた綾花が嬉しそうに言う。
レジャーシートには早速、所狭しと物が置かれていった。
ランチボックスにお弁当。銀色の水筒に紙コップ。そして中央には、何故か綾花が持参したペンギン型のクッキーが入った袋が置かれてある。
何でも以前、食べた綾花のクッキーの味が忘れられないとかで、舞波から今回のデートの時に作ってきてほしいと何度も請われていたらしい。
そんな中、昂はわなわなと綾花とクッキーを交互に見返しながら胸を高鳴らせていた。
「信じられぬ。本当に綾花ちゃんと二人きりだ。こ、これが世間でいうところの公園デートというものなのか…‥…‥!」
「…‥…‥おい」
「…‥…‥俺達もいるだろう」
不服そうな拓也と元樹の突っ込みをものともせず、昂はさらに力説して言葉を続ける。
「いや、こんな美味しい展開、我が見逃すはずもなかったな!」
「おまえは今すぐ、即行で帰れ!」
「我は帰らぬ!」
「ねえねえ、たっくん、元樹くん、舞波くん。早く食べよう」
激しい剣幕で言い争う拓也と元樹と昂に、綾花はうずうずとした顔で声をかけた。
もじもじと手をこすり合わせるようにしてうつむく綾花のもとに、元樹がやってきて軽い調子で声をかけてきた。
「おっ?綾のクッキー、うまそうだな」
「あのな、元樹」
虚を突かれたように瞬くと、拓也は振り返ってそう言う。
「なあ、拓也もそう思うよな?」
元樹から意味ありげに問われて、拓也は意を決したように息を吐くと必死としか言えない眼差しを綾花に向けた。
「ああ、美味しそうだ」
「…‥…‥ありがとう、たっくん、元樹くん」
拓也と元樹からの称賛に、綾花は照れくさそうに視線をうつむかせると指先をごにょごにょと重ね合わせてほのかに頬を赤らめてみせる。
昂は腕を組むと、不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「綾花ちゃんのクッキーは、我がリクエストしたものーーつまり、我のものだということだ!早速、頂くとしよう!」
「あー…‥…‥とりあえず、俺達も食べるか?」
追い打ちをかけるかのように拳を突き上げてそう叫ぶ昂に、拓也は脱力したように肩を落とす。
「…‥…‥うん」
拓也のその言葉に、顔をうつむかせていた綾花が小さく頷いた。
「うむ、美味いな」
昂はクッキーを口に運ぶとなんとも幸せそうな表情を浮かべた。そして、いきなりとんでもないことを、拓也と元樹に向かって言い放った。
「ちなみにこのクッキーは、たった今、すべて我のものと見なした!一個たりとも渡すつもりはないぞ!」
「…‥…‥っ」
にまにまと意地の悪い笑みを浮かべてくる昂に、拓也は不愉快そうに牽制するように睨んでみせる。
「…‥…‥あのな」
明らかに独り占めする気満々の昂に、元樹は呆れたようにため息をつくのだった。
「うむ、我は満足だ!」
あっという間にお弁当を平らげ、ペンギン型のクッキーが入った袋をそそくさと自分の鞄へとしまった昂を、 拓也と元樹は唖然とした表情で見遣る。
「ご、ごめんね。舞波くん、いつもこうなの」
綾花は拓也と元樹を交互に見遣ると、顔を真っ赤にしながらおろおろとした態度で謝罪した。
「勝手に、綾花のクッキーを独り占めするな!」
「はあっ…‥…‥。舞波って、ホントに変なことばかり考えるよな」
あっさりとクッキーを奪われて非難の眼差しを向ける拓也と、やれやれと呆れたようにぼやく元樹の言葉にもさして気にした様子もなく、昂は興奮気味に話を促した。
「さあ、綾花ちゃん! 久しぶりにこの場所で、共に語り合おうではないか!」
「はあ?」
昂の思いもよらない誘いに、拓也は不意をうたれように目を瞬く。
「…‥…‥語り合うの?」
綾花の疑問に答えるように、昂が人差し指を立てて言った。
「うむ。なにしろ、この場所は、我が初めて進に誘われて訪れた場所だからな」
「うん、そうだったね」
昂が物憂げな表情で空を見上げると、綾花は懐かしそうに日だまりのような笑顔で笑った。
いそいそと噴水の前まで歩み寄ると、綾花は拓也達の方に振り返り、眩しそうに目を細める。
「ーー舞波くんはね」
不意に、綾花が誰に言うでもなく語り始めた。
「いつも、学校から帰ると重大な儀式を執り行うからって、私がーー進が誘っても自室に籠りきりでなかなか外に出てきてくれなかったの」
「…‥…‥そうなんだな」
進の話になんと返していいのか把握し損ねて、拓也はつい無愛想な返事をしてしまう。
だけど、綾花はそれには気づかずに嬉しそうに話を続けた。
「私、何とか舞波くんを外に連れ出そうと試みて、ようやく誘えたのがこの森林公園の噴水広場だった」
「…‥…‥そうなのか?」
思わぬ言葉を聞いた拓也は綾花の顔を見つめたまま、瞬きをした。
綾花は昂に視線を向けると、さも意外そうにこう続ける。
「…‥…‥うん。だから、舞波くんが今でも、この森林公園の噴水広場を『特別な場所』って思ってくれているのが嬉しい」
「…‥…‥綾花」
どこまでもどこまでも嬉しそうに笑う綾花を、嬉しいような、でもそのことが悲しいような、複雑な気持ちで見ていた拓也は、何故か不意にほんわかと笑う幼い頃の綾花を思い出した。
拓也の脳裏に、桜の木が立ち並ぶ川沿いの遊歩道を歩きながら、幼い頃の自分と綾花が仲睦ましげに家に帰っていく姿がよぎる。
上岡と舞波の思い出の場所ーーそれはきっと、自分と綾花の思い出の場所と同じくらい、綾花にとって大切で特別な場所なのだろう。
でもーー。
それでもーー。
自分と綾花の思い出の場所の方が、綾花にとって何よりも大切な場所であってほしいと、拓也はしみじみと思ってしまう。
拓也が深々とため息をついていると、元樹は一度目を閉じてから、ゆっくりと開いて言った。
「心配するなよ、拓也。綾はさ、いつも拓也のことを話している時は、すごく楽しそうに話しているんだ。だからきっと、今も綾にとって何よりも大切な場所は、拓也との思い出の場所なのだと俺は思うな」
「…‥…‥そうか」
頭をかきながらとりなすように言う元樹に、拓也は穏やかな表情で胸を撫で下ろす。
「…‥…‥ああ。むかつくけどな」
元樹が不服そうに投げやりな言葉を返すと、ようやく拓也はほっとしたように微かに笑ってみせた。
ーー だからきっと、今も綾にとって何よりも大切な場所は、拓也との思い出の場所なのだと俺は思うな。
元樹の言葉の波紋がじわじわ広がり、拓也の胸の奥がほのかに暖かくなる。
幼い頃から言い表せないくらいに大好きで、誰よりも大切な女の子ーー。
拓也の想いが今も昔も変わらないように、綾花の想いもきっと変わっていないのだろう。
目の前で、上機嫌の昂に一方的に話しかけられて少し困っている綾花を見遣ると、拓也は綾花を守るようにして昂の前に立ち塞がった。
「むっ!貴様、我は今、綾花ちゃんに大切な話をしていたのだぞ!」
きっぱりと異を唱えてみせる昂に対して、拓也が不本意そうに口を開こうとしたところで、綾花がおずおずと声をかけてきた。
「ねえ、たっくん。舞波くんが言っていたんだけど、噴水広場の奥に新しく、水のトンネルが新設されたみたいなの。見に行ってもいい?」
先程までの緊迫した空気などどこ吹く風で、今か今かと了承の言葉を待っている綾花に、拓也は思わず顔をゆるめていつものように優しく頭を撫でる。
「ああ、行くか」
「うん」
綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、幸せそうにはにかんだのだった。