第三十八章 根本的に甘くて苦いスイーツ日和
「舞波」
「むっ?」
今まで綾花達の会話を傍観していた1年C組の担任から言葉を投げかけられて、昂は不遜な態度で腕を組むと綾花から1年C組の担任へと視線を向ける。
その態度に、1年C組の担任は額に手を当ててため息をつくと朗らかにこう言った。
「話は終わったな。では、この後、再び、高校受験の魔術の不正の件についてじっくり話を聞かせてもらうからそのつもりでな」
「我は納得いかぬ!」
あくまでも事実として突きつけられた1年C組の担任の言葉に、昂は両拳を振り上げて憤慨した。
「先程までうんざりとするほど、問いただされていたというのに、何故、この我がまた、呼び出しなどを受けねばならんのだ!」
「それだけのことをしてきたからだ!」
昂の抗議に、1年C組の担任は不愉快そうに言葉を返した。
打てば響くような返答に、昂が思わず、たじろいていると、1年C組の担任は気を取り直したように綾花達に向き直り、話を切り出してきた。
「すまないが、私は今から舞波とともに先程の高校受験の魔術の不正の件も含めた三者面談を一ヶ月後に行う準備をするため、申し訳ないが、後のことは宮迫と井上と布施の三人で話し合ってほしい」
「先生、あんまりではないか~!」
1年C組の担任があくまでも確定事項として淡々と告げると、昂が悲愴な表情で訴えかけるように1年C組の担任を見る。
だが、昂の悲痛な訴えも虚しく、昂は1年C組の担任に引き連れられて校長室を立ち去っていった。
「舞波くん、大丈夫かな?」
昂と1年C組の担任が出て行った先をじっと見つめると、綾花は不安そうにぽつりとつぶやいた。
「あいつのことだから、また、うまいこと立ち回っているだろう」
拓也が、そんな綾花の問いかけに顔を歪めて答えた。
「…‥…‥うん、そうだよね。こういう時、舞波くんは無類の力を発揮するもの」
ほんわかな笑みを浮かべて思い出したように言う綾花を、拓也は何とも言えない顔で見つめる。
だがすぐに、拓也は軽く肩をすくめると、真っ先に疑問に思ったことを口にした。
「それにしても、舞波は今回、何がしたかったんだ」
「確かにな。まあ、綾とデートをしたかったというのは間違いないが、あの最後の台詞を聞く限り、他にも何かありそうだよな」
呆れの響きが如実に滲む声で、元樹はそう言った。
そして目を細めて、元樹は綾花の様子を窺う。
「まるでーー」
元樹がさらに何かを告げようとする前に、綾花は先程までのほんわかな綾花の表情とはうって変わって進の表情へと一変させると爽やかにこう言った。
「ーー悪い、井上、布施。倉持、待たせているから、俺、そろそろ行くな」
ひらひらと手を振り、あっさりと踵を返した綾花に、拓也が慌てて声をかける。
「おい、綾花!」
「ーーあっ、そうだ」
校長室のドアに手をかけたところで、ふと思い出したように綾花は振り返った。
ふわりと翻る銀色の髪。
綾花によく似た顔が、綾花が絶対に浮かべない不敵な表情を浮かべる。
「昂のことだけど、いつも、ああやって言ってくるんだよな」
どういうことだーー。
口を開いた拓也が声をかける前に、校長室のドアはゆっくりと閉じていった。
「…‥…‥どういうことだ」
先程、綾花がいる前では口にすることができなかった言葉をぽつりと告げると、拓也は怪訝そうな顔をする。
腕を頭の後ろに組んで校長室の壁にもたれかかっていた元樹が同じく応えられなかった言葉を口にした。
「まるで、上岡と舞波しか知らない秘密がありそうだな」
「そうなのか?」
困惑したように驚きの表情を浮かべる拓也に、元樹は軽く肩をすくめると手のひらを返したようにこう言った。
「まあ、実際のところ、俺もどういうことなのか分からないけどな」
「…‥…‥そうか」
拓也が顎に手を当てて真剣な表情で悩み始めると、不意に元樹は拓也が予想だにしなかったことを言い出してきた。
「なあ、拓也。俺も、綾と二人きりでデートしたいんだけど、ダメか?」
「当たり前だ」
元樹が手を合わせて至って真面目に懇願してくると、拓也は眉をひそめてきっぱりとそう断言したのだった。
拓也達と一旦、校長室で別れた綾花は、1年C組の教室で待っていたクラスメイトである倉持ほのかに連れられて、やたらとおしゃれなスイーツショップへと入った。
様々なケーキが並んでいるショーケースに、奥には休憩スペースとしてアンティークのテーブルと椅子が設けられている。
一目で見渡せるこざっぱりとした店内には、平日の夕方にしてはかなり人が入っていた。
「宮迫さん」
いろいろな種類のケーキが並んでいるショーケースを眺めながら、穏やかな声でほのかはこう言った。
「ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』のパーソナリティをするからって、宮迫さんが責任を感じちゃう必要はないからね」
「なっ?」
予想もしていなかった彼女の言葉に、綾花は呆然とする。
ほのかは綾花の方に振り返ると、一呼吸置いてから言った。
「ほら、お昼休み、屋上で隣のクラスの男の子達ともめていたでしょう?確か、一緒にラジオ番組に出演する人達だよね?」
「ーーっ」
やや驚いたように言葉を詰まらせた綾花に、ほのかは意味深にこう続ける。
「宮迫さんって、隣のクラスの人達や他の学年の人達とも仲がいいでしょう。何だか、宮迫さんを見ていると、行方不明になった上岡くんのことを思い出すの」
ふっと息を抜くように笑うと、ほのかは再び、ケーキが並んでいるショーケースへと視線を向ける。
「だからかな?最近、何やら思い詰めたような表情をして悩んでいる宮迫さんを見ていると、上岡くんのように私達の前からいなくならないか、心配になっちゃうんだ。だからねーー」
不意に思いついたように、ほのかは興味津々の様子で後ろ手を組むと、綾花の顔をそっと覗きこんだ。
「美味しいスイーツ食べて、悩みなんて吹き飛ばそう!」
「だから、誘ってきたのか?」
話題を変えるかのようにほのかが明るい表情で言うと、綾花はわずかに目を見開いた後、神妙な表情でほのかに訊いた。
『宮迫琴音』として初めて登校した日から、ずっと倉持や他のクラスメイト達は何かと俺にーー琴音に気をかけてくれていた。
それは、いなくなった俺をーー上岡進を、俺にーー宮迫琴音に重ねていたからなのかもしれない。
困惑したように問いかけてくる綾花に、ほのかは少し慌てたように声を落として言う。
「あっ、ごめんね、宮迫さん。変なこと言っちゃって」
「…‥…‥い、いや、ありがとうな。倉持」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。堪えた涙は限界を越えそうになっていた。
それでも、綾花は目元を拭い、前を見つめながら言葉を続けた。
「俺、こうしてまた、クラスのみんなに会えてよかった」
「えっ?」
目をぱちくりと瞬いたほのかをよそに、綾花は俯いていた顔を上げると物憂げな表情を収め、楽しそうに小さな笑い声を漏らした。
「ーーなんてな。じゃあ、ケーキ、食べるか?」
「うん、食べて食べて!私のおすすめはこのフルーツケーキなの!」
ほのかが晴れやかな声でそう告げるのを聞いて、綾花は穏やかな表情で胸を撫で下ろした。
ほのかが薦めてくれたフルーツケーキとアールグレイの紅茶というお互い、同じものを購入し、二人がけのテーブル席に着くと綾花は購入したばかりのフルーツケーキの方をなんともなしに見つめる。
「すごいな」
「ふわふわだね~」
そう言うと早速、ほのかはナイフとフォークで、フルーツケーキを嬉しそうに切り分け始める。そして、柔らかなケーキと同じくらいにふわんとした顔をして、切り分けた一片を口に運んだ。
「う~ん、美味しい」
美味しくてたまらないとばかりに、きゅっと目を細めて頬に手を当てるほのかを見て、綾花は目を丸くする。
「相変わらず、倉持はケーキに目がないよな」
綾花が思わず、そう問うと、ほのかはきょとんとした顔で首を傾げた。
だがすぐに、ほのかは綾花に向かって花咲くような笑みを浮かべるとありていに答えてみせる。
「うん。私、ケーキ、大好きだもの」
「倉持らしいな」
ほのからしいまっすぐな答えに、綾花はことさらもなく苦笑する。
ナイフとフォークを一旦、置くと、ほのかは声を弾ませて訊いた。
「宮迫さんはケーキ、好き?」
「うーん、普通だな」
綾花の何気ない答えに、ほのかは少しむくれ面で続けた。
「じゃあ、今日から宮迫さんもケーキが好きになりますように」
眉根を寄せて真剣な調子で祈るほのかに、綾花は呆気に取られたようにため息を吐く。
「はあ~、倉持のケーキ好きは半端じゃないよな」
綾花は一息に言い切ると、先程、購入したフルーツケーキを口に運ぶ。
そして再び、至福の表情でケーキを頬張るほのかに視線を向けると、これから先もクラスのみんなが俺のことをーーせめて進のことを忘れませんように、と綾花はひそかに願ったのだった。
「ついに買ってしまったのだ」
近くの本屋で購入したばかりのあるものを自分の部屋の本棚で見つけた瞬間、昂は嬉しそうに含み笑いした。
「うおおおおおおっ!」
昂は一冊の本を超スピードでめくりながら、ひたすら絶叫する。
学校から解放されて帰ってくるなり、昂は自分の机に置いた本を吟味し続けていた。
「…‥…‥ふむふむ、なるほどな。なんということだ! 我としたことが、このような重大な黙示録を、つい最近まで見落としていたとは!」
そう語りながら、昂は隅々まで本を凝視する。
そして最後まで読み終えると、昂は本の表紙を見つめながら拳を震わせて興奮した口調で言った。
「これで、綾花ちゃんは今度こそ、我を見直し、惚れ直すはずだ!」
得意げにぐっと拳を握り、天に突き出して、昂は誰かに宣言するかのように高らかに言い放った。知らず知らずのうちに胸が湧き踊る。
カラフルな表紙には、青い色のファンシーな文字で『保存版!困った時に役立つデートプラン&デートスポットのまとめ』と書かれてある。
そこには、ありとあらゆるデートプランがずらりと書かれていたのだ。
昂は本に向かって無造作に片手を伸ばすと、抑揚のない声できっぱりと告げた。
「そして、綾花ちゃんは我の彼女にーー否、我の将来の結婚相手となりうるであろう!」
昂の視線はすでに目の前の本を突き抜けて、教会の下、タキシード姿の自分とウェディングドレス姿の綾花との結婚式の想像図へと飛んで行ってしまっていた。
相変わらず、昂の行動原理はかくも難解で、時に過激ではあったが、昂の恋愛感覚は、何故か存外しっかりしていた。
こうして、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の出演まであと一ヶ月後と迎えたその日、昂のデートプランはつつもなく練られていったのだったーー。




